■ 09.じわりと

ひんやりとした空気を感じながら、3体の悪魔は光玉が照らし出す範囲からはみ出さないようにくっついて歩いている。
「代々木公園は妖精に占拠されているんだ、妖精はフレンドリーだからすぐに仲魔になってくれるさ」
病院で出会ったピクシーのことを思い出し、少年は期待を込めて暗闇の先を見つめる。
悪魔も人間と同じく話しが通じる相手であり、敵として戦うだけではなく仲間として協力してくれる存在であることを教えてくれた妖精だった。
代々木公園で別れてしまったが、いつかまた再会できるのではないかと人修羅は望みを捨てていない。
「妖精だって悪魔だろう、俺ならともかくカリスマ性の無いお前に従う奴らだとは思えないが」
冷静に分析して期待に水をさすロキの脛を、少年は恨みを込めて蹴飛ばした。
フトミミの予言を確かめるために、人修羅たちはアサクサ坑道を通り代々木公園を目指している。
サルタヒコたちに謝罪したことにより以前より気分が楽になったのか、少年悪魔の表情に曇りは無い。
脛を蹴られて涙目で痛みを堪えながら片足でぴょんぴょん跳ねるロキを横目に、ファントムの頭部を優しい手つきで撫でる。
撫でられてファントムは気持ちよさそうにウィルルルと喉を鳴らし、空洞の目で主人を見上げた。
「妖精が仲魔にならなかったらその時は仕方ない、僕たち3体で悪魔の悪魔による悪魔のための創世を目指そう!」
ロキは張り切る少年をぽかんと口を開けて眺めていたが、少ししてから
「お前、頭悪いだろう?」
と嫌味にも羨ましいと思っているようにも聞こえるニュアンスの発言をして、懲りもせずに主人の機嫌を損ねた。
2度目の脛を狙った足蹴りをかわし、ロキは意地悪そうに口の端を吊り上げる。
「俺がいつまでもお前のような貧相なガキに付き合うと思うなよ」
ロキに応えて人修羅は爽やかに微笑む。
「お前はいつまでも付き合ってくれるよ、僕を見捨てられないような悪魔だもの」
人修羅の指摘にロキは一瞬体を硬直させ、嫌そうに眉を顰めて重々しいため息を吐いた。
反論できずに黙ってしまったロキの代わりに、ファントムが低い唸り声を上げて自分の意見を主張する。
少年もロキも何かを必死になって訴えるファントムへ驚きの眼差しを向けていたが、
「そうか、お前も僕と創世を目指すのは嫌か、僕の周囲は頼りにならない仲間だらけだ」
と人修羅が嘆き、満足そうに気を静めた外道を指差して、魔王は可笑しくてたまらないと言いたげに腹を抱えて笑った。

