その後(景麒虐め)作者:805さん >898-905 @二冊目
陽子が公務の合間に友人達と茶を喫いていると、「失礼します」と云う男の声と共に微かな音を立てて堂室の戸が開いた。
姿を表した景麒に女史女御は頭を下げる。景麒は娘らをちらりと一瞥すると、卓子の中心に座る陽子に向かって、「御話が御座居ます」と忙しない口調で言った。
「何だ?」
陽子は先を促す。しかし景麒は女官らに気を掛けながら、「主上の御耳にだけ御伝えしたい事なのです」と言った。
「…それは今でなくては駄目か?」
「……出来るならば…」
何処か切羽詰まった景麒の様子を、陽子は無表情に眺めた。錯綜する紫と沈着な碧が宙空で暫し絡み合う。――と、陽子の翡翠が色濃くなった。
陽子は軽く息を吐き、隣り合う友人らに目を向ける。
「――鈴、祥瓊。悪いが席を外してくれるか?」
陽子が言うと、「分かったわ」と二人は席を立った。
「悪いな」
「全然」
友人の謝辞に、鈴達は微笑んで答え、退室に卓の準備を始める。
「あ、いい」
陽子は茶器を片す鈴を制して微笑んだ。
「喉が乾くから。置いていって」
「あら、そう?」
制止を受けて鈴は手にした盆を置いた。
「――祥瓊」
陽子は部屋を出掛けた祥瓊に呼び掛ける。祥瓊が振り向くと、目配せしながら言った。
「…後をよろしく」
祥瓊は微笑む。
「解ってるわ」
二人の娘は景麒に一礼すると共に部屋を出た。鈴は曇り硝子の戸を閉め、廊屋に出ると、隣に歩く祥瓊に言った。
「陽子も大変ね」
「…そうね」
くすくすと笑いながら祥瓊は頷いた。
友人達が去ると、陽子は堂室の中で立ち尽くす景麒に無表情な眸を向けた。
「…で、話とは何だ?」
景麒は少し躊躇った後、陽子の前まで足を運んで両膝を折った。下から眺める角度で、景麒は口を開く。
「……如何して最近、―――御相手して下さらないのですか…?」
言い難い事を言うように、景麒はごにょごにょと呟く。陽子が「は?」と眉を顰めると、景麒は、
「…その、近頃、……夜を共にして頂けないので…」
とその先を口にした。陽子は上目遣いの下僕をほんの少しだけ見詰め、徐(おもむろ)に、フっと息を吐いた。
「――…切羽詰った様をするから、何の話かと思えば…。そう云う事は時と場合を考えて言えよ。…全く、お前の頭の中には、それしか無いのか?」
軽く辱められて、景麒は薄く頬を上気させる。
「そ、そんな事は…」
「見っとも無い真似をしてくれるなよ」
弁解を聴く間も無く、陽子は鋭く言い捨てると、床に両膝を突いた景麒の下肢――身体の中心――をいきなり右脚で踏み締めた。
「ッ!!」
突然の衝撃に、景麒は身体を強張らせる。
「少し相手をしなかっただけでこのザマだ。本当に、忍耐の欠片も無いな。性欲の塊か、お前は?」
言いながら、陽子は踵で踏みつけるように足を動かした。
「しゅ、主上…ッ!」
擦れる重圧に、景麒は狼狽した風に声を上げる。その間も陽子の右脚は、鬱積された抑圧を解き放つ引き金になるほどの圧迫感で、的確に景麒を刺激した。
陽子は足の裏に押し上げてくる感覚を感じ取って、一瞬侮蔑の表情を浮かべる。しかし直ぐに薄く嗤って景麒に詰め寄った。
「――発情しろ、と言ったつもりは無いが?」
「ち、ちが…っ」
景麒は反射的に否定するも、圧し付けられる重さに押さえ込まれた欲情を刺激される。抉るように与えられる刺激に、息を乱した。
「何処が違うんだ。――身体は正直だよなあ…?」
吐息の崩れる様を視ながら、陽子は景麒を辱める。
「そ、そんな事…ぁあッ!!」
ぐにゃりと圧迫されて、景麒は思わず昂ぶった声を上げた。
「雌猫のような声で喚くなッ」
陽子は恥辱を与えながら叱咤した。
