■ 閑暇

ぶつからないように適度に距離を開けてオオクニヌシがついてくる。
先を行くライドウは、走ったり立ち止まったり歩いたり、自分の速度に合わせようとする仲魔の反応を楽しもうと、わざとペースを乱して進む。
お目付け役のゴウトもその影響を受けるため、あまりにライドウの歩調が安定していないと"しっかりしろ"と叱る。
ゴウトは14代目葛葉ライドウ唯一の弱点だ。
いつか14代目として実力を認めてもらいたいという目標があるから、叱られれば心配される前に大人しく歩調を整える。
しかし、いつもなら注意してくるはずの黒猫は、ヤタガラスの使者と相談したいことがあるらしく、築土町で電車を降りずに別行動をとっている。
だから、探偵社までの帰り道、誰の言葉に束縛されること無く、ライドウは自分の欲求が命じるままに仲魔を振り回して遊んでいる。
追ってくる仲魔の足音はいつもと比べて元気が無い。
振り回されて疲れているわけではない。オオクニヌシが落ち込んでいる理由に、ライドウは思い当たる節があった。
少し前、書き置きを残していつもの席から姿を消した鳴海を追って、ライドウたちは陸軍の造船所へ侵入した。
巨大な秘密基地の階差を飛び降り、立ち塞がる壁を破壊し、ついに鳴海と合流することのできたライドウは、日本帝国陸軍少将と決着の時を迎えていた。
宗像陸軍少将は、国津の悪魔に体を乗っ取られていた。
狂気を孕んだ一連の計画は、体を乗っ取っていたスクナヒコナの悲願を果たすものだった。
鳴海の言葉の節々から宗像への尊敬の念を感じ取っていたライドウとしては戦い難い相手だったが、戦う相手は宗像ではなく、その中に巣食っている悪魔だと気持ちを切り替えて全力で挑んだ。
ヤタガラスの使者から依頼された"帝都のため"という大義名分も、その背中を大いに後押しした。
スクナヒコナに止めを刺したのは、最後まで召喚を封じられずに管に残っていたオオクニヌシだ。
召喚されるやいなやスクナヒコナを何か決意したような鋭い目で捉え、敵が放つ魔法を避けようともせず一直線に走り寄り、剣を振るって命を奪った。
"見事だ。よくやってくれた"
仲魔を滅多に褒めることのない召喚主の疲れた賛辞など耳に入っていない様子で、オオクニヌシはただ息絶えたスクナヒコナを見下ろしていた。
先を急ごうとライドウは声をかけようとした。
強敵に勝利した後は達成感のあまり呆然としてしまうものである。
オオクニヌシもそうに違いないと決め付け、仕方ないなぁというふうにライドウは仲魔の顔を覗き込もうとする。
"すぐに追う"銀氷属の悪魔はいつもの声で言った。"我に構わず先に行け"と付け加え、召喚主の視線から表情を隠すように俯いた。
その言葉どおりに、先に行ったライドウと鳴海が口をぽかんと開けて地上の騒ぎを見ているうちに、いつの間に追いついたのかライドウの傍らに控えていたが。
それからずっとオオクニヌシに覇気がない。
オオクニヌシは国津悪魔。同じく国津のスクナヒコナとの間に何らかの繋がりがあったのではないかとライドウは推測した。
例えばそれは恩師だったり、知り合いだったり、親友だったり。
どのような縁があったのかまでは分からないが、自ら断ち切った親しい者の肉体を見下ろしていたときのオオクニヌシの心の内を想えば痛ましい。
同時にライドウの心に罪悪感が生じ、その痛みから自分が逃れるためにオオクニヌシが早く元の状態に戻ることを望まずにはいられなかった。
だからこの時のライドウはゴウトがいないことを良いことに後ろをついてくる者を極限まで自分のペースで惑わした。
オオクニヌシから何らかの感情を引き出したくて、普段どおりの高慢な態度で怒って欲しくて。

