■ 無題
壊滅したマントラ軍の残党が、千晶という指導者を得て成立したゴズテンノウの理想の一部を受け継ぐコトワリに賛同し、集まってきた天使たちと共にヨスガの世のために戦うようになってから、多くの時間が経過した。
初めのうちはお互い干渉せずに行動していたが、全てのコトワリの指導者に守護が降りたことにより激しさを増す敵の攻撃に対応できるようにと、次第にマントラ軍の残党よりも優れた力を持つ天使が鬼たちを統率するようになった。
数十単位で隊を組ませて命令を下すことにより、天使は残党より遥か上の存在として認識されるようになっていった。
そういった関係を示す光景が、今日もヨスガ宮殿へと続く長い階段で行われていた。
一番上の踊り場に立つ天使ドミニオンが、階段を埋め尽くすように列を作って並んでいる鬼やナーガに厳しい表情を見せている。
「何度言ったら分かるんだ!」
ヒステリックに怒鳴り散らす天使の気迫に、跪いていた元マントラ軍の鬼たちは大きな体を萎縮させる。
天使はやれやれといった風に肩をすくめると、整列した鬼たちの合間を縫うように階段を下りながらなおも説教を続ける。
「全くこれだから力だけの下等悪魔は役に立たない、千晶さまがなぜ劣ったお前たちをヨスガの一員として認めたのか私にはさっぱり理解できない」
マントラ悪魔たちを見下す冷たい視線が、鬼に紛れて最後列に加わっているナーガに向けられる。
ナーガは、鬼たちが天使の怒りに耐えるために床すれすれに顔を伏せて表情を隠しているなか、唯一顔を正面に向けて自分たちを罵倒する青い髪の天使をにらみつけていた。
「ふん、そのくせプライドだけは一人前か、扱い難いことこの上ない」
「……」
神によって作られた高慢な羽の生えた生き物に険しい視線を向けながらも、逆らった者の末路を思い出してナーガは怒りを押し込める。
外見はひじょうに美しく、機嫌が良いときに見せる笑顔はどんなに荒んだ悪魔の心も解きほぐす効果をもっているが、自分や神の意に背く者が現れると、繊細な腕を振るって容赦なく叩き潰す。
ついこの前も気の弱そうな鬼がマネカタをミフナシロから連れ帰って匿っていたという事実が判明しただけで、目の前の綺麗な生き物は聖なるいかずちを下し、そのオニは跡形もなくその場から消されてしまったのだ。
いくら気が弱いとはいえ、天使より大きな体格をした鬼がなす術もなく悲鳴を上げて圧倒的な力に敗北した一部始終は、その場に偶然居合わせたナーガの脳に鮮明に記憶されていた。
「次に同じ過ちを繰り返せばどうなるかその大きいだけが取り柄の役立たずな体に直接教え込んでやろう、お前たちの小さな脳でもこの意味を理解できるか?」
天使はナーガから視線を再び隊の責任者である鬼に切り替えると、幼い子供に物を教えるようにわざとゆっくりとした口調で念をおす。
「はっ、はい…ドミニオン様」
緊張しているせいか強張った返事にドミニオンは表情を崩すことなく1度だけうなずくと、羽をはばたかせてヨスガ宮殿の入り口まで一瞬にして戻り、巨大な扉の奥へと去っていった。
「なにが天使だ、あいつら俺たちより悪魔じゃねぇか!」
ドミニオンが去って集まっていた鬼たちのほとんどがそれぞれの持ち場に戻っていったが、少数のマントラ悪魔は閑散とした踊り場に腰を下ろして愚痴をこぼしている。
ナーガはそんな鬼たちの恨みの声を聞きながら、じっとヨスガ宮殿の入り口をにらみつけていた。
階段の脇に並ぶたいまつの火が音をたてて爆ぜ、ナーガの心に重くたまった天使に対する様々な感情もその音と呼応するように深みを増していく。
「あの厄介な魔法さえどうにかしちまえば何とかなりそうなんだがなぁ…」
悔しげにつぶやかれた鬼の言葉を聞いて、ナーガは顔に薄っすらと心の闇と同じくらい暗い笑みを浮かべて槍を握る手に力を込めた。
「何だ?」
