■ 05.底
主人と別れた2体の悪魔は、大きく削り取られてこげ茶色の地肌をさらす道を歩いていた。
先を行くサルタヒコはすでに行く先を決めているのか、その歩みには迷いは無い。
2体ともお互い一言も喋らず歩いてきたが、景色が変わり朽ちた地下鉄の入り口が見えてくるとサルタヒコは足を止めた。
「これからどうするつもりなんだ?」
俯きがちな姿勢で地霊の後を付いてきたオオクニヌシは、その質問を聞いてぼーっとした表情を見せる。
その反応を見て、サルタヒコは信じられないというように首を振って頭を抱えた。
「なんだ、何も考えていなかったのか……」
失望の声にオオクニヌシは反論することもせず、ただ困ったと言いたげな眼差しを地霊に向ける。
サルタヒコは頭を抱え込んだまま上目遣いに鬼神の顔を窺っていたが、向けられた視線がますます困惑を深めると、うーんと唸り声を漏らした。
「本当に何も考えていないのか? このままアサクサまで付いてくるつもりだったのか?」
オオクニヌシは問いかけに対し、目を閉じ額に手を当てて何やら真剣な表情で考え事を始める。
サルタヒコは辛抱強く鬼神が返事を出すまで見守り、ついに何か決意したのかオオクニヌシは憂鬱そうな口調で話を始めた。
「ギンザに行こうと思っていた」
オオクニヌシが出した答えにサルタヒコは怪訝そうに眉を顰め、首をかしげて訊ねる。
「ギンザは苦手な場所ではなかったのか? あの酒場の連中絡みで……」
「お前といい主といい、どうもあの出来事を誤解しているようだな」
言い難そうに語尾を濁す地霊へ、難しい顔で腕組みをした鬼神は深いため息を吐いた。
「誤解するのも仕方ないだろう、何があったのか本人が話したがらなければな」
不満そうにサルタヒコはそう口にし、視線をカグツチ輝く天へ向ける。
「ギンザでのことを根に持っていたから、お主は主人を見捨てたのだと思っていたが」
オオクニヌシの視線も地霊につられて上昇したが、眩しいのかすぐに手を翳す。
結局サルタヒコの言葉を否定も肯定もせずに、鬼神は何度か瞬きを繰り返した。
2体の悪魔はしばらくそのままの状態でお互いじっとしていたが、カグツチから視線を逸らした地霊が大きく伸びをした。
「それではこの先のターミナルで別れることになるのだな」
1度だけゆっくりオオクニヌシが頷き、ギンザに行くと決めたにも関わらずまだ釈然としない感じの残るオオクニヌシへ、もう1度サルタヒコが、
「お別れでいいんだな?」
と念を押した。
今度は"そうだ"と声に出して鬼神は返事をしたが、その表情は相変わらず優れない。
そんな共に戦ってきた仲魔を心配したのか、サルタヒコはターミナルへ向かう途中何度も鬼神の様子をうかがい、そのことに気付いたオオクニヌシはようやく地霊へ笑顔を見せた。
「ギンザにずっと居るわけではないのだろう? 用が済んだらアサクサの地下へ来るといい」
オオクニヌシの笑顔を見てようやく安心することが出来たのか、サルタヒコも普段の表情に戻る。
地霊の誘いに、
「そうだな」
とだけ答え、アサクサの地下道で他の地霊たちと他愛ない話で盛り上がるサルタヒコの姿を想像したのか、オオクニヌシは楽しげに笑う。
「住み心地は最高だぞ、人修羅にこき使われた体を休めるにはもってこいの場所だ」
声を立てて笑うオオクニヌシを見て気を良くしたのか、訊かれてもいないことまでサルタヒコは話し始める。
結局アサクサの良さを地霊が身振り手振りを交えて説明するうちに2体の悪魔はターミナルに着き、まだ説明し足りない様子のサルタヒコに別れを告げて、オオクニヌシは単身ギンザへ向かった。
ターミナルから出てすぐに緊張した空気を感じ取り、オオクニヌシはニヒロの支配下に足を踏み入れたことを意識した。
「あら貴方あの首に角の生えた子と一緒にいた悪魔じゃないの? みんなマッカを稼ぎに外へ出たのに中で1人お留守番?」
ターミナルの近くにいた女性の思念体がオオクニヌシを見つけて不思議そうに訊ねた。
女性の言葉から、鬼神は人修羅たちもギンザへ来ていることを感じ取って表情を硬くする。
ねぇねぇとしつこく訊ねる思念体に背を向けて少し悩んだ後、オオクニヌシはギンザの外へ足を向けた。
ギンザの外に出て、オオクニヌシはしばらく別れたばかりの主人たちを捜し求める。
会って何か言いたいことがあるわけでもないのに、暇をつぶすような感覚で鬼神は歩き続けた。
しかし、目的の悪魔たちの姿は見つからず、結局オオクニヌシはハイウェイの少し手前で諦めてギンザへ引き返すことにした。
再び階段を下りてギンザへ入ると、そこは様々な悪魔たちでごった返していた。
人修羅と共に行動したり、あからさまに特定のコトワリに対する不満を述べない限り、今のオオクニヌシに襲い掛かる理由を持つ悪魔はなく、今頃になって主人に束縛されず1人で行動する気楽さを感じるようになったのか、鬼神は神経をリラックスさせて目的の場所へと足をすすめる。
