■ 02.やる気と空回り
仲魔たちの無言の訴えを一身に受けて、居心地悪そうに膝を抱えて座っていた人修羅は視線を地面に落とした。
少年に向けられた表情はどれも厳しく、直接文句を言う者はいないものの、戦闘中の判断を責めていることは明らかだった。
重苦しい沈黙のなか、人修羅は誰かが自分を責める言葉を言い出す瞬間をじっと待ち、仲魔たちも主人が事情を説明する瞬間を待っていた。
どちらも唇を糸で縫い止められてしまったかのように開こうとせず、静まり返った空間でロキが指の骨を鳴らす音が異常なほど大きく響く。
壁に背を預けていたオオクニヌシが目を瞑り、しゃがんでじっと主人を見詰めていたサルタヒコが首を軽く振って立ち上がった。
「なにも言うことは無いか?」
地霊の質問を拒否したいのか、少年は膝に顔を埋めるくらい背中を丸める。
人修羅以外の悪魔たちはその反応を見てやり切れなくなったのか、失望とも悲しみとも取れない感情で表情を曇らせた。
サルタヒコの質問からまた長い沈黙がその場を支配し、気まずさのみが積もっていく。
「あいつ、イイヤツだったのにな」
ぽつりとロキが呟き、寂しげな魔王の横顔を少し意外そうにオオクニヌシが盗み見る。
人修羅は身を縮めたまま無言を通してきたが、ロキの言葉に胸をえぐられたのか急に顔を上げて大声を出す。
「だから助けてくれなんて僕は頼んでいないって言っているだろ?あの化け物が勝手に判断して勝手に実行したんだ!」
真っ赤な顔でふぅぅと震える息を吐き出し、少年は涙が出ているわけでもないのに目の下を何度もこする。
すぐに反応を示したのはサルタヒコだった。
「化け物化け物って言うなよ、ピシャーチャはお前の仲魔だろ」
「あんな気持ち悪い形の生き物を他になんて呼べばいいんだよ……」
怒りに任せてサルタヒコは剣を握っている手で何もない空間をなぎ払う。
鋭い音が空気を切り裂き、そこから生まれた風が人修羅の頬を冷たく撫でる。
少年は地霊の突然の暴走に目を大きく見開き、素早く立ち上がって剣が届きそうな範囲から逃れた。
「危ないな、主人を何だと思っているんだ?」
自分で自分のとった行動が信じられないといった表情のサルタヒコを指差し、人修羅は動揺した声で怒鳴りつける。
地霊は剣を握る手をじっと見つめていたが、なにかふっ切れたように真っ直ぐな視線を主人に向け、
「もうお前を主人と認めることはできないようだ」
と、言葉の意味を考えれば信じられないほど冷静な声で告げた。
「はっ?」
人修羅は大げさに眉を顰めて訊き返し、オオクニヌシは両手で顔を覆って、
「勢い良すぎだサルタヒコ」
と困ったように呟いた。
「おいおい何だよ急に、少し落ち着けよ」
興奮気味の両者にロキが不自然に明るい声をかけたが、サルタヒコも人修羅も黙ったまま睨み合っている。
やがてサルタヒコの強い意志のこもった視線を受ける人修羅の顔が耐え切れずにくしゃりと歪み、下唇を突き出して少年は必死に悔しい感情をこらえる。
「お前なんか……」
嗚咽の混じった声をロキが意味不明な叫び声を上げて遮ろうとしたが間に合わず、主人の決断は仲魔の耳にはっきり届いた。
「お前なんかいらないよ!」
少年としては一時的な感情に突き動かされて売り言葉に買い言葉のつもりだろうが、サルタヒコの目は険しさを増す。
はぁ、とオオクニヌシが呆れてため息を吐き、人修羅は唇を噛んで地霊から視線を逸らした。
雰囲気は誰が見ても最悪だった。
取り返しのつかない事態に慌てるロキとは反対に、どこまでも落ち着きを払った態度でサルタヒコは主人に背を向けて去っていく。
