■ 02.誓約のその日
セタンタの目に映る現象は、巨大な装置を使った手品を見せつけられているような一種の不安さえ感じさせるものだった。
あの中で短い間を共に過ごした仲魔たちはどうなってしまったのか、想像すると目頭が熱くなってしまい、とっさにそばで同じ現象を見守っている悪魔の手首をつかんだ。
たまたま手袋を外していたせいか、直接伝わる肌の感触が少しだけ心を落ち着かせてくれる。
血の通った暖かい手首だと思った、この腕の持ち主が共に戦ってきた仲魔2体に残酷なことを告げたと思いたくはない暖かさだった。
悪魔になった人間の心とはこの行為を表情1つ崩さず見守れるほど冷たくできているのか、最初から悪魔だった自分の方が余程あたたかい情をもっているのではないか、
新しく召喚された悪魔のもとへ向かおうとつかまれた手を振りほどこうとする人修羅の手首を、セタンタは跡が残りそうなほど強く握りしめる。
それでも人修羅はセタンタの指を一本ずつ引きはがして悪魔のもとへ向かった。
悪魔と人修羅が誓約の儀式を交わすさまを他の仲魔たちのように穏やかな表情で見守ることはできそうになかった。
ずっしりと胸に圧しかかる冷えた重みを感じながら、セタンタはひとり無言のまま邪教の館を脱け出した。
アサクサは相変わらず復興に勤しむマネカタで賑わっていた。
サカハギというひとつの脅威が取り除かれたにも関わらずフトミミが安全宣言を下していないためか不安の影がちらつく物の、
それでもサカハギが徘徊していた時と比べれば格段に街の雰囲気は明るくなっていた。
マネカタにとって悪魔といえばマガツヒを搾り取る残忍な生き物であったが、成り行き上とはいえカブキチョウで自分たちを救ってくれた人修羅が連れている悪魔たちを警戒するマネカタはいない。
復興した先で出会った地霊たちが友好的なこともあり、悪魔に対する恐怖心そのものが薄くなってきているようだ。
そんな事情もあり、ジャンクショップの前で立ち話をする3体の悪魔に特別な関心を寄せるマネカタはいないようだった。
「一刻も早く慣れることだ、君がどんなに悩んだ所で主人が強力な仲魔を手に入れる方法はあれしかないのだから」
3体のうち1体の悪魔、鬼神オオクニヌシの手が落ち込んでしまった妖精の頭を労わるようになでている。
小さな子供をあやす仕草を少し離れた位置で観察していたロキが、
「鬱陶しい奴め、そんなに悲しいなら全書から呼び出してもらえ、相応のマッカさえ払えばあいつのことだからやってくれるだろ?」
と小馬鹿にしたような口調で提案して、オオクニヌシから批難の眼差しを向けられる。
「下っぱ魔王の戯言など気にするな」
優しい兄が弟を慰めるように、悩み苦しむセタンタをフォローする者の気持ちを汲む気などさらさらないのか、下っぱ呼ばわりされたロキは重要なことを思い出したかのように手の平をポンと叩いて付け加える。
「あぁ、最もあいつが全書に俺たちの情報を上書きすることを怠っていなければの話しだがな」
「ロキ、それ以上余計なことを言ってみろ、お前…」
怒気を含んで険しさを増す鬼神の表情を面白そうに眺め、
「ただじゃ済まない…か、別に構わないぜ、どうせ俺が勝つし」
と牽制するオオクニヌシの言葉を遮ってご丁寧に結果まで予測してみせる。
「なにを言うか外道め、全くお前という癌を野放しにしている主人の気がしれぬ」
ロキの挑発とも受け取れる発言にすっかりけんか腰のオオクニヌシの眼中に、言い争いの元凶となったセタンタの悩みのことなど欠片もないようだ。
剣を構えた鬼神と冷気をまとい始めた魔王の決闘を観戦するために子供マネカタたちが集まり始めるなか、セタンタはため息を吐いて2体の悪魔のもとから立ち去った。
施設が並ぶ通りを抜けて、静けさを求めてたどり着いたミフナシロ方面に通じる門の前で、今だけは視界に入れたくなかった悪魔の姿を見つけてセタンタは足を止める。
悪魔の方はセタンタより早く相手の存在に気付いていたようだ、そばに来るように手招きをする動作はどこかぎこちない。
「お前が急にいなくなるからみんな心配したんだぞ?」
足を止めたまま近寄ろうともしない妖精にかけられた言葉は心に染み入るように優しく、それゆえにセタンタは苦しさを覚えてうつむいた。
土木作業から戻ってきたマネカタたちの話し声がやけに遠いものに聞こえる、重苦しい沈黙のなかで主人はどんな表情で自分のことを見ているのかということのみが気にかかった。
「最初はみんなショックを受けるんだ、僕も例にもれずだったけど慣れっていうのは怖いものだよな」
先に沈黙を破ったのは人修羅の方だった、話しの内容は邪教の館での自分の行動に関するものだとすぐに理解できたものの、淡々とした言葉に理不尽な怒りがわきあがってきてすぐに反応することができなかった。
オオクニヌシが言ったように人修羅が強力な仲魔を加えるには、あの忌わしい機械に2体の仲魔を捧げることが1番確実な方法なのだろう、
仲魔を犠牲にしてまで強さを手に入れなければならない状況は主人が自ら望んだものではないと分かっていても、一度火がついた感情を飲み下すことは難しく思えた。
「分かっています、新しい仲魔の誕生は喜ばしいことだと、自分が仲魔に加わったときに受けた歓迎と同じ暖かさで迎えるべきものだと」
震える声に込められた想いに人修羅の口元が寂しげな笑顔を形作る、かつて自分が感じた悪魔合体に対するやりきれなさを今身をもって体験している妖精が愛しくてならないという風に。
「無理するなセタンタ、その痛みに無理に慣れようとするんじゃなくて覚えていて欲しい…もう慣れてしまった僕や仲魔たちの代わりにその痛みをいつまでも覚えていて欲しいんだ」
人修羅との距離はいつの間にか縮まっていた。
仲魔に加わることを求められたときのように真っ直ぐに差し伸べられた手を両手で握る。
厚手の手袋越しに握った主人の手はなんの情報も伝えてこなかったが、邪教の館でとっさにつかんだときの体温と感触を思い出すとやはり少しだけ心が落ち着いていく。
きっと血の通った暖かい手なのだろうと思った、この手を持つ悪魔を主人に選んだことをセタンタは間違いだとは思わなかった。