「本当に如何しようも無いな。――お前、今がどんな状況か判っているのか?自分を踏み付けにされて、興奮しているんだぞ」
「…これは、主上がっ」
「人の所為にするなよ。自分の性質の話だろう」
「あぅ…っ!!」
強く練り込められて、景麒は昂揚を高める。白い貌が薄く色付くのを見て、陽子はまた嗤った。
「ふ。淫蕩の上に被虐欲がある、と。困った性癖の持ち主だな。――神獣が聴いて呆れる。寧ろ、唯の淫獣と云う方が相応しいか」
「しゅ、しゅじょお…」
景麒の声に甘い霞みが掛かってきたのを聴いて、陽子は攻撃の強度を上げた。
「折角諌めてやっているのに、一向に治まらないようだ。…それどころか増長している。――…ふふ。普段の禁欲的な姿と、今の煩悩に塗れた貌とは、天と地ほど掛け離れている。
――皆がこれを知ったらさぞ驚くだろうなぁ。『この国の宰補は卑猥な被虐嗜好者なのだ』と。…そんなに甚振られるのが好きなら、いっそ放言してしまったら如何だ?」
「はぅ…っ…そ、それだけは、御勘弁をぉ…ッ」
弱い反論に、陽子が景麒をぐいっと思い切り踵で踏み下すと、更なる昂揚が陽子の足から直に伝わってきた。
「秘密を暴露される処を想像して昂揚したか?なまじ矜持が高い分、反動が強いと見える。…お前の一部は益々勢い付いているぞ。言ってる事と態度が、随分違うようだな…?」
「ぅ…っく…しゅじょ…も、もう、やめ…っ」
紫の瞳が熱に浮かされたように揺蕩う。
景麒は小刻みに熱い呼吸を繰り返しながら、陵辱の快感に悶える身体を耐えさせていた。痴情に打ち震える己が下僕の切願を聴いて、陽子は嘲笑を強める。
「は?『やめろ』と?可変しな事を。お前は馬鹿か?厭ならさっさと逃げればよかろう。
なのに何故、未だこうして此処に居る?わたしは『逃げるな』とは一言も言っていないぞ。選択肢はちゃんと残してあるんだからな」
「ぅう…っ、そ、それ、は…」
乱れた吐息で、景麒は必死に言葉を探す。しかし、極度の興奮に思考を支配され、何も考えられなくなっていた。
陽子は、完全に自分を見失って快楽に溺れる景麒に追い討ちを掛ける。
「答えられない?なら、代わりに言ってやろうか?…それはな、お前の本心が屈辱を受けたがっているからだよ。虐められて弄ばれる事が快感で、身体の深くでそうされる事を望んでいる。…だから、この場から逃げずに居るんだ」
違うか、と陽子は景麒の耳元に顔を寄せて囁いた。
「――本当は嬉しいんだろう?辱められるのが気持ち好くて、動きたくないだけだろう…?」
「あぁ…っ」
囁きに乗じて陽子が吐息で景麒の耳朶を擽ると、景麒が自分自身で身体を支える力が、がくりと抜け落ちる。紅潮して弛緩した貌で、景麒は主人を見詰めた。自己嫌悪と悦楽の狭間で揺れる紫の瞳が、必死に何かを求めている。
「…不埒な獣め」
語尾を言い切ると同時に、陽子は爪先から踵を使って、扱き切るように大きく足を擦り動かした。
「――…っうはぁ…っ…!!」
留めの刺激に、景麒は身体をびくりと痙攣させて動きを止めた。
凍りついたように目を開く景麒を見遣って、陽子は薄笑いを浮かべる。
「とうとう達してしまったか。…やれやれ、本当に仕方の無い奴…」
陽子は、快楽の峠を越えて脱力した景麒の顔に手を掛け、上を向かせると、悪戯的な表情で、
「逝かしてやったんだから、もう、欲求不満は解消されたな…?」
と言った。景麒は快感の余韻に浸って淫らに歪む貌で主人を見上げる。その貌を見下げながら、陽子は言った。
「これでまた暫くは耐えられるだろう」
「――っ!!そ、そんな…!それはあんまりです…」
「何が?望み通り、お前の相手をしてやったんだぞ?――それでもまだ足りないと言うのか?」
剣もほろろなその返答に、景麒は息を詰めた。そしてキリリと歯を噛み締める。
