題名未定 (樹×麻弓)

857 :786:2006/01/20(金) 01:45:25 ID:nl3M1ls3

暑かった夏の気配が徐々に退場し、それと交代して次の季節を思わせる涼風がちらほらとその存在を感じさせ始めた九月後半。
冷房の使用回数も時間も共に減り、それに合わせて、各家庭のお母様方が毎月送られてくる電気料金明細書の額にびくびくする光景も段々と減りつつある今日この頃。
とある一軒家の六畳一間。休日を利用して彼の家を訪れている彼女。
まるで狙ったかのように彼の家族は全員留守で、さぞいちゃいちゃと桃色のオーラを撒き散らしているかと思えばところがどっこい。
その場に漂っているのはどんよりとした重たい空気と、何やらぶつぶつと呪詛のような呟き。

「……2××3年に目箒の家臣達が傲慢な城主に反旗を翻して新たに臍を開設……」
「うんまあ、何の勉強をしているかは知らないけど、間違いなく今回の試験には出ないね。それは」
「嘘っ!?」

うら若き男女が二人きりの個室で戯れもせずに何をしているかといえば、明日に差し迫った中間考査に向けての最後の追い込み。
今までの一時間が無駄だったと分かった少女、麻弓=タイムは短い悲鳴と共に、分厚い本に張り付かせていた顔をがばっと上げる。

「だってこれも世界史じゃない!?」
「ま、確かに、物凄く狭義的な意味での世界史ではあるけどね。ただ今度の試験には絶対に、何がどうあっても出ないだろうね」
「うわーん、貴重な二十四分の一を無駄にしたー」

本を放り投げてテーブルに突っ伏し悲観にくれる麻弓に対し、ノンフレームの眼鏡をついっと人差し指で持ち上げながら、緑葉樹はシャープペンシルを動かす手を止め、溜息をついた。

「普通見るまでもなく、手に取った時点で分かりそうなもんじゃないかい?」
「だってだってだってーっ! 唯でさえ切羽詰ってるんだから、教科書の中身なんか確かめてる暇なんてなかったのよー」
「いやま、当たり前の前提としてそんな本が教科書に交じっている時点で問題があるけど、見た段階で疑問すら抱かないとは……流石は麻弓。
普通の人とは勉強を始める段階で既に一味違うね。毎時限、睡眠学習に興じているだけのことはある。もしかして、授業でどこをやっているかも把握していないんじゃないか?」
「さっすが麻弓ちゃん! って感じ?」
「教科書と娯楽本の区別が付かないだけなら眼科で済んだけど、今のを誉め言葉と受け取ったなら耳鼻科にも行った方がいいよ。
むしろ、脳そのものを一度精密検査してもらった方がいいんじゃないかな?」
「んなわけないでしょーがーっ!」

麻弓が泣きながら投げてきた随分と分厚い娯楽本を、樹は何の苦もなく受け止める。厳しい装丁の施された表紙には達筆な文字で仰々しく書かれてあった。
『扇情電脳遊戯会社大全』と。

「麻弓」
「何よ?」
「お前、真面目に勉強する気あるのかい?」
「気だけなら手の平の間で確認出来るほどにあるのですよ。それはそれはもう、訓練次第では空も飛べるほどに」
「少なくとも、ストローの包み紙に水を垂らして遊んでる奴の言うセリフではないね」
「これって何度やっても飽きないのよねー」

包み紙に水を滴らせ、くねくねと動くその様子にはしゃぐ麻弓に対し、樹はまた溜息を漏らした。

「『お願い緑葉くん! もう絶対に赤点なんて取りたくないの! テスト前、最後の日くらいは、手伝ってくれてもいいでしょ?』、て、上目遣いに泣きついてきたから上げたのに、
さっきから全然勉強なんてしてないじゃないか」
「事実とは思いっ切りかけ離れた妄想内で麻弓ちゃんを陵辱するのは止めてほしいのですよ。
そもそも私は絶対にばれないカンニング方法について相談しに来たわけであって? 別に勉強しに来たわけじゃないしー」
「さて、不振人物が犯罪を教唆しに自宅に無理矢理乗り込んで来たと、警察に通報してくるかな」
「ああっ! 嘘! 冗談! 間違い間違い! いたいけな少女のちょっとした悪戯心だから!」

