その瞬間に。
はぁ……。別に何があったてほどのことでもないんだけど。
なんとなく、ね。疲れたなぁ、とか、何もしたくないなぁ、なんて思ってしまって。帰るのもメンドウで、
ダラダラと、英語科準備室に残ってた。
職員室に比べたら放課後に人がいる確率が低いから、意外と寛げる。
何もしたくないくせに、コーヒーだけはきっちりサイフォン(私物)で淹れてみたりして。
他に教員たちがいないのをいいことに、お気に入りのCDをプレイヤーにセットする。
窓の外の、部活に励む学生たちをなんとなく眺めていると。
コンコン、と準備室の入り口をノックする音。
寛ぎタイム終了?
そんなことを思いながらCDをストップさせて
「はい……」
短く返事をすると。
「失礼しま〜す」
明るい声と人懐こい笑顔で、
「お〜、おった、おった、ちゃんv」
語尾にハートつけて現れたのは、予想したどの人物でもなくて。
「なんだ、姫条くんか…」
思わず声に出して呟いてた。
「なんだって、なんや?ホンマ、失礼なやっちゃな。いつもいつも」
こんなやりとりの時も、いつもなら笑顔を絶やさない彼だけど。今日はどこか不機嫌そうに、見えた。
少し気になったけど。
「匂いに誘われて来たんでしょ?はい」
さっき淹れたばかりのコーヒーを、姫条くんの分もカップに注いで手渡す。
そして、止めてあったCDも再生。
「ちゃうて……そりゃ、コーヒー好きなんは事実やねんけど」
カップを手に、空いている椅子を引き寄せて、憮然とした表情のまま、
当然のように姫条くんはわたしの隣に座った。
「今日は、質問があってな?」
は……?万年補習組の姫条くんが質問?氷室先生もビックリだね。
「なんや?その目ぇは。まぁ、しゃあないわな。ここはオレに似合う場所ちゃうし」
なんだか、少し寂しそうに見えた。
言われてみれば、ここに赴任してから数ヶ月の間、校内の様々な場所で、
わたしに纏わりついてきてた彼だけど、準備室にまで来るのは初めてだった。
「……てことは。今日こそは勉強の話なんだ?」
だいたい彼は。いつもいつも、「一緒に帰ろv」とか、「デートしよv」とか
こっちの立場まるで無視で、どこでも構わず懐いてくるから、いろんな意味でわたしが睨まれるんじゃない?
「今日も、ちゃいますけど?」
当たり前とでも言いたげに涼しい顔してる。
はぁ……やっぱり?
コーヒーに口をつけ、少し呼吸を整えてから、
「で、今日は、何、かな?」
なるべく冷たくならないように言ったつもりだったんだけど。
「はは……ホンマそっけないわなぁ、ジブン。ま、そんなとこも好きやねんけど」
冗談めかした口調とは裏腹の真剣な顔に、ドキッ////
ヤバっ。今、顔赤いかも////
いい加減慣れようよ自分。彼のこういうのはいつものことじゃない?
実際、高校生にしとくのはもったいないくらい(簡単に言えば好みのタイプ)だと思ったりもしてたけど。
時々彼のペースに巻き込まれそうになる自分にため息が出る。
高校生だよ?現実問題として、どーなわけ?
「…で。本題に入るけど、ええ?」
焦ってるこっちのことなんかお構いなしで。
姫条くんはわたしの顔を覗き込んでから、「コホン」…咳払いして姿勢を正す。
つられてわたしも背筋を伸ばす。
「氷室せんせとつき合うてるって、ホンマ?」
――――――はぁ?
