『あら。さん、どうしたの?こんなところで』
『あ、園長先生。おかあさんを待ってるんです』
『え?』
『おかあさん。きっとお仕事だから、あたしのこと迎えに来れなくて。
だから、おかあさんを待ってるんです。きっとお仕事終わったら笑顔で迎えに来てくれるって』
『・・・そう。おかあさん、来るといいですね』
『はい』
でも、結局・・・私の”おかあさん“は迎えに来てくれなかった。
「・・・」
「んっ・・・あ、千歳」
「大丈夫ね?大分魘(うな)されとったよ」
目が覚めた。
横を見ると、千歳が心配そうな面持ちで私を見ていた。
アレから1日経った。
千歳と金ちゃんが私を家まで送ってくれて
私の姿に、お父さんもお母さんも驚いたが
千歳が何とか上手く誤魔化してくれた。
お風呂に入って、私はすぐさま部屋のベッドに潜りこみ
また・・・・・・泣いた。
だって、このベッドにも・・・蔵の匂いが、残っていたから。
彼の優しい匂いが鼻を掠めるたびに
涙が溢れて止まらず、白のシーツに灰色のシミを残していく。
それのせいで目を覚ましたとき
腫れぼったい。
「お前さん・・・また泣いとったな?アイツん事で泣くな言うたろ?」
「ゴメン・・・」
千歳の言葉に私は目の上に腕を乗せた。
「泣かんでよかやっか。なして泣くとね・・・もう、忘れなっせ」
「頑張ってるんだけど・・・・・・まだ無理っぽい。昨日の今日で忘れられたらホント、ラクなのになぁ。
いっそ頭ぶつけて、今までの記憶ぜーんぶ無くなればいいのに」
「それは俺が困る」
「え?」
千歳の言葉に、私は腕を退かし彼を見た。
彼は少し苦しそうな表情を浮かべて私を見ていた。
「千歳?」
「俺ん事ば忘れられたら・・・寂しかよ、」
そう言って彼は私の手を握り、微笑む。
大きな手から伝わってくる優しい温もり。
ふと、霞んで見える・・・・・・蔵の表情。
それを見た瞬間、私は握られている別の手で目を隠す。
「?」
「ゴメン・・・被った」
「・・・・・・」
「ゴメン、千歳。ホント、ゴメン」
私の言葉に、千歳は黙った。
忘れよう・・・忘れようと努力はしているのに
頭はおろか、心まで・・・彼を忘れようとしてくれない。
挙句、千歳に被って・・・・・・見える、蔵の顔。
私は目を隠しながら彼に謝る。
彼にとっては苦しいと思うから。
「ホント・・・ホント、私・・・最低だよね。ホント、ゴメン」
「・・・しゃんなか、今まで好いとった奴やけんね。すぐに忘れようってのが、難しか話たい」
「でも・・・・・・ゴメン」
そう言って私は彼に謝り続ける。
あぁ、そういえば・・・・・・。
「昔も・・・同じ事、してた」
「え?・・・誰に?」
「お母さんに・・・ずっと、ずっと私・・・謝ってた」
千歳にそう言って私は目を隠す手を少し退けた。
鮮明に蘇ってくる――――。
『ごめんなさい・・・ごめんなさい、お母さん・・・お母さん、ごめんなさい』
『いいのよちゃん。謝らなくていいから、さぁ涙を拭いて』
『でも・・・でもっ・・・ごめんなさいっ。ごめんなさい』
『ごめんなさい・・・お母さんっ』
「謝ってた。今はもうしなくなったけど・・・あの頃の私はずっと、お母さんに謝りっぱなしだった気がする」
「自分の母親に、何で謝らなちゃあらんとね?何か悪っかでもしたと?」
千歳の言葉に、私は小さく笑った。
「うん、悪いことかな。・・・思い方は人それぞれだと思うけど・・・あの頃の私はきっと、お母さんに悪い事してると思って謝ってた」
「」
「あのね、千歳・・・聞いてくれる?」
「ん?」
