■ 04.苦・重・淋
ファントムが主人にとって一歩分の距離を進むと、人修羅は小走りで二歩分先に進む。
何も知らない者が見れば追いかけっこをしているようにも見える2体の後を、ロキがのんびりと追う。
受胎の衝撃により朽ち果てたビル群の合間を進んでいるせいか、上空から頻繁に崩れたコンクリートや硝子の欠片が降り注ぐ。
大いものから小さい破片まで器用に避けるファントムに対し、避けきれていない人修羅の頭には細かい破片が小さな山を作っている。
コンクリートの粒で黒髪を白く染めた少年は、ファントムと一定の距離を保てているか確認するために何度も振り返り、
主人の目が自分に向いた時だけ外道は体の動きを止めてじっと待つ。
「早くしろよロキ!」
「はいはい」
外道が停止するたびに足を止める魔王に、わざわざ指さして文句を言う人修羅の表情は不機嫌そのものだ。
ファントムが主人に嫌悪感を感じさせないように、命令されなくても一定の距離を開けて付いて来てくれているというのに。
なにが不満なのか分からないと首をかしげ、ロキはいい加減な返事をする。
渋谷のターミナルから銀座に移動し、合体で使い果たしてしまったマッカを取り戻そうと人修羅は焦っていた。
弱い悪魔を倒せばそれなりにマッカは貯まるが、全書から悪魔を呼び出せるだけの金額には程遠い。
相変わらず人修羅より遥かにレベルの低い悪魔の勧誘すら、会話の神に見放されてしまったのか上手くいかず、そのことが余計少年の苛立ちを煽っていた。
「このまま仲魔が増えなかったらどうしよう」
自分で呟いてみて背筋にゾッとするものが走ったのか、人修羅は軽く身震いして不吉な考えを頭から追い払う。
「別にファントムと俺だけで充分じゃないか、マッカなんて気長に雑魚を殴っていけばそのうちどうにかなるだろ?」
なぁ、とファントムに同意を求め、ロキは気に入らないと言いたげに鼻を鳴らす。
ファントムに同意した様子は見られなかったが、やや間を置いてから喉を鳴らすような奇妙な音を発した。
「お前と外道っていう面子が嫌なんだよ、あぁ日本人とまでは贅沢言わないからせめて人間に囲まれたい……!」
「所詮中身は悪魔だろ、外見で人間だの悪魔だの下らない」
主人が両手を天に高々と掲げて叫んだ願望に、ロキがすかさずツッコミを入れる。
人修羅はポーズはそのまま、恨めしそうな視線のみを後方のロキへ向けた。
「なんだ? 俺は事実を言ったまでだ」
主人の恨みを冷めた言葉と仕草で受け流し、金髪の魔王は馬鹿らしいという風にそっぽをむく。
自分が予想していたものよりずっとそっけないロキの反応に、不満げに唇を尖らせて人修羅もロキから視線を逸らした。
「少しくらい現実から逃げたっていいじゃないか」
しばらく進んでから少年が呟いた言葉は、ロキを非難する割りには余りにも弱い口調で、
「お前の場合は逃げすぎなんだ」
と応えた魔王の声も、歯切れの悪いものだった。
人修羅はハイウェイの真下までたどり着いたところで休憩を取ることに決めたようだ。
3体の距離は相変わらず主人とそれに従う仲魔という関係から見れば不自然なものだったが、
本人たちは歩くうちにそれぞれの丁度良い距離感に慣れたのか、不自然さを訴える者はいない。
「疲れたぁ」
誰よりも早く柱付近を陣取ると、足を投げ出す形で座り込んだ人修羅は柱に背中をぴったりとくっつける。
ファントムはそんな主人から距離を置いたところで動きを止めた。
「もっと近くに寄れよ」
人修羅のそばに腰を下ろそうとしていたロキが外道の様子に気付き手招きをするが、ファントムはうんともすんとも言わない。
代わりに人修羅が欠伸交じりの声で、
「いいんだよ、気を使ってもらってこっちも結構あっちも結構、みーんな平和だ」
と勝手に結論付け、マントを端を引っ張ってロキの行動を制した。
