『誰にもいえない・慶国篇(キャラ崩壊注意)』
作者4403さん
「ねえ、陽子、最近沈んでない?」
鈴は書房で溜め息吐き吐き仕事する陽子を戸口から盗み見ながら、傍らの祥瓊に声掛けた。
「…え?ああ、そうね。多分『あの事』が祟っているのよ」
「『あの事?』」
怪訝そうに鈴が言うと、祥瓊は「忘れたの?」と言った。
「ほら。女官等の悪戯書き。『抱かれたい 漢 順位表』のことよ」
「…やだ、陽子ったらまだ気にしてるの?」
ええ、と祥瓊は軽く息を吐く。
「慕われている、と言うのは良いことだけど、同性から漢扱いの眼差しで見られて複雑みたい」
「そぉね。流石にそれは、陽子でなくてもちょっと…」
――女にばかりもてても…。
僅かに同情を染み込ませた眼差しで、鈴は書卓で書簡を読み下す陽子を見詰めた。
「…でも、そういう見方をされるのは、陽子にも多分に原因があるのよ」
祥瓊は何処か含みを覚える言い方で呟く。鈴は瞬き、陽子から祥瓊に目を移した。
「何よそれ?」
「この間のことよ。陽子と廊屋を歩いていた時、女官の一人が段差に足を引っ掛けて転んでしまったの…」
祥瓊は語り始めた。
――陽子を筆頭に、祥瓊と数名の女官が付き従うように後宮を歩いていた。
その時、少し不注意な所のある女官が、僅かにあった段差の処で裾を踏み、派手に転んでしまった。
途端に降り注ぐ冷たい視線。
彼女は、周囲の視線から注がれる侮蔑の目に怖じ気づき、立ち上がることが出来なかった。
そんな嘲りの目を縫って、陽子は床に臥す彼女の元に歩み寄った。
「…大丈夫か?」
陽子は言うと膝を折り、自ら手を伸べて彼女を抱き起こした。
「大事はないね?」
陽子が再度問うと、彼女はしどろもどろに頷き、ついで礼を述べた。
「そう。よかった。その珠のような肌に瑕でもついたら、折角の美人が台無しになるからね」
そう言って陽子はふっと微笑み、彼女から手を離した。
残された女官は、最早夢見心地で陽子に見蕩れている。
周囲にいた者は、立ち昇る悋気を隠そうともせず、助けられた女官を凝視していた。
陽子は何事もなかったかのように先頭に戻り、また歩き始めた。
祥瓊は後方から漂ってくる嫉妬と羨望の空気に身の毛をよだて、
「――…ちょっと。片っ端から悩殺して火種捲いて行くのはやめなさいよ」
と小声で陽子に釘を指した。しかし、陽子は小さな伝達に、怪訝な顔をする。
「…何を言っているんだ?」
――陽子は無自覚だった。
「………」
「…私は救いの手を伸べる陽子の後ろに、大輪の花が乱れ咲く幻影を見た気がするわ…」
「………」
鈴は、遠い目で過去を語る祥瓊の横顔を無言で見ていた。
「…自覚がないから、どうすることも出来ないし…」
「――…悪い事ではないのだろうけど…」
二人は顔を見合わせ、溜め息を吐いた。
同じ頃、違う角度から陽子を見守る二対の目があった。
一つは彼女の下僕のもの。もう一つは、彼女の師のものである。
「…して、如何なさいます」
遠甫は問い掛けた。
「どうやら主上は落ち込んでおられるようじゃ」
「それは分かるのですが――」
景麒は具体策を見出す事が出来ず、歯切れ悪く答えることしか出来ない。
そんな景麒に、遠甫は軽く示唆を与えた。
「…差し出がましいようじゃが、こう云うとき、主上をお慰めするのも、台補のお役目かと」
「…主上を、お慰めする…?」
然様、と遠甫は言った。
「主上の気が晴れるように取り仕切って差し上げては如何ですかな?」
――気が晴れるように、と言われても…。
景麒は眉間に皺を寄せた。
