■ 無題
代々木公園を出て強敵と戦ってくる、と言い残してセタンタが姿を消してからカグツチが何度も巡った。
いつまで経っても帰ってこない妖精の身を案じるものの、ハイピクシー部隊の管理などに追われて探しに行くこともできず、
オベロンは時を刻むカグツチを眺めながら、セタンタが無事に帰って来ますようにと願うことしかできなかった。
外の様子を定期的に報告するピクシーの話によると、大きな塔ができて大部分の悪魔たちはその中で争っているらしい。
セタンタもその塔の中に乗り込んでいったのではとますます不安を募らせるオベロンの前に、その悪魔は突然姿を現した。
「久しぶり」
嫌味のない爽やかな好青年はオベロンの姿を見つけると、懐かしい友との再会を喜ぶように満面の笑みを浮かべる。
この青年が成長したセタンタの姿だと妖精王は知っていたが、あまりの変化にぽかんと口を開けたまま驚きを隠せなかった。
「あぁ、えーと、お帰りセタンタ…だった者よ」
明らかに不自然な反応に首をかしげたものの、クー・フーリンは成長を見せつけようとゲイボルグを構えて勇ましいかけ声と共に烈風破を放ってみせる。
鋭い風の波が大木をしならせ、オベロンの脇をうなりを立てて駆けぬけていった。
「どうです?」
誇らしげに胸を張る幻魔に妖精王はショックから立ち直れないまま
「わーすごいすごい」
と手を叩いてセタンタの成長ぶりを褒めたが、気持ちのこもっていない言葉を聞いたクー・フーリンは不満そうに顔を顰めた。
「私がセタンタから変化してしまったことが残念か?」
がっかりしたような問いかけに胸のどこかにチクリと罪悪感のような痛みを感じながらも、オベロンは否定できずにうなずく。
ずっと帰りを待っていた妖精は目の前の若者と同じく白い鎧を身につけていたが、まだ幼さが残る頼りない少年だった。
記憶に残っているセタンタの姿とクー・フーリンを比べながら、妖精王は苦しみを吐き出すように訴えかける。
「仕方ないだろう、いくら成長したからといっても変わり過ぎだ…!」
自分が被害者だと言わんばかりに嘆くオベロンを見て、呆れたように幻魔は批難する。
「まるで私を責めるような口振りだな、素直に成長を喜べないのか?」
「当然だ」
すぐに返ってきた力強い答えにクー・フーリンの深いため息が重なる。
おぼつかない足取りで長身の若者に歩み寄った妖精王の視線は、変わってしまった友の姿を頭の天辺から爪先まで何度も往復し、
居心地が悪そうに視線を逸らして半歩下がる幻魔の嫌そうな顔を見つめたまま停止した。
「私は変わらずに君を待っていたのに君は、君はこんなにも変わってしまった」
冷たい鎧に触れた手が、受け入れなければならない過酷な現実に耐えるかのように小刻みに震える。
「どんな思いで帰りを待っていたと思う?」
震える手を握りしめ、オベロンは返事をしないクー・フーリンの白い鎧を音が鳴るほど強く叩く。
あまりにも悲しそうな妖精王の声に背けられていた幻魔の険しい表情に変化が生じ、槍を握っていない方の手が躊躇いがちにオベロンの肩に触れた。
「師匠や他の妖精たちは変化した私を見て喜んでくれたんだ、だから貴方も喜んでくれるものだと思っていた」
困ったような言葉に妖精王の呟きが弱々しく返される。
「こんなに大きくなってしまって、もう君を抱えて飛ぶことは2度とできそうにない」
「いや、空を飛びたくなったらガルーダに頼むから心配しなくてもいいよ」
ガルーダという聞き慣れない名前にオベロンはそれがどこで出会ったどんな悪魔なのか聞き出す気力もなくしてうつむく。
クー・フーリンは言ってからしまったという風に手の平で口を覆ったが、時すでに遅く妖精王を立ち直らせることは不可能に思えた。
「成長とは置いていかれる者にとって残酷なものだな、短かった髪も、あどけなさの残る目も、マフラーも、全て君から奪っていってしまった」
細い指先がマフラーで覆われていたはずの口元をなぞり、少しでも面影を残すヶ所を探し出すように全身に軽く触れたあと諦めたように離れていった。
「きっと私との想い出も奪っていってしまったに違いない」
口元に残るオベロンの指の感触を拭い去るように幻魔は自分の指で触れられた所をなぞったが、じんと痺れるような疼きを覚えてあわててなぞる指を止める。
いったん火のついた痺れは寂しげな妖精王の声に呼応するかのように強まり、その一部が心臓に流れ込んで思わずクー・フーリンは胸の辺りを押さえた。
「想い出は凝縮されてこの中にたくさん詰まっている、セタンタだったときと同じようにこれからも変わらず貴方との友情を深めたいという思いも」
切ないような痛みを伝えるようにクー・フーリンは自分の胸にあてていた手をオベロンの胸にあて、それだけでは伝え切れない感情をどうにかして伝えようと額を妖精王の額に押し付けて囁く。
「それなのに貴方は私を否定するのか?」
熱を帯びた吐息に唇をくすぐられ、オベロンはたまらず目をつむる。
クー・フーリンの額から伝わってくるはずの暖かさや想いを遮断する額あてがとても邪魔な物のように感じられた。
「それでも私は君が変わったという事実を受け入れることが…」
かすれた妖精王の言葉を遮るかのように、幻魔の落ち着いた声が続きを奪う。
「ならば新しい想い出として1から刻んでいけば良い、私と貴方の関係は深くなることはあっても途切れることはない」
黒色の羽が迷うように何度か羽ばたき、その揺れが止まったとき妖精王は深刻そうな表情を和らげた。
「そうだね、ありがとう」
ようやく笑顔の浮かんだオベロンの右手を、成長したセタンタの両手がしっかりと包みこむ。
「成長できておめでとうとはまだ言えないけれど、いつか君にそう言えるよう努力するよ」
自分の手を包む手袋をはめた手の上に、妖精王の左手が優しく重ねられた。