「正樹ぃ、お弁当忘れてるわよぉぉぉ!」
母さんの声が響いてきたのは、ちょうど靴紐を結び終えた後のことだった。
「あっ……靴、履いちゃったから持ってきてー!」
「私が持ってく。じゃ、いってきまーす」
ダイニングキッチンから出てきたのは姉さんだった。
今日はフレアスカートに白いブラウス、麻のジャケットを羽織り、手に勉強道具を詰め込んだ鞄を持っている――という格好だ。ちなみに髪はサラリと背に流している。癖の無いつややかなロングヘアーは、姉さんの自慢のひとつなのだ。
それはともかく。
「姉さんも今から?」
「今日は一限目からあるのよ」
弁当を俺に差し出した姉さんは、パンプスを履くと、もう一度「いってきまーす」と声を張り上げた。
「そうだ。ついでに途中まで送ろうか?」
「えっ? いいの?」
「それくらいの時間ならあるわよ」
姉さんは車で大学に通っている。父さんが単身赴任している今、免許を持っているのは姉さんしかいない――というわけで、ガソリン代を姉さんが負担するかわりに、自由に遣わせてもらっているという次第だ。
「それに――」姉さんは僕の耳に唇をよせてきた。「フェラチオぐらいなら、してあげるわよ?」
「い、いいよ……」
「遠慮しないの」
姉さんは僕の腕にからみついてくると、グイグイと車庫まで引っ張っていった。
「せっかく、いい場所見つけたんだから。ほら、早く乗って」
僕は確信した。
姉さん、そのために今から登校するつもりなんだ――と。
♥ ♥ ♥
姉さんとの初体験を済ませてから、もう三日がすぎている。
大きな発見が三つあった。
一つ目は、どういうわけか僕と姉さんがセックスしている間、その音は部屋の外に漏れないということだ。多分、〈黒い指輪〉の力なんだと思う。最初の日も、母さんは家にいなかったけど妹は部屋でのんびりしていたはずなのだ。それなのに、妹は何も気付かず、妙に静かだったから、僕も姉さんも寝ているんじゃないかと思ったと言っていた。なんともまぁ、便利な力である。
二つ目は、セックスするたびに僕と姉さんも元気になるという現象だ。あろうことか、僕の近視は初体験の直後から治ってしまっていた。姉さんも持病の偏頭痛がなくなり、肌の色艶も良くなったという。かといって、僕もやつれたわけではない。むしろ元気だ。いや、さすがに六回ぐらい出すと、疲れてヘトヘトになってしまうけど……
そして三つ目は――
♥ ♥ ♥
――プチュッ、クチュッ、クチャッ、プチュッ
姉さんの顔が動きたびに、いやらしい音が車の中に響いた。
場所は自然公園の駐車場。
ちょうど区画整理の関係で一車線の路地をぬけなければ利用できないばかりか、道路沿いには大きなビル、残る三方は公園の樹木に囲まれているという、確かに車でするには『いい場所』で、僕は姉さんにフェラチオをしてもらっていた。
「姉さん……もう…………」
僕がうめくと、姉さんがさらに動きを早めてくる。
なんでも三人目の彼氏がフェラチオ好きだったので、自然と上達したのだそうだ。
いや、本当に姉さんのフェラチオはすごい。
ペニスが全部、吸い尽くされ、呑み込まれるんじゃないかってぐらい、気持ちいい。
「出す……よ…………」
屋外ということもあり、僕は声を潜めながら、グッと姉さんの肩を掴んだ。
――ビュクッ! ビュクッ! ビュクッ!
