ー序章ー
苦しい、…誰か助けて…わたしを抱いて、この苦しみから救い出して!
救いを求めて延ばした手の先には、誰もいない――
「どうして、…どうして麒麟だけがこのように苦しまなくてはいけないの?天帝はなぜ!」
深い夜の闇の中、王宮のその奥で少女は老いた女の膝に泣き崩れていた。
「それは、お前が大人になった証しなのです……もしも王が若く逞しい殿方であったなら――」
老女は宥める様に優しく彼女の背を撫で、暖かな声で語る。
「お前はその身体を以って生まれたことを心から感謝できたでしょうね。その寵愛を一身に受けられるよう、天はその身体を授けて下さったのやも知れません」
「そんな!だったらわたしは………非道いわ!そんなのって…」
嗚咽に言葉を詰まらせ、少女は顔を埋めたその裳裾を握り締める。
「そう、だとしたらそれは、お前には辛いことですね…特にこの数年、お前は隠していました
が…私は知っていましたよ」
少女は涙に濡れた瞳ではっと見上げた。
「皮肉なものです……私が永らえるほどに国は安坐し、片やこのようにお前を苦しめてしまう」
哀れみの色差すその声に少女は激しく首を振る。
「いいえ!わたしは幸せです。わたしは…主上を母様のようにお慕いして!」
老女はにこやかに笑い、濡れた頬を撫でる。
「嬉しいわ。私もお前のことを我が娘と思っていますよ。ですがこの様を見ては、やはり不憫
でなりません………そうですね…一度慶に、行ってみませんか?」
「慶?……」
きょとんとした顔で少女は聞き返した。
「以前、海客の娘がここに来たのを覚えていますか。あの子は今でも時折私に手紙をくれます」
「それが、どうかしたのですか?」
老女は淡々と語る。
「折りあれば是非私達に遊びに来て欲しいと景王が仰っていると。今の景王は見た目はお前よ
り少し上くらいの若い娘だそうですが、そのお人柄はとても多くの民や官、そして他国の王や
麒麟にまで慕われているとか…」
「他国の麒麟……」
――慶国の麒麟や他国の麒麟って、どんなひと達なのだろう…
少女は滅多に相見えることのない自分以外の麒麟に思いを馳せた。
「その景王ならきっとお前の助けとなってくれる筈と、先日鸞を飛ばしたところ快く承諾して
下さいました。私も一緒に行くことは適いませんが…」
老女はにっこりと笑い、その小さな肩に両手を掛ける。
「これも何かの誼、行ってきなさい、慶へ………揺籃、私の可愛い娘――」
見詰め返す金色の髪の少女も微笑んだ。
「はい」
「どうか彼の国の心優しいひとがお前のその苦しみを癒してくれること、切に願っています…」
『采麟、慶に行く』
作者4184さん
金波宮、内殿――
執務室の中、お茶を手に向き合って座る陽子と景麒の午後のひととき。
「鈴に聞いたんだけど、采麟って見掛けは延台輔と変わらないくらいなんだって。ほんとの歳は
もっと上だけど、…うーん……麒麟って早熟なのかな?」
陽子は首を傾げる。独り言のような口振りだったが、景麒はすかさずその言葉尻を捉える。
「その早熟な延台輔と飽きるほど交わられた御方は何と呼ぶべきか」
「…ああもう!好きに呼べば良いだろ!…景麒はほんとに嫉妬深いな…」
うんざりした様子で陽子は愚痴る。
「そうさせているのは主上の私に対する振舞いゆえ。少しは私にも慈愛を注いで欲しいものです」
陽子の手を取ろうと伸ばされたその手は、ぱしっという音と共に払い除けられた。
「何ゆえ私を疎まれるか、これほどお慕い申し上げていると言うのに」
景麒は身を乗り出して陽子の顔を覗きこむ。陽子は思わず上体を反らしながら答えた。
「ええと、簡単に言えばだな、いま私が景麒との関係に溺れてしまったら国が傾くから。だから…
…もう少し待って欲しいんだ…もう少しだけ国が落ち着くまで…」
「何十年待てば良いのか」
景麒はむすっとして聞き返す。
陽子は目を閉じ困惑の深い溜息をひとつ、そしてじっと景麒の目を見詰めて話す。
「景麒、あのね…宮中の女官と関係しても別に私は構わないよ。景麒だって恋愛は自由なんだ。
ただ、揉め事は起こして欲しく無いけど…」
