■ 七夕の置き土産
面白い物を見せてやるとロキに言われて銀座の隠し部屋までついてきたものの、なぜかひどく荒らされたままの状態で放置されている中の惨状にオオクニヌシは渋い顔をしてロキにたずねる。
「この部屋のどこに金目の物が?」
「誰も金目の物を見せるとは言ってないだろう」
床に散乱したコレクションの中から目当ての物を探していたロキは、あまりの散らかりように苛立ったのか足元に転がっていた円形の道具を壁に向けて蹴り飛ばす。
壁に当たって跳ね返ってきた用途不明の物体を受け止めて、オオクニヌシは魔王に付いて来たことを後悔して深々とため息を漏らした。
「だいたいこの部屋は俺のものではない」
あからさまに不機嫌そうな態度をみせるオオクニヌシに部屋を見渡しながらロキが弁解する。
「この部屋の所有者である酒好きのロキが言うには、俺が良く知る何者かがお札とやらを盗むために浸入してそれっきりらしいからな」
見張りも立てていたのに情けないことだと愚痴るロキを前に、アサクサでガラクタ好きのマネカタと楽しげに会話していた人修羅の話しの中に、
お札という単語が紛れていたことを思い出してオオクニヌシは他人事ながら酒好きなロキのことを気の毒に思った。
「まぁ部屋が散らかっていることはお前のせいではないとして、面白い物とはどんな形をしている?」
このままロキ1人に探させているといつになっても終わらないと思ったオオクニヌシが自分も探す手伝いをするためにたずね、見せるまで一切を内緒にしておきたかったロキは多少悔しそうな声で説明する。
「この国の文字が書かれた長細い紙切れだ、先端に穴が空いていて紐がかけられているはずだ」
「なるほど」
記憶を頼りに手で大きさなどを示す魔王の説明に軽くうなずき、鬼神は目ぼしいものだけを持って行かれてしまったようなガラクタだらけの箱に手を突っ込む。
奥の方にはり付いていた粘着質な物体に触れて気持ち悪そうにしながらも、今度は気合を入れて探し始めたロキと共に探索は辛抱強く続けられた。
「だめだ、落ちている物の中には目当ての物はなかった」
ロキの報告を受けていよいよ最後のひとつとなった箱を見つめるオオクニヌシの目に期待の光が宿り、細心の注意を払いながら箱の中身を1つずつ取り出してロキに手渡していく。
途中手応えを感じたのか悪戯っぽい笑顔を状況を見守る魔王に向け、色あせて端っこが破れた紙切れを箱からつまみあげた。
「そう、それだそれ!」
渡されていた箱の中身を放り投げてロキが歓喜の声を上げてオオクニヌシの手から紙切れを奪い取る。
「紐が付いていないようだが?」
形状や受け取った魔王の反応からほぼ間違いないと思いつつ確認するオオクニヌシのすぐ目の前で、字が書かれた表面をひらひらさせて穴が空いているから問題ないとロキは断言する。
「短冊というものだ、竹につるして願いをかける」
「この国に馴染み深い私にとってあまり面白いと言えるものではないが、書かれている文はなかなか情熱的だぞ」
あっさりとした反応にロキはオオクニヌシが日本産の鬼神であることを忘れていた自分の浅はかさを呪ったが、それとは別の方に示された関心に改めて短冊を見つめる。
その興味深げな眼差しに応えるように鬼神は紙に書かれた文字を読み上げた。
「あの人といつまでも一緒にいられますように、死の間際まで共にありますように」
読み上げる声にはなんの感情も込められてはいなかったが、一瞬それがオオクニヌシの願いであるような錯覚をロキは覚えた。
しかしその奇妙な錯覚は鬼神自身の次ぎの言葉によって吹き飛ばされる。
「私には理解し難い感覚だ、いつまでも縛り付けておけば必要のない面まで見えてきて煩わしいだけだというのに」
そう思わないかと同意を求めるオオクニヌシの態度があまりにも意外で、ロキがすぐに首をたてに振らずにいるとさらに眉を顰めて鬼神は続ける。
