■ 本当の理解者
オニは主人に比べればずっと筋肉質で逞しい体を小刻みに震わせていた。
つい先程まで全身真っ赤な悪魔は主力メンバーの一員として暴れ回っていた。
人修羅が回避率を下げる息を吹いた直後の彼のひと暴れで敵の足並みは乱れ、間髪いれずに残り2体の仲魔が粉砕する。
お前がいたから勝てたんだよとは1度も言われたことが無いが、人修羅はオニの働きに満足しているはずだった。
暴れて敵の足並みを乱すことは今の段階において自分にしか出来ないことで、戦力外通達を出されるのはまだまだ先の事だろう、頻繁に入れ替わる残り2枠の仲魔たちを見てもオニに焦りの気持ちなど微塵もわいてこなかった。
「じゃ、オニが控えで…オルトロスこっちにおいで」
犬によく似た悪魔が嬉しそうに人修羅の元へ駆け寄って素足に頬擦りをしている。
主人の隣というポジションを奪われて呆然とつっ立っているオニを控えのメンバーが取り囲む。
ごくろうさん、今までよく頑張ったよ、控えの仲魔たちによる労いの言葉がいまだ立場が変わったという実感がわかないオニの意識を混乱させる。
労いの言葉に何の反応も示さずに不安げな顔でじっと人修羅を見詰めるオニの視線に気付いたアークエンジェルが、安心させるためか真っ赤な手を自分の両手で優しく包み込んで笑顔を浮かべる。
「大丈夫、少し前にイケブクロで合体したばかりだから、次ぎの合体はまだ当分先だ」
「がったい?」
反芻した言葉はつい先程までのオニにとっては縁の無いことだった、機械の中に見知った悪魔が吸い込まれていっても自分には関係無いことだった。
合体が行われたということを1番実感する時は休息から目覚める時だと主力メンバーの誰かから聞いたことがあった。
"戦闘中や移動中はそれでいっぱいいっぱいだから考えないんだ、寝ている時はたくさんの寝息が聞こえるからそんなに意識しないんだ"
苦しそうに息を吐き出して誰かはオニの目をじっと見上げながら続きを言ったはずだ、しかしその続きの言葉をオニはどうしても思い出せなかった。
オニの視線がオルトロスの頭を笑顔で撫でる主人から地面に急降下する、うな垂れたオニをなんとか元気付けようとアークエンジェルは思案したが、良い言葉は浮かんでこなかった。
蜃気楼に包まれたカブキチョウ捕虜囚は空気までどんよりと重く流れているように感じさせる。
変化無く揺れる景色の中を虚ろな表情でふらふらと歩くオニが地面のおうとつや散らばる瓦礫に足を取られて転ばぬように、アークエンジェルはずっとごつごつとした手を握り締めていた。
気の強いオニが控えに回されたとたんこんな状態になってしまうとは人修羅でさえ予想できなかったようだ。
主人が移動中にちらっと控えメンバーの方に心配そうな視線を送っていることにオニは全く気付いていない。
そんなにオニの様子が心配なら主力メンバーに戻してやれば良いのにと人修羅がオニの様子を気にする度に天使のきつい視線が主人の背中に向けられる。
「オニ…」
アークエンジェルがオニに声をかけようと口を開いたとき、先頭を行く主力メンバーが急に立ち止まった。
「ここら辺で休んで行こう」
人修羅の言葉にそれまで黙々と歩いていた仲魔たちが喜びの声を上げる、蜃気楼の中ではどんなにタフな悪魔でも視覚的にも精神的にも疲れを感じやすくなるのだろう。
どこにいても断続的に聞こえてくるマネカタたちの悲鳴を避けるように天使は止まったまま動こうとしないオニの手をひいて、静かな曲がり角まで誘導する。
目の前で覇気の無いオニの顔がぐにゃりと歪み、まるで無表情のまま涙を流している様にアークエンジェルには見えた。
「疲れたな?」
反応など期待していないが、それでも天使は厳しい赤い顔を見ながら問いかける。