「それは主上ご自身の行動を正当なものとする為の口実としか思えない。何より私は主上以外の
女性になど興味ございません」
澄ました顔でさらりと己の想いを告白する景麒。
「もう!そうやって四六時中わたしを口説くつもりなら、また家出してやるからな!」
食って掛かる陽子を景麒はあくまでも冷静な口調で諌める。
「采台輔が来訪されようと言うこの時期に外出など認めません」
「分かってるよ!……とにかく、采王も仰っているように麒麟は麒麟同士で仲良くして欲しいな」
陽子は声をひそめ、暗にその意図を仄めかす。だが景麒は陽子の、延いては采王の望むその意図
など聞き入れる気は毛頭なかった。
「興味がないとたった今申し上げた」
「あぁ分かった分かった、お前にはもう頼まないよ!」
呆れた陽子はそう言い放ち、冷めてしまったお茶をすすった。
「大体、発情期って言うけど、麒麟は子供を作れないのに何で発情期なんかあるんだ?」
景麒は少し黙っていたが、やがて延々と語り出した。
「そもそも麒麟はその精神と肉体に独立した緩やかな周期(中略)頂点で重なる時期が発情期と呼
ばれます。従って蓬莱で言う発情期とは意の異なるものかと」
「ふーん、…と言うことは生まれた時期によってその波がずれるんだ?季節は関係ないの?」
真面目に聞いていた陽子の問いに景麒は得意気に答える。
「付け加えるならば周期や波の高さには差があり、私は他の者よりも周期が短く波が高いのです」
「なんだ、偉そうに能書き並べて、要するにお前は年中発情してばかり、然も他の麒麟よりいやら
しいって事じゃないか。……今後わたしの廻り五歩以内に近付くことは許さない。これは勅命だ」
漸く合点がいった陽子は冷たく命を下すと席を立って距離を取る。
「主上…私に死ねと仰るか」
「死ぬ訳ないだろ…」
――その頃采麟は使令に跨り国を発っていた。景王からの返事の通り空高く雲海を越え、金波宮を
真直ぐに目指す。その日からろくに寝ずに三日を掛けて尭天山に辿り着いた。
「采麟さま!お久しぶりです!」
降り立った内殿の門で真っ先に出迎えたのは鈴だった。
「まあ!鈴、お元気そうで何よりね。少しは大人になったのかしら?」
金色の髪を穏やかな風に揺らしながら小さな麒麟は微笑み、大人びた口調で言った。
「あら、いきなり耳の痛いお言葉ですこと」
その手を取ってはしゃぐ鈴を後から凛とした声が窘める。
「こら!一国の台輔にそのような態度、無礼であろう!」
声の主は緋色の髪を靡かせ歳は幾らか上に見えた。ともすれば小姓と見紛うような凛とした少女。
「いけない、主上に怒られちゃった。采台輔、申し訳ございませんでした」
鈴は反省する振りだけして軽やかに笑った。
――主上?…この方が、景王?…王がわざわざ門までわたしを?…
「遠路はるばるよく来てくださいました。心より歓迎します。どうぞゆっくりして行かれませ」
陽子は朗らかな笑顔で言った。采麟は戸惑いながらもぺこりと会釈する。
「才州国主宰、黄姑が僕、采麟と申します。畏れ多くも陛下自らのお出迎え、恐悦にございます」
慣れない口上がたどたどしくて愛らしい。陽子はその小さな手を取って微笑んだ。
「長旅でお疲れでしょう?こちらへ…」
陽子の柔らかな手に引かれ、采麟は微かな興奮を覚えながら異国の王宮へと歩を進めた。
招客殿へと連れられた采麟は広間に通され、榻を勧められる。向かいに座った陽子が口を開いた。
「才王陛下からの親書、読ませて頂きました。さぞやお辛いことと察します」
「……いえ…」
采麟は朱に染めた顔を俯かせ、恥ずかしそうに返事をした。
「それで……いえ、お疲れでしょうから、今日のところはゆっくりお休みになって下さいね」
「お心遣い、深謝申し上げます」
そう言って采麟が頭を下げたところで突然扉が開いた。其処に立つのは長身の麒麟。相も変らぬ
仏頂面は賓客に対して愛想笑いの一つもない。
「失礼する」
「景麒?呼んでないぞ。何しに来た?」
訝しげに陽子は言ったが、景麒はそんなことにはお構いなしに采麟に冷たく言うのだった。
「主命によりお相手仕る。ご期待には添えかねると思うが」
