■ 06.しあわせオーラ

テーブル1つ分の距離を隔てて、ロキは居心地悪そうに手を膝の上でもぞもぞ動かす人修羅と自分と全く同じ姿の悪魔を交互に眺めた。
人修羅の仲魔である方のロキは、始めの内は物珍しげな視線を"酒場のロキ"へ向けていたが、その不思議を口にすることも無く、主人とは対照的に堂々とした態度を崩さない。
落ち着かない様子の人修羅は、意を決したように緊張のため口の中にたまった唾を飲み込むと、ずっと下へ向けていた顔を正面に向けた。
「何だよ」
少年の睨みつけるような嫌な視線を真正面から受け止め、ロキはからかうような口調で訊ねる。
「お前こそなんだ?」
返事に窮する主人に代わり、ロキが不審そうに訊き返す。
ロキ同士の視線が交差して、酒場に一瞬険悪な空気が漂う。先にその雰囲気を和らげたのは"酒場のロキ"の方だった。
「ずいぶん連れが入れかわったじゃないか」
一通り面子に目を通してから意味ありげに薄く笑い、人修羅は自嘲気味に応える。
「オオクニヌシとサルタヒコとは別れた、僕が気に入らないから出て行けと追い出したんだ」
仲魔のロキが怪訝そうに主人の横顔を窺い小声で嘘だと呟いたが、それを聞いた"酒場のロキ"はフンっと鼻で笑っただけで言及しなかった。
しばらくしてからニュクスが奇妙な色をした液体の入ったグラスをテーブルに並べ、ついでに人修羅の肩を励ますように軽く叩いてカウンターに戻っていった。
アルコール成分抜きの飲み物をグラス半分まで一気に飲み込んで、少年悪魔は深く深く息を吐く。
「ピシャーチャは見殺しにした、今いる仲魔は全てお前との賭けが終わってから呼び出した悪魔だ」
普通なら言い難い部分をさらっと流し、少年は上半身だけをひねって後ろへ向けて手招きをする。
呼び出しに応じて綿飴のようなな緑色の物体が流れるような動きで人修羅のそばへ近寄り、ウルィィと微かな声で挨拶をした。
「ロキとこいつがお前の知らない僕の新しい仲魔、最もこいつは合体じ……」
ガタッという物音に反応して人修羅は紹介を中断して音のした方向へ鋭い視線を向ける。
少年の金色の目は隠し部屋へ続く扉に向けられ、"酒場のロキ"は慌てず人修羅に話の続きを促す。
「……合体事故だったんだ、好きで仲魔にしたわけじゃない」
はっきりと言い切られ、ファントムは目の部分にあたる黒い空洞を狭める。
ファントムの寂し気な様子を見て、"仲魔のロキ"は非難するような眼差しを主人に向けた。
「いい加減そういう物言いはやめろ、こいつが悲しんでいるじゃないか」
緑色の気体を自分の膝の上に乗せて、彼なりに慰めているつもりなのか体を縮める外道の頭部を擦る。
ロキの腕の中でファントムは落ち着きを取り戻し、人修羅は不満そうに頬っぺたを膨らませた。
「なんだお前、主と違ってずいぶんその外道が好きみたいじゃないか、何故そこまで外道に味方するんだ?」
興味の目を向ける"酒場のロキ"に同意するように、人修羅も意外だと言いたそうに眉を寄せる。
2人分の好奇心を一身に受け、"仲魔のロキ"はわずかに顔を赤らめた。
「別にッ、そういう種族だから好きなわけじゃなく、単純にこいつが俺の仲魔だから腹が立っただけだ」
ぶっきらぼうに理由を述べ、新鮮な反応をそれぞれ別の感情で眺める2組の視線から顔を反らす。
人修羅は照れた様子の魔王が余程珍しかったのか驚きに目を丸くし、"酒場のロキ"は目を細めて口の端を吊り上げた。
「だが、仲魔を見殺しにした最低な主人には平気な顔をして従う……か?」
ダンッと大きな音がした。
拳をテーブルに叩きつけ、人修羅はそのままの勢いで椅子から立ち上がり全身を小刻みに震わせる。
テーブルの上に乗っていたいくつかのグラスはその衝撃で倒れ、ファントムの体にもロキたちの体にも液体が降りかかった。
「なんだ急に、落ち着けよ」
顔にかかった液体を拭い、"酒場のロキ"が迷惑そうに人修羅を睨みつける。
少年悪魔の震えはしばらく止まらなかったが、ロキがもう1度落ち着いた声でたしなめると、黙ったまま腰を下ろした。
「え、あぁ、俺は去って行った奴らほどこいつに対して悪い感情を持っているわけではないからな」
座ったものの、重い空気を纏って顔を伏せてしまった主人を横目で盗み見、"仲魔のロキ"は困ったように額を爪でかきながら応える。
"酒場のロキ"は自分から訊いた割にはあまり関心のなさそうな表情で、
「へー……」
と呟いて沈黙してしまった。
ロキたちが沈黙している間、人修羅は平常心を取り戻して自分が倒したグラスなどを拾ってニュクスの元へ持っていく。
もう一杯どうかと訊ねるニュクスに首を横に振り、全てのグラスを片付け終えた少年は、
「もうそろそろ出発しよう」
とロキとファントムに呼びかける。
すぐに紫色の腕から脱け出したファントムが人修羅のそばへ移動し、"酒場のロキ"へ別れを告げることもなく"仲魔のロキ"は席を立つ。
少年が勘定を済ませているあいだ、1人取り残されたロキは冗談を言う時のような軽い態度で人修羅に従うロキの背に質問を投げかけた。
「去って行った仲魔より、主人と一緒にいる方が楽しいか?」
即座に人修羅がムッとして何か言おうと口を開き、ニュクスが気にするだけ損するわよと呆れ気味の口調で宥める。
"仲魔のロキ"は"酒場のロキ"の方へ振り返らず、首をすくめておどけた態度をとる。
「そうだな、気難しい日本の神に合わせるよりは、このガキに従っていたほうが気分がよいからな」
「ロキ……!」
人修羅が何とも言えない表情で"仲魔のロキ"を見上げ、"酒場のロキ"は面白くなさそうに顔を顰めた。
ロキが応えた直後にガタガタッと先程より派手な物音が響いたが、扉を開けて外へ出ようとしていた人修羅は悪戯っぽい顔をロキへ向けて、
「他人事に首を突っ込むより、自分の宝物部屋を見張った方がいいんじゃないか?」
と忠告するだけで、満足そうに微笑むと仲魔たちを引き連れて酒場から出て行った。