そう言えば。
前にも女子生徒数人に「どういう関係なんですか」なんて聞かれたことあったっけ。
確かに、氷室先生とわたしって、仲が良いように見えるかもしれない。
でも、それって。
高校の先輩と後輩っていう気安さもあるし、氷室先生のあの性格に他の人たちがついていけないだけで、
わたしとしては、特別な感情と言うよりは、あの、完璧と思わせる態度の裏に時々見え隠れする、
かわいらしいところをおもしろがってるだけ、なんだよね・・・って失礼か。
「それ、本題なの?」
拍子抜けして(…ってどんな質問想像したのよ////わたし!)つい、聞き返してた。
「本題っちゅうか、まぁ、一部やね。で、どうなん?」
少し上目遣いに促されて。
「そんなガセ情報どこで掴まされたの?流行に敏感な姫条くんらしくもない」
ちょっとからかい気味に答えると、姫条くんは眉間に皺を寄せて。
「せやかて、見たヤツがおるんやで?ジブンと氷室せんせが腕組んで
なんや、怪しげなバーから出てくるとこ」
吐き捨てるように言う。
あぁ、昨夜のことか。
昨日の放課後。職員会議の席でのこと。
生徒間の恋愛問題までは関知しないが、教師と生徒となると話は別だ、
などと言い出した教員がいて。なぜか数人がわたしの方を見ていて。
「軽率な行動は控えるように」とか「認識を改めるように」とかその他諸々、もう忘れたけど。
なんのこっちゃ?ってカンジだった。
で。ムカムカしてたところを氷室先生に誘われて、飲みに行ったわけだけど。
氷室先生の同級生、つまり、わたしの先輩でもある人が、マスターをしているその店で。
「確かに、わたしは、生徒たちとの距離感が他の教員と比べたら近いかもしれないよ。
誘われたら一緒に帰ることもあるし、屋上で昼食をとったり、
裏庭で生徒たちとまったりしてたり。
けど、別にやましいこととかないんだから、そういう教師がいたっていいじゃない?
生徒たちとの本音トーク、楽しいし勉強になるし」
みたいな内容を、そりゃあもう、ガバガバとお酒を飲みながら、半ばキレ気味に語ってて。
腕を組んでいたと言うよりもむしろ、
掴まれて帰らされるところを、運悪く目撃されたってわけね。
それにしても、勘違いにしても伝わるの早いよな…ていうか。
その、見たヤツってあんな時間にそんな場所で何してたの?などと考えつつも。
「うーーん……あれがつき合っている二人に見えたとしたら、氷室先生が不幸よね」
誤解させたままの方がこの先いいのかな?なんて一瞬思ったんだけど、
姫条くんがかまってくれなくなったら、それはそれで寂しいような気もして。
「恥ずかしいから、口外しないでね?」
前置きしてから。
「その、怪しげなバーとかいうのは、氷室先生と共通の知り合いの店。そこで酔っ払って絡んで、
ツマミ出されたってのが噂の真相なんだけど」
少し肩を竦めて見せると、彼は数回瞬きして。
「はぁ?……それ、ホンマなん?ジブンそれ、大人の女としてどうなん?」
どうやら疑いは晴れたようで、不機嫌な表情はなくなって、おかしそうに笑ってる。
「いいの!大人の事情で、結果そうなっちゃったんだから」
あっ。今のは本音過ぎたかな?……思ったときにはもう遅くて。
「悩み事か?……なぁ。ちゃんから見たらオレはガキなんかもしれんけど。
嫌やなかったら、言うて?
言うだけでも気持ち軽なったりするやん?」
真剣な瞳で見つめられると、思わず吸い込まれそうになる。
彼が女子生徒たちに恐ろしいほど人気があるのって、恵まれた容姿だけじゃなくて、
こういう優しいところなんだろうな、なんて思った。
「そう?じゃ、姫条くんに相談しちゃおうかな?」
少し笑ってから、昨日起きたことを掻い摘んで話した。
そして、自分のやり方が間違っているのかもしれないって、
不安な気持ちなんかも。つい、口にしてた。
終始、黙って聞いていた彼だけど、その時突然言葉を発した。
「答え、出とるやん」
なんだか、めちゃくちゃ優しい笑顔だった。
言われた意味が理解できなくて目をパチパチしてたら。
「簡単なことや。もしな、昨日他のせんせに言われたことが、正しい思うんやったら、
さっき、オレにコーヒー手渡した時点で失敗その1や」
正しいと思うなら、失敗?