扉が2度ノックされ、神経質そうに積み上げられた物資の個数を確認していたドミニオンは不機嫌そうな声で応じる。
何度調べてみても対シジマ用に用意された魔反鏡の数だけがどうしても一致せず、そのことがドミニオンの表情を険しくしていた。
物資の点検など位が高い天使がやるような仕事ではないが、マントラの残党に確認作業をやらせるのは不安だという大天使ガブリエルの発言により、手の空いている天使がやることになったのである。
「今回の物資を運んだのはナーガたちか」
脳裏に階段で説教をしたときにただ一体だけ自分をにらみつけていたナーガの険しい視線を思い出し、ドミニオンは手を止めた。
「物資の搬入を担当した者です、呼び出しを受けて参りました」
なぜ自分が呼び出されたのか、行くように伝えたエンジェルからだいたいの理由を聞かされているのか、声は震えている。
「入れ」
しばらくしてから再び返ってきた天使からの命令に従い、待機しながら自分の企みが成功したときの様子を思い浮かべていたナーガは、笑みの浮かぶ口元を引き締めて扉を開いた。
部屋の中は天井に届く高さまで積み上げられた物資でほぼ埋められていた。
正面にドミニオンの姿はなく、どこにいるのかと視線を彷徨わせるナーガの前に上空から天使がゆっくりと降りてきた。
空中でなびく少し癖のある青い髪や、ボルテクス界にやってくるまで見ることのなかった白い羽の眩しさに、ナーガは天使とはそういう生き物だと分かっていても目を瞠る。
「呼び出した理由は他でもない、お前たちが運んだ物資の中にひとつだけ数の合わないアイテムがある」
床に降り立ち羽をたたんだドミニオンは、そんなナーガの様子など気にせずに話しを始める。
「魔反鏡という、あれは高価なもので元々の数も少ない大切なものだ、心当たりはないか?」
「…さぁ…?」
いい加減なナーガの反応にドミニオンは眉間に皺を寄せて怒り出した。
「さぁではない!どうせお前たちのことだから運ぶ途中で落としたのだろう、隅から隅まで這いつくばって探してくるのだ!」
ナーガはその迫力に打たれたかのように視線を床に落とし、肩を細かく震わせる。
「分かったのなら…」
早く行けと続けようとした言葉は、場違いな笑い声に中断された。
ナーガは肩を震わせて笑っていた、部屋にこだまする不快な声にドミニオンの表情が強張っていく。
「なにが可笑しい、貴様…殺されたいのか?」
「殺す?神の下僕である大天使のそのまた格下の存在であるただの天使ごときが俺を殺すだと?」
笑い声は次第に大きさを増し、侮辱されたドミニオンが冷静さを取り戻し残酷な笑みを口元に浮かべる。
手が天めがけて上昇し、眩い光の線がどこからともなく集まってナーガを取り囲んでいく。
マネカタを匿った鬼を消した天の雷はじょじょにその範囲を狭め、破魔属性の柱になってナーガの全身を包み込んだ。
その瞬間、光がなにかに反射されたかのように砕け散って、ドミニオンは驚く暇もなく返ってきた自分の放った魔法の衝撃に身構える。
破魔に対する耐性があるために返ってきた魔法はドミニオンに傷1つ負わせることはなかったが、予期していなかった結果に対応しきれず生まれた隙をついて、
ナーガが一気に間合いをつめて冷たく光る槍の先端を天使の喉に突きつけた。
「魔法唱えてもいいぜ、槍で喉を貫かれたければな」
近づく刃先を避けようと1歩ずつ慎重に後退するドミニオンを物資が積まれて行き止まりになっている所まで追いつめ、盾を床に捨てて羽に手を伸ばす。
「少しでも飛ぶ気配をみせたらご自慢の羽が折れるからな」
「魔反鏡はお前が盗んでいたのか」
最悪の状況に追い詰められたことで逆に冷静になったのか、ドミニオンは落ち着いた声でナーガに問いかける。
「その通り、お前の魔法は強力だがそれさえ封じれば体力は俺の方が上、恨みを持っている者に物資を運ばせた自分の判断の甘さを呪うんだな」