「人修羅殿にしてもそうだ、創世が終われば2度と会うことがない相手、その間の限られた時を共にするからこそ良いのではないか?」
「なぜ俺に同意を求める、お前がそう感じていればそれで良いだろう」
突き放すようなロキの態度に鬼神はしばらくもどかしそうにしていたが、やがて理解してもらいたいという気持ちに諦めがついたのか
「お前も同じようなことを考えていると思ったのだが」
と残念そうに呟いた。
俯き気味な角度のせいか、オオクニヌシの端正な顔の半分を影が覆い隠している。
そのせいでどこか寂しそうに見える鬼神に対して、心の奥から滲み出てくるやるせなさを感じながらロキはたずねた。
「俺…、いや仲魔たちに対してもお前はそう思っているのか?仲魔でなくなったら最早どうでも良いと?」
「それ以外にどう考えろと?」
きっとした目でロキをにらみつけてオオクニヌシは魔王の両肩をつかんで力いっぱい壁に押し付ける。
突然の行動に戸惑いを浮かべるロキと鼻がぶつかるくらいの至近距離まで顔を近づけて鬼神が低い声を出す。
「万が一、いいか万が一私がお前に好意を持っていたと仮定してだ…!」
肩を押しつけて固定したまま、奇妙な気配を感じて逃げ出そうともがく魔王の口に噛み付くように自分の唇を重ね合わせる。
ムグムグとなにか叫ぶ声を絡めた舌で封じ込め、ロキがすっかり気が抜けて大人しくなったことを確認してから鬼神はゆっくりと唇をはなす。
力を失ったロキの手から短冊がひらひらと舞いながら床に落ちた。
「オオクニッ…」
わずかに赤みを帯びた顔が近づき、濡れた唇が今度は軽く掠める程度に半開きになったロキの上唇をたどっていく。
呆然とした表情で自分を見つめる金色の目を熱っぽい目で見つめ返してオオクニヌシは囁く。
「お前のことを私が好きになっていたとしても、仲魔という枠組から外れてしまえばどうでも良くなってしまうのではないか?」
体にオオクニヌシの重みがかかり、直接肌にふれるごつごつとした固い鎧のおうとつによる痛みを感じながらロキは呆れたようにため息を吐く。
「そう思うのならせめて仲魔でいる間だけでもその感情を楽しめば良いだろう」
そう告げた途端首筋に暖かい息がかかり、オオクニヌシを宥めるための言葉をあれこれ探していたロキは思わず身震いする。
そんな敏感な魔王から身を起こし、わずかに乱れた髪を整えた鬼神の顔はすっかり元の冷静さを取り戻していた。
「一時の気の迷いに惑わされるとは私もどうかしている、カグツチはさぞ盛大に輝いていることだろうな」
「あ、あぁ?」
次から次へと変化していくオオクニヌシの心の動きに付いていけずに面食らうロキの様子を見た鬼神の澄ました表情が崩れる。
「何でもない、今回のことはカグツチの悪戯だと思って忘れてくれ」
笑い声の交じる言葉にどうにか混乱をおさめたロキは
「俺をからかったつもりか、食えない鬼神め!」
と憤慨していたが、オオクニヌシはその抗議を無視して床に落ちた短冊を拾う。
「なにか字を書く物はないのか?」
すっかり怒ってしまって口を閉ざしたままのロキを見て、仕方ないというふうに剣を少しだけ鞘から抜いて指先に傷をつける。
血が滲み出た指を紙に這わせて、ロキには意味の分からない流れるような文字を記していく。
「なんて書いた?」
ぶっきらぼうに訊ねるロキに
「機嫌を直したら教えてやろう」
などと言いながら手と手甲の隙間に短冊をしまい込む。
「卑怯だぞ、おいっ」
出された条件にすぐに文句を言いながら短冊を奪い返そうとするロキの手を素早く避けて、オオクニヌシは魔王の部屋から逃げ出す。
「待てって、それ一応酒好きなロキの持ち物だから無くなったらまずいだろ!」
追って来る困ったような魔王の声に苦笑しながら、鬼神は短冊の隠された手甲をもう片方の手で大切そうに撫でた。