妖蟲 8
夜、ディ−ンは高熱にうなされている間、ずっと一人の名前だけを繰り返し呼び続けていた
驚いた事にこんな傷を負わせたのは弟のサムだというのに、夢の中で彼が手を伸ばすのも同じ人物らしい
べットの横に椅子を移動させそこで朝まで看病を続けたアッシュは、彼が負った傷自体はもう出血も止まりそう悪化する気配も無い事から、この熱は精神的なものに因るところが大きいという結論に到った
加害者に助けを求めるようなディーンなど、これだけで彼の心の矛盾が察せられる
「・・サ・・ム・・」
額のタオルを代えてやると、ディ−ンはまたサムの名を呼んで手を伸ばして来た
「・・・・大丈夫だ、何処にも行かねぇよ・・」
アッシュが堪らずその縋るような手を握り肩をポンポンと叩いてやると、少しだけ苦しそうだったディ−ンの表情が和らぐ
「お前等・・相当面倒な事になってるみたいだな・・」
アッシュは漸く安らかな寝息に変わったディ−ンに小さく呟いて、以前この酒場にエレンを訪ねて来た二人の様子を思い返す
多くのハンターが訪れるこの酒場だが、アッシュは彼らに取り分けアッシュは良い印象を持っていた
職業上少々精神的にも危うい輩も多いこの業界で、あの頃の彼等には母親の仇の悪魔を追っている事以外に深刻な気配は微塵も感じられなかったし、逆に性的な関係だと思わせるところも全く無かったから、こんな事が二人の間で起こったのはこの数日間なのだろうと推測出来る
「でも・・特にこうゆう事はな
・・先に延ばすと碌な結果にならないんだよ、ディ−ン」
アッシュはそう言って眠っているディ−ンの上着のポケットから携帯電話を取り出すと、彼を部屋に置いたまま酒場へ行きそれを開いて、迷わずサムの名前へとかけた
お節介だと思いながらもアッシュは、ディ−ンが大人しくしていてくれるうちにどうにかしないと逃げ出しかねないと、早々に強攻策に打って出たのだ
「・・俺、昨日何か喋ったか?・・」
次の日少しだけ熱の下がったディ−ンは部屋に入って来たアッシュの姿を見るなり上半身を起こし、顔をゴシゴシ擦りながら言ってきた
昨夜交わした会話も余りの高熱で記憶が飛んでいるらしく、全裸に近い自分の体に驚きこっそり毛布をめくって確かめている
アッシュはディ−ンが気にしている事が何か当然思い当っていたから、面倒な探り合いは無用と早速本題を切り出した
「ああ、聞いたぜ・・お前が弟に犯された話なら」
聞いたディ−ンはグっと喉を鳴らして数秒固まり、やがて顔を背けて俯いてしまったが、アッシュは考えた通りの反応に勝手に話を続けてゆく
「だけど、ディーン
なんだってこんな事になった?・・お前達、前から肉体関係があった訳じゃないよな?」
アッシュはディーンに煎れて来たコーヒーを強引に手渡すと、ベッドの前の椅子にドサリと腰掛ける
「・・・・・・」
「俺に話しちまえよ・・・こんな事、流石にエレンやジョ−には無理だろ?
