■ 力まかせ・高嶺の花

築土町にあるオカルト事件を専門に扱う鳴海探偵社には、学生の探偵見習いがいる。
見習いという肩書きだが、所長に命じられれば北へ南へ足を運んで難問を解決して探偵社の運営費に貢献していることは、ご近所の皆さんを中心に周知の事実である。
"今日も大変だねぇ、頑張りなよライドウちゃん"というおばちゃん達の声に見送られ、鳴海へ報告を行うために探偵社に戻る探偵見習い。
疲れた様子を感じさせない背中を覆うマントは、黒色のため分かり難いが捜査中に付着した葉っぱやら土埃やらでだいぶ汚れ、擦り切れている箇所もいくつか見られる。
疲労はデビルサマナーという裏の顔で隠せても、苦労しています感が滲み出ているところが年若い学生らしく、悪魔界のおばちゃん連中の保護欲をかき立てるらしい。
そんな黒ずくめの14代目葛葉ライドウだが、深刻な問題を抱えているらしく、急ぎ足で銀座から築土町に戻ってきた所だ。
「お疲れ」
奥の回転椅子に腰かけている鳴海が、面倒そうに手を振り振り間延びした声でライドウを労う。
前回の事件についての報告書を作成していたのだろうか、机の上にはタイプライターが置いてある。
ただ、ライドウが戻ってくる直前まで鳴海が報告書の作成に力を尽くしていたのかというと、それは非常に怪しい。
何故なら、所長の頬には薄っすらと赤みを帯びたデコボコ模様の跡があり、それはどう見てもタイプライターのキーボードによって付いたものだと思われる。
「寝ていたんですか?」
ライドウの指摘に"うーん"と背筋を伸ばしてから寝涎を擦り、鳴海所長は悪びれる様子もなく頷いた。
黒猫ゴウトが無言でため息をつく。
「調査の報告をする前に、たっぷり睡眠をとって心も頭もすっきりしているはずの鳴海所長にお願いしたいことがあります」
嫌味くさい言い方だなと苦笑いをしつつ、鳴海が話を聞く体勢に入る。
「調査費用が足りません、依頼人から受け取った報酬を分けてください」
途端に機嫌がよさそうだった鳴海の顔が眉を吊り上げ渋くなる。
"もっと言ってやれ"とゴウトに背中を押され、いつもなら所長の悪反応に対して反射的に口ごもってしまいがちなライドウが強気な姿勢を見せる。
「この間も所長は依頼人に特別手当を2人分請求していたはずです。それにも関わらずこちらは一円も手当てを貰っていません」
猫と見習いから責められ、椅子を左右に揺らしながら所長は気難しい顔で腕組みをする。
言い逃れの術を考えていることは明白で、ゴウトとライドウは顔を見合わせて首を振った。
「あのねぇ、関係者から情報を仕入れやすくなるよう根回しをしたり、その他諸費用として報酬なんてあっという間に消えてしまうものなんだよ?」
ゴウトが胡散臭そうに、
「その割にはこちらが苦労する場面が多すぎるが……」
と指摘し、鳴海が少し慌てた様子で大げさな咳払いを繰り返す。
「とにかく、調査費用が足りないならそれを稼ぐ方法を探してくれ。若いんだから何とかなるでしょ?」
完全に不審な物を見る目つきの一人と一匹をしっしと手で追い払う真似をし、なおも不満を言おうとするライドウを無視するように椅子を半回転させて体を窓側に向けてしまう。
ケチだの年寄りだのグサグサ胸に突き刺さるような言葉を残し、ライドウとゴウトはこれ以上交渉しても埒が明かないと悟り、足音も荒く部屋から出て行った。
鳴海はしばらく窓の外を眺めていたが、自分に向けられた悪評が堪えたのか、困ったような笑みを浮かべた。