人修羅たちが出て行ってすぐに宝物部屋の扉を開いて疲れた表情のオオクニヌシが姿を現す。
「どう思う?」
どこか不満そうに訊ねるロキに、この鬼神が魔王に向けるにしては何か裏があるのではと勘繰りたくなるほど穏やかな表情で、
「私がどんな答えを与えればお前は満足するのだろうか?」
と訊き返す。
ロキはしばらく鬼神の態度を観察し、詰まらなそうに舌打ちして
「俺はお前にそれを訊いているんだがなぁ」
とぼやく。
オオクニヌシは納得いかない様子のロキを見て笑ったが、睨まれて慌てて口をつぐんだ。
「今の"あのロキ"は幸せなのだろう、ならば私があれこれ言う必要もあるまい……」
穏やかな表情が翳り、扉に背を預けて立ったままのオオクニヌシは気を紛らわせるようにまた笑った。
その笑いをロキは睨んで止めようとしなかったが、鬼神の笑い声は自然に小さくなり、最後は微かなため息に変わった。
「付き合ってくれて嬉しかった、私はサルタヒコのすすめに従ってアサクサへ行くことにするよ」
訊かれたわけでもないのにロキに告げ、オオクニヌシは酒場を後にする。
背後からロキの
「お前はそれで満足なのか」
という言葉が投げかけられたが、その問いを無視して鬼神はそっと酒場の扉を閉じた。



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