忘れられる自信は今度こそあった。
だけど、やっぱり
アイツの顔・・・面と向かってみると
喋りかけてくれたりすると
心配されたりすると
忘れる事をしなくなる。
私の心から、一瞬だけ・・・蔵が居なくなる。
それを考えただけで・・・涙が止まらなかった。
「・・・っひっく・・・うっ・・・うっ・・・」
私は走って泣きながら会場を後にする。
こんな顔、蔵に見られたらまた苦しそうな顔をする。
侑士がうまく謙也に伝えてくれるだろう。
そう私は思いながら溢れる涙を外へと散りばめた。
ドンッ!
「あっ、ごめんなさ」
走っていると、私は誰かとぶつかった。
私は目を擦りながら謝る。
「いえ・・・・・・あれ??」
「・・・・・・?」
顔を上げると、其処にはと・・・銀色の髪をした立海の男子生徒。
「何じゃ、の知り合いか?」
「うん、幼馴染。、どうした?何かあった?」
「・・・・・・っ」
彼女の顔を見た途端、止まりそうだった涙がまた溢れ出る。
「。・・・ゴメン、雅治。先に帰ってて」
「分かった。しっかし大丈夫か?そちらのお譲さんは」
「大丈夫よ。私が送っていくから、心配しないで」
「そうか。ほんなら、電車乗るときにでも電話しんしゃい。迎えにいくぜよ」
「うん」
2人の会話を耳に入れ、の多分アレが期限付きの彼氏君なのかと思った。
「どうしたの、?」
「・・・・・・っ」
「うんうん。分かったよ・・・とにかく、落ち着こう。話聞いてあげるから」
の優しい声に
私はただ頷いて涙を流すのだった。
「ごめん、大分取り乱して」
「いいよ。・・・しっかし、お嬢様の部屋ってこうもシンプルでいいの?もうちょっと豪勢なのイメージしてた」
「前はピンク色してたけど、私が中学上がる前にこういう風なのに戻してもらったの」
アレから何とか泣きやんだ私は
魁さんを呼び、二人で車に乗り込んで
を家へと連れてきた。
部屋に入って、私はキッチンからティーセットを持ってきて
カップの中に紅茶を注ぎ入れ、に渡した。
「それで・・・どうしたの?急に泣き出したりするからビックリしちゃったわよ」
「ゴメン。その・・・元婚約者に会ってさ・・・話、したの」
「え?!・・・大丈夫だった?」
「何とか。ただ、もうその後が最悪すぎ。・・・友達と話して、取り乱した」
跡部との会話で何とか平然を装うも、侑士との会話で思いっきり私は取り乱した。
「ホント、今更バカなことしたって後悔してる。電話で呼び出されて、ノコノコ行ったのが間違いだったのよ」
「」
「だって、今なら自分の過去と向き合える自信があったから」
そう、自信があった。
今ならちゃんとアイツと・・・昔の自分と向き合える自信があった。
それだというのに――――。
「過去の私が言うのよ」
『アンタは私とは向き合えない。アイツを忘れる事なんて、到底無理なのよ』
「ってね」
目の前に立つ、以前の私。
長い髪の毛をなびかせて、笑いながら今の私を見る昔の私。
彼女は笑いながらそう言う。
その姿を見た瞬間から、すべてが真っ暗になった。
「その自信が見事に打ち砕かれてさ・・・もう、頭の中めちゃくちゃだし。
アイツが私との婚約を破棄したきっかけの子が・・・目の前に現れちゃうしさ・・・もう脳内がパンクよ」
「え!?ちょっちょっ・・・もしかして、との婚約破棄って・・・その人に別に好きな人ができちゃったから!?」
「うん。凄く可愛い子だったし・・・とても良い子だった。アイツの事、一番に考えてそうな子だった。
まぁ氷帝に居た時も、そういう人星の数ほど居たんだけど・・・そんな人たちとはあの子は違ったし・・・・・・」
「?」
私は少し間を置いて、ため息を零し――――。
「アイツが優しく笑ったのよ。私にはそんな顔・・・見せたことなかったのに」
初めて見た。
アイツの・・・跡部のあんな顔。
私にはそんな顔一つもしてくれなかった。
別に深い関係じゃない。親同士が勝手に決めた婚約だし仕方がなかった。
跡部が笑うように努力なんてしようなんて、私はしなかった。
逆にそんなことをしてしまえば、ウザがられるし
跡部を好く女の子達と同じようなことをしてると思っていたからだ。
でも、そんなことをしなくても。
私はそれでもよかった・・・アイツが側に居てくれるだけで、よかったのだから。
たとえ、私に微笑みかけてくれなくても。
「別にアイツに、特別好かれようとする努力なんてしなかったわ。むしろウザがられると思ってたし。
だからなのよ・・・私が何も行動を起こさないから・・・アイツが他の女の子を好きになったの」
「話聞いてると、向こうが浮気したって言う風に聞こえるんだけど」
「そう捉えられても仕方ないわよね。婚約者居るのに他の女の子好きになるんだもん・・・浮気と変わらないわ。
知ってたのよ・・・アイツに他の女の子の陰がチラついてたの」
「え!?・・・も、黙認してたの。アンタ、バカじゃない!!浮気だよ!!浮気と変わらないのよそれ!!
