■ 15 HERO
イケブクロからカブキチョウ方面へ続くハイウェイをマネカタたちが下っていく。
捕虜収容所という名のマガツヒ絞り施設に、マネカタたちが自分の意思で向かうはずは無い。
列の先頭と最後尾にはナーガが付いていて、疲労からか集団の中からはみ出す者が出ると、長い槍をマネカタの着物に引っかけて列の中に戻している。
マネカタの数はナーガに比べて圧倒的に多いが、力の差を理解しているのか、逆う様子を見せる者はひとりもいない。
「監視役も楽じゃねぇな、早くカブキチョウで遊びたいぜ」
先頭のナーガは腕を回してそうぼやくが、愚痴を言う割りに遊びの楽しさを知っている口もとには残忍な笑みが見える。
ナーガの言う遊びとは牢屋に繋いだマネカタを苛めて反応を愉しむという、その気の無い者から見れば悪趣味なものだ。
仲間から噂を聞いてカブキチョウの地獄を知っているのか、一部のマネカタの間で規則正しかった痙攣のリズムが乱れる。
「なぁ? そう思うだろ」
先頭からの呼びかけに対し、最後尾からの答えは無かった。
代わりに、
「スピードが落ちているぞ、早く行け」
という命令口調の声が、これからのお楽しみを想像して良い気分に浸っていたナーガの顔を顰めさせた。
点在する路面の亀裂を器用に避けながら、最後尾のナーガも先頭を行くナーガと同じように顔を顰めてチッと舌を鳴らす。
「くだらねぇ」
列からはみ出たマネカタを戻しもせずに、自分への嫌悪感を剥きだしにして後方の蛇は吐き捨てる。
マネカタを連れてイケブクロを出てからずっと、その思いで彼の心はささくれ立っていた。
ゴズテンノウの命令を受け、力を持て余していたマントラ軍の悪魔たちのほぼ全てがギンザへと向かっている。
その中には鬼神トールに力を認められた新参者も含まれているという。
新参者とトールの戦いを直接目にしたわけでは無いが、そのことを仲間から聞いたナーガの本能は疼いた。
自分もその悪魔のようになにか大きなことをやらかしてみたい、本営の悪魔たちの注目を一身に集めるような存在になってみたい。
その目的を満たす恰好のチャンスはすぐに訪れるはずだった。
ゴズテンノウが命じるであろうニヒロ攻め、そこで誰よりも多く敵対する悪魔たちの首を取ること。
その瞬間を待って血色の悪い体を熱くするナーガに回ってきた役目は、マネカタをカブキチョウに移すという期待はずれのものだった。
"こんなつまらない奴らの移動なんて、後からで充分じゃないか"
改めてビクビク震えながら歩かされているマネカタたちへ目をやり、彼はあることに気付いた。
列からはみ出したマネカタが前後をこそこそと窺っている。
明らかに挙動不審だが、列の後ろの方にいるマネカタなせいか、先頭を行くナーガはまだ気付いていないようだ。
"逃げる気か"
最後尾のナーガの体に一瞬緊張が走り、槍を握る手がマネカタを列に連れ戻そうと素早く反応する。
しかし、カグツチの光を受けて鈍く輝く槍先が、マネカタめがけて伸ばされることは無かった。
代わりにナーガは、動きに気付いていないか恐る恐る確認するマネカタからわざとらしく目を逸らし、捕まえる気が無いことをアピールする。
"早く行っちまえ"
彼は与えられた役目に縛られ身動きの取れない自分に、逃げ出そうとするマネカタの姿を重ねていた。
自分の代わりに度胸あるマネカタの運命が敷かれたレールの上から外れることを、気付かないふりを続けながら願う。
マネカタの体は、前進しながらも少しずつ横にずれて列との距離を開けている。
もう少し斜め先に見える大きめなコンクリート壁に身を隠して列から離脱するつもりなのだろう。
逃げようとしている仲間を庇うように最後尾のナーガの前に体格の良いマネカタが移動して、広い背中で視界を覆い隠そうとする。
「なぁ、これが終わったらさ、お前はどうするんだ?」
そっけない対応をされて不貞腐れていた先頭を行くナーガが、気を取り直したのかまた話しかけ始める。
しかし、逃げようとするマネカタの動向が気になる最後尾のナーガは、前を塞ぐマネカタをどかそうと必死でその声に気付くことができなかった。
