■ 19.君のとなりが僕の居場所

自分は悪魔だというのに、押しかけて勝手に街を形成した人間たちに寄付を求められるのは、きっと人と同じ形をしているせいだ。
大人数で取り囲み、寄付を強請る集団にうんざりした表情を見せ、クー・フーリンは痛む頭をさする。
気持ちとしては魔法で一気に片を付けたいところだが、たちの悪いことに彼ら人間は神の加護を得ていようがいまいが、彼が唯一所持する神聖魔法マハンマではかすり傷ひとつ負わすことができない。
テンプルナイトたちは寄付の意志を見せない者に対する包囲網を狭め、息苦しさを感じた妖精は、幾分億劫そうに槍を構えようとした。
そのとき、
「もしや貴方はメシア教徒のヤマダ殿ではないか?」
場違いとも思える呑気な声に、テンプルナイト達もクー・フーリンも、声がした方へ一斉に視線を向ける。
注目を集めた声の主は、最初のうちは目を大きくして驚いていたが、すぐに慣れて一同に軽くお辞儀をしてみせた。
「失礼、人違いだったようだ。妖精のタム・リンという、ヤマダ殿に会ったらよろしくお伝えして欲しい」
それだけ言い残し、呆然としているテンプルナイトたちを残して去ろうとする妖精の後をクー・フーリンの足が追う。
肩をつかまれて振り返ったタム・リンは自分そっくりの悪魔の顔を興味深げに見て、視線を上下させて全身を一通り観察し終えてから首をかしげた。
「ヤマダ殿に報告することがまた1つ増えた、カテドラルに私の像が建つとは」
思いっきり怒鳴りつけてやりたいところを、クー・フーリンは相当の努力をすることで堪えた。
腹の底からふつふつと熱を持った感情がせり上がってきて、優れて辛抱強いとはいえない妖精の胃をムカつかせる。
タム・リンと名乗った妖精に訊きたいことは山ほどあるが、その中から慎重に自分と相手の両方が混乱せずに済むための言葉を選び出し、クー・フーリンは相手の目を見つめた。
「落ち着いてよく私を見るんだ、像は動かないだろう?」
タム・リンは絶句し、それまで興奮により輝かせていた瞳を、瞬きたった1回で、どこか怯えているようにも見えるものへと変える。
睫が伏せられて表情が変化する様を見たクー・フーリンは、なぜか苛立ちが収まり憐れみの気持ちが自分の中に生じていることを知った。
目の前の妖精にそんな感情を抱かせた自分が悪者になったような錯覚を覚え、感じるはずのない後味の悪さに苛まれる。
指が食い込むほどの力でつかんだままのタム・リンの肩から手を離し、理由の分からない罪悪感を取り除くためにわざと優しい声を出す。
「メシア教徒を探しているのか? 人間などと関わりを持つと面倒なことになるぞ」
つかまれていた肩を反対側の腕で揉みながら忠告を聞いていた妖精は、素早く頷いてクー・フーリンを安心させる。
「ありがとう、ヤマダ殿の探索を手伝ってくれるのか」
非常にのんびりとした口調だったため、クー・フーリンはペースに巻き込まれて危うく頷きかける。
寸前のところで警告を発して彼を救ったものは、多くの戦いの中で培ってきた鋭い勘だった。
「人間とは関わらん主義だ」
探すなら1人で勝手に探せと突き放されたタム・リンは、結んだ口を不満そうに尖らせ、槍の底で床を突付いて音を立てる。
まるで駄々をこねる子供のようだと心の中で感想を述べながら、クー・フーリンは我がままを言う子供対策として最も有効な手段を取った。
くるりと体を180度回転させて自分そっくりの妖精に背を向けて、別れも告げずに足早に歩き出す。
すぐに焦った声が追ってきたが、足音は追ってこない。
声を無視して歩き続けるうちに、情けない響きの混じった声は次第に弱まり、角を曲がったところでクー・フーリンの耳に届かなくなった。
完全にタム・リンの叫びが聞こえなくなった地点で妖精は足を止め、強張っていた表情を深呼吸と共に和らげてから首だけひねって背後を確認する。
「諦めの早い奴だったな」
言葉はすでに過去形になっているが、気持ちは現在進行形のようだ。
タム・リンが喚いていた地点から、クー・フーリンが立ち止まった地点までに曲がり角は一ヶ所しか存在していない。
曲がり角まで戻って確認してみようと動き出す足を壁についた手が牽制していたが、放置された妖精がどんな事になっているのか知りたいという好奇心には勝てなかったようだ。
勿体ぶった足取りで角まで戻り、そっと顔を覗かせて直線通路の奥を窺う。
「いた」
クー・フーリンが小声で呟いたとおり、通路の先にタム・リンの姿があった。
それで好奇心は満たされたはずだったが、色違いの妖精を見つめる目には不満が残り、口はへの字に結ばれている。
その原因はタム・リンの体勢にあった。
クー・フーリン側に背を向けたまま、膝を抱え込む形で床に座っている。
「あれでは顔が見えないではないか」
苛立ちで舌を鳴らした妖精は出していた顔を引っ込めると、壁に背を預けて眉間に皺が寄るほどきつく目を閉じた。

