虎嘯、最悪の日
作者:369さん >369-374、380-、389-392
「――虎嘯、どうしたんだ?」
「・・いや、何でもねえ。」
陽子は首を傾げた。大僕の様子は明らかに可怪しい。
何かをかばうようにゆっくりと歩きながらついてくる。顔色もどことなしに青ざめていた。
「何でもないはずないだろう。ちょっと額をかして見ろ――凄い熱じゃないか!」
「いや、これはその・・うっ!」陽子の身体が軽く触れた。
「えっ・・?」
「・・・・。」
「――なるほど、原因は”そこ”か。」
虎嘯は、とても陽子に会わす顔がないというように、うなだれている。
「見せてみろ。」
「何だと?」虎嘯は驚いて顔を上げた。
「おいおい、冗談だろ?そんなことできるわけないだろうが」
突然、陽子に肩を掴まれる。
「馬鹿、そんなこといってる場合じゃないだろ!」
陽子は軽く揺さぶりながら、激しく一喝した。
陽子の怒気に、虎嘯は言葉を詰まらせる。
「しかし、仮にも年頃の娘がだな・・」
「黙って。」
金波宮の典醫にみせてもどうにもならないだろう。
抵抗しようとする虎嘯を制して、下半身を覆う着衣を引き下ろした。
(なんてこった・・。)
虎嘯は陽子の前で隠すことなくその逸物をさらけ出していた。
こんなこと想像だにしなかった珍事。
(一体、何の因果で・・。)
「いつから膿がでるようになった?」
陽子がおもむろに口を開く。
「――昨日から。その時は大して痛まなかったんだが・・。」
陽子は保健の授業で習った知識を記憶の底からさらおうと、軽く眉間にしわを寄せた。
「じゃあ、潜伏期間があるから――十日か二十日前に、そういうことしたんだろ?」
「ああ、まあ、ちょっと遊郭に・・。」
「まったく・・・。男ってのは仕様がないな。」
陽子は憮然とした仕草で薬箱からあれこれと取り出す。
「普通、仙は簡単に病気にならないはずなんだが・・。よほど根性のある粘菌なんだな。――しみるぞ」
「うっ!」
激痛に虎嘯は顔をしかめる。
「我慢しろ。自業自得だろ。」
陽子は意に介さず、筆状の道具で虎嘯の逸物に薬を塗りたくった。
「これでよし、と。あとは典醫にいって傷痍のときと同じ薬をださせておくから。」
道具をしまう。一方、虎嘯の道具の方は、花も恥じらう少女にいじりまわされたにもかかわらず、
父親同様、頭を垂れてうなだれている。腫れて痛いのだから当然だろう。
それにしても巨大な持ちものだった。並のモノよりふたまわりは大きい。
「なあ、もうしまっていいだろ?」
「ああ。――あっ、ちょっとまって。ついでに包帯を巻いておこう。」
「いや、もういいって!」
陽子が長椅子にあぐらをかいた虎嘯の股間に顔を近づけるように身を乗り出した。
その時――
「虎嘯、ここにいたのね。お昼できてるわよ。あら、陽子もいたの――」
何もしらず、扉を開けて入ってきた鈴は、二人をみて凍り付いた。
「待って、鈴!誤解しないで」
「違うんだ鈴、これは――」
しかし、鈴は皆まで聞くことなく咄嗟に身を翻して走り去った。
「「誤解なんだぁぁぁ――っ!!」」
その後、鈴は虎嘯と口をきかなくなった。陽子にもよそよそしい態度をとる。
明らかに避けている。
「お前のせいだぞ!」怒鳴りつける陽子。
「そんな、そりゃ酷えぜ。俺だって被害者なんだぜ。」泣き言半分に反論する虎嘯。
「元はといえばお前のせいだろう!」
二人は間抜けな言い争いを繰り広げる。
