■ 王冠の行方
ここのところ休む暇もなく人修羅にこき使われていた仲魔たちは、銀座に到着して休憩の許可が下されると共に深い眠りに落ちた。
特に、回復と攻撃の両方の面で利用できるという理由で、どの仲魔より人修羅から命令される回数が多かったオベロンの疲労はピークに達していた。
代々木公園で仲魔に加わった者という繋がりもあり、そんなオベロンを不憫に思っていたセタンタは、労働から解放された妖精王を見てほっとする。
夢の中でも人修羅に命令されているのか、オベロンは時折歯をギリギリ鳴らして苦し気なうなり声を上げる。
こんな状態でちゃんと休息できているのだろうかと、悲惨な寝顔を観察していたセタンタにもすぐに眠気が訪れ、欠伸を噛み殺しながら白い妖精は目をこすった。
セタンタ以外の仲魔たちはみんなぐっすり眠っているようで、魔獣のいびきとオベロンの歯軋り以外に目立った物音は聞こえない。
主人も寝たのだろうかと、今にも眠りに引きずり込まれそうな体に鞭打って四方を確認する。
とろんとした目に模様の浮かぶ見慣れた背中が映り、立ってはいないが寝そべってもいないひざを抱えて座っている主人にセタンタは憂鬱になった。
正面に回りこんで寝ているのか確認することは今の自分にとって億劫以外の何物でもなく、それ以外の確認方法は1つしか思い浮かばなかった。
「マぁスター…?」
気だるい口から絞り出された間延びした呼びかけは主人に届き、人修羅はすぐにセタンタの方へ顔を向ける。
"あぁ、まだマスターは起きていたのか"
意識が闇の中に沈む寸前にセタンタはそう判断し、安心したように眠気に身を任せた。
妖精が自分の意識をもう少し長く保つことができれば、呼ばれた主人が見せた表情について不審に思うこともあっただろうが、その前にセタンタはオベロンの隣で安らかな寝息を立て始める。
呼びかけられた人修羅は驚いた顔のままその場で硬直していたが、セタンタが意識を手放して倒れこむとすぐに体の緊張を解いた。
「さてと」
悪魔と人間の中間に位置する少年の目が、寄り添うようにして眠る2体の妖精へ向けられる。
敵悪魔を効率よく倒すために次の指示を考える時と似た冷静さを持った眼差しが、2体の寝顔を見てわずかに緩む。
音を立てないよう細心の注意を払いながら立ち上がった人修羅は、いびきをかくケルベロスを跨いで妖精たちの元へ向かった。
まだ眠気の残るすっきりしない頭を何度か振って、オベロンは上半身を起こした。
隣で寝息を立てている妖精を起こそうかと迷い、結局乱れたマフラーを直すだけで眠りを妨げることはしなかった。
周囲を見回すと何体かの仲魔は目を覚ましていて、中には武器の手入れをしたり訓練に励む者までいる。
感心してその様子を眺めていた妖精王は、誰かから見られているような気がして視線を彷徨わせた。
起きたもののする事がなく退屈そうなケルベロスから、気に入らないことでもあるのか槍の先端を必死に磨くオーディンまで、
仲魔たちの間を往復したオベロンの目は、最後に寝転がっている主人を捉えた。
休憩時間が終わればまたあの少年から命令が飛んでくるのかと思うと泣きたい気分に陥り、すぐに妖精王は視線をそらす。
睡眠のお蔭で回復した魔力も、戦闘が再開されれば最後の一滴まで搾りつくされてしまうのだろう。
そういえば夢見も悪かったような気がする。
次々と嫌な記憶が蘇り、起きた時は何ともなかったオベロンの心はすぐにどんよりとした雲に包まれた。
「逃げようか…」
「すぐに見つかりますよ」
ぼそっと呟いた言葉に反応があり、慌てた妖精王の肩がビクッと跳ね上がる。
恐る恐る自分に向けられる視線に笑顔で応え、身体を起こしたセタンタは両手を上げて大きく伸びをした。
「なんだ、君か」
声で反応したのは人修羅ではないと分かったが、実際に顔を見て確認するまでオベロンは呼吸ひとつ出来なかった。
主人ではないと完全に保証された今も心臓はうるさく鳴り続き、背筋に冷たい汗が伝った。
セタンタはそんな妖精王を心配そうに見つめていたが、ある変化に気付き首をかしげて訊ねる。
「頭軽そうですね?」
「そういえば……えっ?」
セタンタの指摘で初めて自分の身に起こった異変に気がついたのか、オベロンはやけに軽い頭を手で撫でる。
そこに戦闘中はもちろん寝るときさえ外すことのない王のシンボルは無く、髪の毛の感触のみが手のひらをくすぐった。
「無い、無い無い無い無いっ!」
オベロンは真っ先に寝ている間に外れた可能性を考え、自分が寝ていた辺りを中心に王冠を探したが見つからなかった。
セタンタも捜索に加わり、オベロンは上空を飛んで広い範囲を探し回ったが、冠に付いていた飾りひとつ見つからない。
