【 紺青の鬣 】 月渓×祥瓊
5598さん
【 序 章 】
そこは大陸とは虚海で隔てられた極国のひとつ。
麒麟が失道の病に罹り、苛烈を極めた圧政を布いた王と王后とが弑逆されてから数年経つ国ではあるが、仮朝がよく国を支えている為に今でも虚海の交通は確保され、日に一度の定期船も運航されている。この日も対岸の恭からの貨客船が定刻通りに港に入ってきた。
少なくはない乗客と共に、騎獣を伴った一組の男女が下船する。
旅人としてはごくありきたりの身なり、連れている騎獣もごく普通の種類で、さして人目を引くこともない二人連れ。
時には普通すぎることで却って目立つこともある。普通なこしらえに似合わぬ男の隙のない身のこなしや、頭布を被った女の佇まいから匂い立つ気品は、見るものが見ればすぐさま徒者ではないと看jされたことだろう。
しかし入港審査の役人は整った書類に何の疑問も持たず、二人連れは何事もなく上陸し、そのまま首都へと向かった。
芳極国の首都・蒲蘇(ほそ)は、先王が崩御した後、却って人の賑わいが増している。
城下町の目抜き通りから少し外れた舎館に宿を取り部屋に落ち着くと、女はようやく顔を覆っていた布を外して物珍しげに周りを見回した。
その様子を見て男が話し掛ける。
「以前青将軍のお供で参ったときも、ここに宿を取りました」
「有り難う。貴方についてきてもらわなかったら、一人では到底辿り着けなかったわ」
相手ににっこりと笑いかけながら、我儘を許してくれた友と、心配して部下をつけてくれた、立場上国を離れるわけにはいかなかった男の配慮に内心感謝する。
「緊張していますね」
「少しはね。でも……」
口ごもる女には構わず男が先を続けた。
「ここまで来たのですから、今更後には引かないでしょうが」
男の言葉に苦笑しながら、でも何処かにためらいを残した表情で女は視線を返した。
その後は、遅い昼食を摂るときも、旅の埃を落として身仕舞いを整えるときも、女は無言で通した。
次第に緊張が高まって表情が強ばってくる女の様子を見かねて、男は励まそうと声を掛ける。
「大丈夫ですよ、貴女なら」
「そうね、ここまで来て決行を延ばしても意味はないわ」
決行と言う言葉に女の覚悟が透けて見えた。その緊張した気配に、男は思わず本音を漏らす。
「これ以上延ばしたら、引き留めたくなってしまいます。危険が無い訳ではないのですから」
「大丈夫よ……多分」
「貴女に何かあったら、私が青将軍に八つ裂きにされてしまいますからね」
自分自身の気分をほぐそうと、そんな軽口を叩いてみる。
そう。この芳国出身の女史と、男の敬愛する上司でもある慶国の禁軍左軍将軍とは周囲の認める思い人同士だった。だからこそ、以前この国に来たことのある、左将軍の信任の厚いこの男が付き添いを命じられて来ている。
そして熊の半獣でもある上司は、物の例えではなく、その気になれば実際に敵を八つ裂きに出来るのだった。
女のことを案じているのか、自分の行く末に不安を感じているのか、半ば冗談めかした男の言い様に心遣いを読み取って
「あの人はそんなことはしないわよ」
くすりと笑ってそう言いながら、自分を案じてくれる恋人の顔を思い浮かべた。
―――これ以上伸ばしたら、二人とも言わなくても良いことまで口にしてしまいそうだ。
「行くわね、私」
すっと立ち上がって口早に言う。
「もし、明日の夜になっても連絡をしなかったら、王に知らせを出して頂戴」
最後に女が男の目を見て頷いて見せ、そのまま夕闇の迫る大路の人通りに紛れてゆく。
部屋に戻って二階の窓から女を見送る男は、恋人をここまで送り届けた上官の気持ちを慮り、女が無事に此処に戻ってくるまではまんじりとも出来ないだろうと考えていた。
「祥瓊さま、どうぞご無事で……」
― 1 ―
芳国・鷹隼宮の正寝では、深更に及ぼうかと時刻にも拘わらずまだ居室の灯りが点いている。
部屋の主は仮朝の王、元恵州侯・月渓だ。
このところ月渓は眠れない日々を過ごしている。
理由はひとつ。黄旗が揚がらないのだ。
通常、麒麟が死ぬと時を置かずして蓬山の捨身木に次の麒麟の卵果が実り、一年ほどで孵る。
幼獣が王を選定できる程に成長したら黄旗が揚がり、四令門から昇山者が蓬山を目指す。
最初の昇山者から王が出るとは限らないが、仮朝というものは、当面、黄旗が揚がって昇山が始まるのを一つの目処に、王が不在の困難な時期を乗り越えようとするものだ。
新しい麒麟が成長して次王の選定に入るのに早くて2〜3年だといわれる。もうそろそろ充分な年齢に達している筈なのだ。先の麒麟が死んでかれこれ5年近く経つともなれば、それこそ夜を日に継いで待ち侘びてしまう。
仮朝の中の誰とは言わず、そこここに先の見えない政務への不安が忍び寄り始めていた。
―――峯麟を殺した自分たちに、次の麒麟は与えられるのだろうか。
はっきりとした不安ではない。まだはっきりと決まったわけではない。
言葉に出せばそれが本当になりそうで、誰もが腹の中に抱え込み、他人の目の中にも同じ不安の影が見えるのではないかと探り合ってしまう。
思い悩んでも詮ないこととはいえ考えずにはいられない。考えてしまう以上は何かに理由や原因を求めずにはいられない。
その原因さえ取り除けばすぐにも黄旗が揚がって新王が現れ、この国と自分たちを救ってくれるに違いないという根拠のない期待さえ一部で生まれてかけていた。
そして仮王・月渓は人一倍自責の念に駆られている。
2代に亘って昏君を選んだ峯麟を手にかけた。そのこと自体、他に選択肢はなかったし、後悔はない。
しかし今現在の心境は決して穏やかなものではない。
こんな男が預かる仮朝だから、天帝の怒りが下って黄旗が揚がらないのではなかろうか。自分の存在が諸官の不安につながっているのではなかろうかと、悶々と自問自答を繰り返していた。
『お前は何をしている?』
「国が沈まないように精一杯力を尽くしている」
それは他の諸侯も同様だ。
隣国・恭の王からも、遠く慶の王からも、国をしっかり護ってくれと有り難い言葉をもらっている。
しかしそれがそもそも、自分の罪によって報われないのだとしたら・・・。
だが冷静に考えて、彼の他に仮朝をまとめる力量のある者は見あたらない。
事実、彼がこの地位を引き受けたのは諸官からの強い要望があってのことだったし、何より自分勝手な自責の念に押しつぶされて放り出して良い地位ではない。
―――堂々巡りだった。
いくら考えても仕方がない、今夜も酒の力を借りなければ眠れないようだ。
鍵の掛かる棚の隅に隠してある、強い蒸留酒の瓶を取りだす。
小さな酒杯に注いで榻に座った。一息に飲み干さないように、ゆっくりと口に運ぶ。
例え眠るために酒の力を借りるにしても、酒に飲まれるような愚を犯さずに自制できるのも、この男が仮王に相応しい由縁だった。
しかしこの夜は一杯では緊張が解けなかった。もう一杯注ぐために戸棚を再び開けて、ふと何かの気配に気づく。
そろりと振り向いて、廊下側の扉が微かに開いていることに気づいた。
扉の隙間から何かが動いたのが見える。
「誰だ」
低く押し殺した声での誰何に影が揺れたが、答えはない。
再び誰何する。
「名乗って頂きたい」
「私です、峯王」
しばしの間を取って応えたのは、聞いたことのない、しかしどこか懐かしさを感じさせる女の声。
扉から目を離さずに脇机の上に置いた刀を手に取る。
左手に鞘ごと剣を持ち、思い切って扉を開けた。目の前に立ちすくんでいたのは―――
「祥瓊・・・さま……?」
― 2 ―
亡き先王・仲韃の忘れ形見、公主・祥瓊を最後に見たのは4年ほども前のことになるだろうか。
ガサガサに荒れた肌、艶もなく乱れた髪、みすぼらしい襦裙をまとった平民の娘の姿だった。
自分の置かれた立場をどうしても理解しようとしなかったその娘を、憎まれた王の娘をそのまま置いておく訳には行かず、この国から追放したのは月渓自身。
だが、月渓にとって常に変わらぬ祥瓊の面影は、まるで人形のように着飾った美しい少女の姿だ。
豪華な襦裙を纏い、艶やかな髪を複雑な形に結い上げ、ふんだんに飾り立てられた鷹隼の一瓊。
王と王后の寵愛を一身に受け、世の中の苦労や汚い物の存在を何一つ知らされずに育った美しくも高慢な少女。
しかし今眼前にいるのはそのどちらとも違う。
質素だが清潔な身なり、緩く束ねられた艶やかで豊かな紺青の髪。臈長けたとしか形容の言葉がない美貌。襦裙を通してさえ柔らかさが感じ取れるような身体つき。
全身から仄かに色香を漂わせている一人の娘だった。
仙籍から外されていた僅かな年月が、こうも少女を変えるものなのか。
「どうしてここに」
まず口をついて出るのはその疑問だった。
慶国から客人の訪問の予定は無い。あったとしても王宮の奥深く、誰の誰何も受けずに入ってこられる訳が無い。
「ごめんなさい、でもどうしても貴方と直接にお話したかったのです」
しっとりした声音は蜜のように耳に快い。
「お一人でいらしたのですか?」
他にも人がいるようなら、夏官長への叱責くらいでは済まされない。
しかしその質問には、祥瓊は心からびっくりしたようだった。
「勿論です。ここへの道をおいそれと人に知らせるわけには参りません」
「それにしても、どうやってここまで」