何で婚約者に言わなかったの?アンタは言える立場なんだよ、どうして言わなかったの」
「・・・嫌われると思ったから・・・かな。バカでしょ?婚約者としてビシッと言える立場にあるのにさ
”嫌われる“っていう理由だけで・・・・・言えなかった。見てて苦しいのに、言えなかった」
「」
はっきり「あの女と別れて。私婚約者でしょ」って言える立場にあった私。
それだというのに私は”言ってしまえばアイツに嫌われる“という
たったそれだけの理由で・・・跡部にあの子と別れてほしいなんて言わなかった。
言わなかったから・・・・・・跡部が本気であの子を好きになって、私との婚約破棄が成立してしまった。
「知ってたけど、わざと知らないフリした。だけど、私・・・何で東京離れて大阪に身を寄せたのか、アイツに言わなかった。
言えなかったのよ・・・正確には。ホントは好きで・・・好きで、それ忘れようとして・・・東京離れたって」
「・・・言えないよね、今更」
「アンタの事忘れるために東京離れた・・・・・・なーんて、言える度胸ない。ネックレスだって・・・捨てれるわけない」
私は首からさげていた星のネックレスを持ち上げた。
「外すな」と言われたから、外さなかった。
婚約破棄が決まってから、すぐに外せばよかったのに
できなかったのは――――。
「未練が、あったから・・・外せなかった。好きって言えないまま・・・大阪に行ったから・・・ホント、バカみたい」
「」
「さっきアイツにコレを”外せ“って、ものの数秒で言われた瞬間、心臓止まりそうだった。
ずっと、ずっと想ってたのに・・・私の気持ち、ものの数秒で打ち砕かれた。・・・辛いなぁ、ホント」
目じりが熱くなる。
思い出すだけで、其処が熱を帯び・・・涙が溢れてくる。
ネックレスを貰い
どれだけの時間、跡部の事を想い続けただろうか?
どれだけの日数、跡部の側に居続けたのだろうか?
口じゃ言いきれないほど、たくさん・・・たくさん・・・費やしたのに。
「最悪すぎる。私の気持ち・・・全部、木っ端微塵よ」
「・・・うん、うん。辛かったね」
溢れた涙が頬を伝い、流れ落ちる。
そんな私を見たは私を抱きしめた。
「私・・・わたし・・・っ、だから・・・・・・彼を、頼ってしまいそうだった」
「彼って・・・大阪の、恋人ごっこの?」
「今は、ちゃんと付き合ってる」
「え?!・・・嘘!・・・よかったじゃん、。想い通じたんだね」
蔵の話を持ち上げると、は嬉しそうに私に言う。
「でも・・・私、婚約の事とか話してない。話しちゃえば・・・彼だって、嫌になる。こんな私のこと、好きになってくれない」
「何言ってんの!の事好きって、本気で好きって言ってくれる子なんでしょ?だったら」
「だからだよ!だから・・・言えないよ。嫌いに・・・なってほしくない。ずっと、ずっと一緒に居て欲しいの。
昔の私なんて知られたくない・・・こんな未練引きずった私・・・知られたくない」
何のために関係を結んでたかって?
