■ 20.だから君に恋をする
トールとの対決を控え、電撃魔法を弱点に持つモトは戦力外とみなされ、自由な時間を与えられていた。
早速暇つぶしになりそうな悪魔の姿を探し始めたものの、目的の悪魔は施設が並ぶ広間にはいない。
どこにいても目立つ姿だというのにその光の欠片も見つけられず、魔王は苛立ちを募らせて鋭い眼を棺の隙間から覗かせる。
モトの他にもトールと対決するには不向きだと判断された仲魔たちが、ターミナルの前で輪になって話し込んでいる。
聞かれては不味い内容の話をしているわけではないのか仲魔たちの声は大きめで、興味は無いものの近付いたついでに魔王はその悪魔たちの会話を聞き取った。
「この塔はどこまで続くんだ?」
うんざりした様子で訊ねるオセに、フラロウスが鉄で出来たような爪を研ぎながら、
「半分以上は登っただろう、あとわずかなはずだ」
と断言した。オセの耳が嬉しそうにピンと反応する。
「なら俺がアイツに従わなきゃならないのも、あと少しってわけか」
空中で踊るように揺れているランダがオセの言葉を鼻で笑う。
「さぁどうだかねぇ、そんなに従うのが嫌なら、あんたもあの鼻持ちならない魔神さまのように主人に契約を解いてくれとお願いしてみたらどうだい?」
オセはあわてたように首を振って否定したが、そんなことはモトにとってどうでも良かった。
ランダが言った"魔神が主人に対してしたお願い"が気にかかり、それ以後の会話を耳に入れる余裕もなく自らの考えに没頭する。
魔神は仲魔うちに何体か存在するが、鼻持ちならない魔神と呼ばれるような者は限られている。
「"アレ"が契約を解くように願った? 人修羅に?」
自分の知らないところで光って目立つ"アレ"が、何らかの行動を起こし始めている。
その事実は、魔神の全てを支配したつもりになっていたモトの自信を揺るがし不快感を与えた。
ランダに直接ことの真相を訊ねたほうが早いにもかかわらず、モトは自分の感情を不安定にしている張本人を探すためにすぐにその場を離れた。
アマテラスは屋内ではなく屋外にいた。
モトが自分を探しているとはつゆ知らず、空中を浮遊する赤色のブロックに腰を下ろして足をぶらぶらさせている。
服の裾はそれぞれ肘と膝まで捲り上げられていて、普段は露出していない部分の肌が見えている。
風がふく度にゆったりめの服がはためいて音を立て、肌に直接触れる外気が気持ちよいのか魔神は目を細めてリラックスしていた。
ランダが言うように、アマテラスはトールとの最終決戦に備えて作戦を組み立てている人修羅にある願いをしていた。
魔神の主人は願いに対し、"いいよ"というひと言で素早く答えを出した。
むしろ、どうしてもっと早くそう言い出さなかったのかと不思議そうな顔でアマテラスを眺めてから、すぐに関心を失って視線を逸らした。
その短いやり取りで主人と仲魔の関係は断たれ、アマテラスは何者にも縛られない自由を手に入れた。
「従う者も得る物も無い世界、最早ここに留まる必要も無い」
自由を得たことでボルテクス界に留まる義務を失った悪魔は、上空や地上といったありとあらゆる場所で戦いを繰り広げているコトワリ所属悪魔たちに憐れむような眼差しを向ける。
「そうやって、逃げるのか」
気配も感じさせずに背後に立った悪魔の嘲笑にも、魔神は動揺ひとつ見せずに疲れた表情を見せた。
「何から?」
アマテラスの背後の悪魔は言葉に迷ったのか沈黙する。
魔神は振り向いて棺から覗く2つの目を見上げた。
何もかもどうでも良いと語っているような投げやりな視線を嫌ったのか、モトは挑むようにアマテラスの目を睨む。
「お前は負けた」
魔神が呆れたように笑う。
「何に?」
その問いに対するモトの反応に躊躇いはなかった。
魔王に相応しい自分以外の全てを見下すような空気を棺に纏わせ、見る者を威圧し絶望に突き落とす声で、
「全てにだ」
と即答する。
アマテラスはゆっくりと首を振って、自分を責めるモトの言葉を否定した。
「逃げたとか、負けたとか、元々これはそういう問題ではないのだよ、モト」
ため息混じりに告げながら手の平をついて立ち上がり、魔神は魔王と向き合う位置に立つ。
背後には何の柵もなく、足を踏み外せばマントラ軍本営の屋上より高い位置から地上へ一直線だが、アマテラスは気にする様子もない。
「お前のことだ、こんなことを言えば笑うかもしれないが、私はずっとお前のことを気に入っていた」
少し違うなというふうに小さく首を傾げてから、
「いや、好きだったと言った方が正しいかもしれない」
と内容の割には落ち着いた声でアマテラスは告げる。
モトは表情1つ変えなかった。笑いもせず、驚きもせず、ただいつもの気難しそうな表情を保っている。
「だが、それはもう過去のこと。あの状況に耐え続けてまで共にいる必要性を私はお前に対して見出せなかった」
"ただそれだけのことだ"と言葉を切り、アマテラスはモトの反応を待った。
棺自体は全く動きを見せなかったが、中から紫がかった腕が伸びて、自分のものよりも細いむき出しの魔神の腕を掴んだ。
その力は非常に強く、アマテラスは痛みに顔を顰めながらも薄っすらと笑う。
「私を棺の中で永遠に飼っておきたいのか?」
掴んだ腕を自分の方に引き寄せ、眩しさに目を細めたモトは低い声を絞り出した。
「お前を喰い殺してやりたい!」
深い闇の中で気配が蠢き、身を引く余裕も与えず棺の中に魔神の肩まで引きずり込む。
数秒もしないうちにその腕がビクッと跳ね、皮膚を抉って火を押し当てたような鋭い痛みがアマテラスを襲う。
言葉どおりに引き込んだ魔神の腕の肉を噛み千切ろうと、鋭い歯は骨に届くほど深く食い込んでいく。
裂けた箇所から流れる血は歯を伝ってモトの口内に流れ、腕を伝った分は肘まで捲り上げられていた白い衣を濡らした。
押し殺そうと努力しても漏れてしまうアマテラスのくぐもった悲鳴が余計に興奮を加速させるのか、一気に食いちぎろうとモトは顎に力を加えようとする。
その力が、魔神の言葉を聞いて緩まった。
「愚かな……、それでもお前は私にとってもう何の価値も……ない」
強烈な痛みから意識を救おうとぎゅっと目を瞑り、アマテラスは努めて冷ややかな声でモトの狂気を沈める。
沈黙の後、棺の中の魔王は食い込ませていた歯を一気に引き抜いた。
動きが停止したことで、じくじくと疼くような痛みに変化していたところが擦れ、新たな熱にアマテラスが呻く。
「愚かと評した悪魔に愚かと評されたか……」
口内にたまった魔神の血を飲み込んでから、モトは捕らえていた腕を外へ解放して棺の蓋を閉じる。
閉じられた棺から"だが、そんな所を気に入っている"という恨めしそうな声が聞こえ、額に滲んだ汗を傷ついていない方の腕で拭ったアマテラスの口元に、僅かな感情が浮かんで消えた。