「私がずっと皆についてる嘘」
「え?・・・それって、白石との事か?」
「それとは、また別。私が一番知られるのを恐れていること。聞いてもらってワガママ言うけど・・・お願い」
「私のこと、嫌いになったりしないで」
コレを知られたくないから・・・私は今まで誰にも話さずに
心の奥底へと沈めていた。
”話せばきっと嫌われる“。
そう自分で思っていたから・・・誰にも話さず、隠しとおしていた。
「・・・ゴメン、無理言い過ぎよね」
「んにゃ、よかよ。大丈夫・・・俺はどぎゃん話聞かされても、ん事嫌いになったりせんけんが。
俺に教えてくれんね・・・そん、がついとる嘘ば」
「・・・ありがとう、千歳・・・」
彼の言葉に私はホッとした。
そして、深呼吸をして私は口を開き
誰にも明かしていない嘘を彼に話しだすのだった。
「そぎゃんこつがあったとね」
「そうよ。ホント、ちゃんと話したの千歳が初めて。金ちゃんには作り話みたいに教えてるから」
「え!?金ちゃんにも教えとっとね?!・・・よぉ喋らんね、あん子」
話し終わって、私は体を半分起こして彼と目線を
合わせて会話をする。
「皆には秘密って言って約束させてる。まぁあの子のことだし、約束って言ったらちゃんと守ってくれてるみたい」
「なるほどなぁ〜。そぎゃんやったら、金ちゃんも口ば固くすったいね・・・だっも分からんわけか」
「ゴメンね、千歳。ホントこんな話しちゃって」
「よかよか。だっかに話したら胸がスーッとすっけんね、俺でよかったらなんでん話してよかよ」
アレだけ暗い話をしておいて
千歳は本当に太陽のように私に笑って見せた。
彼も・・・蔵も・・・ちゃんと、話したら・・・こんな風に笑って――――。
「・・・・・・」
「」
「あっ・・・・・アハハハ、ゴ、ゴメンッ」
ふと頬から涙が伝い、零れ落ちた。
私は笑いながらそれを必死に拭う。
だけど、涙は溢れて止まらない・・・もう、どうしてこんなに上手く行かないのよ!
跡部の事は、跡部の事は・・・ちゃんと、ちゃんと忘れれたのに
どうして、どうして・・・蔵のことは忘れてくれないの!?
どうして・・・どうして・・・・・・っ。
「・・・泣かんでよか」
「・・・ちと、せっ」
私が泣いていると、千歳が抱きしめてくれた。
温かいお日様の匂いが嗅覚を刺激していく。
「お前さんはもう充分無理ばしてきた。もう無理せんでよか・・・俺が守ってやっけん。
は、俺が守るけんがもう泣きなすな」
「うっ・・・ひっく・・・うっ・・・うぅう・・・っ」
「、キツかったね。もうよかよ・・・無理せんでよか。俺が側に居っけん・・・ずっと居っけんが安心してくれ」
「千歳・・・っ・・・千歳っ」
温かい腕に抱かれて、私はまた泣いた。
涙よ、早く枯れて。
これ以上、私の周りの人を苦しめないで。
そのために、私は必死になって・・・良い子を頑張ってきた。
悲しんで欲しくないから、苦しんで欲しくないから。
でも、心のどこかは・・・優しさだけでなく・・・厳しさも求めていた。
愛して欲しかったのは事実だった。
そういう生まれと半ば育ちをしてしまったから。
だから、優しくされるだけで嬉しかった。
何か少し出来て褒めてもらうだけでも嬉しかった。
だけど――――。
『どうしたのこの割れたお皿の数々は?』
『実はお嬢様が誤って落とされたみたいで。何でもケーキを食べるお皿を探していたらしく。
椅子も使わず背伸びをされて・・・そしたら』
『そう。・・・・・・ちゃん』
『ごめんなさいっ!お母さん、ごめんなさい!!・・・私、わたし・・・っごめん、なさぃ』
