■ ヨスガ/アマラ‐4
シジマの悪魔たちが守護を得た氷川を筆頭にみなカグツチの塔へ向かってしまったせいか銀座は再び静けさを取り戻していた。
加えて今カグツチの状態は静天を迎えていて、居残っているはずの悪魔たちはまるで覚めない眠りについてしまったかのようにその気配すら感じられない。
青白い思念体さえも心なしか寂しげに揺れているように感じられるその静寂の中、一匹の悪魔が自分の主人に対し何やら怪しげな儀式を執り行っている。
「準備はこれで終わりだ、後はマスターが頭の中になりたい者の姿を思い浮かべればいい」
本当に大丈夫かと心配して複雑な表情を浮かべる主人を安心させるためか強面の顔に作り笑いを浮かべて、オセは葛城の肩にそっと手をのせる。
「まぁ今じゃなきゃ意味が無いからな、人間と悪魔の中間でも成功するというお前の言葉を信じるよ」
これから起きることへの期待と不安からか荒くなる呼吸を落ち着けて、葛城はショーウインドーと向き会う形で目を閉じる。
主人が目を閉じたことを確認すると、オセはその場から数歩離れた場所でどんな言語とも違う言葉を紡ぎ出していく。
ゴクリと緊張した葛城が唾を飲み込み、その周囲を先程までとは全く異質な空気が取り巻いて小さなつむじ風を起こす。
いよいよオセが発する呪文も山場にさしかかって来たのか強弱の差が大きくなり、葛城の周囲を取り巻いていた異質な空気に電流のような物が見え隠れする。
「しっかり思い浮かべないと中途半端な姿になるぞ」
呪文がいったん途切れ、オセの最後の忠告を聞いた葛城はいよいよかと表情を引き締めて意識を一点に集中させる。
マントが風に持ち上げられ赤い裏地が見え隠れする、最後の仕上げとばかりに甲高く叫んだオセは大きく目を見開いて主人の身に起こる異変を見守った。
初めはオセの叫びと共に辺りに発生した煙に葛城の姿は隠されていた。
「マスター、どんな感じだ!」
スライムのように形を変えて床にへばり付く主人という最悪の結果にならないよう祈りながらオセは煙が消えるのをじっと待つ。
変化後の姿を見られたくないという葛城の意向によりオセを除く仲魔は邪教の館で待機している、
わざわざ静天の銀座で、念には念をとエストマをかけてから行ったのも集中を要する儀式中に仲魔不在の状況で敵に邪魔されないようにするためである。
召喚した者を望みどおりの姿に変えることができるというオセの能力に葛城が興味を示したのはつい最近のことである。
何故興味を示すようになったのか葛城が語ることは無かったが、ずっと行動を共にしてきたオセはその理由に気が付いていた。
トウキョウ議事堂でシジマの守護が氷川に降りるのを見届けた葛城はカグツチの塔を出現させると、ボルテクス界に対する一切の興味を失ったかの様に
ダンテという魔人に追いかけられてから全く足を運んでいなかったアマラ深界に頻繁に出入りするようになっていった。
「千晶を完璧にサポートするための更なる力を手に入れにいくんだ」
早く塔に登ってみたいと急かす仲魔に葛城はそう説明していたが、オセには創世のための戦いから逃げているようにしか見えなかった。
本気でヨスガ世界の創世をサポートする気なら淑女の頼みは受け入れられないだろうし、第5カルパで再会したダンテを仲魔に加えたはずだろう、
結局そうせずに最下層まで到達した頃には葛城はもう新しい世界を創世する気など無いのではないかとオセは思っていた。
もしそうならば葛城は最終決戦に臨むあの御方の代わりとなるために完全な悪魔として生まれ変わらないとならない。
葛城自身なんとなく自分が今までのままではいられなくなることを察したのか、御方に謁見する扉の前まで来ると
「なんだか大物天使を倒して気が抜けたよ、1度アサクサに戻ろう」
と言い出して、ここまで来て帰るのかと文句たらたらの仲魔を強引に引っ張ってボルテクス界に戻ってしまったのだ。
葛城がオセの能力についてあれこれ質問するようになったのはそれからである。
"今じゃなきゃ意味がない"という葛城の言葉を思い出し、オセはようやく薄まってきた煙に人型のシルエットを認めて息をのむ。
葛城は無言だった、ショーウインドーに映る"望む者の姿"を見詰める表情のみがその姿に対する感情を物語っている。
声をかけてはならないような気がしたが、今まで決して見ることの無かった主人の反応を見てオセは聞かずにはいられなかった
「その人間はあんたの…」
ショーウインドーにはオセと中年の男性の姿が映っていた。
皺の目立つスーツに身を包んだ白髪交じりの男性はショーウインドーに映る自分の姿を見てただ静かに涙を流していた。
男性の口がオセの質問に対してわずかに動きかけたが、その答えを伝える前にオセの術が効果を失おうとしていた。
爪先からあるべき姿に形を変えていく葛城は完全に元の姿に戻る直前に小さな声で
「さようなら」
とショーウインドーに映る人物に別れを告げた。
「素直にヨスガの世界を創世させろよ、その方がマスターには合ってるし第一あんたには創世する責任がある」
元に戻った葛城の背中にオセは声をかけたが人修羅は首を横に振った
「じゃあ何のためにシジマの巫女を解放した、何のためにフトミミを殺した、ゴズテンノウの意思を継いだ娘に何故味方したんだ!」
手の甲で涙を拭い取る主人に詰めよって問い詰めるが葛城は再度首を横に振って冷えたショーウインドーの表面に手を触れる
「僕はゴズテンノウの強さが好きだった、悪魔に創世が許されないのなら力を継いだ千晶に彼の理想の世界を実現させて欲しいとそう思っていた」
手の平の暖かさと冷たい硝子の温度差で触れた周辺がわずかに白く曇りはじめる。
語る葛城の声はどこか優しい響きが混じっているが、硝子に映る自分の姿を見る目は瞬き1つせず言葉に込められた想いの深さを伝えている
「誰にも負けない力が欲しかった、力をくれたゴズテンノウの願いを叶えてあげたかった、でも…でもそれを達成したら?」
感情が高ぶってきたのか途切れがちな言葉を繋げる葛城は震えているように見えた、いつもは大きく見える主人の存在が急に小さくなってしまったように感じられてオセは戸惑った。
「僕は愚か者だ、創世が終わった後のことなんか少しも考えていなかった、創世が終わったってもう元の生活には戻れないのに…人間に戻れるという保障なんて無いのに」
心に溜めていたものを一気に吐き出して落ち着いたのか、葛城はふぅっとため息を吐くと真剣な表情で自分を見守っているオセの方を向いて首を傾げてみせる。
その姿があまりにも頼りないただの少年に見えたのでオセは後悔して泣き出すのかと思ったが、葛城は泣かなかった。
「創世後の世界に希望が持てないから御方の最終決戦に全てを賭けるのか?」
わずかな沈黙の後、ぽつりとオセが呟く。
「悪魔のふりをした人間を演じるのは疲れた、僕は完全な悪魔になりたい」
「それで、本当に良いのか?」
訊ねたオセの胸に熱を帯びた頬を寄せ、マントごと豹柄の毛で覆われた暖かい体を抱きしめて葛城は最後の決断を下す
「後悔は、ない」
物音ひとつしない銀座の廊下に薄く伸びていた短い影が揺れ、葛城は爪先立って相変わらず難しい顔で何か言おうとしているオセの口に自分の唇を重ねて黙らせた。