所長との交渉は完全に諦めたのか、ライドウとゴウトは富士子パーラーの近くで真剣に金策を講じている。
ちょうど学校が終わる時間なのか、甘いもの好きな女学生たちが楽しそうに会話をしながら店の中に吸い込まれていく。
「移動手段を失う前に、なにか策を考えなければ」
かといって、金王屋の商品は法外なほど高く、そこら辺の悪魔をいくら倒そうと必要な物品を揃えるための金銭が得られる見込みはない。
お互い顔を見合わせて深々とため息を漏らしたところで、店に入ろうとしていた学生が足を止めてふたりの方へ小走りで寄ってきた。
制服から桜爛女学院の生徒と判明した少女は、ライドウの顔をちらちら窺いながら遠慮うがちに"あのぅ"と切り出す。
「何ですか?」
学校繋がりで、大道寺伽耶に関する調査の重要参考人になる可能性もある。
丁寧に返事をするライドウを見て、少女はほっとしたようだった。緊張が緩むと用件も言い易くなる……。
「あの、私と富士子パーラーでお食事しませんか?」
大胆な要求を早口で告げてから、急な誘いに戸惑うライドウを見てハッとしたように顔を真っ赤にし、慌てて言葉を付け加える。
「お時間が無いようでしたら結構です。その代わり、貴方が写った写真があれば譲っていただきたいのですっ!」
思い切ったことを口にしたせいか、少女の声は大きく付近を歩いていた女学生たちが興味を惹かれて集まりだす。
"ずるーい私も"という声が上がる中、少女の知り合いと思われる女学生がライドウの顔をじっと見て首をかしげる。
「貴方の知り合いにもっと高貴な雰囲気を具えた方がいらっしゃったら、その方の写真をいただきたいわ」
そのすぐ右横からひょいっと顔を出した元気のよさそうな女子が、
「私は強そうな御方がいいわ。でも、深川町にいるような方ではなく、麗しさも兼ね備えた方が理想よ」
勝手な要求を一通り押し付けると、少女たちは期待に輝く目でライドウを見つめる。
その視線によろめきそうになる14代目へ、女学生たちは頷き合いながら、
「もちろんただでとは申しません、それなりの金額はお支払いしますから……」
と告げる。
"金"という単語を耳にし、ライドウとゴウトの目に¥マークが浮かぶ。
悲しいかな、いかなる権力にも必要があれば屈することのないサマナーであっても、貧乏である限り金という弱点から逃れることはできない。
「分かりました。写真を用意するためには時間と……、銀座までの費用を貸していただけると嬉しいのですが」
手を取り合い黄色い声を上げて喜ぶ少女たちから銀座までの電車賃を借り、ライドウはすぐに行動を開始した。