「…――浩瀚に与えるものは在っても、わたしには無い、と…?」
陽子は少し目を瞬いて景麒を見詰める。景麒は息を微かに震えさせながら言った。
「…気付いていないとでも、御思いでしたか…?貴女は偶に深夜、床を抜けて御出でになる。――主上の居場所くらい、いつでも判ると申し上げたじゃありませんか…っ」
早口に言って言葉を切ると、沈黙が堂室を満たした。取り乱す下僕の貌を、陽子は相変わらず無表情に眺めている。その視線に厭いて、景麒は静かに口を開いた。
「…関係を、御持ちなのでしょう?」
「―――だったら…?」
陽子は冷めた目を向けた。
「判っているんなら訊くなよ。…それが事実だったら、如何なんだ?」
「ど、如何して…っ?!」
吐息を乱す景麒を、陽子は無表情に見詰める。数瞬後、陽子は嗤って、
「…夫婦恋人じゃあるまいし、貞操義務は無いだろう?」
と軽く言った。
「――っそれは…」
景麒が口篭もると、陽子は興味無さそうに言った。
「大体、『人の行動に干渉しない』。――最初からそう云う関係と約束しただろう?…それを忘れて他人(ひと)を所有物扱いしてくれるなよ」
言い切った言葉に応答が無いのを見遣って、陽子は景麒から手と目線を外して身体を逸らした。
「それが理解出来たら、この話題は終いだ」
視線を合わす事すら叶わなくなって、景麒は哀慕の積もる貌をする。そして暫く躊躇ったあと、ポツリと言った。
「――わたしに厭かれましたか…?」
小さな呟きに、陽子は再び顔を上げる。
「…何故、浩瀚にばかり温情を割かれるのです。…浩瀚は良くて、わたしは駄目だと?――それほどわたしを御厭いですか…?」
主人だけの前で殊勝な一面を見せる景麒を、陽子は黙視した。冷静な碧が苦悩に揺れる紫を射竦める。微かに笑むと、陽子は景麒に身体を向き直した。
「厭う?如何して?愛しているよ」
言いながら近付いて、景麒の首筋に手を伸ばす。辛苦に駆られる景麒に上を向かせながら、陽子は言った。
「莫迦真面目な処も、偶にしか優しさを見せられない処も。――総じて不器用なお前を、お前の愚かさ拙さ、浅墓さや卑猥さ全て纏めて愛している」
「…ほ、本当に…?」
「――わたしを疑う?」
いいえ、と景麒は首を振り、陽子の膝に縋り付いた。
「主上の御言葉なれば、疑うなぞとんでもない。…しかし、ならばその証を、一欠片でも与えて下さっても良いではありませんか…」
陽子は膝に頭を寄せる景麒の髪を撫でながら、しおらしくも強(したた)かな、その言葉を聴いていた。
――この下僕がこんな姿を見せるのは、自分の前だけだと云う事をよく知っている。
陽子は優越に微笑み、景麒に囁いた。
「欲しい?なら、与えてやっても好いんだぞ?だが、言い方と云うものがあるだろう。――…人にものを頼む時は、何て言うんだっけ…?」
景麒はやや顔を上げ、眼前の主人を臨む。妖しく艶めく翡翠に魅入られながら、陶然と呟いた。
「―――お、御願いします…。御情けを、下賜(くだ)さいませ…」
「口下手で語彙の乏しいお前にしては上出来か。――まぁ、いいだろう…」
陽子は微笑んで、浮ついた下僕の唇に口付け、許しを与えた。景麒はその慰安に必死で手を伸ばし、赤い髪を引き寄せて焦がれたように唇を吸う。
接吻を繰り返しながら、景麒は今まで触れられなかった分を取り返すように、主人の身体を抱き締めた。
勢い付いたまま、急いた手つきで主人を椅子から引き摺り下ろすと、景麒は、陽子を磨き抜かれた大理石の床に押し倒す。そして転がる身体の上に乗りかかって服を乱し始めた。
景麒は、羅列の良い白い歯で、陽子の官服の襟首を口開き、その下に隠された褐色の肌を露わにしていく。
「本当に、獣そのものだ…」
