■ アマラ‐5

金色の目を光らせる悪魔の前で、ガキたちは本能的な恐怖を感じて逃げ出すことすら出来なかった。
その悪魔の背後には数体の悪魔たちが控え、どの悪魔もガキとは桁違いの強さを持っていることは実際に戦ってみなくても押し寄せてくる威圧感から充分に感じ取ることができる。
巨大な武器を持つ大柄な悪魔、鋭い鉤爪を持つ獰猛な獣、上空で羽ばたいている綺麗な天使、どの悪魔も今のガキにとっては平等に恐ろしい存在であるはずなのに、なぜか金色の目をした人型の悪魔に対する恐怖のみが足を竦み上がらせ、心臓を鷲掴みにして生きている心地を与えてくれない。
「主よ、このような下等悪魔に構っている時間はありません、どうか無駄な戦闘を避けてお急ぎ下さい」
金髪の天使がガキの前で足を止めた悪魔に進言すると、ようやくその人型の悪魔はガキから目を逸らして歩き出す。
1歩、2歩、距離が縮まるにつれ、常に感じているはずの強烈な飢えさえ忘れてガキの頭の中は真っ白になっていく。
すれ違いざまに拳で後頭部を軽く小突くだけで充分だ、与える悪魔にとってはほんの僅かな衝撃で、ガキの全身はこっぱみじんに吹き飛んで消え去るだろう。
衝動的な欲求を満足させるための方法を探すことのみに役立ててきた脳が、自分の死に様をこんなに鮮やかに予測することができたのかとガキは場違いな感動さえ覚えた。
そのガキのすぐ脇を殺意でもなく憐れみでもなく、何の感情も浮かべていない能面のような表情とそれに従う忠実な悪魔が通り過ぎていく。
自分の存在が無視されたことをこれほどまでありがたく感じた事はなかった、通り過ぎた悪魔たちがターミナル部屋に入っていって扉が閉まる音が聞こえた瞬間、ガキの目から誕生してから1度も流したことのない水分が流れ落ちる。
「オデ…イギデル?」
自分の体がまだこの場所に存在していることが不思議でならないといった風に全身に筋張った手を這わせながらガキは震える声で呟く。
そのガキのひと言で、固まっていた他のガキたちも口々に自分が存在していることへの喜びの言葉を発し始める。
受胎によって思念体として彷徨う存在に成り下がった人間たちが造り上げた新宿衛生病院という場所の、地下特有のかび臭さや足の裏に感じる冷たい床の感触がとてもなつかしく感じられた。
「イギデル!」
2度めに発した言葉が意味することの素晴らしさにガキの濁った目からまた涙があふれ出した。

「なにも、変わっていなかった」
ニヒロ機構マルノウチに到着した葛城は相変わらずの無表情で呟いた。
とても小さな声だったため、聞き取れたのはすぐそばにいたオセだけだった。
なにが変わっていなかったのか、体と精神を構成する全ての要素が悪魔と同じものになったというのになにも変わっていなかったという意味だろうか、2度めの誕生を経験する前の主人を知る悪魔としてそうであることを強く願いながらオセは葛城に問いかける。
「調子はどうだ?」
オセの主人はくだらないことでよく笑い、よく泣き、よく怒った。
表情が変わるたびにその原因を考えて些細なことにも動揺する主人を慰めたりからかったりするのが仲魔たちの密かな楽しみだ。
容姿が特別良いわけでもなく、誰よりも強い力を持つわけでもなく、仕えることに魅力など少しも感じさせない主人だったがその楽しみだけで充分満足できた。
「あんまり変わったような気がしないかも」
普段通りの葛城の口調にオセは少しだけ安心することができた。
御方の笑みと穴を覗く悪魔たちの大歓声に包まれる人修羅を見たときに、オセは胸を締め付けられるような寂しさと共に実感した。
あの日、邪教の館で自分を召喚した主人の心はもう2度と戻って来ないのだと、もう2度と会うことはできないのだと。
葛城の友人だった者たちが新しい世界の誕生のために心と体を全く別の物へと変化させたように、自分の主人も変わってしまうのだと。
いくら主人が自らの意思で決めたこととはいえ、2度めの誕生を迎える以前もそして今もオセはその事実を受け入れたくはなかった。
「そうだろうな、急に別物になられても困るしな」
安心したせいか、ついもれてしまったオセの本音に葛城の表情がわずかに翳る。
「お前には色々と迷惑をかけたな」
突然なにを言い出すのかとオセは主人の正気を疑ったが、葛城はいたって真面目な表情でじっと豹のようなオセの顔を見つめている。
「なんだよ、俺のことを合体材料にでも使う気か?、そういう言葉は心臓に悪いからやめろよ」
眉間に皺を寄せて嫌悪感を示すオセに冗談だよと謝りながら、葛城はふいに懐かしそうな表情を浮かべる。
「悪魔になりたての頃はガキが怖くてたまらなかったんだ、今となってはどうしてあんな弱い悪魔を怖がっていたのか不思議だけど」
「で、それがなんだっていうんだよ?」
唐突にオセが知らない過去の話を始めた主人の意図がつかめなくて、イライラした口調で結論を急かす。
葛城は興味の無さそうなオセの態度に少しがっかりしたようだった、
「えーとだから、僕は今まで変わってしまったのは勇や千晶だけだと思っていたんだ、だけど僕自身も変わっていたんだなと思って」
と先程よりはだいぶ淡々とした口調で話す。
その言葉につい先程まで感じていた寂しさや不安がよみがえってきそうで、オセはとっさに否定するような言葉を頭の中で組み立てる。
「どうせ大した変化なかったんだろ、変わったっていっても些細なことじゃないか」
オセとしてはそうだよと言って頷いて欲しかったが、葛城はせっぱ詰まったような表情で自分を見下ろす仲魔の期待を中途半端に裏切った。
「うん、だけどこれでやっと受け入れられる、もう悪魔であることを悩んで苦しむ必要はないんだ」
そう告げた悪魔の表情は、誰が見ても幸せそうだなと感じるほどの晴れやかな笑顔だった。

