檻 1
彼を愛していると気付いたのが何時だったか、アレックには思い出せない
初めは同じジェネティックであるマックスを愛する、変わり者の人間だという位にしか思っていなかった筈だった
やがて彼の命の危険も顧みない活動や自分達への理解に心の中では尊敬し頼りにし始めても、それがこんな感情に変わるなどとは思ってみなかった
しかし何時しかアレックは彼ばかりを目で追い、彼とマックス達の複雑な関係の輪の中に首を突っ込もうとアーシャにモーションを掛けてみたり、自分の存在を利用して彼から離れようとするマックスの言葉を否定しないままにしたりして、彼の様子を窺っていた
そうして徐々に膨らむ彼への感情に恐ろしくなり、恋敵になって憎まれようとしても彼は最後の最後でアレックを助けた
だから、アレックは彼に告げた
マックスを愛してやるべきだと
マックスもまたあんたを愛しているのだと
そして、医療用のラバー越しに手を握り合う二人の揺るがない絆の前に、アレックは自分の感情に区切りをつけた
その、筈だった
シアトル市の中心地、ターミナル・シティ
人間の体には有害な物質が残るこの場所に逃げ込み、警察の追跡を逃れたマックスはこの地でジェネティックが生きて行く為、組織との戦いの決意を固めた
そして集まった、首にバーコードを付けられた全ての者が彼女の考えに賛同しここに一つの国家が生まれたのだが、確かに人間タイプにとっては住み心地が良い場所とは言えなかった
至る所から下水や雨水が滴り落ち、電気も水道も通っていない
だがそれでも彼らにとっては、周りから化け物と蔑まれ恐れられる外よりは数倍マシだったのか、今では逃げ出した仲間のほぼ全てと言っていい数がここに集中していた
そんな彼らの国家が誕生した瞬間に、人間であるローガンが立ち会ってから3日
その間にマックスはジェネスティック達を統括するシステムの確立が急務と、驚くほどの迅速さでそれぞれのDNA別に班を分けリーダーを決めた
大きくは、人間種と動物種
その中でも熱帯型や砂漠型、寒冷地型など適応気候に別けられ、又能力でも肉体労働者やコンピューター管理者など仕事を割り振る
そんな忙しい時間は瞬く間に3日が過ぎ、その日も様々な取り決めを各班のリーダーと話し合うのに忙しいマックスを『会議室』と呼ばれる部屋に残し、ローガンは一人残りの仲間の様子を見に建物の中を歩き回っていた
人間である自分は外部から彼等をサポートするのが仕事で、ある意味此処に居てもする事が無いのだ
だから、ずっとこの数日気掛かりだった人物を探すことにした
「アレック、ここに居たのかっ・・探してたんだ」
暗いうえに上にも下にも入り組んだ辺りの複雑な道の構造のせいで、目的の人物を見つけるのに人に聞いて回っても半時以上掛かったが、ローガンが漸く廃材の山の中に立っていたアレックを見つけ声を掛けると、何故か彼はビクリと驚いた様子で振り返る
「・・ローガン?・・・探したって・・俺を・・?」
「ああ、怪我をしてただろう?、化膿止めの薬と換えのガーゼを持ってきた
・・・ここは余り衛生的とは言えないからな、油断しないほうがいい」
いくらジェネティックでも銃創は治りにくいのをマックスを診て知っているローガンは、持ってきた救急箱をポンポンと叩いて見せた
「何処か行こう、アレック・・ここじゃ治療出来ない」
そうは言ったもののローガンが勝手の分からないこの建物に困惑し、案内を求めているのに気付いたのかアレックも小さく笑って周りを見渡す
「・・どうやら・・・速い者勝ちらしい」
「?・・何がだ?」
「入居とか、間取りの変更とか・・プライバシーの保護とかさ・・」
「・・・・」
不思議に思い見つめたローガンにアレックは間仕切りにでもするのか、たった今見つけ出したらしき金属板をコンコンと叩いた
「この中で暮らすんなら、自分の家が必要だろ?・・俺は人間種居住区で良い所を見つけた
ボイラー室の上の階層で冬でも暖かい・・まぁ、その分夏は又どこかに移動しなくちゃならないけどな」
「・・・そうか・・」
アレックがわざと明るく笑っているのに気付いたローガンは、こんな状況に陥った彼の境遇に心を痛めた
一週間も前はみんな変わらず、普通の生活が送れていた
研究所から逃げ出した化け物の噂も、三流のゴシップ紙のネタでしかなかったというのに
「・・そうだな・・・これからは君もここに住むんだよな、アレック・・」
「・・・そうさ・・俺達は此処に住むのが一番だ
此処ならリンチされて殺される事も無い・・それに外には出ようと思えば出れる」
「・・・・・」
