今でも時々、京でのあの日々は長い夢だったのかと思ってしまうことがあるけれど。 わたしの目の前にいる、物憂げな表情で窓の外を眺める彼本人が、 あれは現実に起きたことだと証明している。 そして、同時に、わたしは彼に間違った選択をさせてしまったのではないかと、胸が苦しくなる。 けれど、そのことを口にする勇気も無くて。 少し前から彼の様子がおかしいことが気になっていたのに ただ、気づかない振りをしているしか、できなかった。 本当は、今、この場所にいることを、後悔していたりしませんか。
コーヒーの入ったマグを手渡そうと声を掛けた。 けれど、寂しげな背中を見ていたのは、今日が初めてではなくて。 彼を連れて現代に戻ってから、もうすぐ1年になるけれど……。 彼は一瞬訝しげにわたしを見て。 さっき見た背中の方が、勘違いだったのかと思ってしまう。 でも……。 川沿いに桜の木がどこまでも続いている、現代にしては風情のある場所で。 ここを選んだのは、単純に桜が綺麗だという理由だけではなかった。 1年経ったと言っても、現代での生活は、彼にとって慣れないことが多いだろうし、 少しでも、その心を癒せたら…そんな思いからだった。 そして。 怖かったけれど、彼の本音を引き出すことが、 この場所ならできるかもしれないというのもあった。 どことなく京を思わせる、この場所なら……。 不意に後ろから、声を掛けられた。 少し驚いたような表情の彼は、軽々とそれらをすべてわたしの手から受け取って。 とてもふたりで食べきれる量ではないような気もしたけれど。 彼の最近の様子が気になって仕方がなかったわたしは、 量を考えるという至って単純なことですら、上手くできないでいた。 そんなダメな自分に胸の奥の辺りが、少し痛んだ。 時々吹かれる風に飛ばされる花びらを、意味もなく視線で追ったりしながら、ゆっくり進んで。 その間、彼は、なぜか桜をほとんど見ないで、わたしのことばかり見ていた。 こんなことを言われたら、思わず赤くなりながらも抵抗するわたしだけど。 今日は少し違っていた。 彼の言葉が、何かを隠すための誤魔化しのようにしか思えなくて、悲しかった。 自分で自分に驚いて、涙で視界が揺らぐ。 わたしはほとんど無自覚に、彼の手を振り払っていた。 胸の辺りが締め付けられるように苦しくなって、溢れ出る涙を、どうすることもできなかった。 ただただ、涙を零しながらも、頭の片隅には少しだけ冷静な自分がいて。 こんな風に泣いてしまって、今、彼は困っているかもしれない……。 そんなことを心配していた。 気づいた時には、わたしは、大好きな香りに包まれていた。 暖かくてやわらかい、彼の香り。 大好きなはずなのに、今は居心地が悪くて。 わたしは、逃れようと身を捩る。 正直そんなことはどうでも良かった。 そんな表面的な内容よりも、真意を読み取らせないような言い方をする彼が、嫌だった。 そもそも彼という人は。 常に余裕のある素振りで、本音など出さずに、周りの人間を煙に巻くようなところがあった。 その姿はどこか諦めにも似ていて。 彼を知れば知るほど、見ているのが切なくなることがあったけれど、 それは京で過ごしたあの日々で、少しは変わったはずだった。 まるで、出逢った頃の彼に戻ったようで。 わたしが傍にいることに、何か意味があるのかわからなくて。 わたしだけが彼を求めているみたいで、それが無性に寂しかった。 そう……。 ただ、わたしは。 寂しかったのかもしれない。 驚いて顔を上げると。 大樹の根元に凭れかかって腰を下ろして。 そして、目まぐるしく変わる世界と一緒に、前に進んで行く君は、本当に眩しくて、 私を魅了し続けたけれど、同時に不安になったのだろうね」 君の隣にあるべき相手が、自分でも良いのかと不安になるなんてね。 けれど、君の隣を失ってしまったら、私がこの世界にいる意味などないだろう? そんな、ひとりでは結論など出ないようなことを時々、ね」 彼がそんなことを考えていたなんて、思ってもみなかった。 思った。けれど、前を向いて輝き続ける君に、そんなことを強いるわけにはいかないだろう? どこまでも走っていく君に焦がれて、追いかけて来たはずなのに。そして、これからも 追いかけていければそれでいいと思っていたはずなのに。 溢れ出しそうな想いを、自分自身持て余していたからね。 私のそんな雰囲気が、君を嫌な気分にさせてしまったのかもしれないね。違うかい?」 本当に驚いたけれど。 隣にいるのが自分でいいものかと悩んでいたのは、わたしも同じだった。 でも、その想いを口にしてしまって、現実になったらと思うと怖くて……」 彼はゆっくりと深呼吸するように、ひとつ大きな息を吐いて、抱きしめる腕に甘く力を込めた。 その思いは、こちらの世界で言う、ホームシックのようなものとも違うのだよ。 私が京に帰りたいとたとえば思ったとしても、そこにがいないのであれば、 なんの意味も無いからね。がいる京なら、帰ってみたいと思う。ただそれだけだよ」 たまに本気で腹が立つほど憎らしい彼ではあったけれど。 今彼が言っていることは、そういう、からかったり、楽しんだりしている時と同じではないのはわかった。 彼を不安にさせる相手が、自分で良かったなんて、おかしなことをわたしは考えてしまっていた。 彼の、今はもう何もなくなった、鎖骨の間の辺りに、服の上から手を添えた。 少し離れた場所に置きっ放しにしてきてしまった荷物の方に視線を向けた。 風になびく彼の髪は、本当に美しくて。 わたしにとっては彼の方こそ、華そのものなのに……。 そんなことを考えながら、繋いだ手に少しだけ力を込めた。 握り返してくれる彼の手の優しさに、さっきまでとは違う、幸せな胸の痛みを覚えて。 蕩けるような極上の微笑みを彼は返してきた。 キリ番(3333)創作です。 ちょっと弱ってる友雅さんを書いてみたたかったっぽです(初書きのくせに) そして、お互いがお互いにとっての花であって、その存在そのものが、幸せを運んでくるような、 そんな隠しテーマがあったような気もします。 special thanks : メンソール様。 友雅さんの台詞を一箇所考えていただきました。そこだけ素敵すぎで申し訳もっ!! |