『お前なんか大嫌いだ』
言い合いなんていつもの事だった。
言い合い、というか私がいつも一方的にいびっているだけ。
それでもアイツは笑いながら受け止めてくれるし、それに対しての返事だってくれた。
だけど今回ばかりは様子が違った。
あの言葉を言い放った後の歌仙の顔は酷く悲しそうな顔をしていた。
そんな彼の顔を見た私はそれすら見るのも辛くなり彼の元を去った。
いつもなら何かしらの返事をしてくれるはずなのに
背中を刺す言葉も来なかった。歌仙にしては珍しく、それがない私としても虚しさだけが募った。
「(言い過ぎた、かな)」
部屋に戻り1人翌日の振り分け表と睨み合い。
しかし表は未だ空欄のまま。筆も墨が乾き、文字を書くにしてもすれて書けやしない。
集中できていない証拠だった。
筆を投げ、紙の上に突っ伏し目を閉じた。
歌仙との言い合いなんて些細なものばかりだった。
今回もそんな風な所だ。
しかし、アイツの放った一言が私の逆鱗に触れ
思わずあんな言葉を言い放ってしまった。
言った私はスッキリとしたけれど、逆にそれを受け止めた歌仙は悲しそうな顔を浮かべていた。
それを目にした私はスッキリした気分が一気に
重いものに変わってしまった。
「(ヤバイ。なんて言えばいいんだ)」
「主。今、いい?」
「え?・・・あっ、小夜」
声を掛けられ突っ伏していた顔を上げると
障子から顔を覗かせる小夜左文字の姿を目にした。
私は体を起こし、座していた場所から離れ小夜の所に行く。
「どうした?何かあったか?」
「別に、何もないけど」
「じゃあ何?」
「・・・歌仙と、何かあった?」
「え?」
何かあったのかと思いきや、小夜の口から出てきたのは歌仙の事。
あまりにそれが突然過ぎて脳内の思考回路が一旦停止しかけた。
「主?」
「え?・・・あー・・・まぁ、いつもの事」
小夜の声に我に返り、苦笑を浮かべ「いつもの事」と答える。
その返答に何故だか小夜が顔を俯かせ何か渋っているように見えた。
「小夜?」
「歌仙のあんな顔見たの、2回目だから・・・主と何かあったのかなって思って」
「2回目?」
”2回目“という部分にすぐさま「前がある」というのに気づいた。
しかも小夜が知っている口ぶりからすると、彼等が「刀」という
魂の存在で生きていた時代で、そして2人が同じ場所に居た時の事を指しているとすぐに理解した。
「僕が、歌仙の居る場所に来た時。歌仙は1人だったんだ、今日みたいな悲しい顔をしていた」
「歌仙が・・・1人」
私の知っている「歌仙兼定」という刀−男−は
いつも笑みを絶やさず、だが時に怒りを露わにする。
不機嫌そうな顔をするのも、見たことがある。
出逢った時もそう。彼は笑いながら私やに自己紹介をしてくれた。
悲しい顔なんて、見たこともない。
「大嫌い」という言葉を投げるまでは。
「皆、怖がってたんだ。歌仙が元主の為とはいえ家臣を斬りつけたから」
「アレの名前の由来か」
「歌仙は綺麗な拵(こしらえ)だし、誰もが愛でていた。元主も、大層気に入ってたんだ。でもある日突然」
「それが血に染まった」
何の理由で36人もの家臣を斬りつけた、なんて今の私には
知る由もないけれど、その日を境に彼の名前には美しい面と穢らわしい面の2つが纏わりついてしまった。
「僕が来た時。歌仙は飾られてた、元主の部屋の奥に。悲しい顔をしていた。
初めて会った時は笑って出迎えてくれたし、話したら凄く優しくて何でも教えてくれた。
でも、時々悲しそうな顔をするんだ。だから一度だけ聞いてみたんだ、どうしてそんな顔をする必要があるのって」
「歌仙はなんて、答えたんだ?」
あまり自分の中で触れようとしなかった歌仙の昔のこと。
掘り返したところでただ「昔が恋しくなるだけ」と思い何も聞かずに居た。
だけど、あんな顔をされて解決策も見当たらないのであれば
今の私には小夜の話を聞くしか方法がなかった。
歌仙ともう一度、上手くやり直すために。
「苦笑いしながら、歌仙言ったんだ」
『そんな風に見えるかい?』
『うん』
『僕はね小夜、怖いんだ。主が僕を嫌いになったんじゃないかと思ってね。
彼の為に何でも覚えたさ。雅な心も、風流とは何かを、目利きも、和歌も、茶道も。
