■ さようならの方法

万能科学研究所で育まれてきた九十九博士の夢は、ロケットが大気圏を突き抜け宇宙へ到達したことによりその一部が実現された。
一匹の黒猫と一体の悪魔を乗せて。
帝都の治安を守るため打ち上げられた機体がそんな得体の知れないものを乗せているとは誰も想像しないだろう。
知れば"なにを馬鹿なことを"と呆れ笑うか怒り出すかのどちらかで、その事実だけ抜き出せば滑稽なことに違いない。
しかし、このロケットが帝都を救う光になることを、14代目葛葉ライドウだけは確信している。
帝都を救うために失われるものの大きさも、ただひとりライドウだけが正確に理解している。
空に吸い込まれていく筒状の物体を見送ったライドウは、相棒を失う悲しみから溢れそうになる涙を必死に堪えた。

ロケット打ち上げ一筋という博士をそのまま表したような文字の書かれた看板に腰かけて、ライドウの仲魔も米粒ほどの光となり消えていくロケットを見上げていた。
「すげぇ!」
打ち上げのときの派手な光景に興奮したのか、口を開けたままぽかんとしているジークフリードの真横に腰かけていたヨシツネが立ち上がって飛び跳ねる。
ジャンプするたびに看板が揺れるが、天性のバランス感覚の良さなのか狭い足場を踏み外して落ちることは無い。
「あ……あのような物が天に……っ、信じられん」
ジークフリードは発射時の爆風より、ロケットが打ちあがったという事実の方にショックを受けたようだ。
龍が飛ぶ原理とは全く異質な、魔法のようで実は人の手と頭脳の結晶が生み出した奇跡の光景は、英雄には受け入れ難いものだったらしい。
感想を述べた後もしばらく開いた口が塞がらない状態で目を白黒させている。
逆に祭り好きなヨシツネは打ち上げの神秘などは範囲外で、ただ純粋に目の前で起こった現象を楽しんでいるようだ。
奇声を上げて飛び跳ねる赤い鎧は、九十九博士の喜びを代弁しているようにも見える。
万人の度肝を抜く光景をお祭り気分で見物できる神経を妬ましく思ったのか、ジークフリードは眉の形を皮肉っぽいものに変えた。
「気楽なものだな、筒の中には我らの仲魔が乗っているというのに」
浅黒い顔には羨ましさとは別に軽蔑の感情も幾らか含まれているようだ。
もう2度と戻ってくることのできないかもしれない任務に同行した仲間のことを思えば、ヨシツネの態度は確かに不謹慎なものであった。
「オオクニヌシのことか」
飛び跳ねることは止めたものの、旅立った仲魔の名を告げて空を見上げた武士の顔には、相変わらず気持ちの良い笑みが広がっていた。
ジークフリードが太陽の光を遮るために額に手を翳しながら好敵手に出会った戦士のような喜びに満ちたヨシツネを見上げる。
どのような感情から笑っていられるのか理解に苦しむ反応を見せた相手は、さらに混乱をもたらすようなことをさらっと口にした。
「正直、オレは羨ましいと思うぜ、あいつがしたことはそう簡単に経験できるもんじゃねぇからな」
ジークフリードが感傷の欠片も見えない台詞を咎めるように目を細める。
もともと目つきが鋭いことに加え、眉間に刻まれた皺のせいで精悍な顔には誰が見ても明らかな嫌悪の情が現れている。
「キサマは薄情だな。なにが起きようと動じることのないライドウでさえ悲しんでいるというのに」
ヨシツネはゴウトとの別れの辛さに耐えるように顔を伏せているライドウに目を向け、ハンっと詰まらなそうに鼻を鳴らした。
「アイツはいいんだよ、それでこそ尊敬できるサマナーってもんだ」
けどよぉ、と言葉を切り、ヨシツネは軽い口調からは想像できない真剣さを浮かべてジークフリードを見下ろす。
ぶつかった視線の険しさにも怯まず、赤い鎧の悪魔は諭すように語った。
「ひとりくれぇ笑顔で見送ってやんねぇと辛気臭くて成功する任務も失敗しちまう、オレはあいつらを笑って見送りてぇんだよ」
分かったか? と訊ねるように軽く首をかしげ、相変わらず理解に苦しむジークフリードを見て、唇の端を上げて意地の悪そうな顔をした。
ロケットはもう見えなくなっていた。
降り注ぐ日の光が、ジークフリードの背中を唯一の弱点を隠すように覆う盾に煌めきを宿す。
口を真一文字に結んだまま反応を示さない仲魔に厭きたのか、ヨシツネは再び空を見上げている。
「オオクニヌシのヤツならオレの考えを理解できただろうが、オマエには難しすぎたな」
しばらくの沈黙の後、慰めにもならない言葉をヨシツネが呟く。
「根拠の無いことを言うな、そもそもキサマの考えなど理解しようとも思わん」
吐き捨てるように反論し、ジークフリードは不満たっぷりの視線をヨシツネから逸らす。
「面白みのねぇヤツだな、少しはオオクニヌシを見習って頭を柔らかくしろってんだ」
小声でぼやくヨシツネに、ジークフリードの中でなにかが音を立てて切れた。
勢い良く椅子代わりにしている看板の柱を殴りつけて怒声を発する。
「先ほどからオオクニヌシオオクニヌシと……、我が顔を合わせたことも無い悪魔と比較するでない!」
足元が大きく揺れ、身軽なヨシツネもバランスを取るのに必死になる。
それだけでは気分が収まらなかったのか、ジークフリードは苦虫を噛み潰すように、
「キサマが筒に乗り込めば良かったのだ、そうすれば我が笑って見送ってやったものを……」
と言い放った。
ヨシツネはまだ揺れる足元に苦心しているようで、悪意の反撃を聞いているかどうかは怪しかった。
それでも、苛立ちでつい出してしまった言葉に己の気が咎めたのか、ジークフリードはバツが悪そうに下唇を噛み締めて俯く。
"すまない"という呟きが、ギィギィという看板の軋む音にかき消される。
「ははっ、そりゃいいな」
ようやく安定を得たヨシツネは考え込むように腕組みをしたあと、肩を揺らして軽快に笑う。
謝罪した自分が愚かだったかと、呆れたようにジークフリードがため息をつく。
そんな西洋悪魔をムッとした顔でじっと見下ろしていたヨシツネは、素早く身を屈めると金色の髪の毛のかかる耳に何事か囁く。
途端にジークフリードの顔に動揺が走り、ヨシツネは縦に描かれた鮮やかな赤い模様が際立つような悪戯っぽい笑みで顔を満たした。
「キ、キサマ……! 我の前から消え失せろ!」
ジークフリードが我にかえるまでそれほど時間はかからなかった。
後方に飛び退り、ヨシツネはむきになって腕を振り回す仲魔から慌てて距離をとったものの、相手が剣を引き抜くに至り、
「降参、降参」
と引きつった表情で両腕を挙げる。
「自業自得だな」
ゆらりと立ち上がったジークフリードは冷たい声で判決を下すと、情け容赦なく構えた剣を振り上げる。
その一撃を避けるために更に後方に飛び退ったヨシツネの足が看板という長さに限りある足場を踏むことは無く、落下した体は激しい音と共に山のように積まれた鉄くずに沈む。
それで気が済んだのか、肩で息をしながらジークフリードは不敵に笑ったが、直後にヨシツネに囁かれた言葉を思い出して悔しそうに舌打ちをした。

"サマナーに頼まれても遠慮するね、オマエの泣き声は誰よりもやかましそうだ"



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