問いかけを重ねながら来訪者を居室に招じ入れる。
「ごめんなさい、私はこの国を追われた人間ですのに」
「そうです。とても危険なことをなさっている」
「ですからこっそり参りました」
「こっそりとは言っても、ここは燕朝です。外部からどうやって」
ことは国の心臓部の警備の問題だ。つい詰問口調になる。
「秘密の隧道がございます。どの門も潜らずに地上に出ることの出来る道があるのです。
そこが塞がれておりませんでした。勿論―――」
祥瓊は月渓の顔に浮かんだ疑問を機先を制して封じた。
「恵侯にお教え致します。あ、ごめんなさい。つい……」
そう言うと、心底済まなそうな口調で以前の肩書きで呼んだことを詫びた。
謝ってばかりいる祥瓊を、月渓は何がなし不思議な感慨を持って見る。
以前はこんな気遣いを見せる娘ではなかった。相手の気持ちや立場を慮るということはできなかった。
―――人は変われるんです。有り難いことに
祥瓊のことでそう言っていた男の声と姿を思い出す。見目形だけではない、見えない何かも変わる。人は変わり続ける。仙であろうと唯人であろうと生きてある限りは。
「それはともかく、命の危険を冒してまで、私と直接にお話なさりたいということとは?」
月渓は強引に話を戻した。
このところの浮き足だった朝議の舵取りに疲れていた。苛々していた。そこへ降って湧いた祥瓊の訪問は、月渓にとっては抱え込んだ荷物を増やす余計な雑事でしかない。
その苛立ちと酒の匂いの意味を的確に感じ取り、祥瓊は回りくどく言うことを止めた。
「単刀直入に申します。黄旗のことです」
ぎょっとして祥瓊を見る。
「あの…、陽子、いえ景王から伺いました。芳の黄旗が未だに揚がっていないと」
この世界では他の国のことは殆ど没交渉で済ます。僅かに近隣の国交のある国と連絡を取り合うことがあっても、この国の黄旗のことが、世界の反対側にある慶にまで伝わっているとは。
芳が危ういというのはそれほどに世界中に知れ渡ってしまっているのだろうか。
一気にのしかかる脱力感に、月渓は椅子のひとつに座り込んだ。
疲れを隠しきれない月渓の様子を見て、祥瓊は言葉を継いだ。
「私が芳の出身だから、景王が気遣って、情報を集めて下さるのです。勿論遠い国の話ですから、正確だとは限らないし、余程大きなことしか解りませんが」
「祥瓊様」
立ち上がることも出来ず、前に立った祥瓊を見上げる。
「それにこの情報を得たのには事情があって、蓬山から直接手に入れたものでした」
月渓に勧められて向かい合う椅子に腰かけ、祥瓊は手短に語る。
暫く前、景王・赤子は何度か蓬山を訪れる機会があり、どうやら塙果を護ってはいるものの、芳の麒麟が居ないらしいことに気づいた。
不確かな憶測で判断するわけにはいかず、その後も情報を集め続けると、どうやら芳の国には麒麟旗が揚がっていないらしい。更に、恭を蝕が通り過ぎたという噂も聞いた。
知ってしまった事実を隠してはおけず、景王はそっと耳打ちしてくれた。それを聞いてどうするかは祥瓊に任せる、と言って。
今は慶の人間である祥瓊にとって、それは自分の根がどれほどに深く芳と結びついているのか改めて思い知らされることとなった。黄旗がなかなか揚がらない国の仮朝にとって、先王の唯一の血筋である自分は何か役に立てるのではないだろうか。
考え抜いた揚げ句、遠い国で悩んでいるより実際に様子を見に行くしかないと決めた。
何が出来るかは向こうに着いてからの話だ。
そうなると矢も盾も堪らなくなり、陽子に期限をつけた暇をもらい、身分を隠して渡航してきたのだった。
大切な友に沈みかけた国への一人旅はさせられないと陽子と桓たいの意見が一致して、以前芳に来たことのある部下をつけてくれて、今ここに辿りついた。
語りながら、祥瓊もまた、月渓を初めて見る人物のような心持ちで見ていた。
祥瓊にとって月渓は出会った初めから「大人」だった。永遠の少女であった祥瓊には、父王の信頼する部下であった男は、経験も分別も充分に兼ね備えた大人としてしか捉えられなかった。
少女にとっての「大人」とは、つまりは別世界の無関係な人種である。
子供を護り甘やかすのが大人で、祥瓊は護られ甘やかされるのに狎れきった子供だった。
なのに、最早子供とは名乗れない年頃になったからだろうか、今は普通に年相応の人間に見える。
若くはなく、中年でもなく、働き盛りの精力に溢れた年頃の男だった。相変わらず生真面目な顔をして、でも今は随分と疲れているようだ。
その様子に気づいて、祥瓊は自分がひどく場違いなところに来てしまったと思った。
芳の先王の娘だからといって、自分に今更何が出来るというのだろう。気になって心配で来てしまったけれど、月渓にとっては迷惑な客でしかない。いや追放された身であれば、客ですらない。
自分の愚かさが恥ずかしくなった。なんと独り善がりな思いこみをしていたのだろう。
しかし、月渓はその話を心が暖まる思いで聞いていた。
他ならぬ芳の国に黄旗が揚がっていないことを、祥瓊がこれほどまでに気に掛けてくれたのが意外であり、有り難くもあった。
「そのために、長い旅をしてきて下さったのか。必ず連絡が付くという確証もないのに」
感に堪えぬという口調で月渓が囁くのを、祥瓊は遠慮がちに受ける。
「勝手な思いで行動してお恥ずかしうございます。
でも来ずには居られなかったのです、なにか、芳の国のお役に立てることがあるのではないかと」
「私が国を預かっているのなら、そんなに荒れ果てているはずはないと言って下さったとか」
「ああ、あの……桓た…、青将軍がこちらにお邪魔したときでしょうか」
ふっと笑んだ祥瓊の表情に得も言われぬ柔らかさが宿り、月渓はそれに見とれた。
―――桓た、と言いかけたのは青辛の事だろう。そう言えば彼も祥瓊を字で呼んでいた。
他意はなく、祥瓊の手を取って謝意を述べようとした。咄嗟に引っ込められたその手が子供のものではないことに気づいて、月渓も熱い物を触ったように離してしまう。
その時の仕草の、ほんの些細な何かが月渓の意識をかすった。
なんだろう・・・。しかし深く追求する余裕はなく、改めて祥瓊の真剣な顔を見る。
「私……、私は芳の為に何もしない公主でした。芳と離れた今になってこんな事を考えるのは身勝手なのは承知していますけれど」
「ありがとうございます。祥瓊様のそのお気持ちが有り難い」
月渓はなんとか微笑を作る。
その微笑に誘われて、祥瓊もにこりと微笑んだ。
その表情が生み出した艶やかさに、先程ひっかかった感覚の意味が、恐ろしいほどの勢いで迫ってくる。
この娘は―――もう男を知っているのだ。その身体を誰かに開かれているのだ。そう気づいた瞬間に、祥瓊に感じた違和感の全てが腑に落ちた。
一瞬目の前が暗くなる。峯王・仲韃の忘れ形見が、あの愛らしかった少女が、なんということだ。
「月渓殿?」
祥瓊が心配そうに覗きこんでいる。
不自然なほどに考え込んでいたようだ。頭を振って忌まわしい考えを振り払い、ほとんど機械的に答える。
「その為に来て下さったお気持ちに、どれほど感謝してもし足りません。
貴女は、先の峯麟が選んだ王の残された唯一の形見です。今の芳には、麒麟に選ばれた物は何一つ残っていない。
正当な君主の血を引く貴女がここに来て下さったことで、我々の仮朝が認められた気がします。
それがどれほどに心強いことか」
言葉に嘘はなかった。
しかしこれほどに言葉を連ねて語る裏には、何とかして自分を抑えねばならぬという月渓の必死な思いがある。
一瞬生々しく想像してしまった、男と交合っている祥瓊の姿。
自分のしたことはこういうことだ。
長らく鷹隼の一瓊と呼ばれ愛でられた少女に、歳月の変化を刻ませ、あまつさえ男を知る身体にさせてしまった。
祥瓊を心の底から愛していた仲韃の笑顔を思い浮かべる。何一つ汚い物、裏のある物を見せず、ただただ清く美しく育てようとしていた王。
主上、この娘は貴方の知らない男に抱かれたのです―――謂われのない怒りが湧いてくる。
自分がこの娘の目の前に首を投げ出した王―――その父王の庇護を失い、貴女は男に抱かれたのか。親の知らない相手に。
―――そしてその娘を前に、お前は何を考えている。
酒のせいだ。疲れているせいだ。疲れて気が高ぶっているだけなのだ。しかし・・・。
「月渓殿にそう言って頂けて良かった」
微笑む祥瓊の眼が月渓を捉える。ふっくらとした朱唇から発せられる、自分の名前。
我知らず月渓は立ち上がっていた。
不意打ちのように祥瓊の手を握って身体ごと引き上げる。
「貴女は、芳から追われた身で、追放した張本人の私の所までやって来て、何をするつもりだったのです?」
そのまま祥瓊を抱き寄せ、顔が触れそうなほどに近寄せる。
「こんなところまで、誰にも見られずに女の身ひとつでやってきて、無事に帰れるとお思いか」
強い力で抱き起こされて、祥瓊はその手を振りほどけなかった。
祥瓊にとっての月渓は初めから「大人の人」であって、自分とは関わりのない世代の人間だった。その意味では男ですらなかった。
仙籍から離れていた間に成長した自分が、どれほどに月渓との距離を縮めてしまっていたのか理解していなかった。
