Automatism 2
検死室を逃げるように出たサムは、思い切り踏まれスニーカーの裏のゴムの柄まで付いてしまった指を擦りながら、どうにか刑事課の部屋の前へと辿り着いていた
だが頭の中では、たった今会った男の事がグルグルと回っている
あの後、どうにか男の足の下から手を引き抜き尻餅を付いたサムは検死官かと聞いたが男は答えてくれず、替わりにアッシュが違うと言った
それじゃ刑事かと訊ねても今度は二人ともが黙り込み、やがて気不味い沈黙の中、壊して男の逆鱗に触れた白いラインについてはアッシュが塩だと教えてくれたが、彼の結界という不思議な言葉は意味は分からないままだった
そして直後子部屋の中に隠れてしまった男を、アッシュはここで仕事をしている、いわゆる彼のデスクはここだとだけ説明した
だがそんな事を言われれば、余計に検死官でもないのにこの最新鋭の設備が揃えられた警察署のビルの中であえてあんな場所で過ごしているらしい男が何なのか、サムは混乱する
それに、一瞬で自分が彼の美しさに魅せられた事にも
「よぉ、早かったな」
これは先輩刑事に聞くしかないと思ったところで戻ったサムに気付いたゴードンに、自分の斜め前の机のガラクタをゴミ箱に放り込みながら手招きされた
「・・あの・・先輩、聞きたいことが・・」
「ここが今日からお前のデスクだ、前この机を使ってた奴は無抵抗の黒人への暴行で解雇されたが
・・・お前はどうだろうな、しっかりやっていけるよな?・・」
「・・もっ・・もちろんですっ!」
咄嗟にコードンの試すような鋭い視線に慌てて言い返し、サムは質問のタイミングを逸した
そして仕方なくそのデスクに自分の荷物を配置しながら、ひたすらランチタイムを待った
「・・・はぁ??・・お前っ・・会ったのかよ、マジかっ!」
「・・ぇ?」
「まさか握手なんかしなかっただろうなっ!・・・・取り合えずちゃんと手洗えっ」
和やかな昼食時が自分の質問で急に雰囲気を変え、周りの数人の先輩刑事達が途端に嫌悪の表情を露にしたのに、サムは驚いた
死体を直接扱うアッシュにさえフレンドリーだった彼等だから、あの男を忌み嫌う態度は彼が検死室に篭っているという理由からではないらしい
「・・あ・・あの、彼の名前は・・?」
無理矢理もう一度手を洗いに行かされるのをなんとか断ったサムは、みんなが納得するようにナプキンで手を入念に拭いて見せながら訊ねる
「奴は・・ディーン、だがみんな『モルグのD』って呼んでる・・あの部屋に篭ってるからな
最もアッシュだけは、あの部屋は死体置き場じゃなく検死室だって何時も反論するが」
サムは妙な二つ名を持つ彼に、更に興味を惹かれた
「・・そのディーンは・・・彼はどうしてあの小部屋に?
それに・・入り口の塩はいつも?・・・理由は?・・」
「はっ?、塩かっ!・・・そりゃ、頭がいかれちまってるのさっ!」
「そうそう、奴には色んな噂があるし・・・気色の悪い男だ」
「俺達の中で、あのモルグ野郎がここに居ていいなんて思ってる刑事は一人も居ない
・・・これだけは確かだぜ」
先輩達の刑事とも思えない酷い言葉に、サムは驚いてその一方的な非難を止めた
「・・ちょ・・ちょっと待ってっ・・どうして仕事仲間をそんなふうに言えるんですかっ!」
「あ?、仲間だぁ??・・あんな奴は仲間じゃねぇよっ、新入り
事実『モルグのD』はもう刑事じゃねぇっ・・検死官でも、科学捜査官でも・・何でもねぇんだっ」
「・・・えっ?・・もう・・って・・」
「あんな頭のおかしい男を『飼ってる』事で、今のシンガー所長に反発する者も少なくない
サム、この署内で上手くやって行きたかったら、もうあの『D』のことは金輪際口にするな、いいなっ?!」
そう言い捨てて一斉に席を立つ先輩達を、ランチに手も付けられなかったサムは、呆然と見送っていた
そして気付けば又、サムは地下の検死室の前に来ていた
それは欠員も無い今新米刑事に早々に事件が割り当てられる筈も無く、頼まれた書類整理も持ち前の優秀さでみんなが驚くほどの短時間で終わらせた結果だ
お茶でもして来ていいと言われてこの場所を思い出すなんて自分でも変に思ったが、サムの足は勝手に地下に下りてこの部屋の前で止まったのだ
「・・・・どうしよう・・」