「え?……」
采麟は横柄なその態度に言葉を失った。突然の闖入者が麒麟であることは当然分かったのだが。
「お前、そんな言い草はないだろう!采台輔がどんな思いでここへ来たのか、お前にだって分かっ
てる筈だ!それをそんな…どうしてお前はいつも――ん?…景麒?どうしたんだ?」
叱りつける陽子は己の下僕の異変に気付き、怪訝そうに見上げて様子を窺った。
「この芳醇な牝の香り…凡そ盛っている時の主上の香りにも優るとも劣らぬこの香りは…貴方か」
景麒はその目をかっと見開き、采麟を凝視する。
「このばか!わたしがいつ盛ったって?あ、いや…そうじゃなくて香りって?」
陽子にはその匂いは全く判らなかった。
「これが発情期を迎えた牝の麒麟…よもやこれほどとは……致しましょう!さあ、今すぐ!」
――なに?このひと…沸き上がる情欲に血相を変え迫って来る獣のような男。
「きゃぁーっ!いやー!」
襲い掛かる景麒から采麟は飛び退き、陽子の傍に駆け寄った。
「ちょっと!落ち着け景麒!それじゃまるで暴漢だぞ!台輔が怖がってるじゃないか」
陽子は采麟を庇うように景麒の前に立ちはだかり、振り向いて優しく声を掛ける。
「可哀想に、こんなに怯えて……大丈夫、あの馬鹿には指一本触れさせませんからね」
とは言ったものの、元々景麒に采麟の閨事を任せるつもりだったのにこれでは話にならない。
――素敵……女性なのに凛々しくて、それにとても優しいお方…
「わたし…こんなひとより景王さまがいい…」
ぽっと顔を赤らめ、采麟は独り言のように呟いた。陽子の袖に縋り付きながら。
「は?………ええっ?!ちょ、ちょっと待って!そうじゃなくて景麒と――」
陽子は激しく動揺し、縋り付く采麟を振り解こうと藻掻く。
「いやです!この麒(ひと)…怖い…」
「そ、それは分かる気もするけど…わたしは女ですよ?とにかく、考え直して頂けませんか?」
采麟は頑なに首を振る。つかつかと歩み寄る景麒に采麟は陽子の背に身を隠す。
「主上、よろしいか」
景麒は采麟から主を奪い取るように部屋の隅へと連れて行く。
「何だ?」
「私も少々我を忘れて取り乱してしまいましたが、ここは一つ、私と主上の仲の良いところを見せ
つけて采台輔に劣情を催させる、というのは如何か」
声を潜めて景麒は言った。陽子も小声で言い返す。
「お前、何を考えてるんだ?下心見え見えだぞ!大体今はわたしに構ってる場合じゃないだろ?」
「心外な。台輔を案じてのこの気遣い、察して頂けぬとは。振りだけ、演技で良いのです」
澄まし顔で言う景麒を陽子は睨め付ける。
「あのな、押し倒しそうな勢いの何処が身を案じてるんだ?ここはわたしが何とかするから…」
「台輔、景麒は…本当は見た目よりもえぇと、優しくて男らしいのです。お見せできないけれど…」
陽子は采麟の許へと戻りつつ苦笑する。その後ろにひたひたと付いて来る景麒に采麟は後ずさった。
「お見せしましょう」
いきなりのすぐ後からの声に陽子は驚き振り向いたその刹那、薄く紅を引いたその唇を塞がれた。
「んん!……」
陽子は頭を抱えられ唇を塞がれながらも必死に抵抗を試みる。
演技を、と景麒は目配せする。陽子の身体が諦めたように弛緩し、景麒の背に腕が廻された。軽く
開いた唇に侵入してきた景麒の舌に陽子は己の舌を絡ませる。景麒の手が陽子の袍の中を弄り出す。
金の耳飾りが外れて床に落ち、硬く澄んだ音が客間に響く。
「非道い!景王さまも景台輔も、私をからかって!…」
目に涙を溜めた采麟は逃げるように客間を飛び出した。
「あ…待って!台輔、違うんです!………ああもう、逆効果じゃないか、馬鹿!」
陽子はその気になりかけた自分すら腹立たしく、八つ当たり気味に景麒の脚を蹴る。
「追いましょう」
言葉よりも速く景麒は走り出していた。すかさず陽子はその体に跳び付き取り押さえる。
「お前はここで頭を冷やせ!班渠、驃騎、居るなら見張ってろ。この馬鹿の言うことは聞くなよ!」
陽子は下僕の足許、何もない床に向かって命じ、駆け出した。
――わたし、ここへ何しに来たの?