俺なら口も固いし・・誰にも言わねぇと言ったら絶対に言わねぇ
・・・どう考えても、俺しか居ないだろ?・・言ってスッキリしろよ」
「・・・・・」
「それに・・もうお前と俺は尻に薬を塗ってやった仲だしな、他人じゃねぇぞ」
立てた親指を自分の方に向けて、アッシュはそのままディーンが口を開くのを待った
何故ならディーンも、体調がどうにも悪かった事もあっただろうが、話を誰かに聞いて欲しくてこの酒場に来たのだろうと思っていたからだ
やがて一度深く呼吸をしたディーン心を決めたようにこちらを向き直ったのに、アッシュは真面目な顔で頷いてやった
「よしっ
まずは・・・お前達が何してたかだな、何時もみたいに事件を調べてたんだろ?」
「・・・・・・そうだ・・カンザス州・・・昔の家のすぐ近くで・・」
昨日よりずっと落ち着きを取り戻したディーンが、それでも居心地悪そうに腰に巻きつけたシーツの端を握り締めながら言う
「で?」
「・・その相手は・・餓鬼の頃の俺を襲った奴だった
・・巨大なミミズみたいな使役を操る、近所に住んでた男・・」
「そこまで解ったんなら、墓を暴いて焼いたんだろ?」
「・・ああ」
アッシュはそこまで聞いて首を傾けた
何も問題など見当たらないからだ
「問題は・・そこからか先か?、ディーン」
だが、次にディ−ンが発した言葉に目を見張ることになる
「・・8つの頃だった・・・その使役に・・俺は・・」
「・・?」
「その男は・・ずっと餓鬼だった俺に付き纏って・・小児愛の前科があった
そして、当時親父は何時も留守だった・・・・ここまで言えば解るだろ・・?」
「・・・・まさか・・」
「・・奴は俺が活動範囲に入って来たのを察知して、今回も襲って来た
墓を掘っている最中にも・・そして奴は、サムに全てを話したんだ」
「・・それで・・それを聞いて・・サムがお前に怒ったってのか?」
「・・・・・」
「なんでだよ・・普通逆だろ?、被害者はお前だ・・なんでお前に怒る?」
ディ−ンは再び黙り込み、アッシュが諦めかけた頃に小さな声で以前サムに知られてしまった自らの売春行為を告白した
そしてそんな行動に走った金銭以外の本当の目的も、まるで教会で讒言するかのようにアッシュの前に全てをぶちまけたのだ
「・・・・・・気持ち・・悪くないのか?・・」
弟への許されない想いを打ち明けたディーンが、やがて漸く聞き取れる位の掠れた声で言うのにアッシュは勤めて平静を保ち、フンと鼻を鳴らしコ−ヒ−を一口啜って見せた
「・・まあ・・驚いたってのが正直な気持ちだけどな
ハンターってのは一匹狼が多くて、中にはちょっとイカレた奴も居るけど
俺は・・何て言うか・・お前達のお互いを想う気持ちみたいなのは感じてた
・・変な意味じゃなくて・・・・マトモな兄弟だと思ってたよ」
「・・・それが・・兄貴はマトモじゃなかったってことだ・・」
「いいや・・本当にイカレた奴ならこんなに悩んだりしないさ」
アッシュは身を乗り出し、滅多に無いまじめな口調で言ってやった
「・・・・・・」
「・・お前さ・・本気でサムに惚れてるんだよな・・?」
「・・・・・・」
「いや・・惚れてるって言葉は正しくないのかな・・なんて言えばいいのか・・」
「・・・アッシュ・・」
「ん?・・」
漸くこちらを真っ直ぐ見たディーンの翠色の瞳は潤んでいて、アッシュは一瞬その余りの哀しさと美しさに言葉を失った
「・・俺にとって・・サムは全てだった・・
だけど・・・もう・・その全てを失った・・・そういうことだ」
「・・男に体を任せたお前を、サムが気持ち悪いとでも思ったってのか?