予想通りオニは何の反応も示さなかったがそれでも満足そうに羽を震わせて柔かく笑う。
繋いだままの手はオニとアークエンジェルの体温で湿り気を帯びるほど熱くなっているが、それは天使が離れないようにと強く握っているからであって、オニの方はアークエンジェルの手を拒むかのように手を開いたままだ。
手を繋ぐなんてオニは気持ち悪がってすぐに振りほどくだろうと思ったが、そんな感情さえどうでも良いのかオニは黙って手を握られている。
汗で手が滑らないように手を拭こうとアークエンジェルがオニの手を解放すると、その変化に気付いたオニがどこか不安そうな表情を天使に向けた。
「覚えているだろうか、君は」
鎧が被さっていない部分の布地で手を拭いながらアークエンジェルは懐かしそうに目を細める。
「マスターは会話で仲魔にした君を主戦力に加えるために私を控えに追いやったのだよ」
ゆっくりとした口調は恨みなどを一切感じさせず、オニは口を薄く開いたまま過去の話に耳を傾ける。
「自信を失ったよ、それまでマスターにとって自分はなくてはならない特別な存在だと思い込んでいたからな」
自分の気持ちを代弁されているような気がしたのかオニの表情が曇り、天使は悲しそうに微笑んだ。
「今でもマスターを恨んでいる、彼は仲魔を利用するだけ利用して力不足だと思ったらすぐに合体させてしまう酷い悪魔だ、労いの言葉ひとつかけてくれなかった」
オニは思わず主人の姿を捜した、控えの仲魔が休んでいる一角にも主力メンバーがマネカタをからかって遊んでいる牢屋前にも主人の姿はなかった。
彷徨うオニの視線に気付いたアークエンジェルは不満を口にするのを止めて視線の先をたどる。
「マスターを捜しているのか?」
図星を指されて一瞬オニの表情がギクリと強張ったが、天使は気にせず近くを通りかかった仲魔を呼び止めて人修羅の居場所を訊ねる。
「こんなにマスターに対して不満を持っていたのでは今後が思いやられる、ちょうど良い機会だから私はマスターに不満を言いに行くよ」
行動の早さに戸惑うオニにそう告げて天使は足早に通路を歩いていく。
ぼんやりと霞む白い羽が生えた後姿に手を離された時の不安感が蘇ってきて、オニは何の考えも無しにアークエンジェルの後を追った。
「ここに居たのですかマスター」
アークエンジェルの声にしゃがんで何か考え事をしていたらしい人修羅が顔を上げて2体の仲魔を見上げる。
「何か用でもあるのか?」
考え事を中断されて機嫌が悪いのか、苛立ちを隠さない声にオニは体格に似合わず怖気づいて人修羅の視線を避けたが、天使は気にせず話を続ける。
「はい、実はあなたの仲魔でいるのが嫌になったので抜けさせていただきたいと思いまして」
そのものずばりな言い方にオニは身構え人修羅は苦々しい笑みを口元に浮かべる。
しかし人修羅の返答に迷いはなかった、真剣な眼差しを向けるアークエンジェルに不機嫌そうな表情を向けたまま即答する。
「いいさ別に、許可など取らずにさっさと出て行けばよいものを」
天使は人修羅がそう答えることを最初から知っていたような落ち着いた態度で頭を下げると、言葉を付け加える。
「オニも連れて行きますがよろしいでしょうか?」
「え、あぁ?」
驚いたのはオニただ1体だけだった、人修羅は表情ひとつ変えずにオニと天使を交互に見比べると、
「オニが出て行きたいのなら許可する、というより許可を取る必要など無いけど」
と当たり前のように言い放ち、立ち上がる。
「用事がそれで終わりなら蜃気楼を抜けた所までお前たちを送り届けなければならないな」
ウムギの玉を取り出して奥の方で妖しい光を放っている装置に近づける。
もやもやとした色彩の無い空間から急に鮮やかな世界に戻ったせいかくらくらする頭をオニが何度も振っていると、アークエンジェルが蜃気楼の中に戻ろうとする人修羅を引き止めた。