もちろん、跡部の事を忘れるためだった。
本当に最初は・・・蔵とは跡部を忘れるためだけに関係を結んでいた。
蔵には「忘れたい事を忘れるまで」と言葉を濁して。
だけど、彼に愛されるたび、好きって言われるたび・・・跡部への気持ちが掻き消されて
いつの間にか、蔵が・・・私の心を癒してくれた。
側に居るだけで安心した。側に居ないだけで不安になった。
他の子に告白されるだけで胸がむしゃくしゃした。私に笑いかけてくれるだけで、不安が飛んで行った。
私を抱きしめてくれるだけで、好きっていう気持ちがドンドン増えていった。
気づいたら―――――。
『、好きや。めっちゃ好きやで』
大好きになってた。
跡部への気持ちが心から消えて、蔵への気持ちが増えていくばかりだった。
「だからこそ、言えないし・・・頼れない。私が泣いたら・・・彼が苦しい表情をしてしまうから。
私のこんな醜い気持ちだけで・・・彼にそんな表情、させたくない」
「好きだからこそ、側に居たい。・・・だけど、それだから・・・不安になるのよね」
「アイツとの会話のときに、一瞬彼が私の中から消えて怖かった。怖くて、怖くて・・・彼が私の中から消えちゃうと
こんなに怖くて寂しいって・・・アイツ以上に・・・もう、もう私には・・・必要なんだって。
身代わりとかそんなんじゃなくて・・・・・・純粋に、ただ・・・私・・・っ、もう・・・・・・」
「彼が居ないと、生きていけない」
氷帝に居た頃、侑士によく言われた。
「自分と跡部は似てる」って。
最初は「性格的問題?」とか言うと、侑士は呆れた表情で私に言う。
「お前等は求めてるもんが同じっちゅうことや」って。
求めてるものが同じ?
その意味があの時はよく分からなかった。
だけど、その後・・・跡部がコソコソとあの子と会い始めた頃から
侑士の言っていた意味が分かり始めた。
私も、跡部も・・・・・・”誰かに愛して欲しかった“。
誰かに愛して欲しかったんだ。
跡部は私にそれを望んだ。だけど、同じくして私も跡部にそれを望んだ。
求めてる気持ちが同じだと・・・磁石のように、同じ極同士で反発しあい
決して繋がろうとしない。
だから跡部は、自分を愛してくれる・・・あの子の元へと行った。
決して周囲から許される恋ではないと、分かっていながらも・・・跡部は足を、あの子の元へと進めた。
残された私は、見捨てられた。
跡部が愛してくれないと分かり、塞ぎこんだ。
もうアイツの目には私よりも他の子が映ってしまっている。
決して自分のところには戻ってきてはくれない。
だから、心を硬く閉ざして・・・バラの棘を何十にも張り巡らせた。
もう愛して欲しいなんて求めないために。
求めてしまえば、きっと・・・また同じことの繰り返しになってしまうと恐れてしまったから。
だけど、蔵は・・・そんな私を愛してくれた。
「忘れたい気持ち忘れさせるまで」というそれだけの言葉で結んだ関係を。
彼は快く引き受け・・・言葉を、体を、重ねてくれた。
気づいたら棘が無くなってて・・・蔵のことが好きになってた。
だけど、一旦は否定した。
誰かを好きになっちゃダメだって・・・求めたら、その分自分への仕打ちがまた傷として残ってしまうって。
だけど、蔵はそんな私の気持ちを知らずに―――。
『お金で何でも買えると思うなや。人の気持ちなんて、お金で買えるもんやない』
私を叱ってくれたり。
『おぉ、お嬢様ご乱心や』
私をからかったり。
『謝らんでえぇって。そんな、嫌な事思い出して泣くなや・・・泣かんといて、』
ちょっと苦しそうな表情したり。
『側に居ってな・・・・・・』
微笑みながら優しく言う言葉だったり。
『また、来年・・・桜、2人で見に来ような』
手を繋いで約束事したり。
『好きやで、』
零れる言葉一つ一つが・・・私の求めているモノ全てだった。
だからこそ、蔵から離れてしまえば
蔵が私の中から消えて行ってしまえば・・・もう、私は生きている意味はない。
生きている価値すら、何処にもない。
