■ お腹がすいた

そのとき人修羅は空腹だった。
仲魔たちの生気をちゅーちゅーいただくだけでは満たされない種類の、いわゆる精神的な空腹だった。
「寿司食いたい、焼き鳥食いたい、ほっけ食いたい、天丼食いたい……」
主人が次々と並べていく料理の数々を、仲魔たちはポカンと口を開けて聞いている。
それがどんな料理なのか知っている日本国産悪魔もいるが、そういう仲魔に限って他人の欲望に無関心であり、
聞くだけ無駄といった様子で武器の手入れに集中している。
自分が挙げた料理の数々を想像して余計空腹感が増したのか、人修羅は鬼がよくするように口のまわりを拭った。
じゅるっと音がする。
「じゅるってなぁに? ねぇ、今のマスター卑しいガキそっくりで変だよ」
顔の周囲を飛び回って騒ぐピクシーにどんよりとした目を向け、奇妙な声で人修羅が笑う。
「うぇへへ、美味しそうな妖精さんが飛んでるよー?」
危機を感じて逃げようとする小さな妖精を模様の浮いた手が捕まえる前に、妖精の王が両者の間に立ちふさがって主人の奇行を阻止した。
妖精を逃したというのに餓えた脳の中では捕獲したという認識にすり替えられているのか、人修羅はぐーに握った手を口元に運び、口をモゴモゴと動かす。
ごっくんと空気を飲み込む音を聞いたピクシーはオベロンの背中に隠れて震え上がり、傍で様子を見ていたセタンタが
「うわっ、嘘だろ」
と素早く呟き目を逸らして首を横に振った。
そんな態度を取るマフラー妖精が気に入らないのか、人修羅はご丁寧にセタンタを指差して怒鳴りつける。
「おいっそこの"ごはんですよ"! ちょっとこっちにこい!」
「なっ……?」
急に分けの分からない呼び方をされて顔色を変えるセタンタに、なおも人修羅が叫ぶ。
「お前ってショッパイ"ごはんですよ"味なんだよ、とりあえずそれで我慢してやるから早く生気を寄こせ座敷童子」
言われていることは良く分からないが、主人の言葉の調子から自分の品位が著しく貶められていると理解したセタンタは、
わなわなと肩を震わせて反抗的な目を人修羅に向ける。
「セタンタ落ち着きなさい、マスターもお気を確かに……」
慌ててオベロンが一触即発状態の両者を落ち着けようと声をかけるが、なんの効果も無かった。
それどころか人修羅の口から新たなとんでもない発言が飛び出す。
「うるさいこの"岩下の新生姜"、僕は生姜がだいっ嫌いなんだ!」
言い返す言葉も無く素直にショックを受けて思考停止してしまったオベロンを見て、やれやれと日本産悪魔が腰を上げた。
睨み合っているセタンタと人修羅を交互に見てため息を吐き、落ち込んだ様子のオベロンを見て更に深いため息を吐き出す。
「はぁはぁうるさいぞオオクニヌシっ、ついでに言うとお前は……」
「"きゅうりのキューちゃん"でしたか、貴方、前も同じこと言っていましたよ」
先を越された人修羅がムッと唸る。
オオクニヌシは腕組みをして何やら考えた後、ひとつ頷きポンと手の平を打つ。
「主の生気には何の味もありませんから、悔しいのですか? 我等の生気に味があることが?」
話は大きくすり替えられたが、暴走気味の人修羅はそれに気付かずオオクニヌシの挑発にまんまとのせられて顔を真っ赤にしている。
なぜ挑発するんだと、ますます厄介な状況になりそうな空気に焦ったオベロンがオオクニヌシに困った顔を向ける。
そんな妖精王を丸ごと無視し、分けが分からないけれど取り敢えず人修羅が怒ったので気分が良いらしいセタンタと共に鬼神は意地悪く笑いあう。
人修羅が怒りを爆発させて暴れだすまで時間はかからなかった。
手をぶんぶん振り回す主人から距離を置き、セタンタとオオクニヌシはそれぞれの武器を手に身構える。
無意味で馬鹿げた戦いを止めさせようと、両者の間に飛んで行って必死になって可愛い声を張り上げたのはピクシーだった。
「もーやめてよやめてよマスターもセタンタも! 味なんか無くたってマスターの生気が大好きだよ! 好き、大好き!」
そう叫んで小さな握りこぶしでポコポコと主人の額を叩き、そのまま滑り落ちて首に縋り付く。
好き好きと連呼されて、驚きの表情を浮かべる人修羅の顔が怒りとは別の感情で赤く染まっていく。
怒りだけでなく膝の力まで抜けてしまったのかその場にへたり込み、人修羅は恥ずかしそうに俯いて小さな妖精に謝った。
「ごめんピクシー、もうあんなことはしないよ」
主人の気分が落ち着いたことを確認し、残り3体の仲魔たちは少し離れた位置から2体の悪魔のやり取りを眺める。
人修羅とピクシーに向けられたどの表情も疲労と呆れが混じり合って気の抜けたようなものだったが、
しばらくしてセタンタがマフラーに隠れた唇を尖らせて、
「馬鹿みたいだ」
と不満そうな声を上げる。
励ますようにセタンタの肩に手を置き、オベロンが軽く笑う。
「そうか、セタンタもやっと女の子から好きだと言われたい年頃になったのか」
妖精王の言葉にピクシーに好きと言われた人修羅に負けないくらい白い肌を赤く染め替え、セタンタは慌てて肩の手を払う。
「なっ、なに言うんですか! 私は別にッ……」
必死になって否定の言葉を並べるセタンタの頭をなでなでしながらオオクニヌシが
「そうやってムキになるところが余計怪しいぞ?」
とからかう。オベロンが同意するようにオオクニヌシと顔を見合わせて意味あり気に頷く。
「2人して……卑怯者めが! 烈風破で吹き飛ばしてやる!」
凄まじい形相で槍を構えるセタンタを見て、オベロンがオオクニヌシに小声で囁く。
「マカラカーンは可能ですが、テトラカーンは持っていませんよ」
そこでセタンタをからかって遊んだ悪魔たちはまたお互い顔を見合わせ、別々の方角へ退散する。
「逃がすか!」
とすぐにセタンタが放った強烈な衝撃波が逃げる悪魔たちを襲い、
その後すっかり冷静さを取り戻した人修羅は宝玉を2つ消費する羽目になるのだった。



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