しかし今、月渓から発せられているのは危険なほどに差し迫った欲求だ。それが意味するものくらい今の祥瓊になら判る。
月渓が牡であることを失念していた己の迂闊さと甘えに臍を噛んだ。
しかし此処に来ることを選んだのは自分自身だった。
今、月渓の振る舞いを拒否したら、友や恋人に迷惑を掛けてまでここに来たことの一切が意味を失う。
いやそれどころか月渓の矜持を踏みにじり、より貶めてしまうことにもなりかねない。
自分がやって来たそもそもの目的を思えば、そんな結果を招くことは断じて許されなかった。
僅かの間にこれだけのことが頭をよぎり、祥瓊は選択肢のない成り行きに覚悟を決めた。
月渓が口の中で詫び言を繰り返しながら祥瓊の身体を抱きすくめてくる。
無抵抗に立ったまま祥瓊が考えていたのは、舎館で風呂に入り、着替えておいて良かったということ。
そんな些細なことがこの成り行きを少しは受け入れやすくしてくれる。
祥瓊の胸の内になど忖度せず、もう始めてしまった月渓は首筋に熱い息を吹きかけ、唇を這わせる。
襦を肩から引き落とし、薄い小衫を剥き出しにする。
豊かな胸の形がはっきりと判り、それに見とれて動きが止まった。
そしておもむろに小衫の上から乳房にむしゃぶりついた。
「あ……」
祥瓊は思わず声を挙げる。まさかそんな風にされるとは思わず油断していた。
月渓の舌が唾液をたっぷりと乗せてその部分を濡らし、水分を吸った布地がぴたりと肌に張り付く。
胸の輪郭を露わにする布越しに、存在を誇示するかのように乳首が勃っていた。
月渓の焦点の定まらない視線がその一点を掠め、乳首を大きく口に含んだ。
もう一方は指先でこね回して堅くさせてゆく。
只でさえ敏感な乳首に今までされたことのない布越しの愛撫を受け、祥瓊の意識は乳房に集中した。
月渓が歯を立ててくる。布に遮られて少し足りない快感をもたらす。
湿った布の冷たさと男の口の熱さとの対比が炎に煽られたような感覚を生む。
布に擦られる感覚は、直に触られるよりも微妙で複雑な隙間を突いてくる。
一方で腰に当たってくる月渓の股間は、朝服のその部分を持ちあげるほどに熱く固く屹立している。
壁際にある大きな戸棚に押しつけられて、祥瓊は逃げ場を失った。
鍵穴から突き出した鍵が痛くて背中を反らせる。
それが月渓に向かって胸を突き出す形になった。
乳房が掴み出される。ひんやりした肌に男の掌の熱さを直に感じて腹の奥が熱くなる。
月渓は白く豊かな乳房と輪郭のくっきりとした大きめの乳暈を視線で愛で、ついで口で味わった。
唇と舌に柔らかく当たる、舐めるととろけそうな肉の感触が神経を高ぶらせる。
服の内側から立ち上る甘い体臭が鼻孔を通じて股間を刺激する。
口で乳首を責め続けながら襦裙の裾をたくし上げた。
指先が太股の内側を撫で上げ、肉の合わせ目をやわやわと掻き分ける。
指先の繊細な動きが女の息づかいを荒くさせてゆく。女の反応に気をよくして指遣いを大胆にする。
花びらを探り当てた指が生き物のようにもぐり込み、にちゅっと湿った音が漏れた瞬間、二人は同時に動きを止めた。
―――濡れている。
月渓の眼に征服を確信した余裕がかいま見える。
固く立った乳首と蜜の湧いた女陰に押し切られた形で、祥瓊は微かな喘ぎを漏らす。
男の手が忙しなく動き、朝服の袴の脇から男根をまろび出させる。
たくし上げた裾に手を差し込んで、女の太股が高く持ちあげられる。
男の肩に手を置いて身体を支えた女の、鋭く息を飲む音が聞こえる。
次の刹那、猛った男根が容赦なく祥瓊を刺し貫いた。
― 3 ―
未明に目覚めた祥瓊は、全裸で月渓と抱きあっていることに気づいて慌てた。
抱かれている、のではない。手足を絡め合い、身体を密着させてはいるが、祥瓊の乳房に頬を寄せたままで眠っている男の顔を上から見下ろす形だった。
どうしてこんなことになっているのだろう。その日の出来事を順番に思い出そうとしながら月渓の寝顔を見つめる。
薄明の中でも判るほどに疲れ果てて見える。頬がこけ、目の下には隈が浮いている。
この人は芳が沈むのを防ぐために身を削っているのだ、と改めて思う。
天意が無いのに国を預かり、新王の登極まではじわじわと沈み続けるしかないこの国を必死に支えている。
それは、今では慶に戸籍を得ている祥瓊にとっては、切り捨てることの出来ない故国でもある。
この国の黄旗が揚がるのに時間が掛かりすぎているらしいと聞いて、居ても立ってもいられなくなってしまった。
現在の自分は故国を追放されて他国の王宮に官を得ている身なのだが、根元の所で分かちがたく結びついているのはこの芳の国なのだった。
国とは、王とは、民とはなんなのだろう。それは死すべき人の身であるときにいくつかの国を旅して、その様子を見聞して来た祥瓊にとって、いつも頭の片隅にある疑問だ。
その気持ちは、暫く前に金波宮に身を寄せていた戴国の二人に会って以来より強くなっている。
そしてこの人は、正当な王を弑してまで国と民を護ろうとしたのだ。
祥瓊の微かな動きに月渓が反応した。
赤子の様に乳首に吸い付き、口を動かしながら眠りなおす。
それは快感よりも安心感を誘う動きで、乳を吸われる内に祥瓊もまた眠りに落ちた。
再び目覚めたとき、既に陽は高く上がっていた。
広々とした牀榻に祥瓊は一人だった。
一瞬どこにいるのかを見失って慌てて起きあがり、痛みに顔をしかめる。
股間がひりついている。
そうだ。月渓に抱かれたのだ。
初めは立ったまま居室で。そして下から貫かれたままで臥室に運ばれた。
一旦床に下ろされ、帯の端を力任せに引かれたために、身体が回りながら牀榻に倒れ込んだ。くらくらと横たわった祥瓊の裸体を見た後はもう、月渓は自制を失っていた。
全身を貪るように愛撫され、何度も体位を変えては押し入られ、胎内に欲望を吐き出された。最後は月渓が果ててくれるのをただ祈るように待つしかなかった。
しかし逃げようという気にはならなかった。
月渓の眼に浮かぶ苦悩を見てしまったから。
最後に祥瓊の中に何度目かの欲望を迸らせた月渓は、乳首を口に含んで子供のように吸いながら眠りについた。
月渓の頭が安らぐように腕枕をしてやり、その寝顔を見ながら祥瓊も眠った。
疲れ果てた祥瓊が眠っているのを起こさずに、月渓は朝議に行ったのだろう。
のろのろと起きあがると、股間から昨夜の余韻が腿を伝って零れだした。
慌てて枕紙で拭き取る。
拭いても拭いても零れ出て来るそれは、洗い流した方が良さそうだった。
―――勝手知ったる北寝の湯浴場になら、誰にも見つからずに行けるだろうか。
そう考えながら着るものを探す。探す内に不安が募る。
その部屋に、祥瓊の身につけていたはずの衣類は残されていなかった。
「どういうこと……?」
不安の余り思わず声に出る。
上掛けを取って身体に巻き付け、思い切って隣室にまで行ってみるが、そこもきちんと片づけられていて祥瓊の物は何一つ見つからなかった。呆然として立ちつくす。
その時廊下を近づいてくる足音が聞こえた。大慌てで牀榻に飛び込むのと同時に隣室の扉が開く。
衾褥を首まで引き上げて薄暗い隅で身構えていると、盆を捧げ持った月渓が入ってきた。
「祥瓊さま」
小動物のように怯えて警戒している自分がいる。迂闊に返事をしたら餌食にされてしまう。
「昼餉をお持ちした」
背筋はしゃんと伸びている。しかし表情が疲れていた。
衾褥の陰の祥瓊の姿を認めて、無防備なまでにほっとした様子を見せた。
台の上に置かれた盆に載っているのは汁物と焼き物と麺麭、そして椀と水差し。
うまそうな匂いに、祥瓊はとても空腹なことに気づいた。
「暖かい内に」
と声を掛けられるが、衾褥にくるまったままで外に出ることが出来ない。
昨夜二人の間に何があろうと、昼日中に月渓の前に素肌を晒すことなどできはしない。
月渓は祥瓊の気持ちに気づいて苦笑した。昨夜あれほどに抱いたことで、却って警戒されるようになってしまったらしい。
「私が此処にいない方が良いようだな」
「え、いえ、そんな……」
慌てて取り繕う祥瓊の肩が衾褥からのぞいた。その肌の白く艶めかしいこと。
―――警戒されて当然だ。
自分で自分の感情が制御できない。
月渓は身軽に牀榻に上がると衾褥ごと祥瓊を押さえ込む。
あっという間に衾褥を引きはがし身に巻き付けた上掛けをはぎ取ると、祥瓊が全裸のままなのを見て安心したように笑みを浮かべた。そのままのしかかり、せがむように乳首を貪る。
「あん・・・」
声を漏らす祥瓊、存在を主張するように尖る乳首。
互いの性液の残滓が溜まってぬるついた股間に指を2本差し込んで掻き混ぜながら、袴の脇から猛った男根を引き出す。
身体を裏返して尻を上げさせると白い裸体を後ろから貫き、激しく腰を打ちつけて一気に欲望を吐き出した。
祥瓊はそれを耐えて受け入れるしかない。歯を食いしばり、声を漏らさぬように衾褥に顔を埋める。
圧倒的に優位な月渓の前で抵抗など出来なかった。いやそんなことよりも。
月渓が追いつめられているのが判ったから。
自分を抱くことで何かの不安から逃れようとしているのが痛いほどに伝わってきたから。
慌ただしい行為が終わると、月渓は大きく息を吐いて牀榻から降りた。
「冷めてしまったな」
と呟くさまは、先刻盆を運び込んでから今まで、ずっと昼餉の心配だけしていたかのようだ。
