「臭い」


「あ、ごめん。朝食べたガーリックトースト・・・もしかしたらガーリックが強すぎ」


「違う!胡散臭いの方だ胡散臭いの方!!君が食べたガーリックトーストの匂いなんて気にしてない。
そこら辺の異臭となんら変わりがないからな。気にするなジョン、大抵の女はそういう男とは素早く縁を切る。
だから気にせず毎日ガーリックトーストを食べ、コーヒーでも飲んでろ」


「ご忠告どうも」










僕が朝食べたガーリックトースト云々はさて置いといて。



ドドリーが持ってきた2ヶ月前の新聞の紙切れ。



それはロンドン中の赤毛の人々に向けて送られたメッセージだった。



その紙切れをドドリーが読み上げ、シャーロックは自らそれを拾い目を通す。
そして机の上にすぐ放り投げ、最初の一言に戻る。






「週給650ポンド、月収にして2600ポンドとは中々の高額だ。
世界景気最悪の真っ只中、そんな羽振りのいい人間はまず居ない。居たとしたら
高額の宝くじを当てて老い先短い年寄りか、お人好しの資産家くらいしか思いつかん。あぁあと、どっかの国の王宮あたりか。
国の滅亡を考えて赤毛の人間限定で金をばら撒く。まぁ大抵どれもハズレだろうがな」


「それで貴方は、この割の良い仕事に2ヶ月通ったんですか?」





シャーロックの適当な推論は置いて、僕は話を進める。






「あぁもちろんだとも。最近、イギリスじゃ煙草を吸う人はめっきり減ってね。色々法律改正とかもあったし
なかなか収入にありつけないんだ」


「喫煙が難しいにも程がある。だから吸えない、だからニコチンパッチっで凌いでいるんだ。有り得ないだろう!
一箱20本で5ポンド(日本円:約750円)なんて喫煙者にとっては死ねと言っているようなもんだ!!」



「その気持分かるぞシャーロック」



「ありがとうドドリー」



「呼吸器にも肺にも優しいからそれくらいで丁度いいんだよ」



「全くジョンは喫煙者の敵だな。君は煙草の魅力が分からないからそんなことを言うんだ」



「分かりたくもないね。・・・ていうか話が逸れてるじゃないか!」



「あぁそうだったな。ドドリー、話を戻せ」








煙草の話に行きそうだったので話を戻そう。


とにかく、赤毛の人達へ向けたメッセージにシャーロックは異議を唱え
僕は違和感を感じていた。



週給の値段が月給並みの値段に

何故か赤毛の人限定というところ。

もし僕が赤毛ならそんなオイシイ話に飛びついてしまいそうになる。


胡散臭い、とは思うけれど。





「法改正がある前は煙草は景気よく売れていたし、人も雇えてた。
だが此処数年、売上は激減して人を雇うのも苦しいくらいに火の車状態だ。自分の生活だけでも保っていくのもやっとさ。
人員削減、と言わんばかりに店員も雇えて1人が限界だ」



「奥さんはどうした?4年前、見た時は居ただろ?まさか愛想をつかされたとかじゃないだろうな?」



「いや、妻は病気しがちでな去年先立たれた。今では俺と、雇ったロバート・レイヒーという少し若い男だけだ。
歳はシャーロックと然程変わらんだろう。生活も苦しいが雇っている以上給料は払ってやらんとな。
だが、ロバートは仕事を覚えたいというので給料の半分で良いと言ってくれた」



「有難い人員ですね。シャーロックと歳が変わらないなんて、君も見習うべきだな」



「僕だって世界にとって、イギリス全土にとっては有難い人員だ。見習うんだったら僕を見習って欲しいものだね。
世のため人のために、事件をこうやって解決してやっているんだから」



「君の場合、事件は君の選り好みで決めているようなもんじゃないか」



「話を続けろドドリー」






僕の言葉を完全にスルーしたシャーロックはドドリーに
話を続けるよう促した。






「ロバートは頭が良くてな。他の所で働くことも進めたが、ウチで働きたいというから雇っている。
しかしあの男にも欠点があってな」



「欠点?」


「何ですかそれは?」







ドドリー氏の言葉に、シャーロックと僕は眉間に皺を寄せかの人物を見つめる。

すると大袈裟すぎる、と言わんばかりにドドリー氏は笑う。





「なーに、大した欠点じゃない。あの男は写真が好きでな、三度の飯より写真が好きと言わんばかりに撮りまくっては
ウサギが巣穴に逃げこむみたいに地下室へ飛び込んで現像に明け暮れるんだよ。出来のいい男でも欠点はあるって話さ。
だが根は良い奴なことに変わりはない」