腰が痺れそうだ。
姉さんは射精が終わりまでジッと待ち続け、それからゴクッと喉を鳴らして精液を飲み干し始めた。この時に吸い込まれる感覚が、とてつもなくすごい。
本当にペニスがジンジンんと痺れてくる。
「ふぅ……
♥」
ようやく姉さんが顔をあげたのは、それから数分後のことだった。
「ああ、おいしっ♪ やっぱり正樹の精液って、普通と違うんじゃないかな?」
姉さんは口元をハンカチでぬぐいながらニコッと微笑む。
「そ、そうかな……?」
まだ余韻に浸っている僕は、ボンヤリとしながら尋ねかえした。
「多分、指輪の魔力じゃないかな? 普通は苦いのに、正樹の精液って、すっごく甘くて喉ごしもいいの。なんか、薄めのコンデンスミルク、飲み込んでるみたい」
「へぇ……」
関心する僕をよそこに、姉さんはウェットティッシュで僕のペニスを拭いてくれた。
「やっぱり、夢に出てきた悪魔の言葉、本当なんじゃない?」
「……そうかな?」
「絶対そうよ。良かったじゃない」姉さんはクスッと笑いかけてくる。「姉さん以外の女の子にも、思う存分、中出しできるでしょ?」
初体験をすませた日の夜。夢の中に、あの松下由美の姿をした悪魔が現れ、こう告げていた。
「言い忘れたことがあったの。あなたの精液、妊娠させる力がなくなってるから、そのつもりでいてね? じゃあ、あとは頑張って。ファイト!」
なにがファイトなのか。小一時間問い詰めたいが、今は深く、考えないことにしよう。
「多分ね」と姉さんは車を発進させながら告げてきた。「これから正樹、いろんな女の子とセックスしなきゃならないんだと思うよ?」
「いろんな女の子って……」
「ほら、悪魔は『欲望の安全弁』だって言ってたんでしょ?」
確かにそうだ。
〈解放者〉とかいうものは、無意識の奥底のさらに奥にある欲望を、適度に吐き出すための安全弁なのだと言っていたように記憶している。
「それって、正樹だけのことじゃないと思うのよ」
「……どういうこと?」
「姉さんもね、正樹とした後って、心も体も軽い感じになるの。話してなかった?」
「初耳」
「つまりね、正樹がする相手の方も、欲望が解放されて楽になるのよ」
「……あのさ」僕はこれまで抱え込んでいた疑問をぶつけてみることにした。「姉さんは……それで、いいの?」
「えっ? なにが?」
「いや、だから……僕が他の人とするのって……」
「私はかまわないわよ。だって、正樹が選んだ子でしょ?」姉さんは平然と答えた。「それに男の子なら、どーんと十人や百人、いっぺんに愛しちゃいなさいよ。もしそれで問題が起きても、姉さんだけは、味方でいてあげるから」
姉さんは微笑んだ。
「わかった?」
「……多分」
「うん、よろしい」
姉さんは笑いながら車を走らせ続ける。
それでも僕の理性は、これで本当にいいのかと疑問の声をあげ続けた。
♥ ♥ ♥
「なぁ、高岡。おまえ、彼女とかできたのか?」
昼休みの教室。
弁当を食べていると、一緒にわいわいと飯を食べていたクラスメートの男子が、不意にそんなことを尋ねてきた。
「えっ? なんで?」
僕は顔をあげ、そいつの目を見返しそうになって、あわてて目をそいつの口へと移動させる。姉さんが実験台になってくれたおかげで、こうすれば相手を興奮させることはないというのがわかり初めてきたからだ。
昨日まではとにかく目をそらしてばかりだったけど――うん、なんとかなりそうだ。
「いや、なんとなくさぁ……」
そいつがポリポリと頭をかいた。
「おまえ、急に眼鏡やめて、コンタクトにしただろ?」
「えっ? あっ、うん……」
周囲にはそういうことにしている――というだけだ。
「そのせいだと思うんだけどな、なんかおまえ、雰囲気が変わったっていうか……」
見ると周囲のみんなもウンウンと頷いている。
そういえば、姉さんも似たようなことを言っていた。
――正樹、急にカッコよくなったね。指輪の魔力だけじゃないと思うけど……自分でも気付いてる?
鏡で見てみたけど、僕にはまったくわからない。
まぁ、強いて言えば、僕たち姉弟は顔立ちが良く似ていると言われるから、僕が姉さんを美人だと思うように、姉さんも僕を美形だと思う――いや、まさか。
「俺、小耳に挟んだんだけど……」男子のひとりが声をひそめる。「高岡、『写真部ランキング』で上位に食い込み始めたらしいぞ?」
途端、他のみんながいろめきだった。
「マジ!?」
「うわぁ、それってあれだろ、もててる証拠ってヤツの」
「上位って、何位だ?」
「確か総合で十位以内だと、一枚五百円になるんだよな?」
一応、簡単に説明しておくことにする。
市立Y高校の写真部は、生徒の要望に応じて撮影してある写真を焼き増しするという活動を行っている。本来は遠足や文化祭などのイベントの写真を配ることを目的としたものなんだけど、やはりそこは健全なる高校生たち。ある時期から、特定の生徒の写真を焼き増ししてくれるよう、こっそり頼む者が現れだし、いつしか写真部は、学内の生徒の様々な写真を、要望に応じて販売する秘密結社(?)のような集まりになってしまった。
『写真部ランキング』とは、そんな中で、もっとも多くの要望が集まる生徒をランキングしたもののこと。
僕が知る限りだと、男子のナンバーワンは三年のサッカー部の主将、女子のナンバーワンは、言わずと知れた爆乳ロリフェイス、一年B組の木嶋沙織であるはずだ。
それにしても。
(僕が写真部ランキング……ねぇ…………)
指輪を受け取ったのは三日前だ。
たった三日でランキングが上下するなんて、普通じゃ考えられない。
ということは……
(少しはうぬぼれてもいいのかな……?)