俯せになったままの祥瓊の声は、低く掠れている。
「お願いです。何か着るものを下さい」
だるそうに寝返りを打ち、月渓の前に裸身を晒した。
「それと身体を洗わせて……」
ぴたりと閉じた股間の下の衾褥に何かが零れている。
朝服の袷を直している月渓はちらりと視線を投げた。
「一人で出歩かれては困る。着るものは後ほどお持ちしよう」
そして振り返りもせずに部屋を出て行った。
ふたたび祥瓊は一人残された。
後ほど、とは何時だろう。上掛けを胸元に引き寄せながら考える。
恐らくは夜になってから。昨夜祥瓊がこの部屋を訪れた刻限には戻っているだろうが・・・。
考えることが沢山あった。
今の自分の状態を考える。
着るものもなく、男女の行為の残滓を体中にこびりつかせて一人置き去りにされている元公主。
昨日の自分を思い出す。
鷹隼宮に乗り込もうとして気持ちを高ぶらせていた慶国の女史。
今夜、自分はどうなっているのだろう。
蒲蘇の舎館に残してきた従者には一日の猶予を言ってあるが、今日中に連絡が取れないことは確実だった。今頃どんなに気を揉んでいることだろう。
慶国の従者に思いを馳せた所為で、唐突に記憶の縁から呼び起こされたものがあった。蓬莱から来た二人の友に聴いた話だ。
昔々、他の世界から蓬莱へやって来た女が、男に着物を隠されたために故郷に戻れなくなり、男の女房となって子まで生したという夢語り。
一口に蓬莱出身とはいえ、やって来た時代も土地も違う。なのに殆ど同じ話が伝わっていることに二人は大喜びしていた。
あの話、最後はどうなったのだったか。
そして考えは月渓のことへと戻ってゆく。
あの行為をどう受け止めればいいのだろう。ぬけぬけとやって来た自分への苛立ちだろうか。
しかし月渓のあの辛そうな眼を思い出すと、そうではないのだと強く思う。
溺れかけた者がどんなに頼りないよすがにでも縋るように、月渓は祥瓊に縋っていたように感じた。
あのとき偶々祥瓊が目の前に現れただけで、身体を慰める女ならだれでも良かったのだろうか。
あの男がそういう風に己を失う人間だとは思えない。
物珍しさか。
幼かった自分が年頃の娘になって現れた事への?
それを言うなら・・・、自分が月渓を男としてゥる日が来るとは夢にも思わなかった。
実際に月渓と会い、身体を求められるまで、自分と月渓がそういう仲になる可能性があることにすら思いが及ばなかった。
先程の行為を生々しく思い出し、祥瓊の股間が疼く。
ちゃんとした愛撫をしてくれなかった。ただ欲望を吐き出す道具として祥瓊を扱った。中途半端なままで捨て置かれてしまった。
手が勝手に動いて乳房を這う。指が肉芽を摘む。目を閉じた祥瓊の口の端から桃色の舌がのぞく。
火を点けられかけたままの身体は容易く疼き出す。
月渓を思い出して自慰をしてしまった自分に微かな嫌悪感が生まれた。しかし祥瓊は気を取り直して盆の物に手を伸ばした。
先が見えないだけに体力を消耗することの愚を犯してはならない。
冷めてはいたがおいしかった。もう二度と口にすることはあるまいと思っていた芳の料理だった。
一方、月渓も午後の執務をこなしながら、頭を離れない思いに悩まされていた。
祥瓊を、仲韃の忘れ形見をあんな風に犯した自分の行為が信じられない。
しかし、祥瓊が既に男を知っているのだと確信した瞬間に箍が外れた。
そしてそんな月渓を、あの娘は黙々と受け入れた。
行為の間、頭の中を満たしていたのは「許してくれ」という一言だけ。
永遠の少女だった貴女を男に抱かれるような女にしてしまった。
曇りない清廉潔白さ故に敬愛の念を抱かずにはいられなかった王、その仲韃の掌中の珠が汚されてしまった。
それもこれも自分の下した判断の所為。
あの時祥瓊をも斬っていれば。あの時国外へ追放しなければ。あの時仙籍から抜かなければ。
いくら自分を責めても責めたりない。
中でも一番に許して欲しかったのは祥瓊の肉体に欲情した自分自身。
祥瓊を見た瞬間、今の立場の辛さを和らげられるのは祥瓊だけだと確信した。
峯王・仲韃の一人娘。先の峯麟に選ばれた正当な王の唯一残された血縁者。
祥瓊の持つ正当性が月渓の悩みを救ってくれるのだと思った。
祥瓊が自分を受け入れてくれれば、仮朝を預かる仮王たる自分の存在が許される気がした。
受け入れる手段にはもっと穏やかなものがあっただろうに、祥瓊と繋がったとき、その反応の可愛さと身体のあまりの具合の良さに我を忘れた。何度でも繰り返し味わいたかった。
朝、どうしても祥瓊を一人残して行かなければならなくなったとき、自分が政務に就いている隙に帰らないように咄嗟に着物を隠した。
いなくなってはいないだろうか。腹を立ててはいないだろうか。
冷や冷やしながら昼餉を持って戻ると、衾褥にくるまった祥瓊がいた。
衾褥の端から白く輝く肌が覗いて見え、前の晩の行為がありありと思い出された。
月渓の眼に映ったのは華奢で未熟な子供ではなく、豊かな胸、くびれた腰、高く張った尻をした、いるだけで男をそそる女だった。
反射的に欲情し、慌ただしく貫いてしまったが、祥瓊はそれをも受け入れた。
そこで味わった快感が甘美なだけ、己を嫌悪する気持ちもより深くなる。
「許してくれ」こんな自分を。
― 4 ―
夜、月渓が静かに戻ってくる。
いつもは熟考を要する書類を持ち帰ることが多いのだが、今夜は夕餉と水差しを載せた盆と、布包みを一つ抱えていた。
祥瓊の分の夕餉。月渓自身は執務をこなしながら適当に食べてしまっている。
部屋に戻ると祥瓊がいた。昼餉の皿が空になっているのを見て安堵する。
胸から上掛けを巻き付けて、白く滑らかな肩と豊かな胸の谷間が艶めかしく露出しているが、もう月渓から隠れようとはしない。
「夕餉をお持ちした」
昼と殆ど変わらない内容にも祥瓊は文句を言わない。
暖かい内にと勧める月渓に逆らわず、おいしそうに食べ始める。その美しい所作に月渓は見とれた。
「こんな質素な物で申し訳ない。今は宮廷でも無駄な贅沢はしないようにと申し合わせているのだ」
「大切なのは飢える人が一人でも減ることです。
毎日これだけの物が頂けるのならそれで充分。
恐らく課税を減らしておいでなのでしょう? 民の間に食物が行き渡るように」
当然のように答える祥瓊に少なからず驚かされた。
―――そういうことにも考えが及ばれるようになったのか。
改めて祥瓊を見やった。
この美しさにこの聡明さ、それが公主のままでは得られなかった物なのだとしたら、あの時の自分の判断も少しは意味のあることだったのだと思いたい。
祥瓊が食べ終えるのを待って、
「着るものをお持ちした」
と声を掛ける。
そして布包みから取り出したのは、透けるほどに薄い繊細な絹織物。祥瓊の髪よりも濃い藍色の小衫とそれに合う細帯だった。
祥瓊は言葉を失って月渓を見る。それがどんなに扇情的な衣裳かは祥瓊にも判る。
こんな、遊び女が着るようなものに袖を通せと言うのだろうか。
「着替える前に身体をお拭きしよう」
祥瓊の視線に気づかぬふりをしてそう言うと、月渓は棚の上から水盤を下ろし水差しの湯を張った。手巾を絞り、祥瓊に向き直る。
「手を」
至極当然のように出された指示に疑問を抱く間もなく、言われるままに差し出した祥瓊の手を取ると、指先から手巾で拭き始める。
夜気に冷え始めた膚に手巾の温かさが染みる。
「自分でできます」
我に返った祥瓊の抗議には答えず、もう一方の手も取って拭く。そのまま肩を拭き、上掛けを引き下ろすと背中を拭いた。
手巾を絞り直し、前を向かせて胸を拭く。
豊かな乳房と先端の熟した果実をひとつずつ丁寧に拭く。
脇から臍にかけて、そして爪先から太股に向かっても拭き上げる。
拭くに連れて自然と上掛けがはだけられてゆく。
今度は手巾を緩く絞ると、性液で固まった祥瓊の恥毛を洗いとかすようにぬぐい始めた。
脚を開かせ、繊細な襞を一枚ずつ拭う。
太股の内側を拭き、改めて後ろを向かせると菊座まできれいに拭き浄めた。
祥瓊はただそこに座って、月渓が恭しく進める作業をなすがままに任せるしかなかった。
余すところ無く全身を拭き終えると、先程の小衫が祥瓊に渡される。
他に為す術もなく祥瓊はそれを纏った。美しい藍色の絹と刺繍を施された細帯。
薄物は祥瓊の身体を覆いはしたが、そこから透ける豊かな曲線は却って淫靡に肉体を強調してみせる。
その有様を見て、月渓の視線は知らぬ内に舐めまわすようなものになってゆく。
その視線に祥瓊は気づかずにはいられない。気づけば昨夜来繰り返されている交わりを思い出す。
「月渓殿」
名前を呼ぶだけの行為なのに、自分で発した声の艶めかしさにぎょっとした。
月渓は何も言わずに祥瓊を抱き上げ、臥室へと連れてゆく。
牀榻に横たわらせ、自分はその場で袍衫を脱ぎ捨てた。帳を幾重にも引くと、祥瓊の身体を愛撫し始める。
僅か一日の間に何度も抱かれ、既に祥瓊の身体は月渓に馴染み始めている。
そして祥瓊は月渓に何をされても拒めない自分を感じていた。
月渓の手慣れた愛撫に程なく身体が反応し始める。
やがて夜の闇を満たすのは、男と女が同じ目的に向かって吐き出す乱れた喘ぎだけになった。
次の日、既に決められていることをなぞるような一日。
