今でも、携帯を見て
あの日送られてきたメールを何度もなんども読み直す。
「シャーロックさん」
追い詰められた探偵を救うべく、私は精一杯奔走した・・・彼のために。
殺人事件を狩りのように楽しんでいたけれど
決して自分の手を血で染めたりしなかった・・・。
人を殺すなんてしなかった。
人を拐うなんてしなかった。
ただ彼は”楽しんでいた“のだ。
奇怪な事件を解決する、その楽しみを。
彼の側に居た、親友のジョンからそれは何度も聞かされているし
私自身も其処は疑いもしなかった。
探偵として、時に嘘をつくけれど
シャーロック・ホームズという男からは”まっさらな真実“という
透き通る、爽やかな香りしかしなかった。
例えて言うなら、ミントのような・・・でも、鼻につくライムの香りにも似ている。
嘘つきの匂いは、いつも反吐が出るほど嫌な匂いがするのに
シャーロックさんは違った。
彼のつく嘘は、真実を求めるための嘘だから。
だから、嘘だと今でも信じてる。
信じているのに、メールが消せない。
「シャーロックさん・・・っ」
私は携帯を抱きしめ、涙を流す。
最初は何かの間違いかと思ったが
メールの送られてきた時間をジョンに行ったところ
送って数秒後、彼の携帯にシャーロックさんは着信を入れ、会話をし・・・ビルから身を投げた。
そして私の携帯の画面は、彼がビルから飛び降りる直前に送られてきたメールのまま。
『君が奔走してると思ってメールを送ることにした。
もういいやめろ。もうすぐ全てが終わる。
こんな僕のために君が時間を費やすことはない。だからもう、いいんだ。
だが、1つだけ言わせてくれ。ありがとう。
僕の声で言うと、素直に言えないからな・・・メールは時に便利だよ。
言えない言葉を素直に、書き示せるんだから。
君も、きっとそうだろうと思っている』
言いたい気持ち、いつも素直に言ってやらなかった。
もちろんあの人だって同じだった。
互いの口から出る言葉は、いつも気持ちとは
裏腹で皮肉で、それでも・・・心の中では、ちゃんと分かっていた。
彼の本当の言葉も、気持ちも。
言わなくても、分かっていた・・・通じ合っていた、そう・・・・・・信じていた。
『君の今、情けない声が聞けないのが、残念でならないが
むしろ、聞いてしまえば気持ちが揺らいで留まりそうだ。だから、メールを送った。
ちなみに返信しても僕は返さないのが殆どだから返信するなよ。正直メールを打つのも面倒なんだからな』
だから、いつもジョンや私にメールを打たせていた。
自分で打つのは面倒だからってそう言って・・・でも、そう言いながら
長い文面を彼は一通のメールに打ち込んでいた。
返信しても、返さないじゃない・・・もう、返せない。
返信しても、もうずっと・・・彼からのメールは返ってはこない。
『最後に。
君が側に居ると、事件以外のことで退屈が凌げた。
君にシャーロックと、呼ばれると何だか嬉しくてたまらなかった。
君と一緒にいると、つまらない世界がほんの少し楽しめた。
度々、君に惚れたのは間違いだと思っていたが・・・本当は違う。正解だった。今なら言える。
僕は君に惚れて正解だった。ただ、惚れて正解だというのを君に気付かれたくなかった。
気付かれてしまえば、君が離れてしまいそうで怖かったからだ』
離れて怖いのは、貴方だけじゃない。
私だって、怖い。
もう”離れてしまった“のだから
『・。
僕が世界で唯一愛した女へ宛てる最期の言葉だ。
不器用な愛ですまなかった。
僕の言葉で傷つけたこともあっただろう。それも謝る。すまなかった。
だけど、これだけは言える』
行間をたっぷりと、空けて・・・一番最後に、出てきた文面。
『、僕は君を愛してる。
誰よりも君を愛してる。
今も、そして・・・この先もずっと。
それだけは、忘れないで欲しい。 S.H 』
メールを読み終わった頃に、携帯に連絡を入れても電話が通じることはなかった。
そう、彼はビルから飛び降りたのだ。
親友であるジョンがそれを目撃している。
このメールをジョンに見せると彼は苦笑を浮かべながら
「シャーロックらしくないけど、シャーロックらしい文面だ」って訳の分からないことを言ってた。
少し話した後、部屋を出る際・・・ジョンは、私にこう言った。
『君は、世界で一番ムカつく皮肉屋で高機能社会不適合者だけど
誰よりも頭が良くカッコいい男から愛されてたんだよ。誇りに思わなきゃ』
ジョンは精一杯笑って、私に言った。
私は「うん」と答え笑って受け止めたけれど・・・現実は空っぽのまま。
空いた隙間なんて埋まりはしない・・・死ぬまで一生。
なんて、感傷に浸っていたら背後から
「感傷に浸る暇もあるのか。ならば君は相当な暇人だな。暇を持て余すくらいなら
仕事でもしてきたらどうだ?それとも仕事が無くて困っているのか?災難だな」等と嫌味な声が聞こえてきそうだった。
相変わらず居なくなっても、彼の嫌味な事を言う声は耳に残る。
でも、愛を囁く言葉は耳に残ってはくれない。
だって滅多に言わない言葉だから、すぐに消えてしまう。
メールの一番最後の文面だって、普段のシャーロックさんなら絶対に言わない。
だから余計、耳に残らない。
残らないまま居なくなるのは、反則だ。
「・・・仕事しよ」
コレ以上嫌味な声が聞こえてくるのを避けたい。
唯でさえ悲しくて心がぽっかり穴を開けているのに、彼の声が聞こえてきたら余計泣きたくなる。
仕事をして、泣くのはやめよう。
でも、時々は思い出して泣かせて欲しい。
だから私は残しているのだ・・・あの日、彼から送られてきた最期のメールを。
このメールは消さずに残そう。
涙が枯れる、その日が来るまで。
しかし、涙が枯れるどころか呆れて出なくなったのは大分時間が経ってからのこと。
彼の頬を殴り、白い肌を赤く腫らしたのは言うまでもない。
このお話は、彼が「帰還」する前の(惨めな部分を曝け出した)私の話である。
まるでオペラ・ブッファのようで
(悲劇にも思えた、彼が戻ってくるまでは。だがこれは喜劇かもしれない)