ディーンだと彼の名前だけは分かったが訊ねて行く理由は無く、それにあの先輩達の話では彼の人となりも全く明らかにならないままで、サムは途方に暮れて柱の影で暫く部屋の扉を見つめる
すると数分後
突然扉が開き、彼が出て来た
「・・っ・・」
薄暗かった小部屋で一瞬見ただけでもその顔の作りの美しさは感じたのだが、明るいライトに照らされた廊下の光の下のディーンは、絶句する程の美人だ
憂いを帯びて伏せ眼がちな睫はバサバサと音をたてそうな位に長く、形の整った鼻骨とチャーミングな色を加えているそばかすに、薄く開いた肉厚で赤味を帯びて性的魅力に溢れる唇
その全てが奇跡のようなバランスで存在し、その配合結果は決して中性的でもないのにサムの胸の鼓動をドクドクと速める
そして壁の時計を見上げたディーンの瞳の色を見て、なんて綺麗なグリーンだ、と隠れたままでサムは内心感嘆の声を上げた
こんな人が、あんなにまで嫌われる理由が分からない
まるで化け物に対するような、先輩刑事達の排斥の訳が
「・・・・・・・」
そしてそんなディーンだってもちろん、休憩の時はみんなと同じようにこの部屋から出て外に向うのだろう
サムは、普段の彼の様子を見れば先輩達の話の意味が理解出来るかもしれないと、ポケットに両手を入れて廊下の端を人目を避けるように俯いて歩くディーンを、無意識の内に尾行し始めた
当然だが尾行の結果、ディーンは化け物でも何でもなかった
ただ後ろからついて歩き始めて直ぐ、サムは彼がまるで嫌がらせのようにすれ違う人々から大げさに避けられていると気付き、又それを彼自身も認識して受け入れてしまっているのか何の反応も返さないという事実を知りショックを受ける
すれ違った直後にヒソヒソと交わされる内緒話や、わざと彼の耳に入るような声での短い罵声にも、ディーンは無表情を保ち一切の反抗も抗議も示さない
そしてそんな反応と同時に、彼を見つめる男達の中には好色な視線を浴びせる者も少なくないと感じ、サムの不愉快さに拍車がかかる
確かにあの美しさはそんな趣味の人間の目を引くだろうが、忌み嫌う者と欲望の対象としてみる者と、余りに皆勝手過ぎるではないか
「・・・・・・」
やがて周囲の彼への酷い扱いに憤慨し始めたサムの前で、ディーンは気にする様子も無く外のスタンドでチーズバーガーとコーヒーを買い、遅い昼食を取る為に人気の無い建物の裏へと歩いて行く
こっそり後をつけながら、サムはあんな態度を取られれば彼等が集まる所には居たくないだろうと納得し、同時に酷く彼が可哀想に思えてきた
「・・・これは・・なんなんだよ、一体・・」
彼を『飼っている』と、ウェザリー刑事は言った
まるで動物のように
そしてその事で、所長に反感を抱く者が居ると
「・・っ・・・まさか・・な・・」
下衆な想像が一瞬頭を掠め、サムはブルブルと頭を振り必死に妄想を振り払った
ニューヨークでも同性愛者は人口の何割かに及ぶがそんな事が警察署で許されるは筈は無いし、よく知らないディーンに対して勝手にそんな想像をするのは失礼極まりない
やがて離れた所に座るディーンは凄いスピードでバーガーを平らげると、包み紙をクシャクシャと丸めコーヒーを飲み始めた
サムはそれを確認し、自分でも気付かないまま彼の好みはブラック、と心に刻み込みながらじっとディーンを観察し続ける
だが、全く気付かれていないと思っていたこの尾行だが、突然ディーンは背後のサムに独り言のように言って来た
「なぁ・・俺が死体の肉を食らい血を飲むと噂で聞いて確かめに来たのか?・・ウジ取りが趣味の新入り」
「っ!・・・ぇ・・」
ヤバイヤバイ、バレてたと、その言葉だけが頭の中を回り固まるサムの前を、ディーンは返事を期待していないのか足早に反対側から建物の陰へと入り、その場から立ち去ってしまった
「・・・・・・・はぁ・・」
今度ちゃんと謝らなくてはと、サムは唯一彼を庇う言動をしているらしいアッシュにもう一度会おうと心に決め、刑事課へと戻った
だが、アッシュに会うまでも無く、ディーンとの再会は予期せぬ形で実現した
戻って暫くしての突然の所長からの呼び出しにサムが緊張してその部屋のドアを開ければ、なんとそこには彼、ディーンが立っていたのだ
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