■ てんしですから

「2度めのミフナシロはどうですか」
ここで大量虐殺が行われたのだと感じさせる地面を引きずられたような真っ赤な模様をさっきからずっと眺めているドミニオンにパワーが問いかける。
この清らかな地の上空から同胞がマネカタを一体ずつ水の中に投げ落として殺したのだ。
そうするように指示を下したのは指導者の千晶であり、喜々として命令を伝えたのは自分たちだったと当時の様子を思い出して興奮したパワーは思わず身震いをした。
「さぁ…何も感じませんね」
本当に何も感じてないのか、まるで一切の感情が失われてしまったような表情でドミニオンが返事をする。
ざぁざぁと響く心地よい水音に耳を傾けて、パワーはその通りだと少しがっかりしたようにうなずく。
ミフナシロにもう1度行きたいと最初に言い出したのはドミニオンの方だった、何をしに行くのか疑問に思いつつも
"嫌ならついてこなくても良い"
という突き放した態度にますます好奇心を煽られて、割り当てられていた予定をさぼってパワーはドミニオンと共に行動することを選んだ。
選んだ行動に対する後悔の念はないが、事件の爪跡を眺めるばかりでなんの行動も起こさないドミニオンにパワーは微かな苛立ちを感じ始めていた。
「この地でやり忘れたことがあるのですか?」
苛立ちを解消させようと選んだ核心にふれる質問に、ドミニオンはゆっくりと顔を上げて不思議そうな表情をパワーに向ける。
「なぜそう思う?」
逆に質問を返されて言葉に詰まったパワーは困って口を閉ざし、表情に欠しいせいか感情を読み取りにくいこの天使にしては珍しくはっきりと分かる狼狽ぶりにドミニオンは楽しげに微笑んだ。
魔法を得意とするからだろうか、お世辞にも逞しいとは言えない天使の綺麗な微笑みにパワーはほんの一瞬目を奪われた。
「ここに何があるのですか?」
新たに考えついた質問にドミニオンの笑みが深くなり、背筋に冷たいものを感じたパワーは周囲を見渡す。
力弱き泥人形たちの期待が一心に寄せられていた場所、預言者がマネカタによる世界の創世を夢見た場所、そしてその期待と夢が打ち砕かれた場所。
圧倒的な力による粛清が行われた場所。
「確かめたかったのです、自分たちの行為がもたらした結果を」
厳格なミフナシロという空間に良く似合う静かな声に、彷徨っていたパワーの視線が再び青髪の天使に向けられる。
ドミニオンの目は瞬きひとつせず、パワーの奥に見える最奥に続く扉を捕らえていた。
「預言者とやらは土にかえり、泥人形どもが不相応な夢をみることはなくなった」
「千晶さまに守護が降り、我らが望むヨスガの世の実現は目前に迫っている」
パワーの熱を帯びた言葉が後に続く。
ドミニオンはしばらく無言だった。
視線は扉に向けられたまま何かを深く考えているようにも見え、邪魔をしてはいけないような気がしてパワーは口を閉ざした。
「これで良かったのだ、我らが主もきっと満足して…」
言葉を途切れさせたまま同意を求めるようにドミニオンは黙ったままのパワーに近づき、肌の温もりを遮断する鎧に包まれた肩に頬を寄せる。
それは落ち込んだときに誰にも悩みを打ち明けることのないドミニオンが、唯一親しいパワーにだけみせる弱さだった。
ただそうやって身を寄せるだけで何の慰めも求めず泣くこともない、気分が落ち着けば何ごともなかったかのように去っていく。
首筋にかかる微かな呼吸や寄せられた体の重みを感じながら、パワーはぎこちなく腕をドミニオンの背に伸ばす。
「大丈夫、そう、これは主も望んだこと」
恐らく今ドミニオンがいちばん望んでいる言葉を耳元で囁きながら、触れられるのを嫌がる羽を慎重に避けて長い髪をなでる。
「それを誰が保証してくれる?」
パワーはなるべくドミニオンと目を合わせないようにした、自分に身を預けている天使がどんな目で答えを求めているのか想像するだけで、
脳に甘い痺れを感じて不思議な熱がかけ巡っているかのように体中が熱を帯びてくるのに、実際に目を合わせてしまったら理性が飛んでしまうのではないかとパワーは恐れていた。
ドミニオンが気紛れに微笑むたびに、落ち込んで身を寄せてくるたびに、パワーは親友に対して親しみ以外の欲望にも似た想いを常に意識するようになっていた。
そういった低俗な想いを高潔なドミニオンが最も嫌っていることを知りながら、友への感情を抑えることは時が経つにつれて難しくなってきている。
「…このパワーが保証しよう」
狂おしい感情をどうにか飲み下して答えると、ドミニオンは羽をわずかに震わせて笑ったようだった。
「それはまたずいぶん頼りない」
髪を優しくなでるパワーの手の動きが止まった。
「隠さずとも良いのだよ」
パワーの口に軽く重ね合わせた唇を離してドミニオンが今まで誰にも見せたことのない表情でつぶやく。
「ドミニ…」
訝しげに名を呼ぼうとしたパワーの唇を今度はしっかりと塞いでドミニオンは深く口付ける。
なんの躊躇いもなく入り込んできた滑らかな舌にパワーが遠慮がちに舌を絡ませると、ドミニオンの舌はさらに貪欲に動いてパワーを翻弄する。
たまらずパワーはもっと近くに引き寄せようとドミニオンの背に手を回し、その指先が羽の一部に触れたのか抱き寄せた細身の天使の体がぴくりと震えた。
「どうしたんだ急に?」
唇を解放されて荒い呼吸を吐きながら戸惑いを隠せないパワーにドミニオンが寂しげに微笑む。
「分からない、ここで粛清を行ってからずっと調子がおかしいんだ、もう創世も何もかもが煩わしくて仕方なくなってしまった」
「それは…疲れて自暴自棄になっているだけだ、少し休めばすぐに元の自分を取り戻せるだろう」
パワーからの励ましにドミニオンは深いため息を吐く。
「私のことを好きではないのか?」
「なっ…、急に何を言いだすんだ」
嫌われることを恐れて隠し続けてきた想いを言い当てられてパワーは上ずった声で反論しようとしたが、なぜかひどくがっかりしたようなドミニオンの表情を見て困ったように視線を彷徨わせる。
「残念だ、私はお前となら…」
「ドミニオン!」
誘うようなドミニオンの視線に揺らぐ理性を繋ぎとめながら必死の思いでパワーは言葉の先をさえぎる。
「今の貴方では嫌だ、1度ゆっくり休んで元の自分を取り戻した貴方でなければ嫌です」
ドミニオンはパワーの真剣な様子を見て、少し前に明らかに狼狽したパワーを見たときと同じように楽しげに微笑む。
「それならばまずは休むとしよう、それからじっくりと…」
なにか良からぬことを企むように深くなったドミニオンの笑みに再び背筋に冷たいものを感じて、パワーは期待と不安の入り混じった表情で目の前の天使を見つめた。



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