858 :786:2006/01/20(金) 01:46:53 ID:nl3M1ls3

階下に立ち去ろうとした樹の足に慌ててしがみ付く麻弓。
以前にも同じようなことがあり、そんなこと出来るわけがないと高を括った麻弓が、やれるもんならやってみなさいよと言った数分後には、
家の前に一台のパトカーが到着していた、という前例がある。
緑葉樹。口にしたことは本当に実行する男。ちなみにそのときやって来た警察は樹が言葉巧みに追い返した。

「ちなみにいたいけって言葉は幼いに気って書くんだ。とりあえず、全国のお兄ちゃんたちに謝った方がいいと思うよ。迅速に。まあ麻弓も部分的にはかなり幼いけどね」
「幼いんじゃなくて、これも一つの完成型と言ってほしいのですよ」
「その言い方だと、この前の測定じゃまた現状維持記録を更新したみたいだね。保険医の話だとここ数年来の逸材らしいね」
「ううう……自分の遺伝子に文句を言いたいのですよ。バストアップ体操も牛乳も所詮、もともと素質がある人たちにしか効果ないみたいだし……」

自分の胸をちらりと見てがっくりとし、ぐでーっと床に突っ伏した麻弓に苦笑すると樹はまったく、と呟きながらその傍らにしゃがみ込んだ。
そして、

「よっこいしょっと」
「うわ!? ちょっと、な、何するのよ!?」
「別に」


突然、ふわりと上昇する身体。


うつ伏せになっていた麻弓を仰向けにすると、首と膝の裏に腕を通し、所謂お姫様だっこの要領で抱きかかえる。
焦る麻弓を無視して、樹はそのままベッドへと移動し腰を下ろした。

「さてと、それじゃあ大人しく白状してもらおうかな。果たして、緑葉宅を訪れた麻弓=タイムの真意とは何か?
まあ勉強関係云々の話もまったくの嘘ではないんだろうけど、本当の理由はそこじゃないんだろ?」

二本の腕に支えられたまま、麻弓は恨みがましい顔で目の前にある何でも見透かしているようなにやけ顔を一瞥すると、僅かに頬を朱に染めて、目を逸らしながら呟いた。

「だって緑葉くん……最近構ってくれないんだもん」
「テストが終わるまでプライベートでは会わないようにしよう、って提案しなかったっけ? それでそっちも了承した記憶があるんだけど?」
「乙女心は複雑怪奇、昨日、いえ、十秒前に言ったことだって華麗に綺麗にあっという間に、百八十度変えてしまうものなのですよ」
「……じゃ、ちょっとここからは真面目にいこうか」
「あ痛っ」

いきなり、こつんと額をぶつけられる。そして額同士を密着したまま、樹は本当に珍しい、極一部でしか見せない表情をその端整な顔に浮かべる。
吐息も直に当たる至近距離で見つめられ、麻弓は心の中でずるい、と呟いた。

「今回のテストでまた三枚以上赤点を取ると、流石に進級問題に関わってくるんじゃないか?」
「……うー」

図星だった。二年生に進級してから既に一学期の中間、期末と合わせて赤点の数は合計七枚。
比較的赤点者に対する処置が甘い(補習にさえ出席すれば大概は免れる)バーベナ学園でも、
流石にこれまでと同じペースで赤点を取り続けたら親御さんと会談の機会を設けるかもしれないぞ、と担任である紅薔薇撫子につい先日、忠告されたばかりであった。