采麟は涙を拭いながら広い園林をとぼとぼと宛てもなく歩いていた。
「あれ?お前確か…才の麒麟だよな?四、五十年前か?蓬山にいた…何でこんなとこにいるんだ?」
突然背後から馴れ馴れしい声が響き、采麟ははっと振り向いた。そこに居たのは自分と変わらない
年恰好の少年。采麟は我が目を疑がう。
――麒麟だ…でも慶国の麒麟はさっきの怖いひとの筈…このひとは一体……
「あなたは…ええと…」
――そう、確かに蓬山でこのひとに会ったことが…誰だったかしら……
「俺は延麒、六太って言う」
「延麒?…あなたこそ、どうしてここにいるの?」
采麟はきょとんと首を傾げて尋ねた。
「ちょっと使いで来た。つーか遊びに来たようなもんだけどさ…ん?お前、もしかして今――」
「台輔!」
息を切らして駆け寄る陽子の声に二人は同時に振り向いた。
「こんな所にいらしたのですね…あれは抑えました。事情はわたしの処で話しますから……」
「ありがとうございます…景王さま」
采麟はにっこり笑って軽く頭を下げた。本当にこの子が発情?…未だに陽子は釈然としない。
「何の話だ?」
六太は陽子の顔を覗き込んだ。陽子はうろたえながらも作り笑いで取り繕う。
「な、何でもないんですよ…さ、延台輔、用件はあちらでお茶でも飲みながら景麒に伝えて――」
「実は采台輔がこちらにいらしたのは発情期を迎えて難儀しておられる故、適当な番の相手を見繕
って欲しいとの采王陛下直々の御所望によるもの」
「きゃっ!」
突然湧いた様に現れた暴漢に驚き飛び退く采麟。
――ほんとに何て失礼なひとなの!いきなり現れてそんな有り体に言わなくたって…
その六太への説明の露骨な言い様に采麟は恥ずかしくて泣き出したくてふるふると肩を震わせる。
「景麒!いつの間に!来るなと言ったろう!余計なことを言うな!」
苛立ち窘める陽子を無視し、采麟に追い討ちを掛けるかの如く景麒は六太に言う。
「未だ生娘であられる采台輔ですが、その発情の様は尋常にあらず。この幼くも淫らな麒麟に見合
う相手は、同じ麒麟である私が最適任と主上も仰られた」
――どうしてわたしを辱めるの?わたしが何をしたって言うの?…
「えっ…ひくっ、う…」
俯き震える小さな麒麟の足許、敷き詰められた石畳にぱたぱたと滴が落ちて染みて行く。
「黙れ馬鹿!お前はもうあっちに行ってろ!退がれ!」
陽子は無神経極まりない下僕を殴り飛ばしたい衝動に駆られながら叫んだ。
「本当に申し訳ありません。何と言ってお慰めして良いやら…」
その温かい胸に抱き寄せられ、優しい手に背を撫でられながら采麟は涙に濡れた瞳で見上げる。
「景王様はお優しいのですね…景台輔とどっちが麒麟だか分からないくらい…」
「ごめんなさい、景麒もあれで根は優しいんです。ただ、ええと、言葉に思い遣りがないのと……
その上最近ちょっと臍を曲げてまして…」
陽子は申し訳なさそうに言い、懐から出した手巾で優しく頬を拭った。六太も心配そうな顔で言う。
「多分景麒は “牝の麒麟”に会うのは初めてなんだな……なあ陽子、その…俺で良かったら役に立
てるかな?景麒の奴、あれじゃちょっと危険過ぎるぞ」
「え?……それって…でも…」
「あ、いや…陽子が――じゃなくて采麟が嫌じゃなかったら、だけどさ」
「如何です?台輔…」
陽子は采麟の顔を覗き込んだ。じっと陽子に見蕩れていて不意に目が合ってしまった采麟は恥ずか
しそうに俯き小さな声で言った。
「わたし…景王さまになら…」
「へ?」「いや、ですから、わたしは女なんですってば!」
呆ける六太。陽子は背に廻した腕を解いて後ろに退がる。
「だって、わたし…こんな子供はいやです…」
采麟は六太の方を向き、冷めた視線を投げ掛けた。
「おい!お前だってまだガキじゃねーか、俺はこれでも五百年以上生きてんだぜ〜」
まるで子供そのものの六太の反応に少女は溜息を吐く。
「見掛けや歳のことではありません、中身の問題です…」
小さな子供を諭すように采麟は言った。
「何を!」
かっとなった六太は小生意気な麒麟に掴みかかる。采麟は陽子に飛びついて言った。
「きゃ!どうして皆わたしを虐めるのです?お優しいのは景王さまだけ…」
「ま、まあまあ…お二人とも仲良く、ね?…と、とにかく戻りましょう…………はぁ…」
厄介なことを引き受けてしまったと今更ながら思った。陽子は深い溜息を吐き、力なく歩き出す。
「鈴、鈴!」
夕刻――正寝の本殿、長楽殿の廊下を何も知らずにのほほんと歩いている鈴を陽子は呼び止めた。
「なぁに?」
「お風呂一緒に、お願い!采台輔に懐かれちゃってさ…一人は嫌だ、他の女官は嫌だって泣いて…
二人っきりだと危ない雰囲気になりそうだから…ね?お願い」
陽子は手を合わせて頼み込んだ。
「?…危ない…雰囲気?」
鈴は呑気そうなその顔を傾げて聞き返した。
「だから、その…お相手をわたしに、って…」
「きゃははは!だからもうちょっと女らしくすれば、っていつも言ってるのに。主上は凛々しくて
