Exorcismus 1
9年前のある日



「うるせぇな・・」

深い森の中、眉間に不機嫌そうに皺を寄せ、東欧の寒々しい曇天を見上げる者が居た

その瞳の色は木々の緑を映し込んだような、ヘイゼル・グリーン

美しい少年だった

いや、少年と呼ぶには大人びていて、だが大人と呼ぶにはその体はまだ華奢だった

しかもその体は神父の服である黒衣のスータンに包まれ彼が神に仕える身なのだと教えていたが、そのピンク色の唇から漏れるはおよそ神に一生を捧げると誓った者の言葉ではない

「・・うるせぇ・・何なんだ、一体・・」

だがそれも、無理も無いと言えば無理も無かった

ここまで孤独な旅をして来た少年は、昨夜深い谷を一つ越えた辺りから引っ切りなしに自分を呼ぶ声に悩まされていたからだ

夜中も止まらぬそれに一睡も出来ず、しかも他の人間には聞こえぬものらしかったから腹立たしさをぶつけたくても不思議な顔をされるばかりで、堪らず陽が昇ると同時に宿を発ったのだ

「うるせぇっ・・・会ったら殴ってやる・・絶対殴ってやるっ・・」

もう一度呟いて、少年はたった一人でその歩を進めて行った








数時間後


「っ・・畜生・・」

結局少年はス−タンの裾を捲くりながら、延々と階段を上り続けなくてはならなくなっていた

荷馬車に乗った村人に道すがら尋ねれば400年前から古城の塔に封印されている魔物の伝説を教えてくれ、頭にガンガン鳴り響く声に苛立ちも頂点に達していた少年は、すぐその古城へと向った

山を3つも超えて到着すれば、今度は塔の最上階へと続く螺旋状の階段が何百と待っていて、この声を止める方法は更に進むしか無い

そして


やがて辿り着いた、塔の最上階

「・・・・・」

その小さな空間の手前には、神父の彼でさえ眉を潜める程の、過剰とも思える大量の封印

聖書の一説の書かれた羊皮布、塩、、ハーブ、年代物の十字架、太い鎖に錠と、考え付くありとあらゆる宗派に頼ったそれは、400年前の人々の恐怖の大きさを如実に表している

「・・・俺を呼んだのは、お前か?」

だがその封印を無造作に剥がせば、格子の向こう側には凡そそぐわない無害そうな子供が一人

その首にはまるで荒ぶる獣を戒めるような首輪と、鈍く光る銀の十字架

「・・・・・?・・・誰・・?・・」

「・・お前だろっ・・夜中も俺を呼びやがって、煩くて眠れねぇんだよっ!」

子犬のように無邪気な茶色い瞳が、オズオズと戸惑い気味にこちらを見上げている

「・・僕・・・・誰も呼んでない
 だって・・長い間、ここには誰も入れなかった・・・・僕、一人だったから・・」

「・・・・・・」


顔を見たら殴ってやろうと思っていた

だが少年は次の瞬間に、ふっと体の力を抜いて諦めたように息を吐き出した

余りにも罪の無い瞳で見て来る子供に、怒っている自分が馬鹿馬鹿しくなった


それに、この部屋は寒すぎる

こんな所に一人なのは

だから




「・・連れてってやるよ・・・来い」


何故か安易に解けた封印を足蹴にして扉を開け、少年はその子供に手を伸ばしていた

「お前、名前は?」

「・・・えっと・・・・・・サミュエル・・・・多分、サムっ!」



全てを忘れたが自分の名だけは覚えていたと、その子は嬉しそうに名乗った
シャングリラ

理想郷と呼ばれ、人と悪魔、科学と魔術が共存を果たしていた世界

だがその永きに亘り保たれていた均衡は、近年突如の負の波動を受けた悪魔達の暴走という謎の異変によって、脆くも崩壊していた

もはや世界は人間を襲い喰う悪魔族と、なんとかそれに対抗しようと粗末なまでも城壁の中の街に集まって密かに暮らす人間達に分かれ、そんな人間達が心の拠り所としたのは唯一悪魔を追い払う事が出来る者

教会の神父、しかも悪魔を地獄へと送り届けられる力を持つ者、だった


しかしそれは教皇を中心とするこの世界最多の信徒を有する最大教派に在っても、通常人目に触れる場で力が発揮される事は無かった

その教えは聖人とその徒に由来し、教父たちによって研鑽され多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたもので、この戦乱の世にあっても依然教会の信仰生活の中心にあるのは、相変わらず聖体祭儀のミサだったからだ

だが城壁の中に集った人々は、襲い来る悪魔の恐ろしさを片時だけでも忘れる為に、祓魔の能力を持つ神父が存在するであろう教会に通い詰めた















だがここに、教会も日曜日のミサも聖務日課も関係ない、神父が居た

その手には、悪魔を殺す銀の弾が装填されたコルト

そして、本来は慎ましやかにその体を足下まで隠す黒いスータンの裾のポタンは取り外され、腰骨まで切れ込むスリットの下から覗くのは汚れた細身のジーンズ

足には、踵に肉も裂く鋭い滑車付きのブーツ




「・・・In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti. Amen.」
     (聖父と聖子と聖霊との御名によりて アーメン)



黒衣に白い肌の映える、美しい男だ

「・・・っ・・」

偶々城壁の外に出て大勢の悪魔に襲われ掛けた農夫は、たった今目の前で繰り広げられた光景を信じられず、腰を抜かしていた

「ぁ・・・あんたっ・・今・・・・悪魔を地獄へっ!?・・神父様・・っ」

「・・ああ?、地獄へだって?」

農夫は、自分を今にも喰らおうと取り囲んでいた何十もの悪魔達が、男の唱えたラテン語の呪文と胸の十字架から放たれる眩い光の中一瞬で消え失せたのを見て、偶然通りかかり助けてくれたその神父に対し十字を切った