「私だって私なりにやってるのですよ。それなのにさ……二週間も会わないってのは、ちょっと酷すぎない?」
「毎日一緒に登下校しているし、教室でも顔を合わせてるじゃないか」
「そこはかとなく微妙に巧みに躱してるくせに。ちょーっと雑談しようとしただけで? 無言の笑顔に合わせて問題集を差し出してくる所業はあんまりなのですよ」

樹の提案から二週間。付き合い始めてからというもの、登下校、学園、週末とほぼ世間一般の恋人たちと同じ生活をしていたのが、登下校と学園のみになった。
そのときですら教科書やら問題集やらを見ていることを強要されるおかげで麻弓のフラストレーションは溜まる一方だったのだ。
それに加えて、

「しかも私の彼氏ってば、滅茶苦茶の前にウルトラがついて、さらにその前に超が付くほどの女好きだから、集中しろってのが無理な注文だと思うのですよ。
こっちが休み時間返上で机に向かってるときもさあ、あっちでぺちゃくちゃこっちでぺちゃくちゃ忙しないったらありゃしない」
「だから俺様の女性に対する賛美はライフワークであって、恋愛とはまた別物だって何度も言ってるじゃないか」
「だからって普通、特定の彼女が出来たら止めるか、最低でも控えるのが常識ってものじゃないの? ただでさえ本命が進級の危機にあるときにさあ」

非難の色が強くなってきた左右異なる双眸に睨みつけられ、樹はぽそりと呟いた。

859 :786:2006/01/20(金) 01:48:18 ID:nl3M1ls3

「……元々、無垢な少年が鈍感な幼馴染に嫉妬してもらいたいがために始めた行為の、産物なんだけどね……」
「とても無垢には見えなかったけど……でもそれに関してはあ、何度も悪かったって言ってるじゃない」

流石にそれを本人の口から聞いたときは思考が銀河系外までぶっ飛んだけども。

「それに、そんな周りくどいことしなくったって直接口で伝えればよかったでしょー? それにぃ、手段が目的に変わっちゃ本末転倒じゃないの。
……てゆーか今はその話じゃなくてあんたの態度についてでしょうがっ」
「……分かった。これ以上の非生産的な会話は時間の無駄だしね。今回のことに関しては俺様も少しばかり配慮が足りなかったよ。
悪かった。それで、麻弓は俺様にどうしてほしいんだい?」

珍しく自分から折れた樹に対して、麻弓は自らの一部だけ長く伸ばした髪を指先で弄りながら暫し考える。
僅かな逡巡の後、赤みがかっていた頬をさらに染め、上目遣いにぽつりと零した。

「とりあえず……キスしてくれたら、今までのことは勘弁してあげる」
「嫌だ、って言ったらど――」
「もう今後一切金輪際、麻弓ちゃんの唇には――ん、んむぅーっ!?」

捲くし立てようと上下に開いた麻弓の唇に、明らかにこうなると予想していた素早さで樹の舌が割り込む。
『指一本触ることも触れることも未来永劫許可いたしません!』と後に続くはずの言葉は紡ぎ出すことが出来ずに揉み消された。
不意の出来事で驚愕に見開かれた麻弓の視界いっぱいに映るのは、してやったりと言わんばかりに細くなっている樹の瞳。

「んっんっんーっ! っ……ふ、ぅ……あ……」

最後に残っていた意地で何とか抵抗しようと試みるも、その最前線にあった両手は脳からの指令を拒否し既に彼の胸を跳ね除けることを諦めて、
黒のタンクトップをきゅっと握ってしまっている。
ならばせめて一矢を報いようと、口内に侵入して来た舌と自分の舌を対峙させるがまるで相手にならず、その動きに翻弄されるばかりで押し返すことも敵わない。
ある意味での舌戦は圧倒的実力の差で樹に軍配が上がり、麻弓の口内での反乱は僅か十秒足らずで鎮圧した。

