仏英
独立と寂寥。仏兄ちゃんも寂しいときがあっただろうなと思う。
―海を知っていた―
「なぁ、俺さいこーだろぉ〜?」
カラン、とグラスの中で氷が揺れ、小気味の良い音を立てる。
いつもと違う雰囲気。こいつが酒を煽るとこうなるのは十分すぎるほど良く知っている。バーを店内を灯すオレンジが包んでいる。
「マスター、こいつにお水やってくんない?悪酔いすっからさぁ」
隣でいい具合に年季の入ったカウンターに頬を預けているボサボサの金髪頭を指差す。
金髪に綺麗な碧の眼。しかし、せっかく生まれ持って備えたものも手入れなしでは輝かないものだ、とつくづく思う。そして、綺麗な碧もきらきらと涙を生み出しているほうが多く、幸せそうに輝いているところなんてなかなか目にすることがなかった。
「お前俺をばかにしてんのかぁっ」
ほんのり赤く頬が色づいている。こういう台詞がでてくると、アーサーの一人愚痴大会の始まりだった。いつも。
やれやれという感じで視線をあわせると、特徴的な眉が眉間の皺のよった部分からくっ、とつりあがっている。23歳よりずっと若く見える童顔にその眉はなんだか不似合いに思えるが、そんなところもこいつらしい。
「だぁれも、何も言ってないだろ?」
呆れたように言えば、さらに不機嫌そうな顔をする。
「いいや、お前俺のこと自分の子分だとでも思ってるんだろ!言っとくけどな、俺は一度だってお前の子分だったことなんてないんだからな!」
いきなりまくしたてるように言われて呆気にとられた俺からすっと視線をそらし、色素の薄い唇が透明なグラスに触れる。
そんなふうに言わなくたってわかっている。だけど、いい気分はしない。
横でアーサーの口から吐き出される言葉を聞き流しながら、目の前の棚に視線をうつす。棚に並んだワインのボトル。何十年かかけて熟成されたそれらはガーネットのような深い色合いで、艶めいていた。時間をかけることですべてがうまくいったらいいのに。
「なのにあいつ、あいつ俺から離れていった」
不意に切り取られたようにそのフレーズは鮮明に俺の耳に届いた。
「俺は愛してたんだ。大事にしてたんだ。あいつならなんでも許せる気がした」
からん、と音を立ててグラスが置かれた。
「独立なんてしやがって。許せるわけなんてねぇだろ」
「…」
「あいつがすべてだったんだ」
(しょっぱいだろうな)
アーサーの頬は濡れていた。
舐めたらきっと海の味がするだろう。俺はそれを知っていた。
「お前だけだよ」
むかむかする胸の原因をアルコールのせいにしたかった。すこしあてられただけだ、そう思いたかった。グラスを傾ければ、冷たい鉱石のようなそれが喉元を滑り落ちていく。
「今さらまだそんなことぶつぶつ言ってんのは」
ぶつかった視線の先で碧色の眼が傷ついたようにみつめていた。
(無駄だよ。そんな眼をしても)
涙が海の味がすることは知っていた。
なぜなら俺は同じものを知っているからだ。
だってあのとき。
アーサーがアルフレッドに独立されるずっと前。
俺のすべては
アーサーだった。