いらっしゃるから」
哄笑する鈴に陽子は口を尖らせる。
「うるさいな!…とにかくお願い!」
「うん、分かった。あ、そうだ!祥瓊も呼ぶ?」
「だめだよ!祥瓊なんか呼んだら余計ややこしくされそうだもの」
気を利かせたつもりの鈴を陽子は慌てて制した。
「そっか。そうだね、だけど陽子、寝るときはどうするの?どうせならあたしも一緒に寝ようか?」
「んー…その方がいいかも…そうしてくれる?」
陽子は寝ている隙にも伸し掛かってきそうな采麟を思い浮かべて不安を募らせる。
「ところでさっき延台輔が見えてたけど、もう帰られたの?」
「いや、今は景麒を見張って貰ってるんだ」
陽子は仁重殿の方角を振り返って言った。
「何それ?」
鈴はきょとんとした顔で訊いた。そして陽子の深い溜息を聞かされる。
仁重殿、景麒の居室――
「延台輔、ここは男同士、紳士的に契約と参りませんか?」
ずっと押し黙っていた景麒が唐突に六太に話し掛けた。
「あん?何のことだ?」
梨を齧りながら六太は聞き返した。
「今宵の主上はあなたにお預けします。好きになさるが良い…ですが采台輔は私が…」
その目には鬼気迫るものがあった。
――こいつ、陽子にベタ惚れの癖に…それほどまでにかよ…確かにあいつの牝の匂い、来るものが
あったけど……六太は半ば呆れた口調で言った。
「ふ〜ん、そう言うことね…何処が紳士的なんだか………」
六太は己の思いを天秤に懸ける。その答えは自ずと決まっているのだが。
「その話、乗った」
「まずは台輔に主上を連れ出して頂いて、その後に私が」
紫の瞳が妖しく光る。
「しっかしお前もうちのぼけなすに負けない悪党だなー…言っとくけどあいつは見かけはちびでも、
お前より年上なんだ。敬意を払えよ。それと、初めてなんだから優しくしてやれよ」
「肝に命じておきましょう」
正寝、客庁の寝室――
陽子は景麒のこともあって采麟の身を案じ、その居を客殿から正寝へと移させた。采麟が殊の外
喜んだのは言うまでもない。風呂上りの三人の娘は寝室で就寝前の身繕いをしていた。
「鈴、どうしてあなたがここにいるの?お風呂ではまあ、背中を流してもらうので許しましたが、
ここはお前がいつまでも居て良い場所ではないでしょう?退がりなさい」
普段なら誰にでも穏やかに接する采麟だったが、今はそんな余裕すらなかった。気持ちが苛立ち、自分でも嫌になってしまう程に冷たい言葉が口をつく。
「台輔、鈴はわたしの友達なんです。それに才国での積もる話もありましょうし」
陽子は鈴を庇うと言うよりは自分の身を護りたい一心で言葉を挟んだ。
「ありません。わたしはもう疲れたので休みます」
「そ、そうですか、ではわたしも……」
そろそろと後退る陽子の袖を采麟がひしと掴んで放さない。
「いやです!ひとりにしないで!」
「陽子、ちょっと…」
困惑の表情の陽子を鈴は手招きして呼んだ。陽子は軽く会釈して席を立つ。
「前はぽわぁんとした方だったのに…発情期って凄いのね……仕方ないわ、あたしは帰るけど…」
「ええっ?まずいよ…」
鈴はこれほど不安そうな陽子の顔を見るのは初めてだった。
「大丈夫よ、いくら発情期だからって女のあなたに襲い掛かったりしないわ、きっと」
「そうかな…」
他人事だと思って…陽子は楽観的な鈴を恨めしく思う。鈴はそそくさと寝間着の上に衣を羽織る。
「じゃ、行くね……采麟さま、お休みなさいませ」
「お休みなさい、鈴」
そう言って采麟は臥牀に身を乗せる。にこやかに見送る采麟に鈴はぺこりと頭を下げて出て行った。
「やっと二人きりになれました…景王さまもお掛けになって」
采麟は臥牀の上、自分の隣を指差した。
「え?…ええ、そうですね……」
ほんのり桜色に染まった顔で見詰める采麟に陽子は引き攣った笑いを返し、恐る恐る腰を降ろす。
「景王さま、お名前をお聞きしても宜しいですか?」
「え?…よ、陽子です…字は赤子と」
「素敵なお名前…わたしのことは揺籃、と呼んでくださいね…」
言いながら揺籃はそっと陽子の手を取った。
「よ、揺籃…綺麗な名前ですねぇ……」
声が震えてしまい、陽子は余計に動揺してしまう。揺籃はひどく哀しそうな顔で言った。
「陽子さまは…わたしがお嫌いなのでしょうか……そうですよね、こんな恥知らずなお願いを抱え
てはるばる他所の国までやって来る麒麟など、嫌われて当然…」
「いえ、そんなことありませんよ…お体が辛いのでしょう?わたしが何とか良い方法――!」
陽子はその手を強く引き寄せられて絶句する。寝間着の袷、緩く開いた胸元に。
「身体が火照って、苦しいのです…どうかこの優しいお手で…お願いです!どうか…」
「え?ええっ?」――どうしよう………
「陽子…」
こつこつと窓硝子を叩く音に陽子は牀榻から降り立った。
「六太くん…景麒は?」
これも思いを遂げる為と六太は嘘を吐く。
「いじけてもう寝たよ…采麟も眠ったのか?」
「うん、良く眠ってる。やっぱり長旅で疲れてたみたいだね」
