■ 09.ただ一度だけ

クー・フーリンの決断を聞いた人修羅はどんな顔をして良いのか分からないようだった。
何度も笑顔を浮かべようとしては失敗し、結局感じた心の痛みを隠すように顔を下に向けてしまった。
「ごめん」
今にも泣き出しそうな声で謝る主人の前に跪いて幻魔は頭を下げる。
「最後にひとつだけ許可いただきたいことが」
体を覆うマントと半分以上鎧の中に隠れている長い黒髪を、もう2度と見ることの出来ない貴重なものとして目に焼き付けて人修羅はゆっくりうなずく。
「いいよ、今までのお礼になるなら何でも許可してあげるよ」
投げやりな気持ちの交じった主人の言葉に、寂しげに笑った幻魔は顔を上げて許可を求める。
「一度で良いのです、マスターを名前で呼ばせていただきたい」
「それは…」
思わぬ願いごとに人修羅の表情がぴくりと強張る。
葛城史人という名前で呼ぶことを禁止し始めたのは、オオクニヌシやロキが加わるよりずっと前からだった。
事情を知らなかったセタンタがうっかり名前で呼んだ以外は、仲魔たちはその命令を今でもしっかりと守っている。
なんでも許可すると言いながら黙ったままの人修羅が再び口を開くまで、クー・フーリンは辛抱強く待ち続けた。
やがて人修羅は重い口を開き、ため息まじりに幻魔に訊ねる。
「それが僕にとってどんな意味を持つのか、ジコクテン辺りから聞いていないのか?」
「知っています、主従の区別を明確にするためだと聞きました…下手ないい訳ですね」
間を開けずに返ってきた答えに神経質そうに眉を寄せて人修羅は心外だというふうに幻魔をにらみ付ける。
主人の態度が変わったことによって自分の考えに自信を持ったのか、半ば決め付けるような口調でクー・フーリンは言葉の先をつなげた。
「ヨスガの指導者に名を呼ばれたときの貴方はとても辛そうに見えました、彼女に名を呼ばれたとき貴方は何を感じたのですか?」
「別になにも感じてはいない」
すぐに否定して人修羅は何かに耐えるようにきつく唇を噛んだ。
「葛城、あなたはなぜ名前で呼ばれることを嫌うのですか?」
「その名で呼ぶな!」
構わず問いかけるクー・フーリンに、顔を真っ赤にして人修羅は怒鳴りつける。
「では史人とお呼びしましょう、あなたは…」
「うるさい!黙れ黙れ黙れ黙れって!」
両手で耳をふさいで必死に言葉を遮ろうとする人修羅に、困ったような表情でクー・フーリンは続けようとした言葉をいったん飲み込んだ。
人修羅はしばらく黙れと繰り返していたが、段々気分が落ち着いてきたのか声は小さくなりやがて聞こえなくなった。
「お前本当は全て分かっているんだろ、名前で呼ばれると受胎前の幸せな生活を想い出して辛くなるってこと」
肩を細かく震わせて感情を押し殺したような低い声で告げながら、人修羅はクー・フーリンに責めるような目を向ける。
幻魔は首を横に振って否定したが、嘘つけと主人に怒られて仕方なくうなずいた。
「このボルテクス界は僕にとって悪夢以外の何物でもない、姿を見かければ理由も言わずに襲いかかって来るお前たち悪魔もだいっ嫌いだ」
嫌悪感を剥き出しにして吐き捨てるように本音を語る主人に、幻魔の表情が少しずつ翳っていく。
「嫌っている悪魔という存在に名前で呼ばれるなんて耐えられない、僕を名前で呼んでいいのは受胎前の世界に住んでいた人間だけだ…!」
両手をきつく握り締めて、今までずっと我慢してきた想いを表に出しているにも関わらず、クー・フーリンをにらむ目は言葉と共に険しさを失っていく。
落ち込むように暗くなっていく幻魔の表情に後味の悪さを感じたのか、それ以上の本音は出さずに人修羅はクー・フーリンに背を向けた。
「もう別れるって時に変なこと言って悪かったよ、これからは僕の仲魔としてではなく1体の自由な悪魔として自分の信じる道を進んでくれ」
だいぶ柔かい声で別れを告げて仲魔たちが待つ鳥居へと歩き出した人修羅の背中に、クー・フーリンは一礼して自分の想いをはっきりとした声で伝えた。
「たとえ貴方がそう思っていても、私にとってマスターは主人という立場を越えて様々な感情を共有した大切な方、貴方に仕えられたことを私は嬉しく思います」
振り返りたい衝動をこらえて人修羅は鳥居まで歩き続けた。
クー・フーリンを連れていない主人の姿を確認して励まそうと出迎えたジコクテンは、人修羅の表情を見て頭を撫でようと差し出した手を引っ込めた。
「ばかやろう」
そう呟いた少年の頬には涙が伝っていた。
「なんで泣きながら笑っているんだ?」
気味悪そうに問いかけるロキには答えず、人修羅はそのままの表情で振り返った。
アサクサの奥へと続く道に白い幻魔の姿はなく、強い風によって巻き上げられた砂が相変わらず視界を閉ざしていた。


立ち並ぶビル群の中でもひと際大きな建物の屋上で少年悪魔はぼんやりと空を見上げていた。
ヨスガという強者のコトワリによる世界の創世を見届けた瞬間が懐かしく思えるほど月日は流れ、多くの優れた者たちの力によって日々世界は変化し続けている。
今も少年が立つビルから見渡せる世界は成長し続けているが、そんな変化などどうでも良いのか少年の視線は空に向いたままだ。
「この世界に、あいつは存在しているのかな」
誰に問いかけるわけでも無い疑問を口にして寂しげな表情を隠すかのように、口の端を上げて無理に笑おうとしたが不自然な笑みはすぐに消えた。
「これが僕の選んだ道だと分かっていても、もういちど…」
そこまで呟いてから自分の考えが馬鹿らしくなったのか自嘲し、考えを追い払うように首を軽く振る。
「もういちど受胎が起きればいいなんて、そうすればまたあいつと会えるなんて、もうボルテクス界なんてこりごりだろ?」
馬鹿な考えはやめろと自分に言い聞かせたものの、未練がたっぷり残っているのか言葉に反して表情は優れない。
「もう1度、会いたい」
かつて人修羅と呼ばれた少年はそう呟くと、大切な記憶を呼び覚ますように目を閉じた。



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