■ Unjustness
匠の技という技芸属の悪魔だけが持つ特技がある。
それほど貴重ではない道具を価値のあるものに作り変えたり、仲間の体力を回復させたりといいこと尽くめな技。
ただし、それは匠の技をふるう悪魔の腕次第で、いつも良い結果を招くとは限らないが。
むしろ仲間を窮地に追い込む結果の方が圧倒的に多く、決まり悪そうに失敗したことを告げる悪魔に葛葉ライドウが失望のため息を吐くこと数十回。
「また失敗か。お前、喚びだしてもらった分際で不満でもあるのか?」
潜む悪魔の多さ故か澱んだ空気の修験界下層、技芸属アビヒコに訊ねる主人の声は冷たく地の底から響いてくるような威厳に満ちている。
声の持ち主はほっそりとした体つきの若造。なんでも人間の世界では"書生"という身分で、世間様に胸を張って威張れるような立場ではないらしいが。
そんな貧弱な存在であっても一度は自分を倒し現世に召喚してみせたからには、見かけによらずかなりの能力を有しているのだろうと、力的な側面に関してはアビヒコも認めている。
ただ、それ以外の面はどうかと訊かれれば、決して褒められたものではないとも感じている。
言い訳はせず、表情のみで申し訳ないという気持ちを現すアビヒコに向けられている主人の目は実に愉しそうだ。
叱っているはずなのに、怒っているはずなのに。
「サマナーを不快にさせるしか能のない悪魔などMAGを与える価値もない」
存在価値を否定されればアビヒコとしてはあまり良い気分ではない。
忠誠を誓った以上、召喚主への情というものはどんなに酷い扱いを受けてもそう簡単に消せるものではない。
第一サマナーへの評価を低くしたところで、そんな人物を従うに値する人間と認めた己が惨めになるだけだ。
「……そうか」
低く、重く、ただそのひと言で湧き上がってきたあらゆる感情を抑制する。
最初からそんな予感はしていたと、召喚主と目を合わせないよう注意しながら召喚されたときを思い出す。
鉄格子が開き名乗った瞬間から、ライドウにとってアビヒコは任務を遂行する上でたまる鬱憤の捌け口でしかなかった。
理不尽なことで罵られ、それに対し少しでも反抗的な態度を示せばライドウなりの方法でじわじわと仕返しを行う。
それでもゴウトがいたときはまだ良かった。
14代目にとって見守る者としての暖かさを感じさせる黒猫は軽蔑されたくない存在だったらしい。
ゴウトが傍にいる限り、"やり過ぎだ"と咎められればライドウは素直にその言葉に従った。
しかし、抑止力となっていた猫は戻ってくることのできない場所へ行ってしまった。
もうサマナーの凶行を止める力を持つものはどこにもない。
ライドウは軽く俯き、唇を薄く引きのばした。
帽子に顔半分くらいが隠されてしまい表情を窺い知ることはできないが、その唇の形だけで自分にとってあまり良くないことを考えているとアビヒコには分かる。
"仕置き"とサマナーは言う。その行為に一応の意味を持たせるために。
それならばもっと相応しい言葉があるとアビヒコは常々思う。"憂さ晴らし"または"加虐趣味"
「来なさい、イチモクレン」
舌なめずりでもしそうな声で、ライドウが管から仲魔を呼ぶ。
現れたのは、無数の触手を生やした球体の体に目玉を持つ赤茶けた色の悪魔。
アビヒコを捉え、とても申し訳なさそうに大きな目を細める。
「我の望むことは熟知しているだろう? せいぜい愉しませてくれ」
優しく語りかけたからといって命令の内容がまともであるとは限らない。
特にこの14代目葛葉ライドウという男に関しては、戦闘時における仲魔の扱いは無駄なく真っ直ぐなものだというのに、己の欲求を満たすための命令ときたら歪で正気の沙汰とは思えない。
サマナーの望み、目の前の仲魔を心身共に苦しめろという異常な要求に従うため、浮遊するイチモクレンがアビヒコの背後にまわる。
伸びてきた数本の触手が技芸悪魔の動きを拘束しようと血色の悪い肌に触れたが、気が進まないのかなかなか巻きついてこない。
"遠慮するな、キサマも我も召喚主に逆らえはしないのだから"
長引かせたところで薄笑いを浮かべて2体の動きを観賞しているライドウからの命令が増えるだけだと忠告し、アビヒコは数本の触手を手に取って自分の体へ導いた。
これから望まない責めを与えなくてはならない悪魔を気遣うように、抵抗を示さない体をイチモクレンが緩く拘束していく。
両腕を後ろでひとつに縛り、足首と太腿に巻きついたぶんは左右に引っ張り脚を開かせる。
浅黒い布地の上から体を探る触手の動きはぎこちなく、金色の模様に沿って繰り返し撫でるその動きにかえってアビヒコの感覚は集中してしまう。
丸みを帯びた触手の先端が下降するにつれ、灰色の髪に半分ほど覆われた顔が熱っぽいものに変化していく。
薄く開いた口は内部に沈殿する熱を逃そうと浅い呼吸を繰り返し、顰めた眉の下で瞼が痙攣するたびに金の目に宿り始めた欲情の影が範囲を増す。
少し離れた位置に腕組みをして立っているライドウが、躊躇うことなく過敏な反応を示す仲魔の姿を視界に入れたまま唇の端をくっと上げた。