「私が眠る前に確認したときは、確かに冠は貴方の頭の上に載っていました」
妖精の証言に王冠を失った王は青ざめた顔で第二の可能性を考え始めた。
いつもは穏やかに揺れる羽が焦りを表すかのように小刻みに震え、事態の深刻さを伝える。
「盗まれた…」
蝶によく似た羽の動きがぴたりと止まり、オベロンは自信の無さそうな声でもう1つの可能性を導き出す。
仲魔を疑うことにもなるその発言にセタンタはしばらく沈黙し、その可能性も否定できないと静かに頷いた。
「でも、誰が?」
妖精王は再び考え込んだが、セタンタには思い当たる悪魔が1体だけいた。
眠気に負けそうになりながらも声をかけたとき、確かにその少年悪魔は返事をして振り向いた。
「最後まで起きていたのはマスターだ、でも…違うと思う」
敬愛する主人を盗人候補に挙げたくないという想いが働いたためか、今にも消えてしまいそうなセタンタの声は、次の瞬間本人によって肯定された。
「そうだよ、僕がオベロンの冠を盗んだんだ」
うわぁ!と2体の妖精は全く同じタイミングで驚き、気配を感じさせずに近付いた主人から飛び退る。
2体の反応に人修羅は参ったなぁというふうに肩をすくめ、急な出来事に混乱しながらもオベロンはかすれた声を咽から絞り出した。
「何のために」
被害者の問いに犯人は腰に下げている魔貨入りの袋を手に取り、実に呑気な声で
「お金のために」
と答えた。
「あっ……」
出かかった声を飲み込み、王冠は売られてしまったのだと妖精王はすぐに理解した。
悲しみに沈んだ顔は怒りで赤みを増したあと、主人に対する失望の哀しみを浮かべて伏せられる。
「貴方は…私を何だと思っているのですか?」
今まで我慢してきた分が一気に押し寄せたのか、いったんあふれ出した感情は大きな波となって人修羅へ向けられた。
「確かに私は契約を交わしました、貴方は私の主人です!……でも、だからって」
最後にオベロンが発した声があまりに大きかったため、まだ眠っていた仲魔は飛び起き、起きていた仲魔の注目は全て人修羅たちに集まった。
飛び去ろうとする妖精王を赤い服のすそを掴んで引き戻し、暴れる体を人修羅は力でねじ伏せる。
「手に入れたお金の使い道を知りたくないのか?」
息を整え訊ねる主人から逃れようとオベロンは必死に手足を動かしたが、押さえつける少年の体はびくともしない。
「取りあえず邪教の館に来てくれ、説明するから」
頑なな態度に舌打ちすると、抵抗の意思はさらに強くなる。
オベロンが諦めるまで人修羅は待つつもりだったが、いつになっても止むことの無い抵抗についに痺れを切らす。
手首を引っ張って嫌がる仲魔を無理やり邪教の館へ連れて行く少年を、近くを通りかかったシジマ悪魔たちが怯えた目で見送った。
「これだけあれば充分だろ、全書から精霊を喚べるだけ喚び出して欲しいんだ、その後は任せた」
邪教の館に到着するとすぐに、人修羅は魔貨の詰まった袋を館の主に渡して用件を告げる。
逃げ出そうとした罰として合体に使われるのかと怯えていたオベロンは、次々と姿を現す精霊たちを不思議そうに眺めた。
「いいか、僕は君が大好きだ」
掴んだ手首を離さずに、人修羅は妖精が思わず目を瞑ってしまう距離まで顔を近づけて囁いた。
残りストックを埋め尽くした精霊たちは、館の主の手により次々と御魂へと姿を変えていく。
その様子を横目で見ながら少年悪魔は言葉を続ける。
「でも今の君ではこのさき辛くなることは目に見えている、レベルを上げるにしたって限界はある」
語る主人の目には狂気にも似た光が宿り、必死に頷きながらオベロンは人修羅の本気を痛いほど感じてた。
「君は主人なら何をしても良いのかと怒るけど、僕は主人という権力を乱用する結果になっても君を強くするためのお金が欲しかった」
昂ぶる気持ちを落ち着けるように深呼吸をして、少年は妖精をぎゅっと抱きしめた。
「君が傷付くことなく僕の隣で戦い続けるための、いつまでも隣に留めておけるだけのお金が欲しかったんだ…!」
オベロンはそっと主人の背中を撫でた。
手袋をはめているせいで肌の温もりや滑らかさを感じることは出来なかったが、想像することはできた。
「全く…貴方には参りましたよ」
困ったような呟きに対し、人修羅は妖精王の肩にぐいぐいと額を押し付けて照れ隠しをする。
並んだ御魂を全て取り込むには何回合体台の上に乗れば良いのか、売られた王冠はいつか取り戻すことが出来るのか。
考えれば考えるほど自分勝手に計画を進めた主人に腹が立ったが、呆れてしまうほど単純な自分への想いを知り、オベロンは憎みきれない少年の背を優しい手つきで撫で続けた。