遠くを見つめるアレックの目に、数週間前人間の手に依って殺された友達の哀しい影を見つけたローガンは、急いで話を変えるように言った
「なあ、アレック・・・君の、その・・新しい家に行ってもいいか?」
「・・・・・俺の・・?」
「不衛生な場所でガーゼを換えるなんて逆効果だ、いいだろ?」
するとアレックは頷き、ローガンを案内するようにターミナルの中の複雑な道を歩き始める
カンカンと格子状の金属に足音が響くその道は通称メインストリート8号だと彼は言い、外に資金を調達に行く役割を持つ者は出口である『港』と呼ばれる所に近い区画に居を構える事になったのだとも、説明してくれた
外に出られるのは見かけ人間の姿をし尚且つ外界の情勢にに詳しい戦闘タイプと限られるから、アレックやマックスの役割なのだ
「・・それにしても凄いな・・・本当に一つの国だ、こんな僅かな間に・・」
彼等が此処を占拠してまだ3日なのに、頭上にも足元の床の下にも新たに掛けられた道が交差して続いているのを見て、ローガンは感心した様子で呟いた
人間は有害な物質の飛散状況の調査が終わるまではこんなに奥には入れてもらえなかったから、まだこの建物の全貌を知らないのだ
「ああ・・・広すぎて、俺もまだ道を完璧には覚えてない
まるで大昔に東洋に有った九龍城だよ
奥の方はもっと複雑だし・・・それに栽培部とか、家畜部とかの辺りは臭いも酷い」
「?・・栽培部?」
「建物を屋根までブチ抜いて、太陽の光を入れて野菜を作るらしい
あと、鳥とミニ豚と食用の鼠を大量に持ち込んで、殖やす計画だ
・・人間には食えないけど俺達は平気だ、貴重な食料だよ」
「・・・・」
ローガンはこのバイオ工場の跡地で栽培された植物や飼われた家畜と聞いて心穏やかで入られなくなったが、アレックは気にもしていないのか最後の角を曲がり小さな小道を入ると、ある場所の前で両手を広げて見せた
「ほら、ここが俺の家・・まだ建築途中だけどな」
「・・・へぇ」
確かにそこは丁度人口が密集したエリアからは少し距離が有り、十分な広さとプライバシーと静けさが確保出来るスペースで、なかなかの優良物件だ
広さは寝床と彼の私物の置かれた机で全てを占めてしまうくらいだが、アレックの独特の美意識で集められた小物が所狭しと脇の棚に並べられ、小さいながらも彼の城と言ってもいい風情だ
ローガンはもっと悲惨な状況を想像していた自分が恥ずかしくなり、笑顔でアレックを振り返った
「凄いな・・驚いたよ」
「・・だろ?」
嬉しそうに、そして少し照れ臭そうにアレックはローガンの脇を通り抜け、ベッドに腰を下ろした
やがてアレックにシャツを脱いでもらったローガンは、銃の傷の手当てを始める
流石はジェネスティク、傷はもう半分も塞がっていたが、乱暴に弾丸を抉り出した傷の一部は化膿しかけている所もあった
急いで軟膏を塗り、ガーゼを換えて、テープを張る
「?・・・アレック・・」
だが、その時になってローガンは、アレックの体温が少し高いことに気付いた
平熱でも彼等は人間より体温が高めだが、今微かに触れる指先でもその肌が熱を放っているのを確実に感じる
「・・な・・なんだ・・?」
よく見れば背けた顔も赤くて、綺麗なヘイゼルグリーンの瞳も潤んでいる
「君・・発熱してないか?、気分は?」
「っ・・・だ・・大丈夫だっ・・・それより、終わったんならもう・・」
アレックはローガンから目を逸らしたまま、シャツを着て立ち上がる
「・・・待てっ」
ローガンは、そういえば少し前から彼は自分と目を合わして話をしてくれなくなったと、慌ててアレックの腕を掴んだ
嫌われているようではないが、昔の自然さは無くなった
ずっとそう思ってはいたが、それが今、はっきりと解った
一方的に心配して傷の具合を診にやって来たが、彼にしてみれば自分など迷惑だったのかもしれない
「なぁ、俺に怒ってるなら謝るっ・・だが体調が悪いのなら・・」
マックスとの事で何時までも煮え切らない態度を続けていた自分が迷惑を掛けた自覚も充分にあったから、ローガンは何故か急いでその場を立ち去ろうとするアレックを引き止めた
しかし
「そうじゃないっ・・・そうじゃないんだ、ローガン・・っ」
「・・?・・アレック・・?」
まるで、自分が彼を虐めているような
まるで、自分が彼を苦しめているような
アレックの振り返った表情を見た時、ローガンは感じた
そして不可思議な胸のざわめきも
だから、急いで掴んだ腕を振り払いその場から立ち去るアレックを、ローガンは茫然見送ることしか出来なかった
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