「壊さないように気をつけてね」
タエは不安そうに念を押し、首から提げていたカメラを外して黒ずくめの探偵見習いに手渡す。
銀座の新世界で新聞記者を見つけたライドウたちは、"捜査のため"など適当な理由を並べて写真を撮るために必要なカメラを借りることに成功した。
本当の理由を話せば同情して探偵社に乗り込み鳴海を叱ってくれそうだが、それはそれで面倒なことになりそうだと現場を想像したライドウは即座にその考えを捨てた。
「それでは、現像が済み次第すぐにお返しします」
女生徒たちをなるべく待たせないために、借りたカメラを首から提げて急ぎ足で店から出て行こうとするライドウたちの背中を、
「面白いものが撮れたら見せてちょうだい」
というタエの声が追ったが、人間も黒猫も期待に添えないことが分かりきっているためか、ろくに返事もしなかった。
撮影場所として、ライドウたちは大通りを避けて比較的人通りの少ない工事現場付近を選んだ。
いかにもモダンガールっぽい格好をした女性に声をかけて自分自身の写真を撮ってもらうと、14代目は本作業に取りかかる。
仲魔を召喚するための管を取り出して指の間に挟み、慣れた動作で悪魔を呼び出す。
「我を呼ぶ声に応じ ここに見参す…。 キサマ! 我を管に戻す時に尻から吸い込むなと何度言えば分かるのだ?」
呼び出された高慢な性格の悪魔はお決まりの台詞を述べたが、召喚主の姿が視界に入った瞬間、握った剣を振り回して怒り出した。
"あぁ……"と毎度おなじみのお怒りの言葉にしまったという顔つきでライドウは目をあらぬ方へ向けてごまかそうとする。
自分より背の高い悪魔を管に戻すとき、手の位置やタイミングによってはごくたまに悪魔をお尻の方から吸い込んでしまうこともある。
戦闘中に大急ぎで仲魔を入れ替えようと試みたときに起き易いのだが、その戻し方を不快に感じる悪魔が少ないためライドウは改善のための努力を怠ってきた。
いま呼び出されたオオクニヌシは、たまたまお尻から吸い込まれる回数が多く、たまたまそれを不快に感じている悪魔で、とにかく運の悪い少数派は損をするという見本のような存在だ。
「キサマ……っ、我を侮辱するつもりか?」
こめかみに青筋が浮かびそうな勢いで激怒している銀氷属の悪魔を宥めることは無理とこれまでの扱いで承知しているのか、ライドウは何も言わずにカメラを構えた。
急にサマナーが自分に向けた見たこともない機械を怪しんだのか、オオクニヌシの怒りが薄れて警戒が濃くなる。
「肩から上だけにしておいた方が良いぞ」
ゴウトの忠告に従い、ライドウは腕を上げる。
人の形をした悪魔とはいえ普通の人間と比べて大柄で、全身を背景と共に写せば異常に身の丈が高いことが判明して女学生たちが怪しむだろう。
カメラのレンズに太陽の光が当たって反射し、それが魔法のように見えたのだろうか、オオクニヌシが驚いてしゃがみ込む。
「危害は加えないから顔を上げてじっとしていてくれ」
消えた対象をカメラで追いかけながらライドウが冷静な声で保障をする。
膝に顔がくっ付きそうなほど縮こまった状態で、警戒心の塊になってしまった銀氷悪魔は震える剣先を主人に向けた。
「ひ、人の子よ、我にどんな仕返しを企んでいるのだ?」
異常な怯えっぷりにライドウが首をかしげていると、わずかに顔を上げたオオクニヌシがカメラをちらちら窺いながら、
「混乱した我がキサマを斬りつけたことを恨んでいるのか? あれはキサマの悪魔召喚センスが悪いからであり我に責任は……」
話をまとめると、主人が自分に面妖な機械を向けているのは混乱時に危害を加えたことへの仕返しだと思い込んでいるらしい。
見当違いはなはだしいが、カメラが何をするための道具か知らない者を説明もないまま無表情で撮影しようとしたのでは誤解を招いて当然といえる。
むしろ、そのことを認識しつつ、ただ単に面倒くさいのか、普段から偉そうな口調の悪魔が取り乱している様を楽しんでいるのか、危害は無いと言ったきり何も説明しようとしない14代目とゴウトの性格を疑った方が正しい。
高貴なわりに言い訳は必死な仲魔の様子を見て収拾がつかないと判断したのか、ライドウはやれやれと首を振って新たな管を胸元から取り出す。
「男は度胸ぉぉ 悪魔は酔狂ぉぉ!」
忍者のように軽やかな身のこなしで姿を現した悪魔へ早速14代目の命令が下る。
「ヨシツネ、オオクニヌシを立ち上がらせて逃げないように押さえつけるんだ」
指示を受けた蛮力属ヨシツネは"ん?"という表情で辺りを一通り見回し、最後に自分の足元に目を向けて銀氷属悪魔を発見すると、納得したように頷いた。
オオクニヌシの背後から両肩を掴み、 蛮力属の本領発揮とばかりにそれなりの重さがあるはずの悪魔の体を軽々と持ち上げてみせる。
鍛えられた腹筋の賜物か、足が地面から離れてもオオクニヌシは空中で膝を抱えて抵抗を示す。
その格好は品物を盗んだ罰として店主に首根っこを掴まれた猫そっくりで笑いを誘う。
現にゴウトは自分が精神を宿している動物のことも忘れ、髭を揺らして笑っている。
「えぇい放せ! 我に構うな!」
騒ぐオオクニヌシを吊るしたまま、呆れたように"でけぇ図体のわりにやかましい野郎だねぇ"とヨシツネが感想を述べる。
全くその通りだと同意しながら2体の仲魔のそばに近づいたライドウは、寄るな触るなと叫ぶ銀氷悪魔の腋の下に手を差し込み器用に指を動かした。
このくすぐり攻撃にはオオクニヌシもたまらず身をよじって悲鳴を上げる。
「いいねぇ、もっと派手にやりな」
オオクニヌシの肘鉄を避けながらヨシツネが陽気に笑う。
抵抗は長引かず、ライドウの超テクニックの前についに銀氷属悪魔は陥落し、疲れきったように足を地面に下ろした。
呼吸は苦しそうに乱れ、ヨシツネに支えられていなければ崩れ落ちてしまうのではないかと思わせるほど弱っている。
激しい運動のせいか血色の悪い顔色はほんのり赤く、人間らしさを演出する上で効果的だと密かに14代目は喜んだ。
「それ……で……我に……何を……」
再び向けられたカメラから疲労のため逃げることもできず、かすれた声でオオクニヌシが訊ねる。
後ろで支えていたヨシツネが悪戯心をくすぐられたのか、
「決まってらぁ、あれでオマエの魂を吸い取って封じ込めるのさ」
と、でたらめな説明をしてオオクニヌシを怖がらせる。
「こらこらヨシツネ、本当のことを言ってしまっては面白みが減るじゃないか」
すかさず悪戯に加担する14代目葛葉ライドウ。
ゴウトは恐怖で引きつる銀氷悪魔の顔を見て笑いをこらえている。
「いいかオオクニヌシ、笑えば平気だ。笑顔をこちらに向けていれば魂は盗られないぞ」
もっと苛めて楽しみたいところを時間の都合で中断し、ヨシツネの嘘を利用してライドウは更なる嘘でオオクニヌシを騙す。
「こっ、こうすればよいのか?」
銀氷属悪魔は疑うことを知らないのか素直に騙され、不自然ながら女性を虜にしそうな笑みを作る。
背後でヨシツネが我慢できないというふうに小刻みに体を揺らして笑っているというのに気付きもしない。
「そうだ、そのまま動くな」
万事解決と心の中で喜びながら、ライドウはカメラのシャッターを切る。
こうして貧乏サマナーは"高貴な雰囲気を具えた方の代表オオクニヌシ"と"強そうな御方の代表ヨシツネ"の写真を手に入れたはずだった。

「お主の写真以外はなにも写っておらんな」
金王屋で現像した写真を受け取ったライドウとゴウトは顔を見合わせてため息をつく。
主人の言葉どおり、最初に撮ったライドウの写真以外は、銀座の工事現場を背景に薄ぼんやりとした光が漂っているというものだった。
現像の代金は後払いでとお願いしてあるが、それさえ払えるか怪しい雲行きに、ライドウの眉毛がハの字に下がる。
「……、初めに声をかけてきた女学生の報酬に期待するとしよう」
ゴウトにフォローされ、金王屋の主人に不安な思いを悟られないよう帽子を下げてから、ライドウは賑やかな築土町の路地を富士子パーラーに向かって力なく歩きだす。
その身に背負った貧乏サマナーの称号は当分消えそうになかった。



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