陽子がほっとした表情を覗かせる。六太はそれが少しだけ心苦しかった。
「ん?…陽子…何かすごく匂いが付いてるぞ、采麟の匂い」
昼間嗅いだ牝の麒麟の匂い。獣の性を呼び起こす禁断のその香りが陽子から漂ってくる。
「え?やっぱり?」
118 :『采麟、慶に行く』12 :03/09/27 14:24 ID:DKHuDTdg
陽子は指先を鼻に翳して匂いを嗅いでみた。微かに甘酸っぱい匂いがする。
――あ、少し匂う……やだ、わたしったら何を…
「な、お前、手で…してやったのか?」
驚いて聞く六太から陽子は目を逸らした。
「だって、痛々しくて見てられなかったんだ…だから……」
六太は己の心が逸るのを感じていた。そうさせるのは漂う香りかそれとも愛しい王君の憂いの顔か。
「そっか、陽子って女の子にも優しいんだな………ところで陽子…部屋に…行ってもいいか?」
見詰める六太に陽子は微かに笑い小さく頷いた。
身体に何か重いものが圧し掛かっている感じがして、采麟は目を覚まし、悲鳴を上げる。だがその
口は大きな手に塞がれて、その叫びは声にならなかった。
「お静かに。尤も声を立てられたところでこの近くには誰もいませんが。貴方も使令を遠ざけて
おられる…いじらしいお方だ」
暗闇の中、低く抑えられたその声は執拗に采麟を追い回すあの麒麟の声。
「どうして…どうしてあなたがここに?」
解き放たれた口を開いて采麟は怒りと恐怖に震える声で尋ねた。
「私は御身をお救いしたくて参じたのです。貴方とてただ悶々と過ごすために慶に来られた訳では
あるまい。どうか私を信じてその身を任されよ…揺籃」
漸く慣れてきた目に景麒の真剣な眼差しが注ぎ込まれる。
「何故その名を?厭です!わたしは貴方になど抱かれたくありません。貴方なんかより延台輔の方
がずっといいわ!それより景王さまはどこ?」
「…主上は今頃、その延台輔と睦み合っておられる最中」
景麒の唇の端が上がったように見えた。
「そんなの嘘です!私がそんな戯れ言を信じると思って?」
「主上はことそちらの方に関しては奔放な御方。見掛けの凛々しさ、清純さとは裏腹に、男を狂わ
す天与の身体で数多の男を、隣国の王すら手玉に取る魔性の女なのです」
「何てひと…自分の主をそんな風に言うなんて…」
「私が信じられないか。無理もないが…ではその目で確かめるがいい」
「い、痛い!放して!」
景麒は揺籃の腕を掴んで乱暴に引き起こす。その身体を軽々と抱き抱えて寝室を飛び出した。
回廊を音もなく駆け抜け、裏庭へ廻る。その先は陽子の寝間を置く禁裏。景麒は軽く飛び越えた露
台の上に揺籃を降ろした。開け放たれた背の高い硝子張りの扉から中の様子が窺える。
陽子の閨房。無論覗くことの出来る者などいない筈なのだが、まるで覗いてくれと言わんばかりに
牀榻の帳すら撥ね上げられたままに。仄かに灯された明かりに照らされて、其処に件の二人はいた。
揺籃は我が目を疑い立ち尽くす。
その瞳に映ったのは大きく脚を開いて六太を迎え入れている陽子のあられもない姿――
「陽子、お前あの時…俺が伸びてる間にまた尚隆と――俺、すっごく凹んだんだぞ」
六太は陽子の身体に己の杭を強く穿つ。その思いをぶつける様に。
「ごめん、許して…もう延王とはあんなことしないから…あ、はぁっ…」
――延王ですって?では景台輔の言っていたことは――揺籃は思わず息を呑む。
ふと陽子がこちらに目を向けた。目が合った揺籃はびくりとし、その場に凍りつく。
自分に向けられた蕩けるような眼差しが微笑ったように見えた。まるで揺籃を待っていたように。
「今は…六太くんだけ…あぁっ………もっと…強く抱いて!あっ…ん!…いいの…」
「どうせ今だけだろ…でもいいよ、またこうして陽子と一つになれるだけで俺は…」
揺籃に背を向けた少年の声。とても昼間のあの麒麟と同じ人物とは思えない。
「そんな、…嘘よ……景王さま…」
――こんなところ来なければ良かった。私はこの国へ来るべきじゃなかったんだ。
溢れる涙に目が霞む。滲んで見える陽子がずっとこちらを見ていた。
「わたしも…うれしい……ほんとだよ…」
開け放たれた露台に通じる窓に向かって陽子は手を差し伸べる。六太へ、そして自分へ差し向けら
れた眼差しは何を語ろうとしているのか――
『いいえ…そうではないの、委ねなさい…その身を、その心を身体の欲するままに。そして貴方が
望むものは私と同じ……』――陽子の微笑みは優しくそう語っているように思えた。
力なくその場に崩れ落ちそうな揺籃を抱きかかえ、景麒は寝間へと戻った。
「貴方の悲しみを癒せるのはこの私を擱いて外に居ない」
臥牀にその小さな身体を横たえ、景麒は跨り小さな両手を褥に押さえ付ける。
「いや、放して!お願いです…放してください………」
目に涙を浮かべながら揺籃は必死に藻掻き哀願する。
「頑迷な…どうしても嫌だと申すならその目を固く閉じ、決してお開きになりませぬよう」
野に咲く花のように可憐な揺籃の小さな身体に景麒は伸し掛かる。
――助けて!