僕はパクパクと弁当を食べながら、なんだか変なことになってきたなぁと思い悩んだ。
ちなみに周囲の話題は女子ランキングについてのものに変わっている。
どうやら最新情報によると、ランキングに大きな変動は無いようだ。
松下由美は、ランク外のままらしい。
♥ ♥ ♥
放課後、廊下を歩いていると――なんだか視線が感じられる。
自意識過剰になっただけだろう。
すれ違う女子という女子が、僕を見ているような気がする。
「最新ニュース!」
と、男子のひとりが教室に駆け込んできたのは、今日最後の授業が始まる直前、中休みもおわりかけた頃のことだ。
「うちのクラスから写真部ランキング入りが出たぞ!」
「やっぱり!?」
「ホントかよ!」
「じゃじゃーん!」と彼は、写真部から貰ってきたA4用紙を突き出す。「総合ランキング七位! 男子ランキング三位! 一年A組! 高岡正樹!」
もう、それからは教室中が大騒ぎだった。
男子は僕の肩や背中を叩いてくるし、女子は女子で、今度、一緒に写真をとろうと声をかけてくる。僕は曖昧に笑いかえすしかなく、インタビュアーを気取ってマイク代わりに丸めたノートを突き出してくるクラスメートにも、
「なにかの間違いだって」
と答えることしかできなかった。
それが放課後になっても続いたのだから、洒落になっていない。
たまたま日直だったんで、それを理由に職員室に逃げ出せたけど――
(明日からどうなるんだ?)
なにか、とてつもないことが起きているように思えた暗い気持ちになる。
(とりあえず姉さんに相談するしか……)
そう思いながら、廊下の角を曲がった、その時である。
――ドンッ
「キャッ!」
「うわっ!」
僕は誰かにぶつかった。どちらも転びはしなかったけど、相手は抱え込んでいた教科書なんかを廊下に落とし、ついでに缶ペンが開いて文房具まで飛び散ってしまった。
「ご、ごめん!」
僕は相手を確かめず、あわてて散らばったものを拾い集め――
(あれ?)
写真があった。それも、僕の写真だ。
いつの間にとったのだろう。
写真の中の僕は、窓際の席で頬杖をつきながら、ボーッと外を眺めていた。
眼鏡は外してある。
窓が空いていて、サワサワと風が流れ込んでいるのか、髪が少しだけ流されていた。
そんな光景を、教室の前の方から撮影したらしい写真――それが今、僕の手元にある。
「あっ――!」
女の子の声。
無意識のうちに首を巡らし――僕がギョッとなった。
木嶋沙織である。
入学以来、写真部ランキングで総合一位、女子一位の座を射止め続けている美少女。
僕がぶつかったのは、彼女だったらしい。
つまり、この写真の持ち主は……
(……しまった!)
僕は己の失態にようやく気がつく。
驚きのあまり、忘れていたのだ。
今、僕は彼女を見つめてしまった。彼女も、僕を見返していた。
目が会ったのだ。
たっぷり、五秒ほど、充分すぎるぐらいに。
「ご、ごめん!」
僕は謝りながら顔を背けた。
でも、遅かった。
目をそらす寸前、木嶋沙織の頬が朱色に染まり、目がトローンと蕩けるように細められていたのを、僕はハッキリと見てしまったのだ。
あの時と同じだ。
姉さんが僕を押し倒してきた時と、まったく同じ表情だ!
(ど、どうする!?)
選択肢は三つ。このまま押し倒す、逃げる、無視する。
(どうする? どうする? どうする?)
悩んでいるうちに制限時間がすぎてしまったらしい。
不意に僕は、手を握られ、引っ張られていた。
いつの間にか散らばったものをすべて拾い上げた木嶋沙織が、僕の手をひっぱり、階段をのぼり始めたのだ。
「えっ? あっ? えっ? えっ?」
なんだかわからないうちに、僕は屋上まで連れ出されてしまった。
今は放課後。昼休みなら誰かいることもあるが、こんな時間にわざわざ屋上にあがってくる生徒は誰もいない。
「おっとっと……」
強く引っ張られた僕は、屋上に出ると同時に転びそうになった。
直後、柔らかいものが正面から僕を支えた。
いや、木嶋沙織が抱きついてきたのだ。
(へっ?)
と思う間もなく、木嶋沙織は僕の唇を奪った。
そこでようやく――僕は観念した。