「で。氷室せんせとのことオレに答えたんがその2。プライバシーに関することやで?
答える必要ないやん?」
聞いたキミがそれを言うのね……
「更に、なんに悩んでるんか話してくれたんがその3や。もう、わかったやろ?」
なんかまた、笑ってるし。正直、良くわからなかったけど。
「つまり、昨日、他の先生たちに言われたことを、わたしが正しいと思っていない。
そういうこと?」
言うと、良くできましたってカンジに、姫条くんは大きく「うん、うん」って頷いた。
「そうや。自分が間違うてる思たら、やり方改めるやろ?子供やないねんから。
それをせんかったちゅうことは、そーゆーことや」
なるほど。そうなるのかな?けど。
「例えば、自分が正しいと思ってたとしても、それが本当に正しいかってことは、
また別なんじゃないの?」
他の人に間違ってるって思われたら結果は同じじゃないの?
「自分が正しい思た道に進んで何が悪いん?そりゃ、人からいろいろ言われて
不安になるっちゅうんもわかる。けどな?オレはちゃんのやり方が
間違うてるとは思わん。他のせんせが思う理想の教師と
生徒が求めとるんが、ズレとるって証拠や」
やたら力強く否定されてしまって、気持ちが少しずつ浮上してくるのを感じた。
わたし……自分で思ってたよりもずっと、昨日のこと気にしてたんだ。
そのくせ、行動を改めないあたり、頑固だよね。
なんだか少し、笑えた。
「ちゃんは、そのまんまが、ええ」
聞き逃しそうなくらい小さな声で、少し俯いて姫条くんが呟いた。
思わず、ジッと見てしまったら、視線にハッとして、
「ただ、昨日みたいな、誤解を招くような行動はどうかと思うねんけど」
拗ねたような表情で早口に付け加えた。
なんだか、本当に。
気持ちが晴々と軽くなっていくのを実感してしまって。
無性にお礼を言いたい気分になって、
「姫条くんのおかげだね。迷い、無くなったよ。ホント、ありがとう」
正直な気持ちをそのまま言葉にした。
姫条くんは椅子から立ち上がって、大きな手をわたしの頭に軽くポンポンと乗せると。
「惚れんなや?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた後、わたしに背を向けて、歩き出した。
後ろ姿に。
「え〜?ダメなの?」
甘えるような口調で言ってみた。冗談きつかったか?……思った瞬間
振り返った彼の日焼けした顔は、もう、真っ赤で。
「な////今の、なに?なんやスゴイこと言われたような気ぃするんやけど…」
ボソボソと硬直したまま呟いてる。
「あ、深い意味、ナシ」
ことさらあっさり言うと、ガックリ肩を落として。
「最悪や…この人……」
嘆いてるって言葉がぴったりだった。なんだか、おかしくて、かわいくて。
「ね、姫条くん、帰るんでしょ?もう少し待ってて。一緒に帰ろ?」
初めて、自分から誘った。
この人と。
もう少し、一緒にいたいって、初めて思った。
「ホンマ?待つ、待つ。いつまででも待ってんで」
ぱぁっと笑顔になった姫条くんの言葉に、笑いながら片付けを済ませて、
一緒に準備室を後にした。
そう言えば、結局。
質問に来たって彼は言ってたけど、本題の一部しか聞かれてないよね。
ま。いいか。今日のところは蒸し返すのは、やめておこう。
答えられない質問だったら、困るし、ね。
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大人主人公が、「初めてまどかをちょっと意識する瞬間」
を書いてみたかったのですが…書けてない(泣)
そしてパチもんクサイ関西弁は。
気にするの禁止(汗)
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