■ 闇の中の変人

鉄の鎧が歩いているような騒がしい音が絶えず後方から響いてくる。
その音の発信源は鎧ではなく古びた棺桶なのだが、中に悪魔が入っていると分かっていても底辺を器用に使って移動する姿はオカルトというよりはむしろコミカルで、たまに集団から遅れをとっていないかと確認するためだろうか、開いたふたから顔半分だけ出す仕草は笑いを誘う。
「モト」
親しげな呼びかけに応じてモトが訝しげな視線を彷徨わせると、すぐ前方から煌天のカグツチより眩しいのではないかと思わせる光が飛び込んでくる。
このような光を放つ悪魔は、現在モトが行動を共にしている仲魔のなかでただ1体しかいない。
「さっきまでは棺を床から浮かせて移動していたじゃないか、どうして歩くようになったんだい?」
アマテラスの問いかけを最初モトは無視しようとしていたようだが、興味津々といったまなざしに見つめられて渋々口を開く。
「あの移動のしかたは長時間続けると疲れるからだ、お前も浮遊したり地に足をつけて歩いたりしているではないか」
それくらいのことも想像つかないのか馬鹿め、と言葉には出していないが明らかに目が語っている。
「興味を持ったから訊いてみただけだ」
すました声で返事をしたものの、やはり馬鹿にされたことが悔しいのかアマテラスがムッとした顔をしていると、前方を行く人修羅たちの歩みが止まり、
「休憩にするから各自休んでいいよー!」
と葛城が声を張り上げた。
「やれやれ、ようやく休憩か」
葛城の指示を聞いて棺桶の中に閉じこもろうとしたモトにアマテラスの視線が注がれる。
「何だ?」
まだ用があるのかと億劫そうな声でモトが応じると、アマテラスは少し迷ってから話をきりだした。
「君の棺桶の中がどうなっているのか気になるんだ、良かったら中に入れてはくれないだろうか?」
即座にモトは呆れたような表情を浮かべたが、アマテラスの興味の対象を前に輝いている純粋な瞳を見て考えを変えたようだった。
「ならば入るが良い」
文句ひとつ言わずに自分を招き入れるモトの態度を不審に思うことなく、アマテラスが嬉しそうに微笑む。
「まさか許可してくれるとは、君はいい奴だなぁ」
本心からそう思っているのか顔に満面の笑みを浮かべるアマテラスを、どこか小馬鹿にしたような笑いを浮かべたモトが迎え入れた。

「なぜ眩しいだけが取り柄のお前をただで棺の中に入れてやったか分かるか?」
アマテラスが棺の奥に入ったことを確認すると、モトはすぐにふたを閉ざしてしまった。
生まれた闇を打ち消すようにすぐに光が周囲を照らし出したが、その光は発光源のアマテラスにとってひどく頼りなく感じられた。
「分からない」
自ら望んで中に入ったとはいえ、自分の体から発せられる光さえ簡単に飲み込んでしまいそうな闇の深さにアマテラスはわずかに不安げな表情を浮かべる。
モトの体は予想より逞しく、半分以上スペースを取られてしまっているためアマテラスは窮屈そうに身を縮めて側面に背をぴったりとくっつけた。
湿った息遣いやかすかな筋肉の動き、光と闇が混ざり合う閉鎖された空間の中でそういった要素を感じる器官が鋭敏になっていく。
じっとりとしたモトの視線はそんなアマテラスの変化を一瞬たりとも見逃さずに張り付き、緊張した魔神はごくりと息を飲み込んだ。
「分からないか?」
長い沈黙のあとにモトが口の端を軽く吊り上げて囁く。
「分からない」
重い空気から逃れるために素早く返した言葉の語尾はかすれていて、アマテラスは喉に手をあてて目を伏せた。
「本当に?」
「本当に」
モトの質問をそのまま返したアマテラスは、自分の唇がすっかり渇いてしまっていることに気付いて舌で舐めた。
唇だけではなくかすれた声を出す喉も、頬も、全身が熱く火照って渇いていく中で手の平だけは湿っている。
「あ、あの…ありがとう」
意識して落ち着いた声を出したはずだったが、棺桶の中に響いたものはひどく上ずったかすれ声だった。
それでもこのまま中にとどまると、蜘蛛の巣にかかった獲物のように不安による苦痛を長い間与えられた後に貪り喰われてしまいそうで、アマテラスはどうにか声を絞り出した。
「もうここから出してくれ」
弱々しい声に、モトは楽しくてたまらないといった風に低い笑い声をもらす。
「入れてくれと望んだのはお前だろう、それがこんなに早く出してくれと望むか」
棺桶の中に入れてもらってからまだほんのわずかな時間しか経過していないだろう、明確な理由もないまま怯えるアマテラスを嘲笑いながらモトが再度尋ねる。
「最後に尋ねるが、質問の答えは分かったか?」
今まで以上の圧迫感を感じてアマテラスは気のせいか接近したように感じられるモトから離れようとしたが、狭い棺桶の中で背中は壁に密着していて冷たい感触のみを肌に伝えた。
「愚かな奴め、答えを身をもって知るがいい」
モトの手がアマテラスの肩を強くつかみ、濁った色の足がある一点をめざして上昇した。