「ん……ふ、あ、ぁ……ぁ……」

麻弓の膝裏にあった右腕は何時の間にか麻弓の背中に回されて、左腕は首の後ろを支えたまま、樹はさらに麻弓と自分の唇とを押し付けようと両の腕に力を入れる。
体温より遥かに熱を帯びた、ある意味で性器よりも敏感な器官を容赦なく押し込み、その中で暴れさせる。
お互いの舌が絡み合うたびに唾液が奏でるくちゅくちゅという水音は、麻弓の鼓膜を断続的に刺激し、ただでさえ痺れきっている脳をさらに麻痺させた。
時間にして約五分。その間たっぷりと麻弓の口内を堪能した樹はゆっくりと舌を引き抜く。
舌先同士の間には完全に交ざりきった透明な唾液が細い糸のように繋がり、離れていく過程でその重さに耐えられなくなり落ちるようにして切れた。
中枢神経まで侵されたかのように身体の自由が利かない麻弓とは対照的に、樹は余裕の悪戯顔で、ぴくぴくと身体を痙攣させながら熱に浮かされている彼女を見つめる。

860 :786:2006/01/20(金) 01:49:03 ID:nl3M1ls3

「これで満足ですか、お姫様?」
「ふ、う……も……あ、あんた絶対に、さ、詐欺師、だからぁ……」

呼吸すらままならない状態で、麻弓はなんとか憎まれ口を搾り出した。
確かに樹の舌遣いに自分は今まで何度も翻弄されてはいたけども、最近はそれにも随分と慣れたつもりでいた。
しかし二週間という人それぞれによって長いか短いか判断しかねる微妙な期間は、彼女の感覚をすっかり初期の頃へと戻してしまったらしい。
自慢の饒舌さも肝心の舌がこの状態ではろくに発動することも出来ず、目の威嚇だけで見上げる先のにやけ顔に反抗の意を表す。
それすらも、正常ではない今の自分では、相手の目にどう映っているか確かめようもない。
顔を合わせている気恥ずかしさに耐えられなくなった麻弓は、樹の胸に顔を埋める。
その後、麻弓の荒々しい呼吸が沈静化し始めると、落ち着いたと判断した樹は愉快そうに言った。

「さて、可愛い姫君のお望みは確かに叶えたから、お勉強を再開するとしますかね」
「ご冗談を……この麻弓ちゃんが、負けっぱなしのままでいられますかっ」
「わぷっ!?」

言うと同時に、麻弓はまだ弛緩気味の身体に鞭打って、弄ばれていた唇を笑みで釣り上がっている樹のそれへと押し付ける。
最初は驚いた樹だったが、どう表現しても疲れ果てているとしか言いようのない唇の動きと、潤んだ彼女の瞳を眼前にして、すぐ落ち着きを取り戻した。
飛びかかられた際、首の後ろに回された麻弓の両手も弱々しく、抱き寄せているというよりは彼女自身の身体をなんとか支えているといった様子。
相も変わらず、負けず嫌いというか、勝気というか、なんというか。
今度は麻弓の自由にさせたまま、樹は何もしない。まだ使い慣れていない舌ではなくて、啄ばみを繰り返すような唇だけでの児戯。
何の工夫もない、ただ必死な自己主張。けれどしっとりと濡れた彼女の唇はそんなことも忘れさせた。
最後にじっくりと唇同士を密着させると、ゆっくりと手を解きながら麻弓は離れる。

「これで、ふぃふてぃーふぃふてぃー、なのですよ……」

これで満足した、といった様子で、麻弓は喘息しながら吐き出す息に乗せて呟いた。

889 名前:786 :2006/01/24(火) 23:12:02 ID:sKnx5wOq
>>860続き
そのまま何となしにお互いの顔を見つめ合う。
樹は、少なくとも表情だけでいえば冷静に。
麻弓は、脳全体がのぼせた状態でぽけーっと。
会話も、行為も、何をするでもない、ただ互いの視線を交わすだけの時間。
樹に言わせるならそれは無駄に消費されていくだけの何の価値も持たない時間なのかもしれない。
ただ少なくとも、今この場においては意味のあるものであることは確かで。

