■ ヨスガ‐2
なぜここまで巨大な力がこんな小さな場所に閉じ込められているのかと、葛城はその存在感に圧倒されながら不思議に思う。
東京の全面積を集めてもとても収まりきらない力の源が、池袋マントラ軍本営の限られた空間に座っているのは何かの罰なのかとさえ思った。
たとえその姿が石像だとしても、こんな場所に置いておけるマントラ軍の悪魔たちの気がしれなかった。
このゴズテンノウという存在を信じて付いて行けば必ず"何者にも劣る事の無い完璧な力"を手に入れる事ができるだろうという確信が人修羅の血の巡りを早め、心臓の鼓動を強めていた。
それは根拠の無い確信で、もっと周囲を見渡せばゴズテンノウより強い力を持った存在がいるのかもしれないのだが、
ガキに襲撃されてから力を得る事のみに心を奪われていた人修羅にとって目に見える形の圧倒的な強さは求めていたものその物で、
ひと目惚れにも似た高揚感に浮かされながら他の強者のことなど考えることはできなかった。
加えてゴズテンノウはトールですら認めざるを得なかった人修羅の協力を求めてきた。
謁見がかなったもの全てに協力を求めているのかもしれないし、自分が加わったくらいで何か大きな変化が起こるなどということはそんなに期待されていないようにも見えたが、
必死の思いで自分の力を強化し、苦手だった仲魔集めも精一杯頑張ってきた葛城にとって、力の集大成のような存在に協力を求められた事で
ようやく自分が強さの段階でいう底辺から這いあがることができたと認められたようで嬉しかったのだ。
「俺たちの親玉はすっげーだろう、俺と話の合うお前なら必ず気にいると思ったぜ」
謁見を済ませておぼつか無い足取りで戻ってきた葛城に仲魔の鬼が興奮し、流れるよだれも拭かずに話しかける。
「僕は、僕はきっとあの方の理想の世界を実現するためならどこまでもついて行けるよ」
拳をぐっと握り締め、熱が冷め切らない表情で語る人修羅の横で、マカミが細長い体を円を描く様にくねらせて疲れと呆れた感情が入り混じった声を出す。
「あのような目に遭ってもお主はそう言うのか、我には付いて行けぬな…マントラはニヒロと敵対する存在だろう、お主の捜しているニヒロの巫女とやらと敵対して良いのか?」
人修羅はそんなマカミの言葉を黙って聞いていたが、やや間を置いてから低い声で返事を返す。
「ならお前は僕を見限って出ていくがいいさ、巫女…いや、先生は僕を助けてはくれなかったし僕が望む力を与えてくれるとは限らない、勇だってそのうち分かるさ、先生に縋ってもなにも変わらないということがねそれに…」
言葉を打ち切り、葛城はカグツチが輝く空を見上げる。
眩しく光るカグツチの奥にはぼんやりと池袋の反対に位置する崩壊した都市群が見え、東京が丸くなったという実感を与えている。
日によって晴れたり雨雲がかかったりと変化していた空は完全にその姿を失い、葛城が上空の変化に興味を示す事もここしばらく無くなっていたはずだったのだが。
「それにもう誰にも負けたくない、マカミだって本営前で戦った魔人に斬られて瀕死になったとき、死にたくないって泣きそうだったじゃないか、
力が手に入れば死の恐怖に怯えなくて済むんだ」
「そういってもだな…」
納得もできず、かといって長い付き合いの人修羅を見捨てるわけにもいかずになんとか説得しようと口を開いたマカミだったが、
人修羅の目がなにかに取りつかれた様に暗い光を浮かべているのを見ると、喉をぐるると鳴らして他の仲魔のもとへ大人しく戻っていく。
「不安がることはなにも無いさ、さぁ銀座に戻ろう」
そう仲魔たちに告げた声は、ひどく優しかった。
ニヒロ機構のナイトメアシステムによって吸い上げられているマガツヒは、力こそが全ての掟であったマントラ軍の象徴であるかのように、赤々と光を発する一本の極太の柱となり天に吸い上げられていく。
銀座周辺から遠目に見えたマントラ軍の拠点はそのような状態だったが、混乱の収拾が付かないイケブクロ内部に足を踏み入れた頃にはだいぶ勢いは収まり、今は残り火のようなマガツヒが空気中を漂っていた。