祥瓊の中に何度も精を吐き出した月渓は乳首を吸いながら眠り、早朝には女をそのまま残して仕事に行く。
昼餉を持ってきて一緒に食事をし、慌ただしく抱く。
夕餉を持ってきて食べさせ、体中を拭き浄めてやり、浄めた身体を汚すように抱いた後乳首を口に含んで眠る。
祥瓊はじっと見守っていた。
祥瓊の中で果てるたびに月渓の眉間のしわが薄くなっていくように思う。
自分の乳房にすがりついて眠る月渓の疲れた顔が、少しずつ安らいで行くように見える。
祥瓊の身体は度重なる愛撫にすっかり敏感になり、薄物を纏うことさえ出来なくなった。
僅かに触れる着物の刺激ですら、乳首を立たせ、股間に露を湧かせてしまう。
月渓がいない間、全裸で臥室と居室をひっそりと歩き回り、昔を思い出したり、今の状況を考えたりする。
男を知っていたとはいえ、こんなに官能を呼び覚ますような肉欲の愛撫を受け続けたことなど無い。
そろそろ暖房が必要な芳の秋の気配の中、一糸まとわぬ姿で部屋を整え、あとはひたすら月渓のことを考えていた。
なぜ、どうして月渓は自分をこんな風に置いているのだろうか。
頭で考えるよりもひしひしと心に感じるのは、仮王と仮朝の置かれている状況だった。
苛烈を極めた前王を弑した後は、新たな麒麟が新たな王を選び、新しい治世が始まるまでのつもりで仮に乗り出したこの荒海に、目印となる黄旗が揚がらない不安。
国を預かり、沈まぬように全力を尽くす所存でも、先行きが見えなければ互いの内に要らぬ疑いが芽生えてくる。
何よりも自分自身を疑い、責めてしまうのが今の月渓なのだと理解していた。
その月渓にとって、自分はどんな役割を果たしているのだろう。
最後は道を失ったとはいえ正当な王だった仲韃の娘である自分が側にいて相手を受け入れることで、月渓はようやく己を保っている。そんな気がした。
こんな日々がいつまでも続く訳がない。
でも、こうして月渓とだけ顔を合わせて、昨日も今日も昼も夜も同じように抱かれていると、これが世界の全てのような気持ちになってくる。いつまでも二人きりで過ごしてゆくような錯覚を抱く。
自分が此処にいることで月渓が癒されるというのなら、それが自分の役目なのかも知れない。
今の自分が月渓に、ひいては芳に必要とされているのかと思うと、役立たずの公主だった自分に負い目を感じている祥瓊は、引き際を見つけられずにいる。
そしてその日の昼、月渓は戻って来なかった。
月渓を待っている内に長い午後は過ぎていった。
夕食は干果や焼き菓子と水があったからそれで空腹を満たしたが、それよりも月渓がいないことの不安が大きかった。
祥瓊がここにいることは誰にも知られていないのだから、月渓に何かあっても誰かが知らせに来ることはない。また、月渓が遣いを寄越すこともない。
つまり祥瓊はたった一人で不安を抱えながら待つしか無かったのだ。
昨夜の残りの冷たい水で自分の体を拭く。
深更まで待った揚げ句、月渓が戻ったら眠れるように場所を空けて横になったが、たった一人の牀榻は寒くて広すぎて寝付かれない。
独り寝の夜は寒くて、ここに来て以来寝るときにはいつも裸だったのに、その夜は小衫を纏う。
待ちくたびれてうとうとしたときには、既に東の方から夜が終わろうとしていた。
朝が来ても月渓は戻らない。
城中の気配を探っても、特に普段と違う様子は感じ取れない。
朝議の時間だろうから、恐らくはそちらに出ているはず。昼には戻ってきてくれる。
自分にそう言い聞かせながら、月渓に何かあったのだろうかという不安は、次第に恐れへと形を変えてゆく。
自分が今置かれている状況はさておき、今の芳にとって無くてはならない人間がいるとすれば、月渓こそがその人だった。
麒麟がいない。つまりは新しい王が生まれない。その事実は芳の人々にとってあまりにも重すぎる。
その重荷を背負って芳を支える事が出来るのは、誰よりも正確にこの国の先行きを見通して、憂えた揚げ句に行動に移した月渓以外にあるはずがなかった。
月渓は、この3日間というもの、自分を抱いて、乳房にすがりつくことでようやく眠れていたような月渓は、大丈夫だろうか。
月渓が戻ってこなかったら自分は、そして芳はどうなってしまうのだろうか。
芳にとって何よりも大切な人なのに。
昼餉を携えた月渓が憔悴し切った様子で戻ってきたのは、その日の昼過ぎだった。祥瓊は何も言えずにただ立ち上がって迎える。
「済まなかった。黄旗のことで会議が紛糾して、どうしてもこちらには戻れなかったのだ」
「そういうことだろうと思っていました」
疲れ果てた月渓の様子を見ると喉元まで出かかった質問も口に出来ない。
「落ち着かれたのでしょうか?」
当たり障りのない一言を言ってみる。
「そう、当面の舵取りの方向は決まった。貴女のお陰だ」
正面から目を覗きこむように言われて、どきりとした。
「私の?」
「貴女がいてくれると思うと、挫けそうになる自分を叱咤して皆をまとめる気力が出せたのだ、祥瓊」
呼び捨てにされたが、気にはならない。
「月渓様」
「ひとまず芳は持ち直したとお知らせできることを嬉しく思う」
意識する間もなく祥瓊の眼から涙が零れた。
こんな所に押しかけて莫迦なことをしたと思っていたけれど、月渓はそれでも役に立ったと言ってくれた。
「良かった……本当に……」
月渓は女の涙を見て動揺した。まさか誇り高い元公主が自分の前で泣くことがあるとは。不意打ちを食らって動揺してしまう。
どうしたらいいか判らなくて、ひとまず肩を抱き寄せてみた。
思いもよらず、ふわりと力を抜いて祥瓊がすがりついてくる。真下から月渓の顔を見上げた。
しばし見つめ合い、祥瓊の顎に手をかけてしっかりと仰向かせる。
そっと唇を合わせると、祥瓊は抵抗もせずに月渓に体を預けた。その手が月渓の背中に回される。
それに反応して月渓の腕にも力が籠もった。
祥瓊の細い腰をぐいと抱き寄せる。
居室の真ん中に立ったまま抱き合って、二人は初めて互いの唇を味わっていた。
― 5 ―
もういないだろうと思っていた。
逃げ出さないように羅衫一枚を与え放し飼いにしてはおいたものの、何時までも大人しく待っているはずがない。
どんなに身体を繋いでも、相手の心まで繋ぎ止められることなどあり得ない。
羅衫一枚の羞恥心よりも逃げ出す気持ちが強くなる時が来るのは分かり切っていた。
自分がしたのは只その瞬間を先延ばしにすることだけ。
祥瓊は月渓にとっての麒麟だった。
天意があって今の地位に居るわけではない。むしろ天意ある王と天意を受けた麒麟を斬った自分が仮王の位置に留まっていることが、芳に新しい麒麟をもたらさない一番の理由ではないかとさえ疑い、怯えている。
そんな月渓にとって、ただ一筋の頼りない拠り所が祥瓊だった。
先代の正当な王の忘れ形見。それが手元に居て自分の思いを受けてくれるだけで、自分が今の場所にいて白雉の脚を持つ理由になるような気がしていた。
月渓は顔を傾けて口づけを深める。祥瓊の唇が開いて柔らかく受け入れる。
何度も唇を合わせ直し、弾力と柔らかさを堪能する。
次第に月渓の頭が下に下がってゆく。
祥瓊の顎の先を噛み、耳の下に唇を這わせ、鎖骨に添って舌でなぞる。
そして祥瓊が密かに待ち望んでいた通り、月渓の口が布地の上から乳首を捉えた。
「はあぁぅうっ」
期待していたところに熱い愛撫を受けて思わず声が出る。
「感じやすい胸をしておられる」
透ける布地越しに祥瓊の乳暈の輪郭を尖った舌の先がなぞる。
「あぁ…んん……」
「これが良いのか、祥瓊」
乳房への愛撫に感じすぎて、自分で立っていられない。
よろめく身体を誘導されて、大きな棚に背中を預ける。
そこから見える部屋の角度に覚えがあった。
扉がカタカタと鳴る音を聞きながら、初めて月渓に貫かれたのもここだったと祥瓊は思う。
あれから僅か3日だ。しかし遙か昔のことのように感じてしまう。
月渓に抱かれたことのない自分などどこにも存在しないのではないか。
このまま、また立ったままで貫かれるのだろうか。
思っただけで祥瓊の股間に蜜が湧いた。
月渓の指がそれを掬い取る。
欲しい、今すぐ。
しかし月渓はそのまま跪くと、羅衫の袷を開いて股間に顔を埋めた。
想像もしなかった行為に祥瓊は恐慌を来した。
「いやっ、駄目よ、そこ、汚いの!」
必死に脚をとじ合わせようとする。それが却って月渓の顔を挟み込むことになるのにも気が回らない。
月渓は構わず祥瓊の股間に唇をつけた。舌を尖らせて蜜を啜る。仄かに乳酪の香りがした。
そこからこみ上げる快感に祥瓊の頭は混乱する。
気持ちが良い。でも駄目だ。こんなこと、受け入れちゃ駄目。
必死になって月渓の頭を押しのけようとした。髪に指が絡んで髷が解ける。いつもきっちりと結い上げてある長い髪がばさりと落ちて顔にかかった。
「ここをこうされたことはないのか」
真剣な表情で訊かれても答えられない。
「どこがどう汚いと?」
口を手で覆ったまま見上げてくる月渓の顔を見返す。
「……わからない」
怯えた祥瓊の反応に月渓が優しい笑みを向ける。
「風呂……、風呂に入られては如何だろう」
「え?」
一瞬話の脈絡を見失った。
「身体を洗いたいと言っていただろう?」
言っただろうか。言ったかも知れない。でも、何故、今?