人を喜ばせる、楽しませる、笑わせるというのは、景麒が最も不得意とする分野だ。
一体如何すればいいのか、皆目検討もつかない。
「…あまり小難しくお考えにならぬよう…」
黙然と考え込む景麒に、遠甫は重ねるように最後の手がかりを教える。
「ご自分が為される範囲の事で、主上にして差し上げられることをなさればよろしい」
そう言って遠甫はその場から居なくなった。
――自分の出来る範囲の事で、彼女にしてあげたいことをする――。
「…そうだな…」
景麒は何かを決心したような顔で蒼空を見上げた。
――その晩、景麒は自由な身体になると、主人の臥室に訪れた。
陽子は夜更けに近い時間帯に現れた下僕に少し驚いたようだったが、特に気にせず景麒を堂室に招き入れた。
景麒に椅子を勧め、彼がそれに従うと、陽子はその正面に腰を下ろした。
この時、景麒は既に主人を『慰める』為に来ていたが、いざその段になると躊躇してしまう。
微妙な沈黙の後、景麒は「…なにやら、最近お元気がないようで」と話を切り出した。
「え?そ、そう見えるか?」
「はい、いま少し。――如何なさったのか、と一応心配申し上げております」
「…お前に勘付かれるのだから相当だな」
自嘲気味に不躾な事を言い、陽子は景麒に笑いかける。
「…気にしているつもりはなかったんだが…」
陽子は独り言のように呟き、胸の内で考え込んだ。
手放しで『元気』というわけではない。それは陽子にも判っていた。――何故そうなのか。それも陽子はちゃんと知っていた。
――普段頭を悩ます苦悩と比べれば、大したことではないのだが。
「…なあ、景麒。――…わたしってそんなに魅力ないか?」
暫く思い悩んだ結果、陽子は呟くように問いかけた。
――女王と折り合いが悪いこの国で、とかく女らしさを省くよう努めてきた。
だからいまさら『女』として扱われたいわけではないし、『女』らしさが欲しいわけでもない。
それでも女に生まれつきながら、それと正反対の性に流れ、同性のものにもてはやされる事に或る種の空しさを感じる。
――せめて言い寄る男がいれば違うだろうに。
しかし、男のほうが多い宮廷内では、怨まれこそすれ、そのような目に見舞われた事は一度もない。
身分や何かを抜きにしても、そういう接触を試みようとする者もいない。
鬱陶しくもないが、それはそれで結構哀しくもあるのだ。
――要は、性的魅力が欠如しているのではないだろうか?
例の『順位表』を見て以来、女性らしさを不要としながら女性らしさを求める矛盾が陽子の胸にはあった。
そして、色事に疎そうな下僕に莫迦なことを訊いているという意識もあったが、問い掛けずにはいられなかった。
「なぁ…お前は、どう思う…?」
「主上は、とても魅力的であられますよ」
質問に答えると、景麒は卓の上に置かれた陽子の手に手を伸ばし、ぎゅっと握った。
陽子は普段絶対しない行動を取る下僕にいささか動揺する。
「…景麒?」
「主上御自身が、それにお気付きでないだけです」
――かたり。
手を握ったまま椅子から立ち上がると、「主上」と景麒は陽子に詰め寄った。
陽子はいつもとは多分に違う下僕に違和を覚え、軽くうろたえた。
「…そのように思い悩んでいるお姿は、主上には似つかわしくない。
――今日此処に参じたのは、その憂いを除く為。
微力ながら、主上をお慰め出来ればと、参った次第です」
「お前、一体何を…?!」
戸惑った陽子の声には答えず、景麒は胸元をくつろげ、白い胸を晒した。
そのまま着衣を乱し、半裸に近い姿になって陽子に迫る。
(――こ、この状況は…!!)