「同じことの繰り返しでは新鮮味に欠けてつまらんな?」
誰に尋ねるでもなく、ひとり呟いたライドウは頷くことで自分の疑問を肯定する。
イチモクレンが焦ったようにきょろきょろと目を泳がせ、嫌なことが起こりそうな気配を察したアビヒコが身を固くする。
「そうだ、せっかくだからお前の弟を呼んでやろうかアビヒコ? 兄として弟に良い手本を示すのも役割のうちだろう?」
熱くなりかけていた全身の血が一気に冷めていくような感覚に技芸属の悪魔は身を竦ませた。
目は胸元の管を選ぶサマナーの指に釘付けになり、起こり得る状況を予想した瞬間それに対する拒否反応で頭の中が真っ黒になる。
「誰が休んでよいといったイチモクレン、……続けろ」
命令という名の縛りがイチモクレンの心を組み伏せて己の意のままに操っていく。
再び動き出した触手の刺激を受けても、弟が喚び出されることへの恐怖の方が上回っているのか、アビヒコの表情は引きつったままだ。
引き抜いた管を口元に寄せて、ゆっくりと囁くように
「召喚に応じよ、ナガスネヒコ」
とサマナーの唇がアビヒコが最も現れて欲しくないと願う悪魔の名前を唱えた。
「やっとオレの出番かサマナーさんよぉ?」
なにも知らないナガスネヒコは普段どおりの陽気な口調でライドウの前に現れた。
とても機嫌の良さそうな主人が目に入り思わず笑い返し、戦闘中でもないのに何故自分が呼ばれたのかという純粋な疑問を感じたのか小さく首をかしげる。
素直な行動ののちナガスネヒコは自分に向かって伸びてくるライドウの手の動きを目で追い、それが角を掴むに至って初めて困ったように眉を寄せた。
「そこ、触られるの嫌ぇなんだ……?」
警戒する暇さえなかった。
手首が掴んだ角を捻るように動き、それに合わせてライドウと向き合っていたナガスネヒコの体が反対方向に回転する。
切り替わった視界の中で、ナガスネヒコの口から抗議の声を奪ったものは怯えるような兄の視線だった。
「……っ、あ……に……者?」
信じられないというふうに呼びかけられ、アビヒコが"ひっ……"と小さな悲鳴を上げる。
目の前で起きている光景を受け入れることができずに硬直してしまったナガスネヒコの肩を背後に立つ人物の腕が抱く。
尖った緑色の耳に喉を鳴らすような笑い声と共に
「ほら、いつだったか、お前が誰よりも尊敬すると言っていたお兄さんだぞ」
という現実を突きつける言葉が注ぎ込まれ、ナガスネヒコはびくっと全身を震わせた。
弟に見られているという過度の緊張状態に置かれ、アビヒコの神経は本人の意思に反して鋭敏になっているようだ。
無意識に脚を閉じようと動き、緩い縛りが太腿の付け根に食い込むとその痛みにさえ疼きを感じて背中を反らす。
イチモクレンの触手は相変わらずの拙さで布地の上から性器に絡んで圧迫していく。
巻きつくものが収縮するたびにアビヒコは漏れそうになる喘ぎをこらえるために、愉悦に顔を歪ませ唇を噛んだ。
硬さを増していく部分だけでなくその後ろの柔らかな部分まで、くにゅっと揉まれる刺激に口は閉じていられても鼻にかかるような甘ったるい声は抑えきれない。
胸を上下させてくぐもった声を上げ続ける兄の痴態からナガスネヒコは目を逸らそうとした。
快楽に体をいいように弄ばれて目を潤ませる兄の姿は、弟が知る知的で厳しい姿からあまりに遠くかけ離れている。
別人のような態度を受け入れたくないという想いと共に。
灰色の髪が揺れるたびに、今まで聞いたことのないような声が漏れるたびに、自分とそう変わらない身体がよがるたびに、
見慣れた兄が狂う様に、自分自身の奥底から得体の知れない熱が呼び覚まされていく背徳がナガスネヒコを責め立てた。
しかし、目を逸らしたところで一度焼きついた光景がそう簡単に離れるはずもなく、かえって艶かしさを増してナガスネヒコを苦しめる。
「サマナーやめさせてくれ!」
切羽詰った声で呼びかけるが、召喚主はただ首を横に振るのみ。
ならばせめて管の中に戻り頭を冷やしたいと望んでも、ライドウが望んでナガスネヒコをこの場に留めている以上その願いが聞き届けられる確率は無に等しい。
弟の叫び声は兄の耳にも届いていた。
浅ましい姿を見せてはいけないと心は理解していても、勝手に反応する身体をどうすることもできず、アビヒコは無力感に苛まれた。
自分だけでなく、弟やイチモクレンまでも苦しめるサマナーを呪い殺してやりたいほど憎く感じる。
悪魔を使役する能力を14代目ライドウに与えた者に対し、はるか昔、一度は勝利を手にした弟を敗北に追い込んだ天津の者ども同様に激しい怒りを覚える。
辛い。苦しく嫌なこと。これ以上ないほど屈辱的で恥ずべき仕打ち。
しかし、そんな行為を笑って見ていられるような者を主として認め、忠誠まで誓ってしまった自分。
そうせざるをえない自分や弟の立場と、それを14代目葛葉ライドウに許すこの世の不条理。
体内で暴れ狂う性感の解放を求めて爪先で空を掻くアビヒコの、髪で隠れた方の頬に、そんなやり切れなさから生じた涙がすじをひいた。