「最後にひとつだけ、私は控えに追いやられる直前まで貴方のためだけに尽くしてきました、それなのに貴方は今までの働きに対する感謝の言葉さえかけてはくれませんでしたね、私の気持ちがあなたには分かりますか?」
アークエンジェルの問いかけに人修羅は軽く肩を揺らして笑ったようだった、なぜ笑うのかと気色ばむ天使に逆に人修羅が問いかけた。
「ならお前は僕の気持ちが分かるのか?」
何かを押し殺したような低い声にさすがの天使も言葉を詰まらせたのか、それ以上なにも言わなかった。
「それじゃ、仲良くやっていけよ」
オニは最後まで文句もお礼も言うことが出来ずに2人に手を振りながら装置の奥に消えていく主人の姿を見送っていた。
主人が2体に見せた最後の表情は、どこかほっとしたような優しいものだった。
人修羅と別れた2体の悪魔は、元マントラのオニたちがまだわずかに残っているイケブクロへ戻るために渇いたボルテクス界を歩いていた。
あんなに強引な分かれ方をした割りに胸がすっきりとしているのは、自分自身このまま人修羅に従っていたくはないという思いがあったからだとオニは自分を納得させた。
うじうじと悩んでいた自分を強引に引っ張ってくれた天使に感謝しつつカグツチが輝く天を見上げたオニの脳裏に突如ずっと思い出せなかった言葉の続きが蘇ってきた。
「そうか、あのときあいつは続けてこう言ったんだ」
何の前振りもなく発せられた言葉にすぐ隣を歩いていたアークエンジェルは首をかしげオニを見る。
"でも、目が覚めた時にまだ眠っている仲魔たちの数を数えると確かに1人分足りないんだ"
そう話して聞かせた誰かの顔を思い出してオニは胸に今まで感じた事の無い焼け付くような痛みを感じて足を止めた。
"誰か"は永遠に合体に使用される仲魔の気持ちを味わう事が出来ない、何故なら"誰か"はどの仲魔とも合体できないからだ。
"私の気持ちがあなたには分かりますか?"というアークエンジェルの問いかけに、"ならお前は僕の気持ちが分かるのか?"と低く呟いた主人の表情は、あのときと同じだったとオニは思った。
オニには同じ不安と悲しみを持ち、共に傷を舐めあえる存在がいた、繋いだ手の暖かさは体温だけの暖かさではなかった。
「どうした?」
黙ったまま急に歩みを止めてしまったオニにアークエンジェルは訝しげに問いかける。
ゴズテンノウのように強くなりたいと小さな悪魔は仲魔になることを頑なに拒否するオニに言った、無理だとオニは嘲笑った。
強さを手に入れるためには多くの犠牲が必要であることをオニは自分の経験から知っていた。
目の前の小さな悪魔は体力的にも精神的にも少し負荷を加えると潰れてしまいそうに見えたから無理だと教えてやったのに、人修羅は主張を曲げなかった。
「強くなるためには仲魔も切り捨ててみせると俺が仲魔に加わるときに言ったんだ」
「全く、彼はそういう主人だった、だから我らも切り捨てられたのだから」
主人を非難する言葉を口にしながらアークエンジェルの表情はどこか満足そうに見えた、オニも天使の言葉に頷く。
主人を失った2体の悪魔の間をしばらく沈黙が支配した。
先に歩き出したのはオニだった、大股で歩いていくオニの後ろを天使が鎧をうるさく鳴らしながら小走りで追っていく。
人修羅が控えに送り込んだ仲魔の気持ちを理解できないように、オニだけでなくこれから先仲魔に加わる全ての悪魔は人修羅の苦しみを理解出来ないだろう、
それでも…と天使が追いつくように速度を緩めたオニはもしかしたらもう2度と会うことが無いかもしれない人修羅のために願う。
いつか人修羅のことを理解してやれる彼と同じ立場の悪魔が現れることを。