■ 01.イニシアチブは誰のもの?
悪魔の足が地面から離れ、両膝をついて最期のときを待つ妖精へ飛びかかる。
手の中にはへたな武器よりもずっと強い殺傷能力を持つ鋭い形状の気の塊が握られ、それが放たれたときに自分の生命が終わるのだと覚悟を決めて妖精は静かに目を閉じた。
見かけで敵の強さを判断してしまった自分の愚かさが敗因だ。
話しかけて相手を油断させてその隙をついたつもりが失敗して、逆に敵の怒りをかってしまった。
これだけ強い悪魔たちに命を絶たれるのなら誰も責めはしないだろう、死ぬ間際までこの戦いの反省をしながら妖精は死の訪れをじっと待った。
風圧と目を閉じていても分かる敵の殺気、その殺気が急に薄れたと思った瞬間妖精の体のすぐ横の地面を放たれた気が抉り取っていく。
はっとして目を開いた妖精の視界に飛び込んできたものは興味深げな敵悪魔の眼差しだった。
「うわっ…!」
驚いて上半身を仰け反らせる妖精の全身を一通り観察し終えると、悪魔は首をかしげて訊ねる。
「セタンタ、仲魔にしてあげようか?」
弾かれたように悪魔に向けられた妖精の顔は怒りの感情で大部分が占められているようだった、歯を噛みしめてきつい視線を送るセタンタに悪魔の手が差し伸べられる。
「誰が…誰がお前のような悪魔のなり損ないに協力するものか!」
一方的な誘いを怒りに震える手で払いのけて、自分で意識した以上の大きな声で否定する。
悪魔は声の大きさに驚いたようだった、プライドを傷つけられた怒りを全身を使って表現する妖精から数歩離れて距離を置く。
セタンタの暴言に交渉を持ちかけた者の仲間と思われる悪魔たちの表情が険しくなって状況がさらに悪化したが、死を覚悟した者の強みだろうか怖気づいた様子はない。
「なり損ないとは失礼な、誰がそういったかは知らないけどマガタマを飲んでいる間はちゃんとした悪魔だ」
ビチビチと動く虫のような物体を口から取り出してセタンタの目の前でまた飲んでみせる。
平然とした顔で生きた虫のような物体を飲み込む人修羅にセタンタの表情が軽蔑の感情を浮かべて歪む。
「そうやって何かの力を借りないと悪魔になれない時点でなり損ないでしょう、殺す気がないのなら早く立ち去ってください」
そう言って槍を杖代わりにして立ち上がった妖精にまた人修羅の手が差し伸べられる。
すぐにでも払いのけてやりたいとセタンタは冷たい目を向けたが、その表情が手の平にのっている物を見た瞬間に暗く陰る。
「分かった、今回は諦めよう」
あまり残念そうには聞こえない人修羅の声に、彼の仲魔たちが止めをささないのかと批難の声を浴びせる。
セタンタは差し伸べられた手の平を見たきり黙ってしまっていたが、仲魔たちの批難に困ったような表情を浮かべる人修羅の顔をじっと見つめると低い声で
「貴方は全く分かっていないようですね?」
とつぶやく。
「分かるよ、仲魔になることは生命を主人に預けるってことだからな、僕に共感も尊敬もしていないお前が拒否するのは当然の権利だろうし、
それに無理強いして連れて行ったところで主導権が僕にあると認めていない悪魔が命令通りに動いてくれるはずないだろう」
「違う、そういった当たり前のことではなく…!」
激昂して叫んでしまった言葉の先をつなげられずに、セタンタは拳を強く握りしめて喉元まで出かかっている熱い形にならない想いを飲み下す。
主人として認める気がしない悪魔相手になぜこんなに苛立ってしまうのか、冷静にならなければと乱れたマフラーを整えて人修羅の手にのっている物を受け取った。
「情けをかけたところで貴方の仲魔にはなりませんよ」
受け取った宝玉は早速役目を果たそうと暖かい気の流れのようなものをセタンタの体中に送り込んで傷ついた体を癒していく。
傷が癒えて槍に縋るようにして立っていた妖精が自分の力だけで立てるようになる過程を和やかな表情で見守りながら、人修羅が1度だけうなずいた。
「生きていればまた会えるだろ、礼はそのときにしてもらうからいいさ」
セタンタの反論を招きそうな言葉を残し、不満そうにことのなりゆきを見ていた仲魔たちを引き連れて人修羅は去っていった。
それぞれプライドもこの世界で為したいこともたくさんあったに違いない悪魔たちが、そういった思いを捨ててまで尽くしがいがあるとはお世辞にも言えない半端ものの悪魔に従う姿を、