しばらく光玉を頼りに進むと、闇は濃さを増し、空気も次第に息苦しさを感じさせるものに変化していく。
自分たちに襲いかかろうとタイミングを計る悪魔の鋭い視線や息遣い、背後から迫ってくる獣のような足音。
そういったものに警戒心を強めているためか、人修羅たちからふざけ合いや会話はすっかり消えていた。
「多いな、囲まれる」
短く言葉を切って、人修羅は素早く背後を窺う。
「これだけ光っていれば目立つからな、囲みから抜け出す秘策はあるのか?」
危険な状況でも余裕は失っていないのか、目だけ動かして自分たちを取り囲む悪魔の数を把握したロキが問いかける。
獣の爪が地面を抉る音や、鎧同士が擦れ合う金属音。
だんだんと距離を狭めてくる悪魔たちが与える威圧感に、奇妙な興奮が生じて心臓が高鳴ることを意識した少年悪魔は舌なめずりをする。
人間なら恐怖で竦み上がり動けなくなってしまう状況においても、人修羅の悪魔としての本能は逃げよりも戦闘を選ばせた。
この感情があのとき持続していればピシャーチャを助けることができたはずなのに……。
全身の昂ぶりを感じながら、人修羅は恐怖心に負けて逃げ出した過去の自分を思い出してひどく恥じた。
「ファントム! ロキ! いくぞっ!」
獣の雄叫びのような声が双方にとっての合図となる。
暗闇を照らしていた光玉の明かりが大きく揺れ、いくつもの影がいっせいに踊った。
少年はしなやかな体を反らせて吸い込めるだけの空気を吸い込み、灼熱の炎を吐き出す。
扇状に軌道を描く炎の両脇を駆け抜け、気配を隠していた闇から次々と姿を現す悪魔たちへロキとファントムは魔法を放つ。
人修羅が息を吐く暇もなく前方から激しい突風が襲いかかり、とっさに防御の姿勢をとる少年の腕を切り裂いていく。
間髪いれず爪を剥きだしにして飛びかかって来たヌエをかわしてわき腹に強烈な打撃を加える。
腕を振ったせいで、傷ついた自分の腕から飛び散った血が顔にかかった。
少年悪魔は目に入って視界を滲ませる血を片腕で拭い、もう片方の手で打撃に怯んだヌエに止めを刺す。
人修羅の予測より敵の数は多かった。
次から次へと加勢に現れる悪魔の群れに、ロキたちの魔力もどんどん削り取られていく。
氷結魔法が温度を下げたかと思うと、次の瞬間氷ついた敵ごと蒸発させるような激しい炎が渦を巻いて辺りを焦がす。
悲鳴、血の臭い、肉の焦げる音、折り重なるように倒れていく敵を靴で踏みつけ、仲魔の安否を考える余裕も無く人修羅は敵に拳をぶつける。
遠くの方に見えた白いものはロキのマントに違いない、頭上を走り抜ける稲妻はきっとファントムのものだ。
そう判断する余裕もすぐに失われ、人修羅はふらつく足に気合を入れて、槍を構えて飛び込んでくる悪魔の顔面を打ち砕く。
顔を酷くつぶされて血を吹きながら倒れた悪魔の奥に金髪がちらつき、人修羅は力を振り絞って呼びかけた。
「ロキぃぃ! 道具袋だ、受け取れっ!」
放り投げた袋を紫色の手が見事にキャッチする。
「あとは……ファントム……」
ロキを敵の渦の中に残したまま人修羅は逆方向へ向かう。
固まりかけのコンクリートを掻き分けて進むようなもどかしさに苛立ちを感じ、少年の様々な色の血に塗れた顔が険しさを増した。
どこから湧いてくるのか前からも後ろからも敵が押し寄せ、少しでも気を緩めると敵の放つ魔法が全身を打ちのめす。
体内の気をためて放つ大技を使うにも気をためる余裕が無く、体力を大量に消費するため使うこと自体に人修羅は躊躇いを感じていた。
これだけ自分が追いつめられているのにファントムが危険な状況に陥っていないはずは無い、焦りを感じる少年の背筋に初めて冷たい汗が流れた。
「ファントム、返事をしろ!」
張り上げた声に応じる気配は無く、ただ敵の喚声のみが鼓膜をふるわせる。
先程顔面を潰した悪魔と同じ種類の灰色の長細い姿をした敵が突如視界に飛び込み、少年はハッとして身構えたが間に合わない。
焦りが油断を生み、人修羅のわき腹に鋭い槍先が赤い筋を浮かび上がらせる。
痛みによる悲鳴をグッと飲み込み少年は目の前の悪魔を突き飛ばしたが、すぐ後で隙を狙っていたヌエの鋭い爪が闇に閃いて脹脛を抉った。
火を押し当てられたような直撃を食らって倒れこみそうになりながらも、人修羅は震える膝を奮い立たせて体勢を立て直す。
ふらついて隙だらけの体めがけて群がる悪魔の勢いに人修羅が死を覚悟したそのとき、闇を切り裂く光が敵の群れを牽制した。
「ファントム?」
「ウィィィィルル」
返ってきた答えに少年の表情が一気に明るさを取り戻して輝く。
しかし、その喜びは長続きしない。
敵がここぞとばかりに放った無数の衝撃が、ファントムの希薄な体に大ダメージを与えていく。
「くそっ、あいつら……!」
悔しそうに舌打ちをして人修羅は何の考えもなしに足を引きずってファントムの前に飛び出した。
すぐに衝撃魔法が放たれたが、避けずにその全てを小さな体で受ける。
少年の背後には、これまでに受けたダメージと集中した衝撃によるダメージで今にも死にそうなファントムの弱い光。
ファントムも自分も死ぬかもしれないという状況の中で、人修羅の頭は恐ろしいほど冷静だった。
冷静な思考はまずファントムを助けなければと命令を下す。
そのために必要なアイテムのありかを少年の手は探る。
衝撃はあまり効果が無いと判断した悪魔たちの直接攻撃がすぐ目の前まで迫ってきている。
「ピシャーチャ」
前方にいるのは敵悪魔のみだというのに、少年の目には低く呟いた名前の悪魔が映っていた。
背の高いオレンジ色の悪魔は、長細い管の先に付いた目をギョロギョロ動かして主人の行動を見守っている。
見守っているようにも監視しているようにも見えたが、人修羅はあえて見守っているのだと結論付けて嬉しそうな顔をした。
その表情を見たピシャーチャは目を細めたようだった。
人修羅の胸をじわりと熱いものが満たしていく。
ファントムを助けるために必要なアイテムを取り出して少年は力いっぱい叫んだ。
「ソーマをファントムに与えるまでは死ねないんだ!」
少年悪魔の視界を殺意が埋め尽くす。
上半身を捻って人修羅はファントムにソーマを与えようと手を伸ばす。
ファントムの口にソーマが入るのが早いか、敵の攻撃が少年の体を貫くほうが早いか。
人修羅にとってその一瞬はその場に居合わせた誰よりも長い瞬間となった。



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