「シャーロックが地動説や天文分野が分からないのと一緒ってことか」



「うるさい黙れ。ジョン、いい加減そのネタを持ち込むのはやめろ」







僕が冷やかしたように言うと、シャーロックは不貞腐れたような表情になる。


僕らのやりとりに「面白いなお前ら」とドドリーは笑う。
そんな笑う彼にシャーロックは咳払いをして、身なりを整える。







「その、ロバートとかいう男・・・まだ君の所で働いているのか?」



「あぁ。妻は居ないし、ロバートは料理ができるからな・・・度々飯を作ってもくれる、良い奴だ。
雨露を凌げる家もあるし、必要な経費を払うくらいの金はギリギリだがある。それ以上のモノは何もなかったはずなんだ。
あんな紙切れに踊らされるまではな・・・」






そう言ってドドリーは紙切れを見る。






「コレに気付いたのはロバートの奴だった。丁度2ヶ月前、新聞を持ってきたアイツはこう言ったのさ。
『ウェルズさん。俺も赤毛だったらよかったのにって、つくづく思いましたよ』って」



「それがこの記事だったんですね」



「そうだ。最初はよく分からなくてな、どういう事だ?とロバートの奴に尋ねたらまじまじとこの記事を見せて
『団体の欠員が出たそうです。それに入れたらちょっとしたお小遣い稼ぎにもなりますし、もし俺が赤い髪をしていたら
こんな一世一代のチャンス、絶対にモノにできるのに』ってまるで騒ぐように言っていたんだ。
分からないからもっと詳しく聞かせてくれ、と俺はロバートに説明を頼んだんだ」



「ロバートに説明を?やけに詳しかったんですか、彼は?」



「あぁ。詳しいというか、まるで知人を俺に紹介しているようなそんな感じだったよ」



「どう思うシャーロック?」



「黙れジョン。ドドリー話を続けろ」








シャーロックの知恵を拝借しようと声を掛けたところ
教えてもらうどころか、黙れと一蹴された。


そして彼はいつものように、両手を合わせ指先を口元につけて考え込んでいた。

彼は考えこむ時はいつも、この格好になる。

確実に今現在彼は集中して、仕事モードに入っている。









「ウマイ話とは思ったさ。何せ週給650ポンドだからな。だが、赤毛の人間なんて、5万といるに違いないが
まぁ、見ての通り・・・俺の赤は生まれつき、血のように真っ赤な赤をしている。
正直銃の扱いと、この髪だけは負けない自信があった」


「銃の扱いのところ。其処はファミリー内で、って付け加えとけ。其処にいるジョン・ワトソンは
僕が知っている中で一番の銃の名手だ。もし君とガンマン対決したら、確実にジョンが勝ち、君が負けることは目に見えている」


「ほぉ、なかなかやるなアンタ」


「それほどでもないよ。さぁ話を続けて」







また話が逸れそうだったので、僕は褒められることを
心の中で喜びつつ話を戻した。






「とにかく行ったさ。目的の場所に、記された時間通り着くようにな。もちろん、1人で行くのも何だか怖かったし
ロバートがやけに詳しかったからな・・・何かアイツが知恵を授けてくれるんじゃないかと思って、連れて行った。
昼前に店を閉めて、2人でフリート街ホープスコート七番地まで。
其処に赴くと、まぁ色んな赤色の髪の毛の奴らがいっぱい居た・・・男も女もって書いてあったから
5万、とまでは行かなかったが・・・なかなかの人数が揃っていたな。
しばらく並んで待っていたら、意気揚々と『俺なら受かる』と思って入っていた奴も、数分後には
肩をがっくり落として帰っていく姿の奴を何度と見た。それでようやく俺達の番が回ってきたんだ」





「ほぉ・・・それで?」






「中に入ると、上品な椅子2脚と、長いテーブルが一つあった。
テーブルの向こう側には、ジョン・・・あんたくらいの小さな男が座ってた」




「小さくて悪かったな」

「例えだジョン。気にするな。それで?」





ちょっと苛立ちながらも、話は続く。







「男の髪も、俺の赤には劣るがなかなか良い線行ってた。
応募者の前に来て二言三言、言葉をかわしてはあら探しをして不合格にしてやってた。
まぁ人生、そう簡単に大金が手に入るわけじゃねぇなって思っていたんだ。だけど、俺とロバートの前に来た途端
男の態度は急変して、他の奴らよりもずっと愛想が良くなったんだ。
それで部屋の扉を閉めて俺達三人だけで話ができるようになったんだ」



