■ 18.抱きついてもいいですか?
魔神アマテラスがその悪魔に接触を図ろうとするとき、目的は2種類に分けられる。
ひとつは、反応が面白いから適当にからかって遊んでやろう。
もうひとつは、人修羅から任された厄介ごとを押し付けてしまおう。
どちらも接触を図られる者にとって迷惑以外の何物でもなく、眩しい光を感知したら即逃げる習慣を身に付けようと決意するだろう。
しかし、迷惑行為を受ける悪魔は睨みはするが逃げはせず、一通りの文句は言うが最終的に魔神の目的を満たす。
アマテラスにとってその悪魔は都合のよい玩具であり、大抵の幼児がそうであるように、お気に入りの玩具が壊れる可能性など遊びに夢中になっている最中は考えもしない。
ましてや急に針が飛び出して自分に危害を加えることなど、ありえないと笑い飛ばすだろう。
理屈など無くとも従える者の強みが自信漲る表情として表れ、不快を感じるより先にそれをひとつの魅力として受け入れさせる強引な力がアマテラスには備わっていた。
マルノウチエントランスは明るいが、その人工的な照明とは違う目の眩むような光の気配を背後から感じて、胡坐をかいて休んでいた鬼神オオクニヌシは眠い目を擦った。
正面に立てば目覚めたばかりのオオクニヌシの目には辛いと分かっているのか、光源である魔神は背後で浮遊したまま用件を告げる。
「通路にマガタマをひとつ落としたので探してくるように」
振り向かずに鬼神が呆れたと言いた気なため息をつく。
「主も貴方も全く、自分で探せば済むことではないですか」
腕組みをしてオオクニヌシの背後に立っているアマテラスの口の端がわずかに上向きに傾く。
「不満は落とした本人に直接言うが良い」
それは、鬼神から反論の言葉を奪う禁断のひと言だった。
アマテラスと違い、仲魔として召喚された以上は主人の命令に従わなければならないという観念を持っているオオクニヌシは、人修羅からの命令である以上余程酷い要求でない限り逆らうことはない。
そういう性質を知っているからこその誘導であり、非常にたちが悪い。
最後の抵抗とばかりに不満そうに正面を睨む鬼神の顔を、魔神が上から覗き込む。
「ほらどうした、早く行け」
催促に、鬼神は無言で目を細める。
億劫そうに立ち上がったオオクニヌシの向かう先は、第二エントランスへ続く扉ではなくネコマタの太腿を枕に鼾をかく主人の元だった。
ニヒロ機構第二エントランスからマルノウチエントランスへ続く通路はひたすら長く暗い。
枝分かれしていない通路だというのに、その長さのためか無理に暗闇の中を進むと不安も手伝っていつの間にか逆方向に進み、来た道を引き返すという事態を招く。
予防策には光玉を使うことが望ましいが、ケチと陰口を言われるような人修羅が、太陽の化身のような悪魔同伴のオオクニヌシに便利な道具を与えるはずは無い。
よって、鬼神はジャックランタンの灯りのように揺れながら周囲を照らす光を頼りに、床に向けた目を凝らしながらマガタマを探していた。
アマテラス同伴で。
「まだ見つからないのか?」
退屈しているらしい光源が空中で伸びをして、それまで照らされていた面積を薄い影が覆う。
「我慢してください、貴方が動いて下さるお蔭で大変効率が悪いのです」
丁寧な言葉に文句を混ぜ込み、オオクニヌシは同じ角度に固定したままでこった首を揉みながら上空を見上げる。
その丁度真上にアマテラスが移動し、鬼神の顔を余すところ無く照らし出した。
上と下から視線を交わすどちらの表情も不満そのもので、自分にこんな詰まらない仕事をさせる相手に逆らえないという境遇まで同じだった。
"だめだ、アマテラスなら照らして探せる、そういう考えがあって頼んだんだ"
魔神から仕事を任されたので光玉を下さいと要求する鬼神に、心地よい眠りを中断された人修羅は頬を膨らませて却下した。
いつもアマテラスに役目を押し付けられたオオクニヌシが断らずに引き受けていることを知っているのか、"何故逆らわないのか"という基本的な疑問を感じている様子は一切無い。
"しかしあの神はどうしても私に行かせたいのです、何を言っても動かないでしょう"
口論に持ち込んでも無駄だと指摘され、少年は眉根を寄せて少し考えたようだった。
"僕のところに来るように言って、アマテラスに"
主人が諭したところで魔神は動こうとしないだろうと全く期待せずにオオクニヌシはアマテラスにそのことを伝えた。
それから少しして戻ってきた魔神はどこか疲れを感じさせる声音で告げた。
"探しに行くから付き合いなさい"
短い時間の間にどんな取引が行われたのか推測する以前に、オオクニヌシの心は純粋な驚きと感動に満たされた。
他者を支配するために生まれてきたような神でも他人の命令に従うことがあるのかと。
視線が外れ、アマテラスは緩やかな速さで元の位置に浮遊して戻る。
再び照らし出された床に目を向けることなくオオクニヌシは自分が感じたことをそのまま口にした。
「貴方でも逆らうことのできない相手がいるのですね」
すぐに上空から軽い笑い声が降ってきて鬼神の周囲を包む光が揺れた。
そんなに変な質問だったのかと問いの内容を反芻してオオクニヌシは憮然とした表情を見せる。
ひとしきり笑ってから、