「麻弓……」
「……ん?」

 何時もの彼からは想像出来ない優しい声色は麻弓の鼓膜を震わせ、蕩け切っている脳をさらに融解させる。

「前から言おうと思っていたんだけどさ……」
「……なーに?」

 閑静な部屋。二人きりの男女。見つめ合う二人。
 その三つの要素が混ぜ合わさることによって醸し出される雰囲気は溺れるほどの甘さを生み出し、

「お前、キス下手すぎ」
「……」

甘さを生み出して、

「最初の頃からちっとも進歩していないじゃないか。もう子供じゃないんだから、いい加減、舌を使うことにも慣れたらどうだい?」
「……」

ら、らぶらぶで、

「それにあのキスで互角だって? 冗談じゃないよ。俺様の美技と比べたら、ま、精々二分がいいとこだろうね。
知ってるかい? 唇を合わせるだけの行為ならチンパンジーでもするってこと」
「……緑葉くーん」
「なんだい?」
「てりゃっ」
「はうぁ!?」

甘あ……ごめんなさい。
極上の笑顔で樹がかけているノンフレ眼鏡の下の隙間から二本の指で目潰しを放つ麻弓。
不意の一撃を食らった樹はそのまま麻弓を抱きかかえていた腕を放し、目を押さえながら後方のベッドに倒れた。

「いや、麻弓、これは本気で、ちょっと、やっちゃいけないことだろこれは。ほんとに、これ、痛たたたた」
「自業自得って言葉、優秀なあなたなら当然ご存知よねえ? ……たまーにまれにめずらしく? いい雰囲気になったなーと思ったら、これなのですよ……」

ベッドに仰向けになってのた打ち回る樹の太股の上で麻弓はやれやれと小さく溜息を付いた。其処彼処にあったはずの桃色っぽい空気もあっという間に霧散している。
うん。なんとなく分かっていた。期待していたわけではないのだ別に。そもそも私達にそーいうのを求めるのはあの二人と違って無理そうだし。うん。そこわりと重要。

「何か言ったかい?」
「いえいえ何にもさっぱりこれーぽっちも」
「というか眼鏡使用者に対して、いやそうじゃなくてもこの攻撃は危険極まりないってことぐらい、注意するまでもなく理解してもらいたいものなんだけどね。切実に」
「ご心配いただかなくともこんなこと緑葉くん以外の人になんかしないし」
「だから、だよ。それに本来、空手に代表される目潰しという技、さっき麻弓がやった二本抜き手の目突きは実践じゃ余り役に立たない技なんだよ。
人間は本能で目を庇うし、目という器官は何かが掠めるだけでも視界を塞げるんだからね。わざわざ一点を目指して当てるまでもないだろ」
「それなら何の問題もないじゃない。ちゃんと命中した上に、私は目そのものにダメージを与えるつもりで当てたんだから」
「ああそうですか……」
「それと」

890 名前:786 :2006/01/24(火) 23:13:08 ID:sKnx5wOq

よっという声と共に身体を浮かせた麻弓は、そのまま樹の腹に跨り、

「ぐはっ!? し、視界が塞がっている、げほっ、俺様相手になんてことを……」
「大袈裟ねー。別にそんな思いっ切りやったわけじゃないでしょ?」

所謂マウントポジションを取った。
ろくに身構えられない状態で突然腹に圧し掛かられた樹は呼吸を乱され咳を繰り返す。

「げほげほっ……ふむ、確かに、さほど勢いはなかった。それなのにこの重さと衝撃……ということはつまり、そこから自然と導き出される答えは――」
「緑葉くーん? あなたが生きるのも死ぬのも、どこかに内臓売り飛ばされちゃうのも、その選択の自由が誰の手にあるか、あえて言わなくても分かるわよねえ?
それ以上言ったらあ、麻弓ちゃん、自分でも何しちゃうか分からないかも〜」
「分かった。分かったから、とりあえず今からしようとしていることは止めてくれ。絶対に」