セタンタは一行の姿が見えなくなるまで複雑な思いで見つめていた。
「君らしくありませんね、なにか悩みでもあるのですかセタンタ?」
見晴台の上からぼんやりと地上を眺めるセタンタに同じ妖精のオベロンが声をかける。
代々木公園を騒がせたサカハギによる事件は人修羅たちが呼び出されたギリメカラ共々倒したことにより解決し、オベロンは先程までその後の見回りや対応に追われていた。
「悩みと言うか、解消できない苛立ちに取りつかれてしまって何かをする気力が起きないんだ」
オベロンがセタンタと同じ場所に視線を向けると、ティターニアの魔法からあたふたと逃げ回る人修羅たちの姿が小さく確認できた。
「ティターニア…いくら実力不足の者に仲魔になるように誘われて腹が立ったとはいえまだ追い回していたのか」
呆れてため息交じりのオベロンのつぶやきにセタンタの顔に苦い色が浮かぶ。
「オベロンはどう思う、悪魔と認めることも躊躇われるほど未熟な者を主人として受け入れている悪魔たちを…どう思う?」
「なかなか手厳しい発言ですね」
オベロンはセタンタの問いかけに愉快でたまらないといったふうに肩をゆすって笑う。
緑色のドレス姿が鮮やかに舞うたびに悲鳴を上げて逃げ出す人修羅たちと不機嫌そうなセタンタを交互に視界に収めながら話し出す。
「それは仲魔になった者の言い分を聞かなければ分からないことでしょう、強さ以外に悪魔たちを惹きつけた何かが彼にはあるのかもしれませんし」
見晴台の上にいる夫に気付いて楽しそうな表情で手を振るティターニアに応え、オベロンは蝶のような羽をはばたかせる。
「実はサカハギによる事件が解決したあと人修羅と話す機会がありまして、なかなか面白い悪魔だと思いましたよ、悪魔である我々にはない特別なものを彼は持っているのかもしれませんね」
「その特別な何かはプライドを捨てて命令に従うだけの価値があるものだろうか?」
真剣にオベロンの話に聞き入っていたセタンタの問いは、半分は自分に向けられたもののようだった。
苛立ちは消えていなかったが、それ以上に人修羅に対するある感情が心の奥底からわき上がってくることをセタンタは感じていた。
その感情は興味かもしれない、主人として認められた彼にどんな魅力があったのかオベロンの言葉を聞いて確かめてみたいという思いに槍を握る手に力が入る。
敵として戦い、罵倒され、仲魔になることを拒まれたにも関わらず宝玉を渡してきた人修羅の甘さが気に入らなかった。
何より死を覚悟したあの場面で仲魔にしてあげようかなどとプライドを傷つけるような真似をしたことが許せなかった。
自分の価値観と照らし合わせてそういった甘さや行動は最も嫌悪するべきものであるはずなのに、それ以上に人修羅を知りたい気持ちが上回っていくことをセタンタは止めることが出来なかった。
「そんなに深く悩まなくても良いことではないでしょうか、自分のプライドにこだわるより選ぶべきものがあった、それで良いではありませんか?」
オベロンの諭すような言葉にセタンタは応えることなく黙って天を見上げた。
「本当に良いのか?」
戸惑いを隠しきれない顔で確認する人修羅にセタンタは跪くことで答えを返す。
「僕の決定が常にお前を束縛することになるんだぞ、分かって言っているのか?」
再度確認してもセタンタの態度が変わることはなかった、主人と認めた者の顔を見上げて彼なりの忠誠の台詞を口にする。
「主人として相応しいと判断できる間は主導権は確実にあなたのもとにある、しかし判断するのは常にこちらだということを忘れないで欲しい」
セタンタからの言葉に仲魔たちがうなずいたり、にやにやと笑ったりとそれぞれ反応を示し、人修羅は跪いたままの新しい仲魔と同じ高さで顔を向き合わせることができるようにと、身を屈めてセタンタの目を穏やかな表情で見つめる。
「その言葉肝に銘じておくよ、主人として、そして共に戦う仲間として君を歓迎する、ようこそセタンタ」
人修羅の言葉と、仲魔たちからの歓迎の声にむず痒い感覚を覚えたものの、それは宝玉と同じように暖かく自分を満たしてくれる快いものに感じられ、セタンタは心からの笑顔を浮かべた。