月渓に連れて行かれたのは、臥室の奥の小部屋から直接出られる小さな庭院だった。
建物の壁に三方を囲まれるように切石が組まれ、小さな露天風呂が出来ている。そこは温泉の湧く泉になっていた。
「燕朝にこんな所があったなんて、知りませんでした」
そこへは二人の使った扉の他に出入り口はなかった。あまりに意外なしつらえに祥瓊はきょろきょろしてしまう。
「仲韃様はこういうささやかな贅沢も許さず、在位の間あの扉は塞がれていた。官や民は勿論のこと、ご自身をも厳しく律しておられた」
「なのに貴方は…?」
「私は……、自分が疵のない人間などではないことを知っているのだ。ときどき自分を甘やかす」
苦笑しながら全裸の祥瓊を湯船の縁に座らせた。
壁に取り付けられた棚から洗い砂と荒い織りの麻の袋を取りだす。砂を湯で柔らかく練って袋に入れ、祥瓊の身体を擦り出す。
既に月渓の手で拭き浄められることに抵抗のない祥瓊は、座ったままで身体を洗われるに任せる。
互いに馴染んだ手順で祥瓊の身体は隅々まで磨かれてゆく。
湯船で泡を洗い流すと、脂の乗った肌は湯を弾き、玉のようなにぶい輝きを放った。こんこんと湧き出す湯は縁石を越えて溢れ出し、湯船は常に澄んでいる。
ついで湯船の中に階段状に切られた岩に座らせて髪も洗う。髪の間に湯が行き渡り、地肌までも熱く浸す開放感を祥瓊は目を閉じて味わった。
月渓はどこまでも祥瓊を甘やかす。恭しく傅き、まるで公主のように扱う。
すっかり弛緩して身を任せながら
「貴方は……?」
と、単衫を着て袖と袴をたくし上げている月渓に向かって尋ねた。
「私はいい」
湯気に当たってほんのり上気した祥瓊の顔を見て、月渓は慌てて目をそらす。
「まだ執務が残っているから」
それは言い訳に過ぎなかった。今日の午後は休みを取るから誰も来るなときつく言い置いてある。
夜を徹しての会議の後だけに、誰もその言葉を疑う者はなかった。
それでも昼日中から風呂に入るのは諸官に対して後ろめたい。それよりも祥瓊と一緒に入ったりしたら自分を抑えきれない。
このあと祥瓊と共に過ごす時間がどんなものになるのか、月渓自身にも想像はついていなかった。
冷めてしまった昼餉を二人で食べた。食べ終えたその後には、することはひとつしかなかった。
祥瓊を牀榻に座らせると、月渓は臥室の窓の掛け布を次々に開け放った。牀榻の帳も引き絞り、明るい窓を背負って祥瓊に向き直る。
湯上がりの身体に羅衫を羽織り、祥瓊はそれを見守っている。月渓から目を離すことが出来ない。
月渓が近寄ってくる。祥瓊を抱き寄せ、唇を重ねる。
「今日はもう執務は終わりだ」
「だって、先刻は……」
「後は貴女だけだ」
そのまま一緒に倒れ込んだ。
横たわって互いの唇を貪り合う。舌が入れられ、祥瓊の舌が掬い上げられる。
「こんなに明るいのは恥ずかしい……」
「貴女を見たいのだ」
羅衫をはだけさせ、唇で身体をなぞってゆく。
居室での愛撫の続きのようだった。乳首からわき腹へ、わき腹から臍へ。
そのまま脚を開かせて股間に顔を埋めた。
祥瓊の身体がびくんと揺れる。
「駄目、汚い、そんなところ……」
「きれいにしてやる」
こんなに何度も交わっていたのに、月渓がこんなに強引に事を運ぶ男だとは思わなかった。
というよりも、月渓を少し侮りかけていたのかもしれない。
心が挫けかけていた時はただただ祥瓊の肉体を使って欲望を吐き出し、赤子のように乳首を吸いながら眠る情けなさを見せたが、本来の月渓はもっと狡猾で強くて激しい男なのかも知れなかった。
そうでなければ弑逆など企むものか、いやたとい企んでも実行に移し、その後の官や民の気持ちを一つにまとめたりできるものか。
ああ、やはり貴方は芳を背負って行く人なのだ。
祥瓊にとって、そこに口唇での愛撫を受けるのは初めてのことだった。
言葉で抗っても、身体は熱く湿った息を欲している。恥ずかしいほどに大きく脚を開かれ、月渓の熱い息、ぬめる舌の動きが祥瓊を駆り立ててゆく。
肉襞をなぞられ、肉芽に歯を立てられる。
月渓が両脚を肩に担ぎ、祥瓊のそこをしげしげと見つめているのが判る。
前髪の掛かったその顔は、それまでの老成した月渓の印象を一変させ、思いがけず精力的な若々しい側面を際だたせる。
そんな月渓の舐めまわすような視線を感じるだけで蜜が湧いてきてしまう。
自分では見たことなどないそこを男にじっくりと覗きこまれて、祥瓊は恥ずかしさに逃げ出したいほどだが、強い腕に押さえ込まれて身を捩ることしかできない。
「ここの翳りは髪の色より濃いのだね」
「ここの襞はきれいな色だ。口を開けて物欲しそうにしている」
言葉だけで興奮する。冷静に描写する月渓が憎らしかった。
今まで知らなかった場所に執拗な愛撫を受けて、程なく祥瓊は達してしまった。
快感を必死に堪えたために目尻に涙が浮かんでいる。
秘裂に満ちて湧き上がる愛液を、唇をぴたりとつけて月渓は一滴たりとも零すまいと啜り込む。
蜜壺の中まで舌を差し込み、蜜を掻き出すように舐め取る。
脱力した女の身体を横たわらせると羅衫の袖から腕を抜く。自分も着物を脱ぎ捨て、改めて祥瓊の上に覆い被さって肌を重ねる。
休ませるつもりなどなかった。
首の下に手を当てておとがいを仰け反らせ、唇を合わせる。
祥瓊の唇は甘く柔らかく、いつまででも吸っていたい。
ふっくらとした下唇を前歯で軽く噛むと美しい唇が半開きになる。すかさず舌を送り込み、祥瓊の舌を絡め取る。
びちゃびちゃと音を立て、互いを貪り合う。
痺れるほどに舌を吸いあいようやく口を離すと、呑み込みきれなかった涎がこぼれ落ちる。
高く張った祥瓊の胸に滴った唾液を舐め取り、そのまま乳房を持ちあげて乳首に吸い付く。
丁寧に吸ってやると、祥瓊がせつなく声を挙げる。
「これが好きか」
分かり切った質問に答える声はない。
「これが好きか」
言いながら乳首が千切れそうなほどに引っぱり、噛み直して乳房に歯を立てた。
歯を食いしばり、痛みを堪えながら祥瓊は胸を反らして月渓を誘う。
大きな乳房は感度が悪いというが、祥瓊は素晴らしく感じやすかった。
「いやらしい乳房だ」
そう褒めてやりながら乳房を掴んでぐっと押し上げた。耳元で囁く。
「舐めてごらん」
「……え?」
「出来るだろう?」
まさか、と思いながら首を曲げ、舌を伸ばすと、白く盛り上がった乳房に届いた。
―――嘘・・・。
自分の身体でこんな事が出来るなんて、想像したことも無かった。
「ほら……」
熱っぽく言いながら月渓の手が更に乳房を押しつけてくる。
思い切り伸ばした祥瓊の桃色の舌が乳首に届く。
自分の舌に舐められて、淫らな乳首は見る見る固く立ってゆく。
乳首を舐められる感覚で感じているのか、舌に当たる固いものの感触に感じるのか判らない。それとも、こんな事をしている自分自身への倒錯した思いだろうか。
向かい側から月渓が舌を這わせてきた。二人で一つの乳首を舐める。こりこりとした乳首を夾んで月渓が祥瓊の舌をざらりと舐め、そのまま口の中に侵入させた。
「はぅっんン」
深く舌を絡ませ、月渓は祥瓊の口を貪る。
口を合わせて顔を押しつけられ、祥瓊の頭が仰け反る。
月渓は尖った乳首を指先で捏ねながら、舌で口中を犯す。
透明な液体が口の端から零れ、達したばかりの祥瓊は更なる高みへと追い上げられる。
祥瓊の口を味わいながら、月渓は手を休めようとはしない。
弾力のある、発酵した麺麭種のような乳房を掌全体で大きく揉みしだいたかと思うと、指先を繊細に使ってやわやわと刺激する。大きくくっきりした乳暈の周りを爪先でつつっとなぞり、快感を頂点に集めてゆく。
仕上げに爪弾かれた紅い乳首への刺激に祥瓊は跳ね上がった。
祥瓊自身の手が乳房に添えられ、乳首を摘んでこりこりと転がし出す。
無理矢理その手を離させて左右に広げると、大きく口を開いて月渓は乳房を含んだ。
どんなに思い切り口を開いても豊かな乳房の一部しか含めない。
しかしその一部が、尤も愛撫を欲している快感の頂点であれば、それは他の数倍もの効果をもたらす。
切なげに腰を捩るのを尻目に、月渓は被せた口の中で、しばし屹立した乳首の舌触りを娯しんだ。
祥瓊が大胆に脚を開き、月渓の腰を挟み込んでくる。