目の前は暗闇だというのにその先に何かがドス黒い炎を纏って蠢いて見えるのは何故だろう。
その可愛い声色は何故か背筋をゾクリとさせ、漠然とした戦慄を強固に収束する力を持つようで。

「……それで? 何か言いたいことがあったんじゃないのかい」
「ああ、そうそう、そうなのですよ」

 樹の腰辺りにペタリと腰を下ろしたまま麻弓はわきわきと動かしていた手をぽんっと打つ。

「緑葉くん、さっき私のキスが下手だー、とかのたまったじゃない?」
「ああ言ったね。確かに俺様は麻弓のキスがチンパンジー以下で今時中学生でもしない稚拙なキスだと言っ――たたたたた!
だから何の前触れもなしに攻撃をするのは止めてくれって」

脇腹の肉をぎゅーっと握られて樹は悲鳴を上げた。
痛みで身を捩じらせる樹の上で麻弓は声を低くする。

「チンパンジーは言ってたけど中学生は出てないでしょうが」
「ふむ、突っ込みどころとしては間違っていないんだけれど、人間ではなくあえて動物の方を肯定するとは……麻弓、実は自分でもなんとなく理解はしているのかい?」
「な・に・を、理解していると言いたいのかしら?」
「そりゃあ当然、麻弓が野生動物も平伏し……ギブ、流石に麻弓、それは、ちょっ、痛い痛い」

今度は太股の内側。親指と人差し指でぎりぎりと肉を捻り上げる。
未だ目を押さえたままの樹を見下ろしながら麻弓は言った。

「なんか目を塞がれてろくに抵抗出来ない緑葉くんを弄るって、癖になりそうで怖いわー」
「一種の目隠しプレイ、ってやつだね」
「余裕じゃない。それじゃあもうちょっときつくいってみましょーねー」
「いや、待ってくれないかい? 俺様、緊縛と一緒でするのは好きだけどされるのは――」
「さあさあさあさあ、ほらほらほらほら、それそれそれそれ」
「がは、ま、つ、抓りながら、く、擽るって、そんな、痛みとこそばゆさの二重奏も悪くな、いや、ちがっ、これ、か、勘弁、あ、新しい世界の、扉がー」

脇腹を左手で擽られ、太股を右手で抓られて、くすぐったさに顔を緩めればいいのか痛さに顔を顰めればいいのか。
背反する二つの感覚が同時に身体を走るおかげで顔面と身体の筋肉が緊張と弛緩でえらいことに。目も見えないせいでその効果はさらに倍。
自分の下でばたばたと身動ぎする樹で暫し遊んだ後、麻弓は上下する彼の胸に両肘を付くと、その手の平に顎を乗せて深い溜息を漏らしながら愚痴る。

「ったく、あんたと話してると全然本題に入れないのよねー」
「それは、俺様だけの、せいじゃ、ないと思うけど、ね……」

漸く痛みとむず痒さから解放され息も絶え絶えな樹。しかし減らず口はそのままに。

「もとはといえばあんたが何時も余計な茶々を入れるから――ああ、駄目駄目。これじゃまた繰り返しだわ」

891 名前:786 :2006/01/24(火) 23:18:40 ID:sKnx5wOq

首を振ると麻弓はまだ暗闇からは開放されていない樹に言い含めるようにして、樹の唇に人差し指を添えた。

「いーい? 麻弓ちゃんはあ、ほんの数週間前、誰かさんに唇を奪われちゃうまで、生まれてこの方一度もしたことなんてなかったのですよ。キスなんて。
あのときのが本当に正真正銘混じりっ気なしの純ファーストキスだったわけ」