焦って席から立ち、陽子は逃げるように後ろに下がった。
「ま、待て!!落ち着け!景麒!!」
「…私は落ち着いております」
陽子が逃げるたびに、景麒がその分を塞いでいく。
そうこうしている内に、陽子は壁際に追い詰められてしまった。
完全に逃げ場がなくなった陽子に、景麒が最後の一歩を踏み込ませてくる。
陽子は初めて迎える局面に、動悸が速まるのを感じた。
「け、景麒――」
「主上…」
景麒は顔と顔が触れるほど近くまで迫ると、陽子の両手を取って包み込み、力強くぐっと握り締める。
そして息を吸い、はっきりと告げた。
「さぁ、私をお好きになさい…!!」
――……はぁ?!
陽子は顔を引き攣らせる。景麒は陽子の手を握ったまま、真顔で言い切った。
「…真実を申しますと、私が主上に対し何が出来るのか、考えもつきません。それでも私は主上をお慰めしたいと思う。
…ならばせめて、主上にこの身を任せ、御気の済むようになさればと思いました…!」
――瞳が本気を語っている。
景麒の目を覗き込み、陽子は彼が本心からそう言っているのだと云う事を理解した。
偽りのない態度に――偽りが無いからこそ――陽子の胸に、ふつふつと怒りが湧き上がってくる。
景麒は陽子の怒り度数の上昇に気付かぬまま、台詞を決めた。
「どうぞ、私を自由にして下さいませ!」
――つまりなんだ、要は『抱いてくれ』と云うのか。
こう云う台詞はふつう女が言うものと相場が決まっているのに。ていうか女のものだろう。
(――貴様もか、景麒…!!)
「ふっ……ざけんなよっっ!!」
陽子は思わず頭突きをかました。景麒が怯んで手を離した隙に襲撃の体勢を取る。
「この朴念仁!生まれ直して来い!!」
怒りの鉄足が景麒の脇腹にめり込む。中段廻し蹴りをまともに喰らい、景麒は後ろに吹っ飛んだ。
ぜぇぜぇ、と陽子は肩で息をしている。
(…一瞬でもこいつにときめくとは。わたしもついにヤキがまわったようだな…!!)
うだつの上がらない下僕と早とちりな自分に情けないやら恥ずかしいやらで、陽子は立腹していた。
一方、打っ飛ばされた景麒は床に座り込んで腹を押さえ、広がる痛みにうめいていた。
「…い、痛い…」
間延びした声で呟く。
怒り浸透しながらも、陽子は茫然自失状態の下僕の姿を見て、少し冷静さを取り戻した。
「…生まれてこのかた、このような事は…。舒覚様にすら、手を上げられたことはなかった…」
平静の彼らしくない間抜け姿と思いがけずに呟かれた先王の名が、陽子の胸に罪悪を植え付けた。
「ご、ごめん…。かっとなってつい…。大丈夫か?!」
駆け寄ってくる主人の謝罪を無視し、のろくさと景麒は呟いた。
「―――――いい…」
「…は?」
「こんな強い刺激は初めて受ける…」
景麒は軽い眩暈に酔っ払ったような顔をしていた。
脇腹から派生した痛みが時間を掛けて全身に廻る。
しかし、時が経つにつれ、その衝撃と痛みが快感に変わっていくのがわかった。
――刺激的なイタさが、気持ちイイ。
蹴られてうっとりした表情を浮かべる景麒を見遣って、陽子は一旦険しさの解けた顔をまた引き攣らせた。
嫌な予感が胸を登りつめていく。
(こ、これは、まさか――…?!)
「主上!!」
景麒は突然ガバリと顔を上げると、傍らにいる主人の肩を掴んで力強く言った。
「殴って下さい。」
「あ゛?」
「今のでわかりました。主上は御身に『すとれす』とやらを溜め込んでおいでなのですね?