「要するに、その男のお眼鏡にかなったわけか」



「あぁ。向こうから名前を問われる前にロバートが俺を紹介したら、男は素晴らしい髪質をお持ちで・・・と
嬉々として喜んでいやがった。そして俺の手を握り『貴方は素晴らしい・・・合格です』と告げた。
だが、向こうも用心に越したことがなかったのか俺の自慢の髪を思いっきり引っ張りやがったんだ。
銃を持っていたならその男を迷わず殺していたところだったぜ。そいつは『用心のためですよ。以前も
嘘をつかれてた事もあったので』なんて言ってやがった」



「自慢の髪を偽物呼ばわりされてはな・・・確かに腹は立てるが、あんまり怒らなくなった辺りは成長したなドドリー。
昔の君は喧嘩っ早く、すぐに銃をぶっ放していたからな。あの頃と比べたら成長したんだな君も」



「人間歳を取ると、怒るのを諦める。まぁこんな髪色だしな、偽物と疑われてもおかしくはない」








確かに、ドドリーのような赤い髪をした人はロンドンじゃあまり見かけない。
特に本当に「真っ赤」という言葉に相応しい程の髪質は滅多にないだろう。

男が髪の毛を引っ張るのは当然かもしれない。
被り物や簡単な毛染めと思われても仕方がないからだ。









「俺の髪の毛が本物だって分かった途端、男は窓際に寄ると外に向かって大声で『欠員は埋まりました』とだけ叫んだ。
欠員は2人って書いてあったから、多分俺より前に1人決まっていたんだろうよ」



「それは男性ですか?女性ですか?」



「確か、若い女だったな。帰り際に見かけた。男が外に向かって叫ぶと、外に居た赤毛の奴ら全員肩を落として帰っていったよ。
残ったのは、俺とロバート、そして俺の目の前にいる男になったんだ。男は手を差し出して
『私は団体のメンバーでアリノア・マイクと申します』と自己紹介したんだ」






ようやく、紙切れにも書いてあった名前の男が此処に来て登場。

しかし本当に団体のメンバーは皆赤毛なんだ、とか考えたら
何だか目が痛くなるような話だ。


唯でさえ、ドドリーの髪だって「真っ赤」と言えるくらいに赤いのだから。






「アリノアっていう奴も、団体の基金から恩恵を受けているらしい。それでそいつは
俺に結婚はしてるか?家族は?って尋ねてきたんだ。結婚してたとはいえ、去年妻には先に逝かれたからな。
家族といえるのは」



「助けた猫くらい、ですよね」



「まぁな。とりあえず、猫と俺との暮らしだって言ったらアリノアの奴は驚いたんだ。
世界の終わりと言わんばかりのリアクションでね。大袈裟すぎるだろ、って俺が笑いながら言うと
向こうは向こうで『大問題ですよ!この団体の基金は赤毛本人の扶助だけじゃなく、子孫の繁栄と発展を目的として
いるのですから、ウェルズさんが独り身でいらっしゃるのは非常に残念なことです』って肩を落としながら言ったんだ」



「子孫繁栄と発展の目的。あーもうこの時点から胡散臭い匂いがする。
ジョンが今朝方食べていたガーリックトーストよりも、臭いな」


「明日からガーリックトースト食べるのやめるよ」






他に良い例え方はないのか?とシャーロックに言いかけたが
僕が反論した所で、上手い事言いくるめられるし、反論の言葉も見つからないから
とにかく明日からガーリックトーストを食べるのをやめるようにしよう、等と思っていた。








「だが、ドドリー。その何とか団体から2ヶ月、きっちり金は貰ってたんだろ?」



「あぁ。家族が居ないのは致命的だが、俺のような真っ赤な髪は特別扱いせざる得ないって言われてな。
それでアリノアは『仕事はいつから来られるか?』って聞いてきたんだ。普通なら明日からでも、と言いたいところだったが
如何せん、俺には店もあるし・・・最近、体調が悪くてな。医者からも肥満体質から起こる症状だって言われたんだ。
それを伝えたら、隣に居たロバートが『大丈夫ですよウェルズさん。店は俺が見ますから』って言ってくれたんだ」



「ホント、良い人ですねロバートは。シャーロックも見習え」



「フン、余計なお世話だ。それで・・・勤務時間はどうなんだ?」



「朝の10時から昼の2時までだ。正直、その時間より後のほうがどっちかと言えば店も忙しかったりするし
朝方は仕入れた商品を並べなきゃいけないからな。まぁ俺が居なくても、ロバートは出来の良い店員だから
本当に困ったことがない限り、安心して任せれる。だから時間的な都合は付いた。給料の面でも、ちゃんと650ポンド。
紙切れに載っていた通りの金額を支払うって言ってくれたさ。ただし、その4時間は部屋から一歩も出るなって釘を刺された。
勤務時間内に事務所から出るのは規則違反だから、って」