「無粋な真似は止めなさい。幾度となく修羅場を潜り抜けた私の使令は強い。出来れば貴方の大事
な使令を無駄に傷付けたくはないのです。それに私とて貴方を傷付けることが本望ではない」
景麒は透き通るようなその頬を撫でた。揺籃はいやいやと激しく首を振る。
襦袢の袷を開き揺籃の微かなふくらみを露わにされ、小さく悲鳴を上げ身を固くする揺籃。
「やめて!けだもの!」
自由になった手が景麒の頬を叩く。
「私が獣なら貴方は一体何か。そう、寧ろ悪いのは貴方だ。その牝の匂いを身に纏ったままこの国
へ来た貴方が、私を狂わせた」
怯むことなく景麒は仄白いふくらみを覆うように掌で愛しむ。掌を押し返す未だ硬さの残る小さな
そのふくらみを優しくゆっくりと揉みしだく。
「いや!やめて……あ…」
すぐに小さな蕾が固くなり、掌の中で転がる。揺籃は抑えていた声がつい漏れてしまう。
――助けて!景王さま…
固く閉じた瞼に陽子の優しい笑顔が浮かぶ。
『――こんな事するのはこれっきりですからね……でもね台輔…初めは誰だって不安なもの…わた
しだってそうでしたよ……だけど、過ぎてしまえば何故あんなに怖れていたのかなって思います…』
瞼の中、優しく指を遊ばせながら陽子は語る。
『……でも…こんな事今の台輔に言うのは酷かもしれないけど、女だったら本当に好きな人と結ば
れたいですものね……わたしは幸せ。愛される悦びを与えてくれる人が…心からわたしを愛してく
れるひとが居るのです………きっと台輔もそうなれると信じています……』
――景王さま、本当にそうなのですか?……わたしには分からない……身体が熱い……わたしは
ただ…未だ見ぬ優しいひとに、この熱を冷まして欲しいだけなのに、それは叶いそうもない……
そう……いっそ冷たい泉の底へ…この身を沈められたなら、どんなに心地良いでしょう――
景麒はそのふくらみの頂き、ひっそり息づく可愛らしい桜色の蕾を唇に捉える。
「んっ!やぁっ!…いやっ」
吸い出された乳首を舌先にころころと転がされ、少し窪んだその先端を突付かれる度に揺籃はびく
んと跳ね、顔を埋める景麒の髪を掻き毟る。
「言うほどに身体は嫌がってはいない様子…これこそ獣の証」
口を離した景麒がふっと微笑う。そんなこと認めたくはない。認めたくはないけれど…
――麒麟同士が仲良くなれるなんて嘘だわ。こんな意地悪なひと見たことないもの……でも…
でもわたし、このままじゃ…………きっとこれは終わりのない夢…そしていつか目覚めた時に、
わたしは甘く傷付いているのかしら――
「違います…身体が…くすぐったいだけです……」
現実から逃げ出したい思いに駆られ、顔を背けて揺籃は言い訳する。
「貴方はくすぐったいだけでここを湿らせてしまうのか」
景麒は揺籃の寝間着をはだけ、大きく開かせた脚の間に素早く顔を埋める。
「きゃ!いやっ!何を……」
そこは僅かに生える黄金色の草には隠しきれない、未だ如何な牡も招び入れたことのない、少女の
秘めやかな花園。だがそこは牡を求めて熱を帯びていた。その扉が意地悪な麒麟の舌先によって
開かれてゆく。
「だめ!やめて!…そんなところに口をつけないでっ!」
抱え上げられた脚、見下ろせば顔を覆いたくなるような己の姿。股間に顔を埋めている景麒を押し
退けようにも手が届かない、脚に力が入らない。
微かに滲み出す透明な滴、その若々しくも芳醇な味わいに、鼻腔をくすぐる淫靡な牝の香りに景麒
は陶酔しきった。更に深く、その泉の源を求めて舌は未踏の内奥へ侵入する。
「あ…ん…いや……やめて…おねが…い」
揺籃は身体の奥から溢れ出す嘗て感じたことのない強く切ない快感に身をくねらせる。
恥ずかしくて仕方ないのに声を上げてしまうのを止められない。
やがて花園を彷徨う景麒の舌先は禁断の宝玉を探り出し、その宝石を磨き上げる。
「そこに触れてはだめ!お願い!」
その願いは聞き届けられず、舌先は容赦なく宝玉を弄び続けた。
「ひっ……いやっ…やめ…あああっ!いやあぁーっ!」
全身を硬直させ、揺籃は初めての頂に絶叫する。
「もうお泣きなさるな…美しい麒麟よ……」
泣きじゃくる揺籃に添い臥す景麒はそっと肩を抱く。揺籃は背を向けたまま、身体を震わせる。
