■ インネンオーラ・侵入

様々な難題に悪魔を使役して立ち向かう14代目葛葉ライドウといえども入れない隙間は多い。
例えばそれは鳴海所長の心の隙間だったり、関東羽黒組と深川の人たちとの間に築かれた信頼関係の隙間だったり。
それらは、発火や冷却といった仲魔が人間の心を開けっ広げにするための魔法を用いようと、決して隙を見せてはくれない。
精神的な隙間が無理なら、せめて目に見える小さな隙間だけでも調査したいと願う。
それを叶えてくれるのが、小柄な悪魔にのみ許された侵入という手段である。
「いやッス」
しかし、霞台の背の低い木立にぽっかり開いた小さな穴への侵入調査を命じられたオバリヨンはきっぱりと拒否した。
オバリヨンは、赤マント関連の調査のために銀座を訪れたときからの仲だ。
忠誠を誓うという決意の言葉はだいぶ前に貰ったし、戦闘中の命令は多少無茶なものであっても素直に実行してくれる。
そんな仲魔に断られ、ライドウの表情に動揺が走る。
「お前、仲魔から嫌われているんじゃないか?」
可哀想な子を見る目つきで見上げるゴウトの指摘を14代目はもげそうなほど激しく首を振って否定する。
帽子が落ちないことが不思議なくらいの否定の仕方に口を噤んだものの、黒猫からもれるのは未熟者へのため息ばかり。
「何故だオバリヨン、時々ひねくれたことを言う君だけど、命令にはいつも従ってくれていたじゃないか」
ライドウの疑問に対し、縫いぐるみに紛れても気付かれなさそうな等身の悪魔は、長めの腕を大きく回転させる。
「今日のボク調子が悪いッス、ここの悪魔に襲われたらこの間よりヤバいね」
顔半分を占める口を真っ直ぐ結び、オバリヨンは完全拒否の姿勢で召喚主を見上げた。
"この間"という部分に思い当たる節があるのか、しまったという表情でライドウが舌打ちをする。
深川の空き地で発見した穴に単独で侵入可能なオバリヨンを潜り込ませたとき、穴の内部に凶暴な悪魔が待ち構えており、命からがら逃げ出せたものの潜っていた子供悪魔は大怪我を負ってしまった。
そのときの恐怖体験が心の傷になったのか、深川の一件以来オバリヨンは単独調査を渋るようになってしまった。
「あれはたまたま運が悪かったんだ、今度は危険があったらすぐに引っ張り出してあげるから大丈夫だ」
安心させようと明るい口調で諭すが、仲魔の反応は"いやッス"のみ。
どうにかならないものかとライドウはゴウトに助けを求めるが、尻尾をパタパタさせてあらぬ方向を眺めている。
どうやら、14代目が自力で仲魔との問題を解決することを心の底から望んでいるようだ。
ライドウは、ため息混じりに梃子でも動きそうに無い小さな仲魔を見下ろす。その口から、最期の手段ともとれる言葉が飛び出した。
「言うことをきいてくれたら、富士子パーラーのアイスクリンを買ってあげるよ?」
余計な出費をなるべく抑えたい探偵見習いとしては避けたい条件なのか、気乗りしない様子で財布を取り出し中身を確認する。
それでもオバリヨンには効果があったようで、小さな耳がぴくぴくと反応して興味を示した。
「まじッスか?」
子供らしい甘い欲求を見事に刺激されたオバリヨンが疑いの混じった声で訊ねる。
「まじッス……。ほんと、ちゃんと見張っているから穴の中を探ってきてくれッス」
特徴的な口調がうつったのか、怪しい言語を操ってライドウは身を屈める。
"頼む"と真剣な言葉と眼差しを同じ目線で受け、さらに髪を優しい手つきで撫でられる。
アイスクリンの誘惑も大きかったが、頭を撫でる細やかな指の動きにオバリヨンの頑なな心は懐柔された。
「チミの見張りだけじゃボク不満ッス」
最期の反抗とばかりにぽつりと呟く小さな仲魔に頷いて見せ、ライドウは召喚用の管を取り出し新たな仲魔を呼び出す。
心細さを完全に取り払ってやろうと配慮したのか、呼び出した悪魔は見るからに強そうな大きく真っ赤な体をした蛮力属オニだった。
目が髪に隠れていなければ、ちょっぴり感激に潤んだ瞳が見えたことだろう。
そんな雰囲気がオバリヨンの小さな体いっぱいにあふれている。
斜めを気取る子供悪魔は気に障ることも言うが、ちらっと見せる素直さはそんなマイナスイメージを消して余りある愛らしさだ。
ライドウの心境は初めてのお使いに我が子を送り出す親のそのもの。
ギュッとオバリヨンを抱きしめてやりたい衝動を堪え、細い背中を手のひらで押して単独調査に送り出す。
トテトテと穴の中へ吸い込まれていく仲魔を見送るライドウの表情に気付いたオニが、
「おいおいサマナーさんよぉ……」
と気味悪いものを見てしまったというふうに顔を嫌悪で歪ませた。