「仕事を途中で放り出さないように言う決まり文句だな」

「君なら5分も経たずに『つまらん』って言って外に出るだろうね」

「さすがジョン。分かってるな」



「だが、それがどんな事情があってもだって言われたんだ。病気であろうが、仕事であろうが絶対に事務所に居ろってさ。
さもなくば仕事を失う形になるって・・・決まり文句どころか、半ば脅しのようにも聞こえたよ」



「そういえば、仕事っていうのは一体どんなものなんです?」








紙切れには「軽徴な任務」とだけ書かれていた。

ちょっとした大金を払うのに、軽徴な任務と銘打つとなると気になる。
世の中を見ていれば分かる、そんな金額を出すんだ大体が割に合わない仕事ばかり。


一体どんなものなのか、其処が僕は気になっていた。







「仕事は、大英百科事典を書き写すことだけだ。本棚に第一巻が置いてあるから、紙とペンだけを用意して来いとだけ言われた。
椅子と机は団体側が用意するって」


「本当に軽徴な任務だな。軽徴どころか馬鹿げてる」


「それで週650ポンド・・・4時間居て、それだけの額が貰えるなら僕が引き受けたいくらいだ」


「なら引き受けて来い。髪を真っ赤に染めれば問題無いだろ?これで家賃の心配もしなくていいからな。
ハドソンさんも喜ぶぞ」


「僕は髪を染めるなんて嫌だよ。せっかく親からもらった体なんだ、大事にしたい」


「君は何処の女子だ。それだけ割の良い仕事ならドドリー、ジョンに紹介してやれ。
とりあえずジョンは髪を赤く染めるところからスタートだな」


「おいシャーロック!?」







シャーロックが冷やかすようにドドリーに、僕に自分の仕事を紹介しろと言う。

しかし目の前の赤毛の小太り男は
先ほどとは裏腹に何だか気持ちが下がり、表情は悲壮的なものを帯びていた。


僕らは笑いながら話していたが、彼のそんな表情を見て笑いながら言い合うのをやめた。








「2ヶ月、通った」


「それはさっきも聞いた。だからジョンに紹介」


「もう無理なんだ」


「どういう事だ?」









さっきまでドドリーはあんなに割の良い仕事を自慢していた。

だからまだ続けているとばかりシャーロックも、僕もそう思っていた。



シャーロックが眉間に皺を寄せながら、ドドリーに尋ねる。








「今朝方も、いつものように仕事に行ったんだ。でも、事務所に行くと・・・コレがあったんだ」






すると、ドドリーは自分のスマートフォンを取り出し
画像フォルダからある写真を一枚取り出し、見せてくれた。










【赤き者の集いは本日を持ちまして解散します】









小さな厚紙に、パソコンで打ち込まれた機械的な文字。

その四隅を画鋲(がびょう)で止めてあった。



その画像を見た途端シャーロックは笑う。







「ホラ見ろ、胡散臭かった。滑稽すぎて笑いが止まらん」



「シャーロック、笑うのは・・・失礼だ」



「そう言ってる割に、君も笑っているじゃないかジョン」




「お前ら!笑ってる場合か!!」








笑う僕らを他所に、ドドリーは顔を真っ赤にして憤慨していた。

その赤は自らの髪と同じくらい赤く、怒りが滲み出ていた。








「滑稽だから笑うんだ、何がおかしい?」


「こっちはせっかくの職を失ったんだぞ!割の良い仕事を!!」


「分かった分かった。とにかく、これを見た後どうしたのか教えろ」







怒るドドリーをシャーロックはやる気無さそうに宥める。


ドドリーは先程まで鼻息荒く怒っていたが
何とか己を宥め、口を開いた。







「慌てたし、どうしていいのか分からなかった。だから、近くの事務所を手当たり次第探して聞いたんだ。
だが、誰一人としてこの件について口を揃えて『知らない』と言い張る。だからビルの家主を尋ねた。
団体の事務所の真下に家主は自分のオフィスを構えていたからね。そして聞いたんだ、団体の事を。そしたら家主の口から
とんでもないことが零れてきたんだ」







そして彼の口から聞かされる話に
僕は不安になったけれど、シャーロックはただ、ただ・・・不敵な笑みを浮かべていた。




笑う探偵-Detective laugh-
(アクアマリンのような瞳には既に真実が見えていたのだろうか?) inserted by FC2 system

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