作戦が成功したことに興奮したのか、ナーガの尻尾が空中で回転して鈴の音が部屋に響いた。
「それで、私の動きを封じてどうする気なんだ?」
羽を握るナーガの手に力が入りドミニオンは痛みに眉をしかめる。
追い詰められたドミニオンをじっと見つめるナーガの喉がごくりと鳴り、耳障りな鈴の音がぴたりと止んだ。
「最初の計画ではこのまま一突きにしてやるつもりだった」
「気が変わったとでも?」
ドミニオンの舌が、ナーガを挑発するようにゆっくりと渇いた自分の唇の上を舐めていく。
「神が作った綺麗な鳥の顔がマガツヒを啜られて屈辱に歪むさまを見てみたくなった…とでも言えば危機管理能力に欠ける天使にも理解してもらえるかな?」
皮膚にくい込んでいた鋭い刃先が白い首筋の表面に浅い傷をつくり、その部分に細い血の筋ができる。
両羽の付け根を押さえたまま、ナーガはその筋に顔を近づけて滲む血をじっくりと味わうように舌先で舐め取っていく。
「思ったより薄味だな」
その感想に生温い物が這う気持ちの悪い感触に体を強張らせていた天使の緊張がわずかにほぐれる。
ナーガの舌は首筋から真っ直ぐ下降し、鎖骨がある辺りの皮膚を歯型が残るほどきつく噛んでからドミニオンの反応をうかがう。
「いっ…」
牙交じりの歯で噛まれたときに生じた鈍い痛みを感じて微かな悲鳴を上げるドミニオンの手が、ナーガの髪をつかんで引き離そうと力を込める。
「そんなに抵抗するなよ、楽しみはまだこれからだぜ?」
尻尾をブーツに包まれた足に絡ませ、緩急をつけて締め付けて刺激を与えながらナーガはニヤリと笑う。
ドミニオンの膝が太腿の付け根辺りまで這いあがってきた尻尾に与えられた刺激に震え、バランスを崩した体は積まれた物資の壁にぶつかってその衝撃に上空から傷薬などのアイテムが降ってきて派手な音を立てた。
「くっ…、残念だったな愚かな悪魔よ、今の音を聞きつけて私の仲間が様子を見にくるだろう、そうなればお前の企みは終わりだ」
着衣の上から胸の突起をやわやわとなぶられ、上下からの絶え間ない刺激に体を反応させながらも、ドミニオンの顔にわずかな余裕が戻る。
その言葉にナーガは名残惜しそうに突起から口を離し、快楽を受けて赤みを帯びた頬やまぶたに唇を這わせてから耳朶を口に含むくらい耳元に顔を近づけて囁く。
「それはどうかな、駆けつけるのがお前の仲間とは限らないぜ?」
部屋の外からは先ほど立てた派手な落下音に気付いた見張りたちの慌しい足音と声がだんだんと近づいてくる。
「こっちの方から聞こえたぞ」
「あぁ、この間俺たちが物資を運んだ場所からだな!」
耳元にかかるナーガの熱い息に、疼くような熱を尻尾が巻きつけられた箇所に感じたドミニオンの目が嫌な予感に大きく見開かれる。
「さて、現れるのは神の助けか、それとも日頃傲慢な天使さまに散々嫌味を言われて反感をもっている俺の仲間か」
見張りたちの言葉からナーガの問いに対する答えは決まったも同然だった、取り戻しかけた余裕の表情を失い熱く火照った体を持て余すドミニオンの揺れる視線の先で、見張りたちの足音がぴたりと停止した。
「しっかし部屋の中に天使がいたら…お前どうするよ?」
「そういえば呼び出し受けた奴も戻ってきてないしな、まぁでも敵に浸入されていましたなんて結果になったら何で様子を見なかったんだってあの怖い天使に怒られるからな」
「あぁそうそう、この前の青い髪の天使、綺麗な顔しているくせに怖かったもんなー」
ひそひそ話が途切れ、扉を遠慮がちにノックする音が2回聞こえた。
反射的に入るなと叫ぼうとするドミニオンの口をナーガの唇が素早く塞ぐ。
「なーんだ、誰もいないみたいだし、さっさと中を確認して戻ろうぜ」
見張りたちの反応に普段の様子からは想像もつかない恐怖に満ちたドミニオンの目が、開いていく扉の先の光景を見て全てを諦めたように閉じられた。