「彼が居ないと・・・彼が居てくれないと、私は生きていけないっ。
アイツじゃない、彼が居なきゃ私・・・死んじゃう・・・死にそうなの」
「」
「アイツに会って、自分の過去と向き合える自信があったのに・・・いざ、アイツと会うと
彼が・・・消えて・・・消えていっちゃう。消えて欲しくないのに・・・消えちゃうから。怖い・・・怖いよっ」
「うんうん。の気持ち、分かるよ。でもいっそ自分が消えてなくなれば良いとか思うようにはならないほうがいい。
その方が・・・辛すぎるから」
「?」
私が泣きながら顔を上げると、は苦しい表情を浮かべていた。
「さっき居た、アレが私の期限付きの恋人なんだけど・・・私もね、アイツのこと・・・本気で好きになったの」
「ぇ?」
「その気持ち悟られたくなくってさ・・・いっそ、消えてしまいたいって思った。だけど、抱きしめられたときに
アイツの手から伝わってきたぬくもりとか震えとか・・・それを感じた瞬間、私バカな事したなって気づいたし
逆にね・・・本当は、死んだ彼じゃなくてアイツを見てたのかなぁとか思ってる。まだ、私自身・・・アイツの事好きになったけど
迷いみたいなものは・・・あるからね」
「」
私は彼という存在が消えて欲しくないっていう気持ちがあって。
彼女は好きな人の前から消えてなくなりたいっていう気持ちがあって。
私だけじゃない・・・も、辛いんだ。
「捨てたくなければ捨てなくていいじゃない」
「え?」
するとは笑いながらネックレスを持ち上げ私に言う。
「繋がってたいんでしょ・・・彼氏君と」
「ぅん。この子は・・・そのきっかけをくれたから。アイツとの思い出もあるよ。
だけど、それよりもこの中には、彼との思い出がアイツ以上に詰まってる。外したくないよ。
まぁ向こうも今は不安だから外さないでくれって言ってるし」
「なら外すな。もし彼氏君に外してって言われたら嫌の一点張りよ!此処で意地見せなきゃ」
「わ、分かってる。思い出は捨てたくない・・・もう、この中には、彼との思い出がたくさん、詰まってるから」
未練はもうない。
星のネックレスの中に、詰め込んだ私の跡部へ対する未練。
だけど、その未練はいつの間にか
蔵との生活によって、掻き消され・・・新しく、彼との思い出がたくさんたくさん詰め込まれていった。
楽しい記憶も、嬉しい記憶も、ケンカした記憶も、同じ日々を一緒に過ごした記憶全部。
だからこそ、外すのを躊躇った・・・恋人同士になってからも。
そしたら蔵が「不安だから付けてて欲しい」って言う言葉に、私は少しホッとしたのだ。
「大丈夫よ、。いつかちゃんと自分の過去と向き合える・・・その日が来るから。焦らず・・・ゆっくり、彼氏君と幸せ紡いどけ!」
「」
「私も、いつかちゃんと・・・アイツに、雅治に言うときが来る。もちろん生まれのことも話さなきゃいけない日だって。
その日まで・・・私も、幸せで居たいしね」
「うん。わ、私・・・のこと応援するね!」
「私だってのこと、応援するよ。焦らなくていいから、ゆっくり自分と話して、彼氏君にもそのうち打ち明けてね」
−これ、約束よ−
の帰った部屋で私は一人、座り込んだ。
「自分の過去と向き合う・・・か」
ふと、そう呟いた瞬間、氷帝の制服姿をした過去の自分が目の前に立っていた。
その姿を見て、私は立ち上がる。
『貴女には無理よ。昔の私と向き合うなんて』
「そんなことない。でも・・・今は、できないかもしれない。だけど!・・・今は焦らなくていいって気づいたの」
『辛い思いをするのは自分よ。跡部の事に関しても、蔵の事に関しても』
「辛いことも経験のうち、なーんて子供が言う言葉じゃないけどね。それも私が歩む人生だから仕方ないのよ。
楽しいことばかりじゃないって・・・気づいたから」
『・・・・・・・・・』
そう、楽しいことばかりじゃない。
氷帝に居た頃は、毎日が辛かった。
跡部の告白するところを目撃したり、変な噂を立てられたり
挙句、跡部が他の女の子を好きになって、仕舞いには婚約破棄までされて。