アマテラスの膝が細かく震え、崩れ落ちそうになる体を側面に押し付けて固定しながら、なおもモトは膝をぐいぐいと魔神の下腹部に押し付ける。
「もうやめてくれ、モト…」
顔を伏せたままアマテラスが喘ぐように哀願するが、モトは願いを聞き入れずに反応を見せはじめたアマテラスのものに刺激を与え続けた。
アマテラスはなんとかモトの膝を押し戻そうと手に力を入れようとしたが、そうする度にひときわ強い刺激を与えられてビクッと体を痙攣させる。
モトの長い指がアマテラスの顎にかかり、押し寄せる感覚を振り払うかのように左右に揺れる顔を正面に向かせる。
微熱に浮かされる患者のようにぼんやりとモトを見つめる目の下は赤く染まり、わずかに開かれた口から微かな熱い息がもれた。
「答えは分かったか?」
膝による刺激から下腹部を解放したモトが渇いたアマテラスの下唇を親指でなぞりながら奇妙に優しい声で問いかける。
好奇心で覗いた闇に取り込まれて脱出できずに後悔する子供のような表情で、魔神が必死にうなずく。
アマテラスの反応を見てモトは満足そうに目を細めると、
「良かったな、ほら、出て行くが良い」
とふたに手をかけようとした。
「あっ、だ…だめだ!」
天井から細く差し込む薄い光を見て、ぼんやりとしていたアマテラスの目が突然はっきりと見開かれる。
顔には明らかに焦りの表情が浮かんでいて、その表情が今にも泣き出しそうなほど不安に満ちるのを確認すると、モトは棺桶を開く手を止めて薄笑いを浮かべる。
「出たがったのはお前だぞ、入れろだの出すなだの注文の多い奴だな」
「外には…、主人たちがいるかもしれないじゃないか…!」
震える声で告げるアマテラスをモトは鼻で笑った。
「だからどうした、別に困りはしないだろう?」
意地の悪い視線をわざと刺激による熱が収まらないアマテラスの下腹部に向けて尋ねる。
魔神の目がお前が悪いのだと責めるように、あくまでも冷たく突き放すモトをにらみつけた。
「私が…どうすれば君は満足するんだ?」
わずかな沈黙のあと、アマテラスがため息混じりに問いかける。
返ってきたモトの答えににらむ目つきはさらに険しくなったが、手首をつかんだモトの手が促すように誘導すると、屈辱に耐えるように唇を噛みしめて上着の裾を捲り上げた。
「見ないでくれないか?」
息を弾ませてたまった熱を発散させようと自らの手を動かすアマテラスが、じっと視線を注ぐモトの行為をきつい声でとがめる。
「見られていた方が早く終わるのではないか?」
からかうようなモトの声に羞恥心を煽られて、強く噛みしめていた下唇の一部がきれて血が滲む。
モトの言動に反応するだけ意識が集中できなくなり、それだけこの棺桶の中から解放されるまでの時間が長引くと分かっていても、
わざと怒りを煽るような巧みなモトの口調に翻弄されて、アマテラスは感情を抑制することができないでいた。
それでも自分の体から快楽を得る方法をいちばん良く知っている手は緩慢な速度でアマテラスの意識を追い上げ、モトの視線を感じなくて済むように目を閉ざして行為に没頭する。
「…う…あぁっ…!」
擦ることによって生じる淫らな音と自分が上げた喘ぎ声は、誇り高いアマテラスの気分をたかめるどころか余計惨めな気持ちに陥れ、滲むだけだった血がこぼれて顎を伝った。
その血を拭い取ってからモトの舌が血がぷっくりと浮かび上がるアマテラスの唇をくすぐるように這う。
必死の思いで熱を解放したアマテラスの嬌声をモトの口が封じ込めた。

「純粋な興味は身を滅ぼす、ひとつ賢くなれてよかったな」
アマテラスが落ち着いて着衣の乱れを整え始めるまで待ってから、モトが嫌味な口調で声をかける。
明らかに自分の反応を見て楽しむためのモトの挑発を無視し、アマテラスは沈黙を守ったまま乱れた髪や裾を手で整えて冷めた目で魔王を見た。
思った通りの反応がなく、モトはつまらなそうに顔をしかめたが、外から微かに聞こえてきた葛城の
「そろそろ出発するぞー!」
という号令に棺桶のふたを開けようと手を伸ばした。
その一瞬の隙をついてアマテラスの手がモト自身を強い力で握りこみ、モトは外見に似合わない悲鳴を上げて身を縮める。
「私はやられっぱなしが大嫌いなんだ、移動中ずっと私に無礼を働いたことを後悔しながら苦しむが良い」
涙目で足をじたばたさせている魔王の横を涼しい顔で通り過ぎると、アマテラスは外の新鮮な空気を吸って大きく伸びをした。
その後、休憩前に比べて明らかに歩行が乱れた棺桶は、葛城や仲魔たちのからかいネタの対象になってしばらく苦痛と屈辱を味わった。



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