好かれたくて何でも手当たり次第。でも、僕は結局のところ刀だ。人を斬る道具。
血に染まってしまえば、誰もが恐れ慄(おのの)き、手を離す。
主の手から離れ、飾られてるだけの僕は――――――』
「『彼に嫌われたも同然だ』って、言ってた」
「アイツ・・・っ」
見せた悲しそうな顔はその時の傷を抉ったにも等しかったに違いない。
私の放った「大嫌い」の言葉は
過去の歌仙の記憶を鮮明に呼び覚ますには十分すぎるほどの言葉だった。
あの顔は、私に手放されてしまうのではないかという恐怖から来るもの。
自分を今更ながら恥じるべきだ。
歌仙は人一倍、私に好かれようと努力していた。
それは元主にも同じように。
たとえその身が血に染まろうとも、大切な人に愛してもらえればそれで十分だと。
私がした事は、アイツの元主がした事となんら変わらない。
ずっと側に、居てくれているのに。
何故私はそんな事にも気づかなかったのだろうか。
私は小夜の頭を優しく撫でた。
「主?」
「小夜、ありがとう」
そう言って私は部屋を早足で離れ、本丸中を駆け回った。
「(・・・アホだ、私。アイツ、そういえば今日遠征だった)」
本丸中を駆け回り歌仙を探すが何処にも居らず。
ふと我に返り、彼が私と言い合った後遠征に向かったのをすっかり忘れていた。
私は自分の部屋に戻るのも面倒と思い
歌仙が寝ている相部屋にと身を寄せ、膝を立て其処に顔を埋め帰りを待った。
何秒、何分の待ちぼうけが長く思える。
10分しか待っていないと思うけど、気分的には1時間以上も待っているように思えた。
時間の経過が遅く感じる。
それでも私は部屋に戻らず、其処で待った。
ただ、ひたすら―――――――。
「主?」
「・・・歌、仙」
ずっと側に居てくれている彼を出迎えるために。
私が部屋に居たことに歌仙は一瞬驚くも
すぐさま目を逸らし、部屋の中にと入る。私はというと座った態勢から動かず口も同様。
歌仙は来ていた羽織りを脱ぎ、戦支度を解いている。
布の擦れる音だけが部屋に響き、無言。沈黙だけが広がる。
沈黙を、破らなくてはこの先ずっと私は――――彼にあんな−悲しい−表情をさせたままになる。
「・・・ごめん。言い過ぎた」
ほんの少し言葉を漏らす。
すると歌仙は手を止め此方を見た。
しかし、私は申し訳ない気持ちが増しており目線を合わせて話すことも出来ず
顔を逸らしたままポツリポツリと言葉を零し始める。
「あんな風に言うつもり、なかったから。
別に、お前が本気で嫌いとか・・・そういう意味じゃない。その場の勢いで言ったまでだし。
嫌いだったら最初からお前を近侍にもしないし、部隊長にだってしない・・・側に、置いておくなんて事もしない」
「主」
「嫌いになるとか、絶対にない。だから、あの時の言葉は」
「もういいよ主」
顔を前に向けると、いつの間にか歌仙が目の前に居た。
少し困った顔をして私の頬に手を触れ、優しく撫でる。
「すまない、君を困らせてしまったね。僕が主を怒らせたのが原因だというのに」
「いや、私も今回は怒りすぎたし・・・言い過ぎた。ゴメン」
「謝らないでくれ。僕が悪いんだから、もう謝らなくていい」
そう言った歌仙は安心したように笑った。
この笑みはいつも見ていた、私の知っている顔。
思わず手を伸ばし、首にと通りそのまま絡め彼に抱きつく。
「あ、主?ど、どうしたんだい?」
「もう、嫌いとか言わないから」
「じゃあ好きとは言ってくれないのかい?」
「それは・・・・・・・・・そのうち」
「ハハハッ、今言ってくれよ。顔は見てないんだし、僕に耳打ちする感じでいいから」
半ば拷問にも等しいけれど、顔を見られていないのであれば
言葉だけでも言うのは安いものだろう。
私は普段絶対に言わないから口から出す「好き」という言葉は躊躇う。
どうにか自分の有り余る勇気を振り絞り―――――――。
「歌仙・・・・・・好き」
小さく、言い放つ。
「僕も様、君が好きだよ。だから、これからも僕を誰よりも愛でてくれよ」
「好き」との言葉を耳にした歌仙は至極嬉しそうに、そして笑いながら答えてくれた。
大丈夫。
今も、そしてこれから先も、貴方を一番に愛でてあげる。
キライだなんて言わないで、スキと言って
(本当は”愛してる“って言ってやりたかったけど、キャパ超えするから無理)