酒場の手前で足を止めて一息つき、普通の悪魔が入店する時と同じように扉を開けて中に入った。
ちらっとカウンターのニュクスが手を止めて新しい客へ視線を送り、特に問題なしと認めたのかすぐに作業を再開する。
ボルテクス界の情勢についてブツブツ呟いている思念体を押し退け、狭い空間に並べられたテーブルの合間を縫って、オオクニヌシは一直線に奥で酒を飲んでいる悪魔の元へ向かった。
背後に何物かが近付いてくる気配を感じて、ロキは億劫そうに首だけ動かして後方を確認する。
「何の用だ?」
オオクニヌシの姿を見るなり不機嫌そうな声で訊ねるロキへ、
「いくつかお前に訊きたいことがある」
と、声にはあまり感情がこもっていないにも関わらず、苦いものを口にしたような表情で鬼神は返す。
そういったオオクニヌシの態度を見た魔王は軽く喉を鳴らして笑い、グラスに残っていた酒を一気に飲み干した。
「あのガキは一緒ではないのか?」
質問に答えずに椅子に腰かける鬼神を指差し、
「そうか、ついに我慢の限界が来て別れたのか!」
と勝手に答えを導き出して、ロキは納得したのか深々と頷いた。
「随分嬉しそうだな、そんなに自分の予想が当たって嬉しいか?」
そうかそうかと喜ぶロキへオオクニヌシが呆れて訊ねると、魔王はまたも深々と頷いた。
「真面目だけが取り柄のお前とあのガキじゃなぁ、もう一方の奴も見限ったか、えーと確かサル……サル……」
名前を思い出そうと何度か同じ言葉を繰り返すロキへ、"サルタヒコだ"と教え、
「悔しいがあのときお前が言った通りになった」
と頬杖をついたオオクニヌシが複雑そうに呟いた。
空になったグラスを倒れない程度に爪で弾き、すっかり落ち込んだ様子の鬼神に魔王はやけに優しい目を向ける。
「俺がお前の立場でも見限っただろうな、マッカと引き換えに仲魔を売り渡すとは」
「決断したのは人修羅だが、そのふざけた提案をしたのはお前だったな、マッカを渡す代わりに仲魔を1体寄こせと」
ムッとした表情でオオクニヌシはロキをにらみ付け、そうだったかなと魔王はとぼけた。
「本来なら永久にただ働きのところを、部屋の掃除だけで解放してやったじゃないか」
恨まれる筋合いはないと言いたげにロキは恩を着せようとしたが、
「お前の下らない話に長々と付き合わされてうんざりした、やたら時間をかけたせいで仲魔から変な心配をされたし」
とオオクニヌシが不満を並べ立てたので、憮然とした顔で口を閉ざす。
2体の悪魔は空のグラスを挟んでしばらく過去の出来事に思いを馳せ、ニュクスが退屈そうにその様子を眺めた。
「お前は仲魔が死んだら悲しむか? 人修羅が瀕死の仲魔を見捨てたらどう思う?」
先に沈黙を破って質問をしたのはオオクニヌシの方だった。
唐突な質問にロキは一瞬眉を寄せ不可解だと言いたげな表情を作る。
「それが、初めにお前が言っていた訊きたいこととやらか?」
鬼神がすぐに頷くと、ロキは口の端をわずかに吊り上げて皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「さて、どうだろうな」
焦らすそぶりを見せる魔王に、オオクニヌシの表情が険しくなる。
「教えてくれ、お前も悲しむのか?」
「"お前も"って……?」
身を乗り出す勢いで訊ねるオオクニヌシにロキが不審そうな目を向けた丁度そのとき、勢いよく扉を開く音と共に、
「ニュクスのおねーさんジュースちょうだい」
という呑気な声が酒場に響き渡る。
予期していなかった人修羅の出現に、"あ"と口を開いたまま固まってしまったオオクニヌシの手首を掴んで、ロキは大急ぎで宝部屋に連れ込む。
「隠れる必要は無いと思うが」
我に返って文句を言い出す鬼神をその場に押し留めると、ロキは扉の隙間から人修羅たちの様子を窺う。
「訊きたいのは俺ではなく"あの"ロキか?」
質問に迷いながらも首を縦に振る鬼神を見て、金髪の魔王はわずかにがっかりしたような仕草を見せた。
人修羅たちは飲み物を手に取り、席に着く。
「何をしに行くつもりだ?」
その様子を見届けてから立ち上がろうとするロキの褌を、鬼神が引っ張る。
褌を掴まれてロキは不快そうに鬼神をにらみつけたが、オオクニヌシが慌てて手を離すとすぐに機嫌を直した。
「そこで黙って見ていれば、楽しませてやるよ」
意味深な言葉を残して部屋と酒場を隔てる扉を開き、ロキは人修羅たちの元へ近付いていく。
ロキの後姿を扉の隙間から窺いながら、オオクニヌシは奇妙な興奮が心臓の鼓動を早めていることに気がついた。
魔王が人修羅たちと接触し、その結果出てくる答えは自分を底に突き落とすものなのか、それ以外のものなのか。
「危険な状況だが、少なくとも今はまだ何の結果も出ていない」
ロキに気付いた人修羅が、気まずさ半分親しみ半分といった様子でぎこちない挨拶をする。
これからの成り行き全てをロキに託し、オオクニヌシは気付かれないようにじっと息を潜めて観察することにした。