腰を浮かせて必死に擦りつけ、欲しくて堪らない快楽を得ようと悶えている。
「淫らな女だ」
耳元で囁いてやる。
「お願い、じらさないで」
「駄目だ」
更に手指と口とを使い、祥瓊の全身に愛撫を降らせる。
耳朶を唇に夾み舌で穴の中まで舐ってやると、
「ああっ、厭ッ」
激しく首を振った。
祥瓊が熱に浮かされたような腫れぼったい目で月渓をねめつける。半開きの形の良い唇が堪らなくそそる。
「お願い、もう駄目なの」
「まだだ」
にべもなく断られ、祥瓊は再び月渓の苛むような愛撫を受け続ける。
身体を裏返され、腰から首に向けて背筋に爪を這わされる。
全身が総毛立ち、快感に背中を反らせると、肩口に噛みつかれる。
腰を這い回る手が太股の間に差し込まれる。
指で掻き混ぜる股間からはにちゃにちゃと音がする。
月渓は粘つく汁を指に絡ませ、舐め取ってゆっくりと味わった。
尻を上げさせ、仰向けになって祥瓊の秘裂の下に位置をとった。
先程とは違った汁が祥瓊の蜜壺を満たしている。顔の上に身体を下ろさせると、舌を深く差し入れ、口の周りを涎と愛液まみれにして貪る。
酔っているのかも知れない。この女に、この立場に、この状況に。
再び仰向けにさせて太股の内側に舌を這わせた。
豊かで肌理細かな肉付きのそこは、手にも舌にも快い滑らかさを持っている。
太股から膝、脛へと愛撫を進め、身体をずらして脚を持ちあげると、祥瓊の長い足指を口に含んだ。
指の股が感じるらしく、祥瓊は微かな喘ぎを挙げ始める。
「ここが良いのか?」
言いながら月渓は一本一本の指を丁寧に舐めあげてゆく。
徹底的に愛撫してやろうと思っていた。
今まで自分の吐き出す欲望を何も言わずに受け入れてくれた女を、極限まで悦ばせてやる。
足指から甲へ向かって舐めあげると、何かを堪えるような祥瓊の食いしばる声がする。
追い上げ、追いつめ、打ち上げられる。
息も絶え絶えなのに、休む間も与えられずにすぐさま次の高みへと引き上げられる。
これ以上されたら狂ってしまう。
祥瓊は牀榻の上をにじりながら逃げまどった。
月渓から逃れなければ、彼の施す愛撫から、彼の与える快感から、彼に求められる満足から。
―――逃げ切れないことなど初めから知っているのに。
ついに片隅に追いつめられ、柱に向かって伸ばした手を上から押さえ込まれた。
「駄目、もう駄目なの、これ以上されたらおかしくなってしまう、お願い、許して!」
祥瓊の身体を組み敷いて、月渓ももう限界だった。
「許す」
荒い息で口にした言葉と共に、月渓は祥瓊の中にすべり込んだ。
ようやく一つになった安堵の余り、二人は大きな声を挙げる。
何度もの交媾で既にこなれた身体だった。
月渓が唇を求め、祥瓊は男の頭を抱え込んでそれに応じた。
息を送り合い、舌を絡め、唾液を交換する。
脚の間に月渓を抱え込み、唇を貪る祥瓊の眼には、最早、他のものは見えない。
もっと強く、もっと激しく、もっと固く。
ひとつになりたい、もっと、もっと、もっと。
情け容赦なく祥瓊を追い上げ、深く互いを繋ぎ合わせた月渓ももう何も考えられない。
もっと深く、もっと奥に、もっと熱く。
貴女を貫きたい、もっと、もっと、もっと。
闇雲に求めてくる祥瓊に対し、巧みさと経験で勝る月渓はなんとか持ちこたえた。
そんなに易々と達してしまうつもりはない。
祥瓊が少し落ち着いたところでゆっくりと腰を使い始める。
突き込み、掻き回す動きに祥瓊は翻弄される。
月渓の首にしがみつき、振り落とされないように必死に動きを合わせようとする。
「駄目! 駄目っ。おかしくなっちゃう」
訴える祥瓊の腰を強く押さえ込む。
「狂うのを怖がるな。私が支えていてやる」
手首を押さえつけ、大きく腰を回転させる。
「いやっ、怖い。月渓、怖いの、どうなっちゃうの私!?」
「貴女一人を狂わせはしない」
構わずに祥瓊の中を抉り、ぐるぐると掻き混ぜる。
祥瓊の腰が迫り上がり、滑らかな太股が月渓の腰に絡みついた。
動きを早め、歯を食いしばって堪えながら月渓が激しく打ち込んだ。
祥瓊の頭ががくがくと揺れ、身体が弛緩したかと思うと、そのまま後ろに倒れた。
仰向けに崩れ落ちた祥瓊は、目を閉じたままぴくりとも動かない。
「昇り詰めたか」
達した祥瓊の蜜壺が、月渓の男根を搾り取るように締め上げている。
息を止めてそれをやり過ごした月渓は低い声で言うと、まとわりつく肉襞からゆっくりと抜き出した。
まだ達していない月渓の男根は、愛液を塗しつけたぬめりに光り、隆々と天を突いている。
仰向けの祥瓊の身体を横に起こし、上側の太股を高く持ちあげて脚を絡め合わせると、月渓は改めて反り返った男根を根元まで埋めた。
祥瓊の意識は飛んだままだが、構わずに腰を使う。
初めは繋がりを確かめるようにゆっくりと、次第に速さと激しさを増し、己の迸りを全て胎内に注ぎ込む。
そのまま祥瓊の上に覆い被さった。
はあはあと荒い息を刻み、目を閉じたままの祥瓊の額に汗で貼り付いた髪をかき上げる。
ぐったりとした祥瓊は何の反応も示さなかった。
「初めてだったのか、昇り詰めるのは。
動かない祥瓊の貌をじっと見つめ、額や頬や唇に口づけを落とす。
肩口を舐め、乳房を弄び、乳首を指の背で擦る。
乳首を口に含んで舌で優しく転がす内に、それは固く立ってきて、祥瓊が意識を取り戻したことが判った。
祥瓊の眼がゆっくりと開く。夢見るような眼差しで月渓に向かって両手をさしのべる。
その紫紺の瞳とくるみ込む温かさとに、月渓は為す術もなく捕えられてゆく。
― 6 ―
次に祥瓊が気づいたとき、月渓はまだ祥瓊の中に己を埋めたままで、ゆったりと動いていた。
すらりと伸びた祥瓊の脚を腰の上に抱え上げて脚同士を絡め合わせ、身体のその部分をこれ以上ないほどに密着させて、月渓は揺れるように腰を揺すっている。
祥瓊を昇り詰めさせるためでなく、自分が吐き出すためでもなく、ただ互いの繋がりを楽しむような行為。
繋ぎ目からは月渓の吐き出した精と祥瓊が湧き出させた愛液とが混じったさらりと白濁した汁が伝い落ち、月渓の動きにあわせてちゅくちゅくと音がする。
祥瓊の眼が開いたのに気づくと、何も言わずに唇を重ねた。
自ら口を開いてそれを受け入れる。絡め、舐めあい、優しく吸う。
口と秘部とで繋がっている、その事実が余計に互いへの愛おしさを募らせる。
月渓は祥瓊の身体を抱き直し、膚の触れ合う場所を増やした。
祥瓊の腕がそれに応えて月渓の首に回される。自分から月渓の胸板に乳房を擦りつけてくる、その動きにそそられて体を入れ替え、月渓は改めて祥瓊を組み敷いた。
「どうして欲しい?」
「わからない、ずっとこのまま、こんな風にあなたと一緒にいたい」
ぽろりと口にしてしまい、自分の言葉に不意を打たれてひやりとする。口に出してしまって胸の奥が痛む。
でもその痛みも月渓の愛撫ですぐにかき消された。
もう自分を抑えることを止めた祥瓊の、あられもないよがり声に月渓の男が反応する。
獣のような息づかいで祥瓊を突いて貫いてかき回す。
月渓にしがみつき、祥瓊がぎりぎりまで己を保とうと必死になっているのがわかる。
「一緒に、いこう」
「月渓……」
月渓は腰を強く深く埋め、祥瓊を溢れるほどに満たした。
最後のひと突きに祥瓊は悲鳴に近い声を挙げ、そのまま落ちて果てる。
祥瓊の背中を支えながら、月渓は未だ止まない己の迸りが祥瓊の中に放たれ続けるのを感じていた。
何度でも何度でも欲しくなる。
まるで初めて女を知った頃のようだ。
こんな日々が続いたなら、やがて全てが満たされる時が来るのだろうか。
この国にいないはずの女を自室にかくまい、養うのは全て自分の役目。
柔らかい身体を存分に味わい、出口の見えない明日への糧とする。
女がそこにいると考えるだけで自分の心を支えるよすがとなる。
昨日も今日も明日もずっと、こうして・・・。
眉間に薄くしわを寄せて眠る祥瓊の貌には、男をそそる媚が透けて見えるようになった。
それを刻み込んだのはこの自分だ。この女は自分のものだ。
―――だが、このまま他に何も考えずに、この状態を享受していていいのだろうか。
それでお前は満足か、と自問する。
判っていた。
心の何処かに刺さった棘が、いつか痛みを増して存在を主張し始めることだろう。