然らば私は、その蟠りを受けて立ちます!――さぁ、思う存分この身に打ち付けなさい!!」
「わけのわからん解釈をするなぁぁ!!」
陽子は瞬発的に手刀をかました。
「はぅぁぁ…っ」
今度はあからさまに嬉しそうな声色で悶え、景麒は地面に倒れ込んだ。
「…ま、まだまだ…!主上のお悩みはこの程度では薄れぬはずです…!!」
そう呟いて驚異的な回復力で立ち直ると、景麒は蹴り倒した反動で引っ繰り返っていた陽子に詰め寄った。
虚ろな半笑いで迫り来るさまは、恐怖映画に出てくる怪物よりも恐ろしく、性質が悪い。
(――危険だ。)
陽子は思った。
こいつは危険だ。――違うイミで。
陽子は床を擦るように後退する。景麒はその足首を掴み、縋り付いて言った。
「遠慮などなさらずに…!さあもっと…思うがままに攻められるがいい…!!」
「ぶっ、不気味な言動で迫るな!!熱っぽい目で見るな!!寄るな、触るな、引っ付くな!!」
再び拳がはじけ、景麒は床に平伏す。しかしまたすぐ起き上がって迫った。
「…な、何のこれしき…!!もっと激しくても構いません!いえ、もっと強くお殴りなさい!!」
途中から明らかに趣旨が変わっている。
「それが不気味だと言うんだ!!いい加減に目を覚ませ、この大馬鹿者ぉッ!!!」
陽子の願いを込めた渾身の肘鉄が、景麒の横腹に綺麗に決まった。
景麒は言葉どおり、『強くて激しいの』を喰らって前のめりに崩れ落ちる。だがやはり、すぐさま回復し、面を上げた。
紫の瞳が、きらりと妖しく揺らめいて輝く。
「――ああ、しゅじょぉうっ!!」
歓喜の声で叫ぶと、景麒は思い切り陽子に抱きついた。
「もっと…!!もっと私を滅茶苦茶にして下さいませ!!」
『目を覚ませ』という陽子の叫びは、陽子の願いとは真逆の方向に効いたらしい。
「いぃやぁぁぁぁぁ!!!!」
叫喚が夜の臥室を貫く。最早、完全に理性を無くしたケモノを手懐けるのは不可能に近かった。
二人はそのまま床の上で縺れ合い、ひたすら殴打、撃沈、復活を繰り返す。
「も、もういやだ!!何でわたしばかりこんな目に遭う!!!」
切実な叫びが夜の間に響き渡った。
「…どう思う?あれ」
堂室の外に、中の様子を窺う二つの影がある。
陽子を元気付けようと来たものの、先客があった為入るに入れなかった鈴と祥瓊であった。
二人は中から響く物音に耳を傾け、状況を推し量っていた。
鈴の問いに、祥瓊は答える。
「…さぁ。深く考えたくもないけど、どうやら台補は被虐性愛者だったみたいね」
「でも、嫌がる処に無理矢理迫り倒して悦んでるから、加虐性愛者かも知れないわ」
「どっちに転んでも変態よ」
祥瓊は吐き棄てた。
「――祥瓊。これは」
解ってるわ、と祥瓊は強く頷く。
「これは極秘。誰にも言っちゃ駄目。だってこんな事が周囲に知れたら、皆の士気が下がるじゃない」
「そうね。世の中には知らないほうが幸せな事もある…。これは私たちだけの秘密にしましょう」
二人は、がしっと手を組むと、力強く頷き合う。
「…ところで、助けたほうがいいのかしら?」
「どうやって?」
口に出してみたものの、画期的な打開策をひねり出す事が出来ない。
二人は顔を見合わせ、憐れむように堂室の中を見遣る。
「………陽子、強く生きるのよ…」
「わたし達が見守っているわ…!!」
これは決して見捨てたわけじゃない――二人はそう言い訳すると、その場からそっと姿を消した。
――こうして、東国の夜は更けて行く。王の臥室を除き、慶はそこはかとなく平和だった。
(つづく)