■ 04.最優先事項
赤信号が点滅している。
危険を知らせるその色は肌色の皮膚の上に現れた血管のように見え、しばらくセタンタの目を釘付けにする。
「そんなに興味深いか?」
オオクニヌシに支えられる格好で足を引きずって歩く人修羅がうめくような声で問いかけてきても、黙ってうなずくことしかできなかった。
妖しい赤、鮮やかな赤、揺れる主人の背を走る異常なまでに自分を惹きつけるマガツヒの赤。
じっと見つめていると、喉に感じる熱が胸の奥まで下降してじんわりと沁み込んでいくようで、その不思議な熱を振り払おうとセタンタは何度か頭を振った。
「セタンタ来てくれ」
前を行くオオクニヌシが主人の顔色をうかがいながら呼びかける。
その呼びかけに反応し、セタンタは自分の中に熱をもたらす赤いラインから目を反らし、オオクニヌシの隣に並ぶ。
毒におかされて1歩進むごとに体力を失っていく人修羅は最悪の状態で、いくら惹きつけられたからとはいえ主人の安否よりも模様に気を取られていた自分をセタンタは恥ずかしく思った。
回復魔法を使える者がいないこの状況で人修羅を救う手段は回復アイテムを使うか、泉の聖女に回復してもらうかのどちらかなのだが、
回復の泉まではまだだいぶ距離があり、回復アイテムはすでに底をついていて道具袋の中には魔石ひとつ残っていない。
「このままでは転送場所にたどり着く前に主人が倒れてしまう、先にアサクサに行って回復薬を買ってきてくれ」
オオクニヌシの頼みを聞いて、セタンタは少し不満そうな顔をした。
「どうした、行くのか行かないのか?」
返事をしないセタンタに、オオクニヌシが人修羅の方に顔を向けたままたずねる。
とうとつに自分も人修羅の顔を見たいという思いが心の中にわき上がり、セタンタは主人の方へ視線を向けた。
人修羅の表情は様子をうかがうオオクニヌシの顔に重なって隠れてしまい、セタンタの位置から確認することはできない。
前に回りこめば見えそうだが、衝動的な感情の命じるまま主人の表情を確認したとして自分はいったいなにを得ようとしているのか、そこまでする理由が分からずセタンタは込み上げてくる感情を抑えた。
「セタンタ…?」
いつまでたっても返事がないことに痺れを切らしたのか、オオクニヌシが苛立った表情でセタンタの名前を呼ぶ。
その声に抱えていた不満に火がついたのか、キッとオオクニヌシの顔をにらみつけてセタンタは感情を爆発させる。
「そんなこと自分でやればいいじゃないか、私はこの場に止まってマスターを守りたいんだ!」
予想もしていなかったセタンタの返答に、オオクニヌシは何を言えば良いのか見当もつかずに、歯をきつくかみ締めて怒っている妖精を気の抜けたような表情で見つめる。
そんな鬼神に追いうちをかけるように勢いに乗ったセタンタが、
「私は…私に命令できるのはマスターただ1人だ、マスターに命令されない限り私は絶対にこの場から動かない…!」
と苦いものを吐き捨てるように荒い呼吸と共につぶやいた。
セタンタの剣幕に敵が襲ってこないように周囲を警戒していた仲魔たちがいっせいに騒動の原因に目を向け、人修羅は困ったような顔で首をかしげた。
「お前なぁ…」
顔を真っ赤にさせたまま歩みを止めてしまった妖精にあきれた様な視線を向けてオオクニヌシが何か言おうと口を開いたが、その言葉を制するように人修羅が鬼神の口を手のひらで封じた。
「それならセタンタ僕からの命令だ、この先のターミナルを使ってアサクサに戻り、ディスポイズンと傷薬を買ってきて欲しい」
人修羅が袋からマッカを取り出して差し出すと、セタンタは途端にそれまでの勢いを失い、沈んだ表情で主人の手からマッカを受け取った。
「どうして私なのですか?」
力なく問いかけるセタンタに、人修羅が厳しい声で諭す。
「お前に頼んだことはこの状況において最優先事項なんだ、それだけ重要なことを頼むほど僕がお前を信頼しているからだ」
「じゃあ頼まれなかった俺は信頼されてないってわけか?」
ことの成り行きを面白そうに見ていたロキが、主人の言葉に即座に反応してオオクニヌシににらまれる。
「どうする、お前がどうしても行けないと言うのなら他の仲魔に頼むことになるけど?」
マッカを握り締めたまま黙ってしまったセタンタに、今度はいくぶん優しい口調で人修羅が問いかける。
ぎゅっと目をつむり、セタンタは自分の思いと主人からの命令を天秤にかけていた。
ゆらゆらと不安定に揺れ続ける心の針がほんのわずかな差で片方に傾いたとき、セタンタは……。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいマスター!」
自分の判断を悔いて謝りつづけるセタンタに、体を壁で支えている人修羅が苦しげに笑う。
「いいよ、オオクニヌシとロキが行ってくれたし、それに…」
毒によるダメージを受けて前屈みになってお腹の辺りを手で押さえながら、心配そうな表情で見守る妖精を安心させるためにまた微笑む。
「それに、守りたいってお前の言葉、嬉しかったよ」
「マスター…」
言葉に詰まって、セタンタは泣きそうな顔でうつむいた。
「私は…もっと強くなりたい、マスターがこんな危険な状態にならないで済むくらい強くなりたい…!」
悔し涙で人修羅の姿がにじんでいく、体を走る赤い線も何もかもがにじんでぐちゃぐちゃに溶けていく。
この赤は自分の不安をかき立てる赤、これからさき人修羅の体に浮かぶ赤い模様を見ても不思議な魅力に囚われることはないのだとセタンタは唇をきつくかみ締めた。
赤信号をもう2度と人修羅の体に点滅させないこと、それこそが自分にとっての最優先事項なのだと心に刻み付ける。
「僕も…そうだなぁ、2度とお前を不安にさせることのないように、強くなりたいよセタンタ」
体力が限界を迎えているせいかとても小さな声でつぶやかれた人修羅の誓いが、セタンタの嗚咽に重なって消えた。