「――とにかく、鈴のところへ誤解をときにいってこい。」
「誤解をとくって・・。一体、どうすれば・・。」
「良いからいけ。勅命だ!」
(くそ、そりゃ反則だろ・・。)
とぼとぼと、虎嘯は歩き出す。
「鈴、俺のこと嫌いにならないでくれよ・・。」
その背中は、自業自得とはいえ、あまりにも寂しかった――。「――陽子。」
「あっ、祥瓊…」
パン、と振り向いた陽子の頬に平手が飛んだ。陽子は真横を向いて大きく目を見開く。
「見損なったわよ。あなたがそんなことするなんて。」
「…祥瓊、聞いてくれ。違うんだ。」
年頃の娘が大の男の逸物を『手当て』しておいて、違うんだも何もないのだが、もちろん祥瓊は聞く耳を持たない。
「よりにもよって、虎嘯の住処であんなことすることないじゃない。一緒に暮らしているのよ。最ッ低。――鈴は才に帰ると言ってるわよ。」
「何だって!?」
「――鈴、入るぞ。」
衝立の前から声をかける。内宮に与えられた虎嘯たちの住居。その一室が鈴の房間だった。
「なあ、俺はごちゃごちゃ言い訳するのは好きじゃないんだ。だがこれだけは言って……。」
虎嘯は思わず口ごもった。
「…何をしているんだ、鈴。」
「――才国に帰るの。」
振り向きもせず、荷物の整理をしていた鈴は、極力感情を抑えたような声で、それだけぽつりと漏らす。
「何だと…」
虎嘯は歩み寄ると、鈴の肩を掴んでこちらを向かせる。
「馬鹿なことを言うんじゃない!」
「触らないで!」
鈴は激しく抗うと、虎嘯の手をはたき落とした。
汚いものを見るような目で、虎嘯を見やる。
「私は邪魔者なんでしょう。もう一緒にいる必要なんてないわ。」
鈴は瘧のように震えながら。目には涙を湛えていた。
「私出ていくから!そうやって、好きなだけ陽子と汚らわしいことしてればいいんだわ!」
さっと虎嘯の顔が険しくなる。手を上げた。
(ぶたれる…!)
鈴は咄嗟に身をすくませる。
(――…?)
痛みは来ない。代わりにはごつごつした圧迫感と、男臭くて、それでいてどこか暖かな匂い。
「なあ、悲しいこと言わないくれよ…。」
鈴を強く抱きしめられていた。虎嘯の巌のような体躯の内側で、華奢な身体が震える。
「俺はいつまでも、鈴と一緒に暮らしたいんだ。俺は馬鹿だからお前を傷つけたりしちまう。でもよ、それでも俺はお前がいないとやっていけねえんだよ。だから出ていくなんて、言わないでくれよ。」
大きな手が優しく鈴の頬をなでる。
「虎嘯…。」
潤んだ瞳が虎嘯を見上げた。
次の瞬間、渾身の力を込めて虎嘯の股間を蹴り上げる。
「うぐおおおおっ!」
虎嘯は膝をついて前のめりに崩れ落ちた。
「汚い手で触らないでって言ったでしょ!」
そういうと、一目散に房間から駆け出す。いつもは抑鬱型だが、一度思いこんだらとどまることを知らず突っ走る暴走女、それが鈴。やはり生半可なことで懐柔は不可能だった。
一方、虎嘯はうずくまり、苦悶の声を漏らしていた。泣きっ面に蜂とはまさにこのことである。
涙混じりに情けない声を上げる。
「鈴、待ってくれぇぇっ…」
「だから、誤解だっていってるだろう!」
「まだそんなこと言ってるの。男らしくないわよ!」
「・・男じゃないんだが。」
ギャアギャア喚いてる娘二人の元に駆け込んでくる鈴。
「あっ、鈴!」
二人とも慌てて側による。
「――泣いてたの?」
鈴は少しの間うつむいていたが、意を決したように面を上げる。
