■ 10.次ぎの世でも

「本当にそれで良いのか?」
確認する人修羅の顔は嬉しさ半分不安半分で、クー・フーリンの中にまだわずかに残っていた迷いはその表情によって完全に消え去った。
「決断する時間を下さったことを感謝します」
目を細めて笑顔をみせる幻魔へ、人修羅は信じられないといった表情で震える手を差し伸べた。
少し前クー・フーリンの顔を嫌悪感で歪めさせた手は、腫れ物に触るように幻魔の額に触れ、顔の輪郭をたどるように頬を撫でていく。
その手に手袋をはめた手を重ね、まだ不安そうに自分を見ている金の目を見つめ返す。
「もうだめかと思った、お前を永遠に失うのだと覚悟していたのに…」
重ねられた手を人修羅は強い力で握り締める。
「もう2度と僕を不安にさせるな、僕の元から離れるな!」
閉じ込めていた想いを爆発させて叫ぶ主人を落ち着かせるように、クー・フーリンは静かな声で応えた。
「マスターの不安は私の不安、今の世でも、たとえ次ぎの世がどんな姿になろうとも、もう2度と貴方の側を離れません」
感情の命じるままに主人を抱きしめようと背に伸ばした腕は弾かれ、人修羅の大きく広げられた両腕が幻魔の体を包みこんだ。


カグツチは滅び、創世の可能性を失った呪われた世界を人修羅はクー・フーリンと共に歩いていた。
空気は重くよどみ、不吉な色をした空のいたる所で毒々しい模様の悪魔鳥たちが縄張り争いを繰り広げ、犠牲者の血しぶきが小雨となって降り注ぐ。
渇いてひび割れた地面を歩き続けても周囲の景色はいっこうに変化を見せず、あちこちに散らばる悪魔の死体だけが進んでいるという実感を与えている。
そんな地獄のような世界を旅しながらも、人修羅の顔に後悔の色は微塵も浮かんでいない。
「疲れないか?」
主人の気遣いにクー・フーリンは足を止めて周囲に餓えた悪魔の姿がないか確認する。
「いえ、体力には自信がありますので」
遠慮ではなく本心からの言葉に人修羅は額に浮かぶ汗を拭いながら涼しげな表情の幻魔を見上げる。
「これからどうすれば良いと思う?」
何故かわくわくしたような表情で訊ねる主人に、幻魔も少し嬉しそうに笑って応える。
「我々に行くあてなどないのです、ならば行ける所まで行くしかないのでしょう?」
この世界は悪魔の千年王国だと老婆と子供はパニック状態に陥った人修羅に告げた。
創世出来なかったことを悔やむ気持ちより先に、頭の中が真っ白になり人修羅はしばらく黙ったままその場に立ち尽くしていた。
様々な困難を乗り越えるうちにクー・フーリンを除いて変わってしまった仲魔たちは、変わり果てた世界の様子を探るために人修羅の元を離れて行った。
これからどうすれば良いのでしょう?
主人の身を案じてうろたえる幻魔を見て、逆に自分がなんとかしなければと気持ちを落ち着けた人修羅が出した答えそのままをクー・フーリンは口にする。
「そうだった、僕がそう言い出したんだよな」
悪戯っぽい笑顔と共に差し出された模様の浮かぶ暖かな手をクー・フーリンはしっかりと握った。
この手を離そうかと迷ったとき、離さず従い続けることを選んだあのときの自分に感謝の気持ちを感じながら幻魔は主人に告げる。
「貴方と共にどこまでも行きましょう」
「お前と共にどこまでも行こう」
人修羅もクー・フーリンと全く同じタイミングで、セタンタのときからずっと自分に従ってきてくれた幻魔に告げる。
告げ合った言葉にお互い嬉しそうに笑い合いながら、人修羅と白い幻魔は悪魔たちの悲鳴や喚声が響き渡る呪われた地の最果てを目指して再び歩き出す。
「どんな世界であろうとも、貴方と共に歩める世界なら私にとってそこは至高の世界です」
頑張って歩くぞと張りきる少年悪魔の声にかき消されそうな小さな声で、クー・フーリンは幸せそうにつぶやいた。



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