去っていく悪魔を止める者はなく、代わりにもう1体の悪魔が地霊に続いてロキの混乱を深めた。
「私もサルタヒコと同じ気持ちです、貴方にはもう従うことはできません」
人修羅はその言葉を聞いて弾かれたように顔を上げ、発言した仲魔の表情から本気を読み取ると力なくうな垂れる。
主人の返事も待たずにサルタヒコの背を追う鬼神の肩を掴み、ロキは今にも殴りかかりそうな気迫をみせる。
「なに勝手なことをしている、お前もサルタヒコも気が変になったのか?」
低い声で訴える魔王の手を払いのけ、オオクニヌシは常に冷静な無表情をわずかな苛立ちに染めた。
「ピシャーチャがなぜ自分の苦手とする火の中に飛び込んで主人を助けたのか、お前は想像できないのか?」
真剣な問いにロキは言葉を詰まらせ、鬼神はその様子に対して仕方ないなぁというふうに口の端を上げて軽く微笑む。
魔王がこんがらがった思考回路から答えを導き出す前に、オオクニヌシは真剣な表情に戻り次の話題に移った。
「お前は一番最後に仲魔に加わったから知らないで済むことが多いだろうが、私とサルタヒコは我慢の限界なんだ、お前も……」
そこまで一気に喋ってからふいに鬼神の口は動きを止め、複雑な想いが詰まった赤い目がただ混乱する青い目を捉える。
それは一瞬のことで、オオクニヌシはすぐに目を離してそれ以上何も言わずに走り去る。
"なぜそんな目を"とロキは鬼神の背中に問いかけようとしたが、なぜか言葉は形にならず、胸にもやもやした物が残された。
結局1人で人修羅の側に戻り、うな垂れたままの主人に声をかけることもできずにロキは眉間にしわを寄せる。
「お前は行かないのか?」
長く続くと思っていた沈黙が意外に早く破られ、ロキは目の下を真っ赤に腫らした悪魔に首を振ってみせる。
「俺は別に、別に……」
繰り返してそのわけも一緒に伝えようとしたが、上手い理由が思い浮かばない。
「そっか、ごめんな」
人修羅は理由などどうでも良かったらしく、道具袋からチャクラドロップを取り出してロキに手渡した。
手渡されたものを口に放り込み、魔王は疲れきったような主人の横顔を眺める。
口の中に独特の味が広がり、体が新しい魔力で満たされていく。
"なぁ、お前はなんでピシャーチャを見捨てたんだ?ピシャーチャが気持ち悪いと本気で言ったのか?"
問いかけたい言葉はオオクニヌシのときと同様に形にならなかったが、その疑問から魔王はひとつの答えを得た。
ピシャーチャに対する人修羅の態度が許せないという思いは他2体の仲魔と同じ。
それにも関わらずなぜ自分がこの少年を見捨てることが出来ないのか、飴を噛み砕きながらロキは小さく呟く。
「見捨てるにはまだ早すぎる……か」
少なくとも目の前の少年が、ピシャーチャを見捨てたことの意味に気付いて後悔するまで付き合ってやっても良いと、その時ロキは覚悟を決めた。
覚悟を決めたことでやる気が出てきたのか、魔王は景気付けに大きな掌で少年の背中を叩く。
「いてっ!」
赤くなった背中をさする主人に手を差し伸べ、
「道は長いな」
と意地悪そうな笑いを浮かべる。
人修羅はすぐに差し出された手を握り、2体の悪魔は仲魔意識を強めた。
しかしどうやって主人の外道や幽鬼に対する認識を変化させるのか具体的な案は何もなく、やる気はすぐにしぼんでいく。
少年も魔王の手を握ったものの、改めて周囲を見渡せば仲魔と呼べる悪魔は目の前の魔王一体しかいないことに気付いて、不安そうな目を向ける。
射し込んだ光はすぐに消え、元の暗い雰囲気が2体の悪魔の周囲に漂っていた。