まあそのときの経緯は置いてくとして。

「そんな無垢でピュアだった……今もだけど、麻弓ちゃんにそーいう技術を求めるなんて、お門違いもいいとこなのですよ。
そりゃあ緑葉くんみたいに、そういう経験が沖縄の砂糖黍畑並みに豊富で、口付けなんて挨拶程度にしか思ってない人にしてみれば、出来て当たり前なことだとしても?」

言っていて胸の辺りがムカムカしてくるのは決して嫉妬なんかではないと言い聞かせながら。
この男の唇は私のに触れるまでに一体どれだけの女性のそれと接して来たのだろうか、
いや、こいつのことだから多分、唇だけじゃなくてもっと色んなところに触れてきたんだろうな、と思う。
今までも十分考えることが出来たはずの問題。無意識のうちに避けようとしていたのは否めない。
だが考えたところでどうにもならないのも事実。全ては過ぎ去った出来事であって取り返しは付かないし当然ながら改変も不可。
ただやはり、どんな風に触れていたか気になるのは麻弓も女の子だから、なのだろう。

「……だったさ」
「……はい?」

自分以外の女性と樹が唇を合わせる光景を想像し悶々としていた麻弓の耳が囁くような樹の言葉を捕らえる。
そして鼓膜を振るわせ脳に電気信号となって届いたその言葉の意味を解読し、麻弓の脳は一瞬、まるでそれが鍵だったかのように理解することを停止した。 
同時にそれまで広がり続けていた卑猥な妄想も瞬時に霧散する。

「あの、緑葉くん? 今なんて言ったのかしら?」
「だから、俺様だってあのときが初めてだった、って言ったのさ」

先程耳が拾ったものと寸分の違いもなく同じ言葉。やはり麻弓の聞き間違いなどではない。
相変わらず目を腕で覆っているためにその心意を読み取ることが出来ないが、声の調子からいって恐らく嘘や冗談でないことは確かだと思う。
思うのだが、それにしても。

「ええーっと……緑葉くんが言うあのときっていうのは、産婦人科のお姉さんのこと? 出産のときに出会い頭でやっちゃったー、とか」
「生憎と、出産時の映像記録が大事に撮ってあるんでね。それを見る限りだとそんな事実は映ってないかな」
「そ、それじゃあ、小さいときに友達と遊んでて興味本位で何の知識も持たない幼女にかましちゃったー、とか」
「麻弓と会うまで友達と呼べる存在なんていなかった、って前に言わなかったっけ?」
「と、友達じゃなくても何かの弾みか好奇心かなんかで近場の女の子を襲っちゃったー、とか」
「心外だね。この史上でも類を見ないモラリストの俺様を捕まえてなんてことを。この緑葉樹、同意もなしに女性の唇を求めるなんて下衆な真似はしないさ」
「え、えーと、うん、じゃあこういうのは――」
「俺様は一歳以降の記憶はほぼ保持しているけどね。どれだけ遡っても、家族以外に唇を触られた覚えはないかな。あの日、麻弓とするまでは」

しれっと。本当に淡々と。
樹にとっては、極々些細なただの事実を。
麻弓にとっては、今までの自分の認識が根底から覆されてその上からハンマーで叩き付けられたような重大な告知を。
ぐわんぐわんと殴られたかのように左右に揺れる頭を、麻弓は必死にニュートラルな状態に戻そうとする。

「あ、あのね、緑葉くん。そりゃあ私だって女の子ですから? ファーストキス同士っていうに憧れてないって言ったら嘘になるけど、
別に初接吻至上主義者ってわけじゃないんだから、気を使わなくてもいいのですよ? それにそんな憧憬、あなたと付き合うって決めた時点でとっくのとーに諦めてるんだから」

信じられない、というのが正直な話。というか脳がその事実の受け入れを拒否している。情報受付口のシャッターはピシャリと降りたまま開く気配をまったく見せない。


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