彼が居なければ死んでいた

これぞ神の助け、感謝せねばと

だが

「昔と違って、もう人間に悪い悪魔を地獄に送り返す力なんか無いぞ、爺さん」

「・・じゃ・・じゃぁ・・今の・・は・・」

「当然、ただ、殺した
 教会は表向き、これを悪魔祓いなんて呼んでるが・・・実際は『大量殺人』だ」

「・・へ・・?」

真実を知ってショックか?、と手にしたコルトをクルクル回してホルダーに納め、頬に付いた返り血を無造作に拭う神父に、農夫はこの若い男こそ自分を襲わせた悪魔の総帥なのではという気がしてきた

確かに近年敵として存在する悪魔族だが、これ程多くの人を殺して平然としていられるとは

その上横の森の中からゾロゾロと、年齢も職業も纏まりの無い得体の知れない男達が3人、出て来る

「うわっ!」

「ディーン、こっちも片付いたぜ」

「これくらいの数の悪魔なんか、軽い軽いっ」

それは若い長髪の男に、中年の親父、12歳程の少年

「ぁ・・・・・わっ・・・わしは・・街に帰・・っ」

再びガクガク震えだす体を慌てて城壁へと向けるが、足が戦慄いて上手く歩けない

するとその中の一人が、後ろから言って来た

「ああ、一足先に行ってろよ・・そんで街の教会の奴らに言ってくれ
 ウィンチェスター5世一行が来るから、美味い飯と柔らかなベッドの用意をしとけってな」

「・・・・へ?」

農夫は、その軽薄そうな長髪の男の言葉に立ち止まり、キョロキョロと周りを見回した

「一行じゃない、お前達は下僕だろ」

もちろん今そう言った最初に出合った若く美しい男以外に、神父のスータンを着ている者は居ない

「っ・・・まさか・・」

あの数の悪魔を一瞬で消し去った力

神々しいまでの眩い光を放つ十字架

それでも

「・・あ・・あなた・・様が・・??・・」

信じられない

「ああ、信じられないだろうが・・・こいつ、教皇なんだよ、これでも」

長髪の男はニヤリと笑って、隣を親指でクイっと指した

ディーン・ウィンチェスター5世

農夫は、指差された美しい黒衣の男を見つめながら、11年前、最年少の13歳という若さで教皇という地位に着いた伝説の人物の名を、無意識に呟いた

「よし・・じゃ街に入って教会占拠してタダ飯を喰らうとするか?、サミーちゃん」

「うん・・・・・・って、サミーじゃない・・サムって呼べっ、ルゴシっ!」

一番若い少年が、長髪の男に食って掛かる

何か変だ

それによく見れば、それぞれ鎌に鉈、素手が真っ赤に染まっていて、ポタポタと血が滴り落ちている

「・・ぁ・・ぁ・・・・ぅわぁぁー!・・・」

魔物でも、人間でも

例え真実教皇とその下僕だとしても、もうこの恐ろしい4人の側に居たくなかった

農夫は一目散に城壁へと走り、その中に逃げ込んだ








「あれ?、あのお爺さん・・どうしたの?」

「・・さあな、なんか怖いもんでも見たんじゃねえか?」

「・・・・」

「怖いって、悪魔は全部僕達が殺してあげたのに・・ね?
 ・・・ぁ・・あれ・・・待ってよ、ディーンっ」

長髪を靡かせ愉快そうにそう言って笑っているルゴシの横を、ディーンはこちらに伸びて来るサムの血塗れの小さな手を振り払い、マルボロに火を点歩き出す

「さっさと歩け、サム・・腹が減ったんだろ?
 ・・・インパラもさっきからキュウキュウ鳴いてるしな」

中年の男も流石に疲れた顔で悪魔の血肉に汚れた鉈を掃い、その肩には何故かチョコンと乗っている黒兎

「そうそう!、僕もお腹空いて死にそうなんだよ、ボビー」

「・・・・・」

ディーンは、変わらず騒がしい子供のサムに密かに溜息をついた








当時17歳のディーンが古城の塔に幽閉されていた魔物、サミュエルの封印を解き放ってから、7年

不思議と負の波動の影響は受けず、自我を保ったまま共に旅を続けていた

しかも戦闘能力は超一流で、サムが加わってからというものディーンの悪魔との戦闘で怪我を負う回数は、格段に減った

それは最近この旅に加わった、半分悪魔の血を引くルゴシも元人間の悪魔という特殊な体のボビーも同じだ

特殊な出生と変化の原因が負の波動の影響を抑えるのか、他の悪魔達がとうの昔に無くした自我を自分が与えた十字架一つで簡単に保ち続けているのだ

「待ってってばっ!!」

だが最強の彼らも一旦戦いを離れれば、ルゴシは病的とも言える女好きで、サムもまだまだ自分に懐いたただの子供だった

ディーンはパタパタと走って来る足音に無意識のうちに口角を上げ、煙草の煙を吐き出した


人間である自分と、悪魔と人間のハーフ、元人間に、得体の知れない魔物

奇妙な組み合わせの4人組



後日、突如背が伸び始めたサムにディーンは慌てる事になるのだが、今はただ不思議な生き物を拾ってしまったと考えているだけで、この旅は相変わらず騒がしく、続いていた



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