それで酷い扱いをしたって?」
「・・そうだ・・きっと・・・」
アッシュはそう言って哀しげに目を伏せ再び横になってしまったディーンの傍から、やがてボリボリと頭を掻き毟りながら退散したのだ
カランと、閉店の筈の酒場の扉が再び開く
アッシュからの連絡を受けたサムの到着は、意外な程に早かった
「・・よう、来たか」
それを見てアッシュは、車という移動手段の無くなったサムは、この先の事を考えるのに此処に向かっていたところだったのかもしれないと思った
「・・・」
「心配だったんだろ?、兄貴がさ」
わざとからかう様に声を掛けても、電話では慌てて聞き返して来た癖にこの場になるとサムはチラチラと窓の外のインパラに顔を向けるだけで、口を開こうとはしない
アッシュはこの状況なら先ず酒だと冷えたビ−ルをカウンターに置き、恐らくこちらも平静ではないであろうサムの気持ちをまず静めようと話しかけた
「どうやって此処まで来た?・・ヒッチハイクか?」
「・・・・」
だが近づいて来たサムは立ったままそれに手も付けず、酒場の中を見渡す
「まず座れって・・んで、飲めよ、サム」
「・・ディ−ンは?・・」
アッシュはその問い掛けに肩を竦めただけで、再びサムに椅子を指差した
「・・分かってるだろ?、その事で話が有るんだよ
立ったまま片手間にする話じゃねぇ」
「・・・」
漸く、渋々仕方なくという様子でサムがカウンターの椅子に腰を下ろしてビールを呷ると、アッシュも隣に座って直ぐ、じっと見つめてくる彼の視線に促されているディ−ンの状態を告げてやった
「今・・お前の兄貴は、奥の俺の部屋で寝てる
此処に来た時は高熱で意識も朦朧として歩けないくらいだった」
それを聞いたサムは弾かれたように顔を上げるのに、アッシュはすぐ付け加える
「でも、もう熱は随分下がった・・大丈夫だ」
そしてアッシュは、とりあえずホッと安堵した様子のサムに単刀直入に切り出した
「・・なあ、サム・・・なんでお前の兄貴はあんな状態になってる?」
「・・っ・・」
静まり返る酒場の中に息を呑んだ沈黙が数秒続いたが、アッシュはサムをじっと見つめ彼から口を開くのを待った
やがて目の前に置かれたビ−ル瓶を握り占めていた手を離すと、サムは言った
「・・言いたくない・・・ディ−ンに会わせてくれ、直ぐにっ」
「待てよっ・・今のグチャグチャした気持ちのまま会ったら、又同じ事繰り返すぞ」
アッシュは、立ち上がったサムの行く手を両手を広げて阻む
「・・同じ事・・?」
「・・知ってるさ、聞いたよ・・お前が何をしたのか」
「・・っ・・・嘘だっ、ディ−ンがそんな・」
「なんだよ?、サム・・兄貴がお前以外にそんな事を話す筈ないって?
・・いいか?俺とディ−ンはな・・もうかなり解り合った仲なんだ
お前には悪いけどな」
笑みを浮かべて言ってやったアッシュのその言葉を聞いたサムの顔色が、サッと変わった
「・・お前・・」
「兄貴は俺のベッドに寝てるんだ・・・こう聞いたらナニかあって当然だと思わないのか?」
「・・まさか、お前っ・・ディ−ンをっ」
途端にサムはアッシュの喉元を、ギリギリと掴み締め上げて来る
だがその様子を見たアッシュは大きな笑い声を立て、サムの腕をポンポンと叩いた
「あはは・・やっぱりだっ」
「・・っ・・な・・なんだよっ!?」
「おかしいと思ってたんだ・・・ストレートの男が腹が立ったからってあんな事をするか?、ってな
ほら離せよ、サム・・・嘘だよっ、嘘っ・・俺はそんな趣味ねぇ」
「・・?・・アッシュ・・っ・・」
「だけど、その反応で分かったぜ」
「・・何・・がだよ・・」
「お前はな・・・嫉妬してただけだ
そのミミズの化け物にも、近所の男にも・・ディーンの過去の男達にもなっ
お前も兄貴に惚れてたって事だっ」
睨み付けるサムの凄みを増した眼差しにも怯まず、そうだろ?、と、指を一本立てて見せるアッシュに毒気を抜かれたサムは、手を離すとカウンターの椅子に倒れこむようにして座った
そしてそのまま呆然とたった今言われた、自覚の無かった自らの感情にアッシュが付けた名前を繰り返してみる
「・・惚れてる・・?・・僕が・・?・・ディーンに・・?・・」
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