牢屋から必死の形相で逃げ出すマネカタの集団、今までトールの裁判を受けるために閉じ込められていた悪魔たちは仕返しとばかりに慌てふためく鬼に向かって刃を振るう。
「なんでこうなっちまったんだぁ!」
すぐ隣を走り去っていくマネカタを捕まえようともせず、拠り所にしてきた本部から逃げるように去っていく仲間の姿を呆然と見ていた鬼が天に向かって悲しみの雄叫びを上げる。
マントラの悪魔にとっては正に地獄絵図といった光景を横目に葛城はただ一ヶ所を目指して走っていた。
彼に忠誠を誓う仲魔の中にはそれまで氷川に従っていた悪魔もいればゴズテンノウを神と崇拝していた悪魔もいるが、葛城が危惧していたような喧嘩騒ぎは一切起こらなかった。
「悔しくないのか、ゴズテンノウが心配ではないのか?」
それまでの拠点をあっさりと見捨てぞろぞろと列を作って去っていくマントラ悪魔に葛城は問いかけたが、
「今はもはやどうでも良い事だ」
としか返事は返ってこなかった。
「僕は嫌だっ…ゴズテンノウを失ったら僕はなにを信じればいい?」
本部の60階までのエレベーターの中で居てもたってもいられない状態でゴズテンノウの安否を心配する主人に、仲魔たちはただ困惑するばかりで声をかけることが出来ないようだ。
この事件が起こった事で自分たちを強引といってもよい力で引っ張ってきた人修羅の目標が失われて、これからの行く先が見えなくなるのではないのかと不安そうな表情を浮かべている仲魔もいる。
のろのろと上昇するエレベーターの動きが止まり、ゆっくり開く自動ドアをこじ開けて外に出た人修羅は、踊り場にぼんやりとしゃがみ込むマントラ悪魔を背後に階段を一気に登りきり、ゴズテンノウのいる部屋に続く扉の前でいったん息を整える。
こんな結果にならなければ報告したい自分の活躍は山ほどあった、その報告を聞いてゴズテンノウが喜んでくれるなら、報酬などいらないとさえ葛城は思っていた。
ニヒロ機構で戦っている間中、葛城の中で膨れ上がっていたゴズテンノウへの思いは最早頼るべき存在という位置付けで収まるようなものでは無くなっていた。
ゴズテンノウが持つ力に対する憧れや尊敬や崇拝が交じり合い、失ったら自分の気が変になってしまうのではないかと危ぶむほどの存在になっている。
意を決して扉を開いた先で人修羅は叫ぶ
「あなたがいなくなったら誰があなたの代わりに混沌の国を導くのですか、皆があなたを見捨てたって僕はずっとあなたを見捨てはしない!」
だから…だから…とマガツヒを失い色あせていく石像に言葉を詰まらせながら、少しでも多くのゴズテンノウの怒りを受け止めようと葛城は両手を広げる。
部屋全体がゴズテンノウの全身から発せられる想いで震えていた。
地鳴りとともに石像にひびの入る不気味な音が木霊して、仲魔たちは崩壊に巻き込まれぬよう部屋の外に逃げ出していく。
ひとり部屋にとどまった葛城の頭上に崩壊を始めた石像の欠片と共に無念の想いが降り注ぎ、その想いを呼吸と共に飲み下しながらゴズテンノウの崩壊を最後まで見届けようと大きく目を見開く。
やがてひときわ大きい亀裂が走り、大きな揺れに耐え切れなくなった胴体が土ぼこりを上げて崩れ落ちると、その部分だけで葛城の2倍はありそうな頭部がごろんと首から外れ、
ちょうど真下で地面に額をこすりつけて祈っていたマネカタの体を押しつぶして台座の下まで転がり落ちた。
完全に石像の崩壊が終わると揺れもぴたっと収まり、視界を覆う土煙の中人修羅は急いで頭部が転がり落ちた場所に駆け寄る。
マガツヒが体に満ち溢れていた時は強烈な赤い光を滲ませていた石像の目はただの空洞に成り果て、ぽっかりと空いた黒い穴が寂しさを感じさせる。
色褪せた頬には一筋のマガツヒが垂れてまるで血の涙のように葛城には見えた。
ただの石像と化したゴズテンノウの精神の入れ物に手をふれ、冷たくなった表面に唇を寄せる。
周囲を気だるげに漂うマガツヒが、ゴズテンノウの頭部に縋り付いて肩を震わせる人修羅の背中を赤々と照らしていた。