「というわけで、オニは左右の見張りを頼む。正面はたとえなにがあっても死守してみせるから」
初めて見る召喚主の使命感に燃える姿に圧倒され、オニはごくっと唾を飲む。
返事を待たずにライドウは穴の前で仁王立ちになり、目の前を行き交う軍人たちを厳しい顔でチェックしだした。
14代目に睨まれた軍人たちは、怯えて逃げ去ったり、不審者じゃないのかと他の軍人とヒソヒソ相談しあったり、文句をつけにきたりと、様々な反応を見せる。
いつもは極力面倒ごとを避けるライドウがそんな騒ぎを起こしていることに対しゴウトは馬鹿馬鹿しいと言いたげな様子だったが、賑やか好きなオニとしては全身の血が熱くなったようだった。
「オレもやってやるぜ!」
と宣言をして、目を皿のように大きく開けて左右を監視する。
その様はガン付けているようにも見え、オニの姿を見ることができない人間はともかく、血の気の多い悪魔が因縁を付けられたと勘違いして寄ってきた。
それらの悪魔を、ライドウはオバリヨンのためと思い、剣を振って怯ませたり銃で弱点をついて動きを止めたり一生懸命戦って追い払う。
しかし、いくら退散させても次々と集まってくる悪魔に疑問を感じているらしく、
「今日はやけに悪魔が多いな?」
と額の汗を拭いながらオニに同意を求める。
オニは自分がインネンオーラを発していることに気付いていない、サマナーの心意気に共感して無意識にやってしまっていることだから仕方ないとも言えるが。
「……ま、これも鍛錬になるから良しとするか」
ただ一匹ことの真相に気付いているゴウトがそんなことを呟いて暇そうに欠伸をしている。
味方と敵、双方の血が飛び散り、魔法により悪魔が焦げる臭いが辺りに充満する。
一回の戦闘くらいでは乱れることの無いライドウも流石に息を荒げ、オニは真っ赤な体から湯気を発散させている。
汗だくになりながらライドウとオニが敵を蹴散らすこと数分、ようやく穴の中から何か発見したらしいオバリヨンの嬉しそうな声が聞こえてきた。
「よし、戻ってくるまで気を抜くなよ……」
「承知っ!」
最後のひと踏ん張りとばかりに、オバリヨンの保護者たちは武器を振り回す腕に力を込めた。

ライドウの傍に無事戻り報告を終えたオバリヨンは、派手に暴れまわった後の一人と一体を見て不思議そうに首をかしげる。
「パワーヨガでもやってたんすか?」
的外れの質問をされても、仕草のひとつひとつに心をくすぐられるのか、身を屈めた14代目は弟を見守る兄のような頼もしい笑顔を浮かべてご褒美とばかりに頭を撫でまわす。
気持ちよいが同時に照れくささも感じているのか、オバリヨンは調査が終わったから早く戻してくれとライドウの膝をポカポカ叩いてせがむ。
一仕事終えた爽快感に酔っていたオニはそんな光景に心を和ませ、悪魔たちを引き付けていたインネンオーラも自然と効果を失う。
14代目葛葉ライドウは仲魔との間に築かれた暖かな連帯感を改めて実感した。
たとえどんなに凄腕の探偵やデビルサマナーであっても、その隙間に侵入することは不可能であることを確信しながら。



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