『怪我はしてない?』
『してない・・・です。でも、お母さんが大事にしてたお皿・・・・・・割っちゃって・・・・・・ごめんなさいっ!!』
『貴女が無事ならそれでいいの。でもね、今度からはお皿を取るときは、お手伝いさんを呼ぶか
椅子を使って取るかしようね。いいわね?』
『怒らないんですか?』
『怒ってないわよ。だってちゃんは』
『お母さんの大切な娘ですもの』
何処か、違和感を感じていた。
何か・・・何か違うって、心が訴えてた。
千歳がホテルに戻って、部屋には私一人。
ベッドから離れて、部屋を出て・・・リビングへ向かう。
すると、扉が少し開いていた。
私はドアノブを掴んでそれを開けようとした―――。
『アナタ・・・やっぱりちゃん、様子が変よ。何かあったんじゃないかしら?』
『んー・・・昨日からやけに塞ぎこんでいる様子ではあるが』
開けようとした動作が止まった。
中でお父さんとお母さんが会話をしている。
私は扉の外でそれを聞き耳を立てる。
『私が側に居ないから・・・ちゃん、こんな事に・・・っ』
『お前のせいじゃないよ。私だって、の側に居てやれてないんだ。父親として、あの子に
何をしてやるべきか・・・私だって・・・お前と同じさ』
『でも、まだあの子・・・私たちに何処か、気を遣っているような気がして』
『それは、私も感じている』
『どうすればあの子が私達に心を開いてくれるか・・・もう、もうそれだけが・・・気になって・・・っ』
『お前が泣いてどうするんだ?私達は最善を尽くしている・・・これからも、今までどおりにしていけば
きっとは私達にも心を開いてくれるさ』
『でもっ・・・・・でもっ・・・・・・っ』
私はドアノブから手を収め、自分の部屋に戻る。
お母さん・・・泣いてた。
お父さん・・・困ってた。
私、わたし・・・ちゃんと、ちゃんと上手くしてるはずなのに。
どうして、泣いてるの?
どうして、困ってるの?
私、良い子だよ?
私、お父さんにもお母さんにも迷惑かけてないよ。
なのに、なのに・・・何で泣いてるの、困ってるの?
私が泣いてるから、二人に迷惑をかけてる?
私が塞ぎこんでるから、二人を困らせてる?
笑わなきゃ・・・笑わなきゃ。
「笑わな・・・きゃ・・・・・・笑って・・・・・笑って、私・・・っ」
震える声で自分に言い聞かせる。
私が笑えば、二人だってまた笑ってくれる。
私が笑えば、二人だって困った顔もしない。
私が・・・私が・・・・・・。
良く出来たお嬢様を演じれば、二人はまた笑顔になってくれる。
「笑って・・・。笑うのよ・・・笑わないと、二人が・・・悲しむ」
そう言い聞かせながら、私は涙を流し
部屋にと戻るのだった。
でも、どうやって私・・・笑ってたんだろ?
どうやって私・・・笑顔になれてたんだろ?
ねぇ・・・教えて。
「・・・蔵っ・・・私、笑えないよ・・・」
貴方が側に居てくれたから、私きっと・・・お父さんとお母さんを
困らせることなく笑顔のままで居させてあげれたのに。
笑い方が・・・思い出せない。
ねぇ、教えて・・・どうやって、私笑ってた?
上辺だけじゃない・・・心の底から、笑ってた?
ねぇ、ねぇ・・・・・・。
「・・・蔵っ・・・」
きっと、私・・・貴方が側に居てくれたから、笑顔でいれた。
もう、もう貴方が側にいないと分かったら・・・笑顔を、笑い方を忘れてしまった。
貴方を忘れる事が出来ない代わりに、笑顔を私は忘れてしまった。
No Smile
(彼を忘れる事が出来ず、私は笑顔を忘れた)