■ 亀専用目覚まし時計
寝起きの悪いゲンブを起こすことは、セタンタが最も嫌う役目のうちのひとつだ。
命令されれば引き受けないわけにはいかないが、自分ではなく他の仲魔に頼んでくれないものかといつも願っている。
もっとはっきり心の内を明かすと、何故自分がこんな雑用をやらなければならないのか。
文句を言ってみても最終的には、
「ゲンブ君にいつもの頼むよ」
と手の平をすり合わせて頼む主人の命令を断れず、大いびきをかく龍神のもとへ向かう。
遠慮がちに甲羅を叩き、中に引っ込んでしまった本体にセタンタは呼びかけた。
「休憩は終了しました、いつまでも寝ていないで出てきて下さい」
甲羅の中から返事は無く、赤い頭が不機嫌そうに長い首を伸ばして妖精を威嚇するように噛み付くまねをする。
脅しには慣れているのか、妖精はたいして驚きもせずに槍の先端で飛びかかろうとする頭部を牽制した。
鼻先に刃先を突きつけられて怖気づいたのか頭部はすごすごと引き下がったが、甲羅は相変わらず何の動きも見せない。
「今回こそは穏やかに済ませたかったのですが……」
起きてくれないなら仕方ないと、セタンタは槍を構え直して烈風波発動の準備を整える。
対ゲンブ用の最終手段。
最初のうちは仲魔を傷つけることに妖精は抵抗を感じていたが、同じ事を繰り返すうちに、罪の意識はピクシーの羽より軽くなりつつある。
呼吸を整え、びくともしない甲羅に狙いを定めて腕に力を込める。
セタンタの行動を見て真っ赤な顔を一瞬にして青に塗り変えた頭部が慌てて避難しようと本体の中に首を押し込み、大きめの甲羅はガタガタと激しく揺れた。
「ちょっ、出て行けって……」
「自分こそもっと縮こまれ、入れないじゃないか!」
頭2つぶんのスペースを確保するには狭い甲羅の中で、お互い文句を言い合いながらゲンブは押しくら饅頭を続けている。
これまでの戦績はどちらとも2勝2負5引き分けで、今回はどちらの勝になるのだろうかとセタンタは槍を構えたまま結果を待った。
会話から察するに本体の方も目が覚めているのだから、どちらが烈風波の餌食になるかで揉める前に"起きたから攻撃するな"と言えば良いのに。
そこまで頭が回らないのか、毎回同じ過ちを繰り返すゲンブを起こす作業を面白く感じ始めている自分に気付き、そんなはずは無いとセタンタは慌てて頭から考えを追い払う。
「おいっ、小さいの!」
呼ばれて、自分のこととは気付かない妖精にもう1度負けそうな本体が大声で呼びかける。
"小さいの"と連呼され、それが自分のことだと分かってもセタンタはしばらく無視を続けていたが、ゲンブがあまりにしつこいのでムッとした表情でにらむ。
ぷくっと頬を膨らませる妖精を必死そうな顔で見上げ、
「武力でしか相手を説得できないとは未熟の極み、たまには頭を使ってみたらどうだ頭を」
頭という部分を特に強調して亀の頭は訴える。
突然なにを言い出すかとセタンタは言葉を失ったが、ゲンブの言葉は幼い妖精の自尊心を刺激するには充分だったようだ。
構えていた槍を下ろし、心を落ち着けるためか、静かに目を閉じて胸にたまった息を吐き出す。
自分の作戦が成功して、セタンタが攻撃の姿勢を解いて安心したのか、ゲンブたちは押し合いを止めた。
妖精が次にどんな行動を取るのか、長い首と短い首が興味深げに動向をうかがう。
そこへ、急ぎの用でも出来たのか、人修羅がなかなかゲンブを連れて戻ってこないセタンタを呼びにやって来た。
「ゲンブ君、あまり僕たちを困らせないでくれ……ん?」
主人自らの登場に慌てて体を起こすゲンブに困ったように言い聞かせ、人修羅の目は何か深刻そうに考え込んでいるセタンタを捉える。
腕組みをして、どうやってゲンブを説き伏せようか悩む妖精は主人の登場に気付いていない。
口説き落としてみようか、挑発してみようか、もっと別の方法を模索してみようかとセタンタの表情は真剣そのものだ。
「どういう状況なわけ、あの妖精?」
そばにしゃがみ込んでこっそり訊ねる主人に、ゲンブは言い難そうに顔を顰めながらも正直に説明をする。
「そーれはまた結構なことで」
お仕置きのつもりなのか甲羅の上に腰かけ、人修羅は重みに耐えかねて呻くゲンブの上で億劫そうにうな垂れた。
セタンタの思考をすぐに中断させても良かったが、たちの悪いことに人修羅の心の中にも、セタンタがゲンブたちの勝負に対して感じたものと同じ好奇心が芽生えていた。
生真面目な妖精がどんな方法でゲンブを説得するのか、その行方を見届けるための時間なら割いても良いかと少年は決断したようだ。
"分かっているじゃねぇかご主人さん"と言いたげな視線を向けるゲンブに、"調子にのるな"と人修羅は尻に全体重をかけた。
主人と龍神に見守られ、ついに意を決したセタンタは閉じていた目を開いた。
視界に説得対象のゲンブと共に主人の姿が入り妖精はひどく慌てたが、
「構わず続けてくれ」
と軽い口調で促され、気を取り直してゲンブと向かい合った。
ごくり、とマフラーで隠れた妖精の喉が鳴る。
今や勝負の結果は自分のプライドを守る以上の重みを持ってセタンタの背に圧し掛かっていた。
主人に武術だけでなく話術も優れている悪魔だと認めてもらえるか否か、妖精の気迫に対し、ゲンブも体を固くする。
槍を握る手の平に汗が滲み、緊張で声が上擦ることを自覚しながらセタンタは寝坊の常習犯への説得を開始した。
準備を完璧に整えてすぐそばで指示を待つ仲魔に、人修羅が申し訳なさそうに手の平をすり合わせて頼みごとをする。
頼みごとの内容は命令を受けた悪魔のレベルを考えれば失礼極まりないが、白い鎧に身を包んだ悪魔は気にした様子もなく素直に了承する。
「わざわざお前に頼まなくても起きてくるように、僕がビシッと命令しなければいけないんだけど」
毎回そう言いつつも悪習を断ち切れず歯切れの悪い主人に、なにを今更といった冷ややかな視線を浴びせつつ悪魔は応える。
「別にもうどうでも良いのですよ、それに……」
口元に悪戯っぽい微かな笑みが浮かぶ。
「まだ1勝もできていないのですよ、私が勝てるまで責任を持って続けさせていただきたいものです」
表情どおりのどこかこの雑用を愉しんでいるような声でそう言い残し、クー・フーリンはいつもの場所へ向かう。
"小さいの"と呼んでいた存在が"大きいの"に変化しても、龍神は目覚まし係に接する態度を改める気は全く無いようだ。
自分を起こすためだけに近付いてくる幻魔を、首を長く伸ばした頭部が嬉しそうに出迎えた。