「あなたなんかにこんなに辱められて…感じさせられて、それが悔しいのです」
景麒は罪の意識に苛まれ胸が痛んだ。
「其処まで嫌われては返す言葉もないが、今までの非礼な振舞い、どうか許して頂きたい…
貴方の可憐な美しさと、その悩ましげな誘いに私は盲目となってしまった」
だが昂ぶる己の想いはそれさえも凌駕する。
「貴方が嫌と仰るならもう決して無理強いは致しません。ですがこの想い、遂げさせて頂きたく」
抱き締められ、また身体が熱くなる。前よりもずっと…
「そんな……わたし、どうすればいいの?………本当に…信じていいの?景麒…」
身体を向き直し、困惑の色を綯交ぜにじっと見詰めるその瞳。或いは救いを求めるように。
「…さすれば貴方を至福の時へお連れしよう」
真摯に見返す景麒に揺籃は白い頬を朱に染め目を逸らす。
「わたし……あの…わたくし、初めてなのです……優しくしてくださる?」
「心得ておりますよ…」
穏やかに言う彼の唇に揺籃は瞳を閉じて口づける。
「よろしいか」
桜色の花びら、その綻んだ八重の中心に景麒は熱く滾る肉幹を宛がう。未だ幼く小さな身体を震わ
せて横たわる揺籃は目を閉じ顔を覆う。ゆっくりと熱いものが身体を裂く様に分け入ってくる。
「あ…ん……あ!」
――これが、男のひと……初めて押し広げられる苦痛に揺籃は呻き、可憐なその顔を歪ませる。
己の分身を狭い洞に馴染ませるように景麒は暫くじっと動かずにいた。
「辛いですか」
身体を重ね、耳元で聞く景麒に揺籃は首を振る。そしてその背に手を廻して言った。
「きっと…大丈夫……だから…んっ」
景麒の脈動がその熱と一緒に身体に伝わってくる。ゆっくりとそれが退いて行く。
「あ、あ、…あぁっ…いやっ」
膨らんだ先端に身体を引き摺り出されるような感覚に、思わず揺籃は景麒にしがみ付く。
やがて早まるその動きにつれてその腕に力をこめて。
「あ、あんっ、あんっ……景麒…さま」
――身体が壊れてしまいそう…熱い、熱いの……でも、わたしを苦しめていたあの熱さとは違う…
苦しくて、切なくて、でも…このひとが堪らなく愛おしい…
「揺籃…もう…」
強く抱き締められ、揺籃もしっかりとその腕で景麒を抱き締める。
――もっと強く、わたしを抱いて……
もう痛みなど感じないのに、涙が止まらないのは何故だろう…
揺籃の小さな体の奥へと止めど無く浴びせられる熱い景麒の想い。
愛されている、景王の言っていたその言葉、少しだけ分かった気がする。
小鳥の囀る声に目が覚めた。体を起こして外を見る。もう夜明け……暫くぼーっとしていて、
ふと髪を撫でられて振り向いた。わたしを優しく抱いてくれたあのひとが笑っていた。
「景麒…さま――いやです!…いつから?」
露わな身体を衾に潜り込ませ、かっと熱くなる顔まで隠した。
「先程からずっと…本当に可愛らしいお方だ、揺籃」
名を呼ばれてきゅっと胸が締めつけられる。だから躊躇わずにその胸に身体を重ねて頬を寄せた。
「愛していると……言っても…良いでしょうか……」
「……いけません」
「そんな…やっぱり私を弄んだのですね!ひどい」
憎たらしくも澄ました顔で言うこのひと。思わずその胸を拳で叩いてしまった。
「そう思われるのは勝手だが、貴方は何を求めてここへ来られた?麒麟同士が添い遂げるなど許よ
り叶わぬ事。貴方も分かっておいでの筈…」
そう、確かにその通りだ……軽々しく口に出した自分が恥ずかしい。だからその言葉に頷いて、
でも…この想いを伝えたい…
「幾ら私がこの身を焦がすほどに貴方に恋焦がれようとも……それは叶わぬ夢です…」
「!――景麒……いつかまた逢いに来ても?…それでもわたしを……」
「勿論。今より貴方がその身を冷まして帰るまで、ずっと側に居ると約束しよう…愛しい――」
わたしの名を囁く声がする。涙が溢れてあなたが見えないから目を閉じた……
――それから三日後の朝議の席、陽子は墳然とし、並んだ官を前にその口を開いて怒声を放つ。
「台輔はまた欠席か!まったく!揺籃揺籃って昼も夜もなく……誰かあの色呆けを――
いや、いい…放っとけ」
――あいつにも名前を付けてやろうかな……
陽子はくすりと笑った。
止めておこう。どんな名前を付けたところで、きっと顰めっ面をするに決まってる。
―了―