些(いささ)か乱暴とも言える荒々しさで素肌を明かされながら、陽子は呟いた。
「清らな貌をした、淫らで卑しいケダモノ…。――これがわたしの半身か…」
聴こえるか聴こえないかの小さな囁きで、陽子は景麒を蔑む。薄く聞こえる恥辱の断片が、景麒の欲情を煽り立てた。
「主上…っ」
景麒は色欲に眩んだ熱っぽい瞳で、切なげに主人を見詰める。放置された情欲と蔑(ないがし)ろにされた思慕に窶されたその貌を見返し、少し微笑って、陽子は景麒の瞳に口付けた。
「哀しいほどに馬鹿で稚拙。――全く、愛いな、お前は…」
「――しゅじょう!!」
哀情に愛情を上乗せして痴情を駆り立て、景麒は陽子に覆い被さる。陽子はその性急な愛撫を受けながら、満足そうに微笑んで己の下僕を抱き締めた。 情事を為した下僕を仕事場に放した後、陽子は乱れた服を繕いながら、卓の上に置かれた茶器に手を伸ばした。
すっかり冷めた茶で咽喉を潤している処に、足音が忍び込む。
「御邪魔致します」
「――人払いを掛けておいた筈だが?」
陽子は突然現れた自国の冢宰に、皮肉った嗤いを向けながら言った。
「頃合を計ったような御出ましだな。――さては、隣の部屋に潜んで様子を窺っていたな…?」
「人聞きの悪い事を。単に、美しいものに目を惹かれて動けずにいただけです」
「ほぉう?」
嘲笑に似た微笑を受けながら、浩瀚は陽子に近付く。そして未だ崩れた陽子の襟首を整えながら言った。
「御存知ありませんか?主上は、台補の御相手をなさる時に、最も御美しい貌をなさるのですよ…」
「――自分の美醜には興味が無い」
言いながら、陽子は乱れ髪を掻き揚げる。無関心そうなその態度を見遣り、浩瀚は「然様ですか」と言って少し微笑った。しかし不図真面目な貌をして、陽子に問い掛けた。
「……最初からこのつもりでしたね…?」
「――何が」
「わたしと関係を持ったのも、敢えてそれが台補に勘付かれるように振舞ったのも、全てはあの方に悋気を起こさせて焦がれさせる為。――貴女はわたしを利用なさったのでしょう」
言葉の割に、咎めるでもなく、責め立てる訳でも無い浩瀚の口調に、陽子は窺い知れない貌をする。
「…さてね」
「はぐらかされますか。…まあいいでしょう。素直に御答え頂けるとは、毛頭思っておりませんので。――しかし、利用して下さって構わないのですよ、わたしは」
髪を手櫛で梳いて整えながら、陽子は無表情に浩瀚を見詰めている。浩瀚はその目を正面で受け留め、先を続けた。
「そうする事で美しさを増されるというなら、幾等でも利用なさるがいい。此方は此方で、それを糧に愉しみますから」
綽綽と言い放つ怜悧な男と暫し見詰め合った後、陽子はくつくつと嗤い始めた。
「…流石は慶国随一の理知と詠われる人物だけはある。――ふふ、お前のそう云う聡明さも好きだよ」
「御褒めに預かり、光栄の至り…」
囁いて、浩瀚は陽子の唇に近付く。しかし陽子は、それを寸前で手で制した。浩瀚の目前で、小悪魔的な微笑が揺れる。
「――…矢張り簡単には頂けない、と。…それでこそ、崇高なる高嶺の華。追い掛け甲斐もあるというものです…」
少し苦笑気味に微笑うと、浩瀚は塞き止められた手を取って口付けた。くすくす、と陽子は鈴を転がすように笑い、手を引っ込める。浩瀚の掌から、娘の指先が逃げた。
陽子は微笑いながら、浩瀚に告げる。
「――さて、休憩は終いだ。仕事を始めよう。――その為に来たのだろう?」
「仰る通り。…いくつか御相談したい事が御座居ます」
「ならば、用件を聴こうか――」
何事も無かったかのように、二人は処務をこなし始めた。
<了>
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