クー・フーリンがタム・リンの顔を確認しに行くか行かないかで迷っている間にも、時間だけは刻々と過ぎていく。
その間に、色違いの鎧を着た妖精たちを隔てる通路を、悪魔やメシア教徒たちが何度も行き来した。
これで8回目の通行になるサルタヒコが胡散臭そうな顔を見せて通り過ぎて行ったあと、白い妖精は首を振って壁から身を起こし、長時間同じ体勢で凝った体を解すために、腕や腰を軽く捻る。
一通りの準備を終えてから、クー・フーリンは壁の切れ目からそっと奥の様子を窺い、困ったように笑った。
「仕方ない、行くとするか」
槍を握り直すと、クー・フーリンは迷いなく一直線にタム・リンの元へ向かって歩きだした。

タム・リンは、最初に曲がり角からクー・フーリンが目撃したときと同じ位置に同じ姿勢でしゃがみ込んでいた。
近付いてくる足音に気付いたのか顔は上げるものの、ただの通行悪魔だろうと思っているらしく振り返りはしない。
背後から大声を出して驚かせてやろうかと、最初クー・フーリンの頭は悪戯のことでいっぱいだったが、近付くにつれて自分が戻ることを信じてじっと待っている妖精のいじらしさに心を打たれ、正面に回りこんでから肩を叩いた。
「あっ」
という言葉を発声する口の形をしたまま、タム・リンはクー・フーリンの顔を見上げた。
間抜けとも思える表情を浮かべている妖精の額あてを指で弾き、その手を捕まえようと伸ばされた腕を逆に捕まえて立ち上がらせる。
「ヤマダとやらを、探すのだろう?」
問いに対しタム・リンは肩をすくめ、その態度を不審に思ったのか表情を険しくするクー・フーリンにはっきりと首を振って否定の意を示す。
「ヤマダ殿は……」
ヤマダというメシア教徒に降りかかった様々な運命を予測し、その中から最悪なものを思い浮かべたのか、クー・フーリンはゴクッと息をのむ。
唇を噛み、説明をしようとした妖精は打ち明ける覚悟を決めるためか、大きく息を吸ってから一気に後を続けた。
「私が探すヤマダ殿というメシア教徒は存在しない、そういった名前のメシア教徒は存在するかもしれないが、それは正しい意味でのヤマダ殿ではない」
「話が見えないのだが?」
意味を理解できずに困惑を深めるクー・フーリンの顔をタム・リンはしばらく真剣な表情でじっと見ていたが、急に気を緩めたのか、口の端をわずかに上げて声を立てずに笑う。
その笑い方は不自然なものに見え、理由の分からない痛みがクー・フーリンの気分を重くする。
「ヤマダ殿は私が造り出した想像の産物、架空の友人といったところなのだよ」
今度は遠まわしにではなく、事実そのままをタム・リンは伝える。
ヤマダを探せない理由は飲み込めたものの、釈然としないものを感じたクー・フーリンは理由を訊ねた。
"笑うな"と前置きをしてから、恥ずかしい理由なのかタム・リンは表情を隠すために俯いて小声で話す。
あまりに小さな声のため聞き取り難い話を、クー・フーリンは屈みこんで辛抱強く聞き続けた。
「カテドラルに居る悪魔たちは、私が話しかけても属性が違うという理由で相手にしてはくれない、私は属性問わず議論を交わせるような……」
いったん言葉が途切れ、タム・リンは遠慮がちにクー・フーリンの反応を盗み見た。
「そんな、友人が欲しかったんだ。だから架空の友人を創り上げたんだ、さみしく、ないように」
話し終えたタム・リンの頭を、クー・フーリンは髪がくしゃくしゃになるくらいの勢いで撫でる。
心の奥にしまっていたものを初めて他人に打ち明けたばかりの妖精は、馬鹿にされていると思ったのかムッとして手を払いのけた。
それでも構わず頭を撫で続けながら、クー・フーリンは意地悪そうな顔を近づけた。
「不器用だな、そんなことではカテドラルで生きてはいけまい。いっそのこと……」
悔しそうに睨みつけるタム・リンの耳朶を言葉で弄る様に、クー・フーリンはわざとらしく低い声で囁いた。
「私の影にでもなってみるか?」
嫌味を含んだ誘いを否定する声は、クー・フーリンの予想よりずっと早く、鋭さを伴って返ってきた。
「貴公の影になどなってたまるか! それにもう決めたんだ、私の居場所は貴公の隣だと」
慌てて否定したものの、勢いに乗って口にしてしまった言葉に気まずさを感じるのか、すぐに顔を横に向けてしまう。
拒否の言葉が返ってこないように心の中で必死に祈るタム・リンの姿は、憐れみよりも嗜虐を刺激するものだった。
突き放して反応を見てみたい衝動を必死にこらえ、クー・フーリンはやっとの思いで受け入れを許可した。
「私は諦めが悪いから、簡単には離れないからな」
不穏な雰囲気を敏感に察知したのか、不安そうな様子でタム・リンが脅しをかける。
その点だけは心配ないと、そう断言できない方が望ましいような口調でクー・フーリンが保証をしたためか、妖精の表情は曇ったままだ。
「とにかく共に行動する者として、今後ともよろしく、えぇと……」
「クー・フーリン」
差し出された手を力強く握り返して、何の飾り気もないそのままの答えをクー・フーリンは返した。
教えられた名前を、タム・リンの舌が味わうようになぞる。
「クー・フーリン……」
名前まで似ていると不満を漏らすものの、やっと見つけた自分の居場所を手放したくないのか、握手を終えた後もタム・リンの指はクー・フーリンの手首にかかっている。
カテドラルの通路を行く、似ているようで光と影のように全く違う妖精たちのマントのみが、揃ってひらひらと踊った。



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