辛いことの連続で、表情が無くなった・・・笑うって事をしなくなった。
大阪に、四天宝寺に転校して・・・蔵やみんなと知り合って、私は変わった。
いや、変わったって言われた。自分じゃ気づかないうちに、私は変わっていた。
「ゴメンね。辛い思いを貴女に溜め込んでて。悲しかったよね、寂しかったよね、辛かったよね。
でも、もうそんな顔しなくていいよ。私、もう焦ったりしないから」
『・・・・・・っ』
私がそう言うと、目の前の私は涙を流し始めた。
そう、心の中の過去の私は辛かったんだ。
自分に焦り、過去と向き合うことで・・・蔵と対等になれるって思い込んでいた。
跡部との過去を払拭することで、蔵ともっと近づけるって思っていた。
間違いではないのだけれど・・・どこか、私は間違っていた。
それで、醜い私を生み出していたことも事実だ。
「もう大丈夫。少しずつ、一緒に・・・進もう」
『・・・ぅん・・・』
そう言って私は過去の私を抱きしめる。
彼女は泣きながら、私の中へと入り込んで行った。
入り込んだ過去の私、私は胸に手をあてた。
「もう、大丈夫だよ。私には蔵が居てくれる・・・蔵が、側に居てくれるから・・・きっと、いつか跡部のことも
自分のことも・・・全部話せる日が来るから。その時まで、ちゃんと私の中で生きててね」
焦らず、一歩一歩・・・進める。
だって、私にだって・・・大切にしたい人ができた。
それはアイツじゃない・・・私を心から愛してくれる人・・・・大好きな蔵。
いつか・・・いつか、ちゃんと昔の私の話、聞いて欲しいな。
そのときは・・・どうか、どうか―――。
変わらず私を、愛してて欲しい。
そうネックレスを掴んで、その中に願いを込めた。
--------ブーッ、ブーッ、ブーッ!
ふと、机の上に置いた携帯が鳴る。
私は其処に駆け寄ると、ディスプレイに表示された名前にすぐさま出る。
「もしもし」
『、俺や』
「蔵」
相手は蔵だった。
思わず声が喜んでしまう。
って、何喜んでんだ私!?彼は準決勝に負けて落ち込んでいるのに。
『何や、嬉しそうな声やな』
「へ!?・・・あっ、いや・・・ち、違う。ちょっと、ね。ていうか、ゴメン・・・先に帰って」
『えぇて、別に』
電話元の蔵はなんだか疲れてる声をしていた。
そりゃあだって・・・負けて落ち込んでるんだし、疲れもする。
「今、何処?」
『ホテルや。今からお疲れさんっちゅうわけで皆で流しソーメンすんねん』
「また?」
『またとか言いなや。経費削減や』
「さすが関西人、ケチるわね。何ならこっちで準備しようか?」
『いや、えぇわ』
すると、電話元の蔵がすぐさま答える。
いつもならちょっと考えて、また後で掛けなおすとか言うのに。
「そ、そうよね。私が居たら邪魔よね・・・お疲れ様会なんだから」
『すまんな。・・・・・・なぁ、』
「何?」
一旦、間があって蔵が私の名前を呼ぶ。
『お疲れさん会が終わった後でえぇねんけど・・・・・・ホテルに来てくれんか?』
「え?・・・い、いいけど。何時ぐらい?」
『何時に終わるか分からんから、終わりそうな頃電話するわ。えぇか?』
「別に、構わないけど・・・何?」
『来たときに話すわ。ほな、ちょっと行ってくる』
「ぅ、ぅん。行ってらっしゃい」
そう言って蔵は通話を切断した。
いつもなら自分から切らないのに、今日に限って自分から通話を切断した。
やっぱりベスト4なのがショックだったのかな?
去年と同様きっと泣きたい気分なのかも。
あの蔵のことだ。
泣くのを我慢するほどだったから、今年もきっとそうに違いない。
「めいいっぱい励ましてあげますか」
私は笑みを浮かべ・・・持っていた携帯を机に置いて部屋を出た。
だけど、この後起ころうとしている事に
私は気づきもせず・・・彼に逢うという喜びに浸っていた。
既に、溝が出来ているということにも、気づかないまま。
Ditch
(知らない間に、溝が出てきて・・・直せないところまで広がっていた)