「陽子・・いや、主上、誠に勝手ながら、暇を頂きとう存じます。今までご寵愛下さった恩、決して忘れません。」
折り目正しく拱手すると、それだけ言って去ろうとする。
「待て!」
「待ちなさい!」
「いや、離して!・・もういやなの!」
鈴は二人に掴まれて、大粒の涙をこぼした。
「我が儘だって分かってる。でも、もう、何がなんだかわからないの!一人になりたいのよぉ!」
「鈴、聞くんだっ!」
陽子が激しく鈴を揺さぶった。鈴は一瞬泣きやんで、驚いたように陽子を見つめる。
「つらいのは分かる。だけど、虎嘯はお前のことを信じてるんだ。鈴は強い子だって。それなのにお前がそんなだと、虎嘯はどうなる。虎嘯がかわいそうだろう?」
「・・・・」
鈴は目に涙を湛えたまま、黙って陽子をみやる。
他ならぬ誤解の原因がそんなこと言っても説得力ないわよ、と祥瓊は密かに思ったが、この場の空気を察して敢えて口には出さない。
「それにな、虎嘯はお前のことが好きなんだよ。」
「えっ?」
驚いたように聞き返す鈴。しかし、すぐにかぶりを振る。
「そんなはずないじゃない!」
「でも、鈴は虎嘯のことが好きなんだろ。」
「私・・?」
確かに、純朴でかざりけのない虎嘯に好意を抱いていた。
でもそれは、恋人へ対するというよりも、かつて失った家族のように愛おしんできた。
(だけど、私、陽子に嫉妬している・・。)
だからこそ、陽子と汚らわしいことをしていると知って幻滅もしたし(間抜けな原因の誤解なのだが)、裏切られたような気もしたのだ。
(そうだ、私は虎嘯のことどう思ってるのだろう・・。)
「――待って、二人とも。良い考えがあるわ。」
成り行きを見守っていた祥瓊が、不意に口を開いた。
雲海の上に夜のとばりが降りている。
木々の梢に月影がさして虫の鳴く声のみが闇夜に響く。
園林のなか、月影に照らし出されて、紅い髪の少女が佇んでいた。
そこへ、一人の男が歩み寄る。
その姿は淡い光に照らされて、遠くからでもはっきりと見えた。
――虎嘯。
虎嘯は歩み寄ると、少女を抱きしめた。
「――鈴・・。」
「なっ、言ったとおりだろ?」
陽子は、何が起こったかついてこれない虎嘯を尻目に、近くの茂みに声をかけた。
祥瓊と、顔を朱に染めた鈴がでてくる。
「・・虎嘯。」
「鈴、お前――」
鈴が虎嘯の厚い胸板に飛び込む。
「ごめんなさい、あたし・・」
「・・いいんだ。もう何も言うな。」
(――やっと分かった。私、虎嘯のことが好きだったんだ――)
二人は口づけを交わす。
(だって、私の目に映ったのは、虎嘯だったんだもの――)
「なっ、誤解だったろ?」
陽子は邪魔にならぬよう祥瓊を促してその場を離れると、要済みの蠱蛻衫を手渡す。
「何はともあれ、丸く収まってよかったじゃない。」
「まったくだ。――それにしても、よく範の御仁が大切な宝重を貸してくださったな。普通ないことだろ?」
「そうね。普通じゃあり得ないことだわ。でも、条件が良かったみたいだから。」
「――何だと?」
嫌な予感がして、陽子は眉をひそめた。
「ほんの一月、陽子を好きにさせるって。それだけで貸してくれたのだから、感謝しなきゃね」
「なっ!」
陽子の顔が青ざめる。
「祥瓊、お前っ!」
「あら、大の男の性病治療ができるくらいのタマなんだから。オカマの玩具にされるくらい平気でしょ。」
「ふざけるなぁぁぁ――――っ!」
陽子の叫びが、金波宮にこだました。
完