「いったいお前は私のことをどう認識しているのか、訊きたくなるではないか」
と困ったと言いた気な反応をされ、オオクニヌシは質問したことを後悔しながらマガタマ探しを再開するため腰を屈めた。
通路には一定の間隔で光を発する壁があるものの、敵が出現しないことも手伝い2体の悪魔にとって退屈な闇がどこまでも続く。
天井から水が垂れているのか、ぴちゃんぴちゃんという音が遠くから聞こえてくる。
特に話すことが無いのかお互いひと言も喋らず、オオクニヌシの視界範囲に合わせてアマテラスが移動するという行動を繰り返している。
オオクニヌシの足音以外に生き物の気配を感じさせる音は無く、地下特有の冷えた空気が湿気を伴い肌にまとわり付いた。
"ふぅ"と息を吐き、立ち止まった鬼神が天井を見上げる。
考え事でもしているのか、見られていることに気付いていないアマテラスの表情は、オオクニヌシが見たことの無い彼本来の物だった。
人修羅や他の仲魔に向けるよそ行きの顔とも違う無防備さを、不思議な気持ちで鬼神は眺める。
眩しい光を纏った指先で肩に触れ、背中のラインに続く首筋を撫でる。
無防備だった顔に影が宿り憂鬱に変化していく様を、その目は捉えた。
「休みますか?」
突然声をかけられて驚いたのか、アマテラスの体がバランスを崩して光があちこちに散る。
面白いものを目撃してしまったと冷たい目元を和らげるオオクニヌシを憎々し気に見下ろし、魔神は足が地面に付くくらいまで下降した。
照らされる範囲が狭まり、代わりに眩しさが増す。
「必要ない、早くマガタマを見つけ……?」
気の強そうな声が、肩に触れようと近付く手甲に半分覆われた手を警戒して途切れる。
構わずオオクニヌシはアマテラスの肩をつかみ、揉むように指を動かした。
身を引こうとする魔神に、
「疲れた顔をなさっているので」
と告げ、悪戯っぽく笑う。
「疲れてなどいない」
力強く否定する声に反して、オオクニヌシの指はわずかな震えを感じ取った。
何らかの理由で触れられたくないと相手が願っている部分に自分は踏み込んでいるのかもしれない。
そんな思いが頭をかすめたが、鬼神は触れる手をどけようとはしなかった。
それどころか、アマテラスが自分で触れて憂鬱そうな表情を浮かべた首筋から背中にかけての部分に範囲を移し、
「本当ですか?」
と労わるふりをして訊ねる。
相手が嫌がることをすることをオオクニヌシは好まないが、対象がいけ好かない天津神となると話は別だ。
常に自分より優位に立ったつもりでいるアマテラスの弱点を知るチャンスを得ている。
今までの立場を逆転させるところまでは望めなくとも、隙の無い魔神が自分の行動に苦手意識を感じているという状況は、鬼神にとってなかなか楽しいものだった。
始めの内は気のせいと思えるほど小さかったアマテラスの震えは、オオクニヌシの指が背筋に近付くにつれて小刻みにそれと分かるように変化していく。
指がそれ以上先に触れることを阻止するためか、鬼神の手首に指が絡み、ひき止めようと強い力で握る。
興味を持ってその先を知りたいと訴える目と、守りから反撃に転じる瞬間の目が互いの顔を映し出す。
「私を誘っているのか?」
低い囁き声にオオクニヌシは背中に冷たいものを感じて息をのんだ。
アマテラスは喉を鳴らして妖しく笑い、顔を近づけて鬼神の耳朶を歯で軽く噛む。
目を伏せて"何のことでしょう"ととぼける横顔に
「お腹がすいたので、土臭いマガツヒでも吸わせてもらおうか」
と有無を言わさぬ口調で訊ねる。
オオクニヌシは参ったなぁというふうに手の平で額を押さえた。
迷う時間を与えないつもりか、アマテラスの生暖かい舌が首飾りがかかった首の付け根を舐める。
「分かりました、しかしこちらも条件を付けさせていただきたい」
オオクニヌシの出した条件にアマテラスは苦々しい顔で呟く。
「蛇の尾も取れていないような小童が、生意気な口をきく」
首に鋭い痛みを感じながら、オオクニヌシは手をアマテラスの背中に回して服の上から確かめるように筋をなぞる。
体から力が抜けていく感覚と共に、"何か"に対して高慢な天津神が感じている怯えが手の平を通して伝わる。
少し吸って口を離し、鬼神の肩口に頬を預けて魔神がぽつりと呟いた。
「逆らえぬ相手など、いくらでもいるのだよ」
感情のこもっていない声であったにも関わらずその言葉は意識に強く残り、その中からアマテラスが背中に触れられて感じる怯えの原因がどこにあるのか、オオクニヌシの脳裏にひとつの答えが浮かんだ。
そこから少し進んだ先でようやくオオクニヌシはマガタマを発見した。
虫のようにビチビチと動く物体をつまみ上げ、やれやれという顔をする。
「後は主に届けるだけか」
同じような表情でマガタマを見下ろしているアマテラスから視線を逸らし、今思いついたような口調でオオクニヌシが訊ねる。
「私から主に渡しておきましょうか? 苦労して探し出したのは私ですので、主にお褒めの言葉をいただくのは私1人で充分でしょう」
魔神の怪訝な顔は喜怒哀楽様々な感情に染まったのち、その全てが入り混じった複雑なものに落ち着いた。
「そうだな」
素っ気無い返事を残して来た道を引き返す光源を、弾むようなオオクニヌシの足音が追った。