祥瓊には祥瓊自身が手に入れた居場所がある。
祥瓊を待つ人々が遠い国にいる。
卑怯だとは知っていたが、自分では決断を下せなかった。
下したくなかった。
自分から手放すには、あまりにも祥瓊の存在は大きくなっていた。
どうしよう、どうしたらいいのだろう。何時までも引き留めておいて良い相手ではない。
しかし放したくネい。離れたくない。・・・祥瓊・・・。
眠っている月渓が、吐息を漏らして身体を抱き直した。
その動きで、今まで二人を繋いでいたものがぽろりと零れて抜ける。
その感覚で祥瓊は目を覚ました。
暖かい月渓の大きな胸に抱かれて横になっている。なんと満ち足りた思いだろう。
月渓はもう祥瓊の乳房に縋らずに眠れるらしい。
甘いため息を吐いてすがりつくと、もっとしっかりと抱いてくれる。
前髪が額に掛かって、何処か幼い月渓の寝顔を見上げて、優しく微笑んだ。
緊張の解けた、稚い子供のような顔をしている。
月渓の額に手を当てて、前髪をそっとかき上げる。
こんな夢のような日々が何時まで続けられるのだろうか。
誰にも知られずに男の部屋で帰りを待つ。
食べるものも着るものも全て男から与えられる。
日ごと夜毎に抱き合い、睦み合う。
男の愛撫を味わい、どこまでも男を受け入れる日々。
そして自分がここにいることで、男は生きる勇気を得られるのだという。
そんな夢を、醒めずに見続けることが出来るなら・・・。
しかし、その一方で虚海と黄海を越えた遙か彼方の遠い国に残してきた友や役目を忘れることは出来ない。
自分を送り出してくれた恋人を思わずにはいられない。
桓たいは・・・、こんな風に他の男に抱かれた自分をどう思うのだろうか。
恋しくて恋しくて堪らない人。身体の繋がりだけでなく、暮らしも生きる目的も共に分かち合える人だった。
月渓のことを、尊敬し信頼できる人物だと言っていて、だからこそ祥瓊は黄旗のことで月渓の役に立ちたいと思ったのかも知れなかった。
こんな自分は、あの人を裏切っているのだろうか。
祥瓊の心は二つに裂かれる。
芳国の祥瓊と、慶国の祥瓊と。
月渓を満たしたい祥瓊と、桓たいと手を取り合って進みたい祥瓊と。
でも、今は、目の前にいるこの男を受け入れたい。
男を満たすことで、この不安定な国の礎石の一つになりたい、と。
祥瓊はすでにそれを夢見はじめている。
今、ここにいる祥瓊にとって、慶の国は余りにも遠い。
掛け布も帳も開いたままの室内に月光が真っ直ぐに差し込み、視野をかすって何かが光って見えた。
飾り彫りを施された牀榻の柱の、目立つ位置に掛けてあるもの。
月渓の肩越しに眼を凝らして見つめた。今までそこにそんなものがなかったことは知っている。
それが何か、何を意味するものか判ったとき、祥瓊は思わず天を仰いだ。
目尻から次々と涙がこぼれ落ちてゆく。辛い選択を迫られてしまった。
胸に抱きしめて引き留めて欲しいのは今ここにいる月渓なのに、その選択を迫ったのも月渓自身なのだ。
そのまま月渓の胸に顔を埋めて心の中で呟く。
「これが貴方の正義なの? こうして私を試すのね」
その呟きは月渓の胸に届いただろうか。
【 転 章 】
全ての気配を背中に受け止めて、月渓は懸命に目を閉じていた。
音がする。温度が変わる。気配が薄らぐ。
先刻まで確かに腕の中に抱えていたはずの物がない。
祥瓊がいない。
判っていたはずだった。数刻前、祥瓊が眠りに落ちた後であれを柱に掛けたのは自分だ。
どうしてもそうしない訳にはいかなかった。欺き続けるには女が大切すぎた。自分自身を裁く正義が、いつかは女の眼を真っ直ぐに見ることが出来なくなるだろう事をするなと命じていた。
全ての気配が完全に消えるまで、胆力の限りを尽くして牀榻に横たわっていた。
更に胸の鼓動を数え、月の影を読み、もう何をしても間に合わないと自分に言い聞かせて起きあがる。
静かに牀榻を下りて、全裸のまま居室に向かう。そこにも誰の気配もない。
すぐに大きく開け放たれた扉が目に入った。
螺鈿の装飾を施した黒檀の戸棚の扉。
月渓が鍵をかけて酒を仕舞っていた棚。
その扉に押しつけて初めて祥瓊を貫いた―――祥瓊の着物を隠しておいた棚・・・。
昨夜、牀榻の柱に掛けておいた鍵が差し込まれたままになっている。
棚の中は陰になって暗く、何が入っているのか見ただけでは判らない。
近寄って、手を差し入れて中を探る。
そこに入っていたのは酒の瓶と、そして丁寧に畳まれた着物。
ゆっくりと、とてもゆっくりと手を伸ばし、藍色の羅衫を手に取った。
着こなれた柔らかい布に顔を埋めると、嗅ぎ慣れた女の残り香がする。
着物の中から、何か白く四角い物がぱさりと落ちる。手紙のようにも見えて、拾い上げる手が震える。
きちんと折りたたまれた紙包み。
しかしそれは白紙で、月光の下でそっと開くと一房の髪が入っていた。
艶やかな紺青の色。何度もかき乱したことのある髪の毛が、梳られ整えられて、一房だけ切り取られてそこにある。
私は此処にいるから貴方は大丈夫。どうか芳の国をお願いします。そう言われているような気がする。
長い髪を包んだ紙ごと胸に押し当て、月渓は俯いて長い間その場に立ちつくしていた。
【 終 章 】
朝の市が立ち始めたばかりのまだ薄暗い刻限。
早立ちの客のためにもう開いている舎館の食堂に、ひっそりと一人の女が入ってきた。
なんとなく辺りを見回し、片隅の空いている席に座る。
ほどなく目の前に熱い魚介汁の入った椀が置かれた。
「まだ何も注文していないわ」
はっとして見上げた瞳に映ったのは一人の男だった。
「無事だったか」
「桓たい!?」
遠く慶の王宮で自分を見送ったはずの男が、今目の前にいることが信じられない。
どうしてここにいるの? 何をしているの? 声に出して問いつめたい。しかし他の男に抱かれ尽くしたこの4日間が重すぎて、話し掛けていいものかどうかさえ判らない。
「実は恭の港に着いたら連絡を寄越すように部下に頼んでおいたんだ」
そんな祥瓊に構わず、桓たいは向かい側の席に座って低い声で話し始める。
「一緒に旅をするのは無理だったが、それくらいなら時間が取れる。
知らせを受け取ってすぐに手配をして、凌雲山伝いに飛んで昨日着いた」
ぼんやりと桓たいの方を見ていた。この人は初めからそうするつもりで・・・?
「お前と連絡がつかないといって部下はおろおろしていたが、こちらから問い合わせるわけにも行かず、何かあったら判るだろうと思って待っていた。
半日とはいえ待つだけの時間は長かったぞ。もっとも部下の方はもっと居ても立ってもいられない思いをしていたはずだがな」
自分の様子を見て、向こうから話してくれているのが判る。無骨だけれど優しい思いやりのある人だから。
今までのつきあいが、そういう呼吸のかよう親密な関係をつくっている。
「桓たい……」
言葉よりも雄弁な祥瓊の瞳を見て、桓たいは複雑な表情を浮かべた。
「疲れた顔をしている。それを喰って、とにかく今は休むといい」
言われて祥瓊は目の前の椀に目を落とした。
美味そうな匂いだが、口を付ける気力がなかった。
「桓たい、私……」
言いかける祥瓊を遮って、桓たいが話し続ける。
「お前が此処に戻ったということは、お前が慶の祥瓊だということだろう? それなら俺は待てる」
「……まてる?」
「待てる。お前の気持ちが治まって、金波宮で落ち着けるまで。
時間は沢山ある、俺たちは仙だからな」
怒って見えるほどに真剣な表情。
――この人は・・・
「莫迦ね。甘やかすと後悔するわよ」
弱々しく憎まれ口を叩く祥瓊に、桓たいは切ない微笑みを向けた。
「仕方がないな。惚れた弱みと言う奴だ」
目頭が熱くなって相手の顔が見られない。
この人は、自分が芳に向かうと言い張ったあの時から、何かを予感していたのだろうか。
「莫迦ね……」
それをも受け止める覚悟をして送り出してくれたのだろうか。
「莫迦は嫌か?」
泣き笑いの顔で桓たいを睨みつける。
「莫迦ね」
そんな祥瓊を見下ろして、桓たいはぼそっと言った。
「腹ごしらえが済んだら一緒に帰るぞ。俺たちの国へ」
その言葉に込められた万感の思いを祥瓊は真っ直ぐに受け止めた。
「私たちの国へ」
祥瓊は涙を拭い、言葉の意味を噛みしめるように繰り返した。
〈 了 〉