カグツチを打ち倒し、与えられた試練を乗り越えてある程度の期待通りに成長した葛城とその瞬間を待ち望んでいた悪魔たちに、大魔王の決断が下される。
アマラ深界でわき上がったものよりさらに規模の大きい歓声がわき上がる中、気圧されることもなくカグツチに呪われた闇の悪魔は仲魔を置き去りにして歩き出す。
オセはその瞬間、自分が大きな思い違いをしていたことに気がついた。
剣を握る手が震えていた、悪魔である自分がこんな思いに囚われていたとは、にわかに信じることができなかった。
「俺は、そうなのか…」
目に映る葛城の淡い光を放つ背中がぼやけていく、見慣れた彼の背中をこんな想いで見つめたことは今まで1度たりともなかっただろう。
新しい技を手に入れたり、敵対する悪魔を殺すことに対するためらいが薄れたり、そんなことはオセ自身にとってはどうでも良い変化だったのだ。
葛城は何ひとつ変わっていない、その事実を自分は喜ぶべきではなかったのだ。
面影ひとつ残さずに全て変わってしまえば良かった、コトワリをかけた戦いが終わった後の葛城の立場を考えればその方がよっぽど自分にとっては幸せだった。
彼はもう自分のことを特別な仲魔として扱うことはないだろう、信頼や個人的な感情など入り込む隙間などない支配する者とされる者の立場、
それを葛城や自分が望むかどうかなど問題ではない、生まれ変わる可能性を摘まれてしまった世界で最早それしか主人に残された進むべき道はないのだから。
オセは自分と主人の間に深い溝ができてしまったことを痛感した、アマラ最深界で大勢の闇の勢力からの祝福を受けている葛城を見たときの寂しさは主人の中身が変わってしまうことを悲しんだからではない、
今までの仲間同士という極めて親密な関係が崩れてしまい、葛城が自分の手の届かないとても遠い所へ行ってしまうことへの寂しさだった。
「あいつのことを俺は好きになっていたのか」
寂しさの理由を最も的確に表現する言葉を、オセは抵抗なく口にした。
気に入っていただけなら深界の悪魔と同じく喜んで彼の2度めの誕生を見届けることができたに違いない、そこに多少の別れ惜しさが混じっても。
「カツラギ…!」
空気をふるわせる大歓声の中、思わずオセは闇の悪魔たちが集う群れの中心に向かって歩いていく主人に呼びかけていた。
呼びかけは歓声にかき消されてしまい主人に届くことはなかった、金色だった目を血の色に染め変えた悪魔は振り返らずに堂々とした態度で歩いていく。
新たな混沌の王の誕生に殺風景な世界の中でこの場所だけが熱気に満ちている。
長きにわたる戦いの決着をつけるべく進み始めた闇の軍勢にぼんやりとした視線を向けて、オセは指一本動かすことができなかった。
"オセ、ぼやぼやしていると置いていくぞ!"
休息から目覚めたばかりで意識がはっきりしない自分の鼻先に指先をつきつけて怒鳴りつけた"オセの主人"はもういない。
代りに全ての闇に属する悪魔たちの中心的存在として生まれ変わった葛城史人という1体の悪魔が嬉しそうに告げた言葉がオセの脳裏に浮かぶ。
"これで、やっと受け入れられる、もう悪魔であることを悩んで苦しむ必要はないんだ"
オセの目から流れる涙は止まらなかった、邪教の館で初めて顔を合わせてから今まで共に行動してきた時間は嫌になるほど多かったのになぜ気付くことができなかったのか、
今さら後悔しても遅いと頭では理解できていても、反するように苦しく込み上げてくる感情を抱え込みながら、オセは呆然とカグツチの輝きが失われた大地に立ち続けていた。



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