探偵社は静まりかえっていた。
鳴海が書き置きを残して消えてしまったときのように。あのときは足元にゴウトがいたが、今はそんな小さな存在さえない。
「所長?」
確認のために呼びかけたが、ライドウの声のみが無人の室内に空しく響いた。
ゴウトのように鳴海も今回の件で誰かの助言を求めに出かけてしまったのだろうか。
そんな推測をしながら、机に散らばったままの麻雀牌を手際よく片付け始めた。
大きめの窓からは夕日が差し込み、探偵所の床や鳴海の椅子をオレンジ色に染めている。
ライドウは主を失い寂し気な椅子になんとなく近づき、腰かけることなく背もたれに手をかけて左右に揺らす。
ふと、ライドウの視線が部屋の出入り口に突っ立ったままの仲魔に向いた。
オオクニヌシは窓の外に広がる景色を眺めることもなく、ぼんやりと夕日色に染まった床を見つめている。
「オオクニヌシ」
呼びかけに反応して古めかしい鎧に身を包んだ悪魔は力のない目を召喚主に向けた。
"おいで"というふうにライドウが手招きすると、夕日の眩しさに慣れない目を何度か瞬きさせながら素直に近寄ってくる。
呼び寄せたものの、何かを命じることもなく14代目は仲魔を自分の隣に立たせ、その様子を観察する。
命令されることもなく、かといって管に戻されるわけでもなく、やることの無い悪魔は召喚主の傍で気まずそうな様子だ。
視線が天井や机の上を彷徨い、最後に少し決まり悪そうな感情を浮かべてライドウが腰に挿している剣で停止した。
ライドウの目が悪魔の視線を辿る。
「なんだ?」
意識したものより冷たく低い声が出てしまい、ライドウは眉を顰めて喉を軽く指で押さえた。
オオクニヌシがハッとした様子で慌てて剣から目を逸らす。
「……失礼」
仲魔の謝罪を聞いてライドウの心は苛立った。
"キサマなどに用は無い"と高慢な口調で返されると思っていたが、その予想を裏切る大人しさが癪に障る。
謝ったということは、そのような疚しい気持ちで剣を見ていたからに違いない。
"あの剣で我の同胞を切り殺したのか"という責めなじる声が聞こえてくるようで虫酸が走る。
いつまで国津神を殺した悲しみ引きずるつもりだと、胸倉を掴んで怒鳴りつけてやりたい衝動にライドウの握った拳がふるえた。
しかし、その拳が仲魔に向かって振り上げられることはなかった。
「座れ」
椅子をひき、先ほどよりは落ち着いた声でライドウはオオクニヌシに腰かけるよう促す。
鳴海よりも背が高く鎧のせいで重量もありそうな体を受け止めた椅子が軋む。
沈みかけの夕日に照らされ、血が通っているようには見えないオオクニヌシの白い頬に暖かみが加わっている。
その頬に手を添えて、ライドウはオオクニヌシの太腿を跨ぐようにして腰を下ろした。
ギシッと更に大きな音がして腰を乗せる部分が少し沈みこんだが、椅子は2人分の重量を受けてもなんとか持ちこたえたようだ。
太腿に乗せるのも命令のうちだと思っているのか、銀氷属の悪魔は困惑したように召喚主の胸の辺りに視線を落としたまま身動きひとつしない。
"あんな小さな管に封じ込めてこき使っているのか"
被害妄想により歪んだ思考が聞こえもしない仲魔の言葉を囁きかけるが、そういった苦情を敏感に受け止める神経が麻痺してしまったのか、ライドウの心が乱れることは無かった。
こうして落ち着いた状況でよく見ればオオクニヌシは小奇麗な顔をしているとライドウは思った。
睫毛が長いとか、唇が艶かしいとかそういった類の綺麗さではなく、戦う者の顔だというのに荒々しさに欠け整いすぎているといった印象。
もっと近くで観察したくなり、ライドウは更に顔を近づける。お互いの息が感じ取れるくらいまで近く。
オオクニヌシは無言のまま逃げ道を探すように背を反らして顔を遠ざけようとする。
あまり力を入れ過ぎて背もたれが壊れたら鳴海が怒るだろう、単純に損害を避けるためにライドウはオオクニヌシの首に片腕を回して端整な顔を自分の方へ引き寄せた。
窓から差し込む夕日が部屋全体を気だるさで支配しているようだ。
この部屋は静か過ぎる、もっと賑やかな方が今の自分の精神状態にとっては良いに違いない。
早く、誰か、ゴウトでも鳴海でもタエでも誰でもいいから部屋に入ってきて"お疲れ"と労ってくれればいい。
息苦しい罪悪感を、一時的でもいいから忘れさせて欲しい。
そんな考えを甘ったるい痺れと共に頭に巡らせ、ライドウはオオクニヌシの頬に触れていた手でひと房垂れている髪を梳く。
跨ることで触れ合っている仲魔の太腿が、驚きのためか屈辱のためか小刻みに震えていることを感じ取って、奇妙な優越感に浸る。
ライドウへの半端な忠誠心があるせいで、オオクニヌシは唇を割って入ってきた無礼な舌を噛み切ることもできないようだ。
湿った口内を舌でかき乱す猥らな音が、仲魔の耳には恐ろしく不快な、召喚主の耳には少しだけ愉快な音として伝わる。
自分はヤタガラスの命を受けて帝都を守護している善なる存在で、秩序を乱そうとする者が悪である。
その悪を駆逐したことにより悲しみ恨む者がいたとしてもそれは自分のせいではない。自分は常に正義であり行うことは全て正しいことなのだから。
気を緩めたことにより、たまった疲れが自分を正当化するための言い訳さえ底なしの泥の中に沈めてしまう。
オオクニヌシの喉が唾液を飲み込もうと上下する。
唇が触れ合った瞬間に味わった心地よい痺れを思い出し、眠りに入る前のような気だるさの中で、ライドウはただ惰性でオオクニヌシの理性を貪った。



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