「平和なのはお前の頭の中だけだろ?」
「しっしっ、説教する気ならあっち行ってくれ」
魔王に頭をグリグリと撫で回され、少年は不快感いっぱいの表情で追い払う仕草をする。
ロキは追い払われてもまだ何か言いたそうにその場に止まっていたが、ファントムがやりとりを何ともいえない表情でじっと見つめていることに気付き、舌打ちして別の休憩場所を探しにその場を離れた。
ロキが去った後には苦手意識を持つ存在と持たれる存在が残り、お互い歩み寄る気配も見せず沈黙がその場を支配した。
風の勢いが強くなり、砂混じりの風に希薄な体を揺さぶられながら、ファントムはただじっとその場で活動再開の命令が下されるのを待っている。
体だけでなく精神的な疲労がたまっていたのか人修羅の頭もゆらゆら上下し、風の音のみが唸るように辺りに響く。
ロキは出て行ったまま戻ってくる気配を見せず、舟をこいでいた人修羅の頭もカクンと下を向いたのを最後に動かなくなった。
煌天から静天へカグツチが状態を変えるに従って風の勢いもだんだんと弱まり、ついに止んだ。
「ん……?」
風が止んで、寝ぼけた声と共に人修羅は眠い目をこすりながら顔を上げた。
寝ぼけていたのは一瞬で、素早く神経を集中させて敵に囲まれていないかなど確認する。
まだ少しぼやける視界にふんわりした緑色の物体が映り、少年はふぅと軽く息を吐いて体の緊張を解いた。
ファントムは主人が目覚めたことに気付き、独特の言語で何か言葉を発して体を収縮させる。
「あ、そのままでいいよ、どうせロキが戻ってくるまで動き取れないし」
近付いてくると思ったのか、ファントムが行動を起こす前に牽制し、人修羅は少し困ったような曖昧な笑みを浮かべた。
不自然な笑みはすぐに消え、彼にしては真剣な眼差しで少年はファントムへ語りかける。
「僕の言葉がお前には分かるか? 感情は分かるみたいだけど言葉は分かるか?」
外道は何も反応を示さなかったが、人修羅は構わず続けた。
「僕はこう思うんだ、言葉が通じなければ相手の心を理解することは難しい、感情だけじゃ誤解が生じるし危ういって」
柔らかい光は人修羅の言葉を肯定するように強まり、黒い空洞の目がわずかに細まった。
「なぁファントム、僕は……こう思うよ」
いったん言葉を飲み込み、少年の眼差しに辛そうな影が宿る。
それを見つめ返す外道の目にも、寂しげな気配が漂った。
「僕が苦しいと思ったり、責任を重く感じたり、淋しいと思ったり、それを的確に伝える手段として言葉を用いる限り、お前と僕の間には壁があると」
ざわつくファントムに不安げな表情を見せ、投げ出していた足を両手で抱え込み、人修羅は躊躇いがちに問いかける。
「お前にだって僕に伝えたい感情があるんだろう?」
ファントムが少年の問いに答える前に、辺りをきょろきょろ見回しながらロキが2体の前に姿を現した。
張り詰めていた空気は魔王の出現によってすぐに消え去り、まるでそれまでの深刻な雰囲気が嘘のような表情で人修羅は立ち上がった。
「さぁ厄介者が戻ってきたことだし休憩は終わりにしよう、もう少し戦闘を繰り返したら銀座のバーで冷たい飲み物でも飲もうか」
賛成だとロキが頷き、戸惑ったような気配を見せていたファントムはその感情をロキに隠すように背を向ける。
ハイウェイを離れて少したってから、しきりに首をかしげるロキに人修羅が理由を訊ねた。
「いや、休憩中に単独で銀座に向かう悪魔の姿が目に入って、その悪魔がなんというか、オオクニヌシに似ていたような気が……」
「見間違いだな」
即座に否定する主人に、魔王は不満げな声を上げる。
「なんで見間違いって断言できるんだ?」
見間違いと判断したきり人修羅は堅く口を閉ざしてロキの問いに答えず、納得がいかないのかしきりに理由を訊ねる魔王の声は、しばらく止むことがなかった。