それに加えて運の悪いことに、先頭のナーガの真後ろで同じく逃亡を試みるマネカタに気をとられていたマネカタが、転がっていた石に足をとられる。
前方に大きく傾いたマネカタの体は、返事がないことを不審に思い振り返ろうか迷っていたナーガの背中と衝突した。
「んだよこの……!」
後ろのマネカタを怒鳴りつけようとして体ごと振り返ったナーガの目は、すぐに問題のマネカタを捕捉する。
地面に転倒したマネカタが注意を逸らそうとナーガの半身に必死になって縋りついたが、その行為はなんの意味も成さなかった。
先頭のナーガの腕が目にも止まらない速さで何かを投げた瞬間に、コンクリート壁に向かって走り出したマネカタの体はビクッと大きく痙攣して動きを止める。
その体には槍が突き刺さり、ちょうど体格の良いマネカタを押し退けることに成功した最後尾のナーガの前で、勇気あるマネカタの体は地面に打ち付けられた。
何体かのマネカタたちの口から悲鳴が上がるなか、前方のナーガが吼える。
「いらねぇ手間かけさせやがって、お前らもこうなりたくなければ逃げようなんて考えるんじゃねぇぞ!」
その瞬間、最後尾を守っていたナーガの心の中で、なにかが弾け飛んだ。
立ち止まって呆然としているマネカタを突き飛ばし、槍を構えた姿勢で雄叫びを上げながら最後尾のナーガは先頭のナーガめがけて突進していく。
分けも分からず咄嗟に先頭のナーガは盾を構えて同族の攻撃から身を守ろうとしたが、最後尾のナーガが槍を打ち付ける威力は凄まじく、耐え切れずに姿勢を崩して地面に背中を叩き付けられた。
最後尾のナーガは狂ったように何度も何度も槍を振り下ろし、火花が散る猛攻を前に、先頭のナーガが両手で構えていた盾に亀裂が生じ始める。
「おっ、落ちつけ!」
盾を構えながら必死の形相で叫んでいた先頭のナーガの目が、広がる亀裂から映った光景を見て、これ以上は不可能と思えるほど大きく見開かれた。
次の瞬間、槍の先が皮膚を突き破りその下の肉を抉る音が、両方のナーガの耳に木霊する。
どちらのナーガの表情も、驚きに目と口を全開にした形で固定されている。
片方のナーガは自分の身に起こった予期せぬ痛みゆえに、もう片方のナーガは目の前で展開されたできごとゆえに。
2体のナーガに共通することは、表情のほかにもう1つ、胸を槍に貫かれたという事実だった。
先頭のナーガの盾を突き破り致命傷を与えた最後尾のナーガは、自分の胸から流れ落ちる血を確認したあと、ゆっくりと首を後ろに回した。
「あぁぁぁああ」
最後尾のナーガの胸を先頭のナーガが投げた槍で貫いた者は、自分が成し遂げたことの大きさへの恐れからか、無表情のままそんな声を発する。
「……、んな……」
ナーガの驚きの表情は、背後の光景を見て悲しげに歪む。
泣き出しそうな顔のまま口の中に溢れた血を吐き出し、先頭のナーガが倒れた直後に、最後尾のナーガの体も大きく揺らいで固い地面に倒れた。
最後尾のナーガが倒れると共に、槍を2人がかりで握っていたマネカタたちは慌てた様子で柄から手を離した。
ビクン、ビクン、と特有の痙攣を繰り返しながら、感情の見えない大勢のマネカタの目が地面で悶え苦しむ2体のナーガの姿を観察する。
「とっ、止めをさした方がいいのではないか?」
1体の男マネカタの提案にすぐに賛同の声が集まり、小さなナイフを構えたマネカタたちは2体のナーガを輪になって囲んだ。
「仲間の仇だ!」
「私たちを苦しめたバツだ!」
ナイフが振り下ろされるたびに血の匂いは濃くなり、その匂いを嗅ぎつけて徐々に悪魔鳥たちが集まってくる。
空を覆っていく鳥たちの餓えた目は、死にかけのナーガではなく大量のマガツヒの補給源を狙っている。
霞んでいく目にマネカタたちの危機を映した最後尾のナーガの口が"にげろ"という形を作ったが、止めをさすことに必死なマネカタたちに気付く余裕はない。
鬼神トールに認められてヒーローになった新参者の悪魔のように自分もなりたいと夢見たナーガの意識は、けたたましい鳥の鳴き声を聞き取ったのを最後に途絶えた。